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アレクシアとスティアの話~知恵者の川にて~
登場人物一覧
以前はアレクシアの『地元』を紹介して貰った。菓子工房『フローラリア』はとびきりの味であったし、深緑は自身のルーツを辿れば命の故郷であると言われても物珍しいものばかりで。
楽しい時間を思い出せば思い出すほどに、自身の地元に当たるヴァークライト領にも遊びに来て貰えたら嬉しいなあ、と真っ白な便箋の上でペンをゆらゆらと揺らがせて悩ましげ。
は、と思い浮かんだのは『前回のお礼に是非、ヴァークライト領を紹介させて欲しい!』という招待状だった。そこまで畏まった物ではない。一緒に遊ぼうと心躍るような文字を重ねて。
手紙を受け取って、最初にアレクシアはスティアはどんな所に住んでいるのだろうかと想像した。それでも、仕事でも余り縁が無く天義という国に関しての知識は少ない。
折角ならば、今日もある天義という国に遊びに行こうと二つ返事で了承し、当日の朝、ヴァークライト領の入り口に立っていた。
「いらっしゃい!」
にんまりと微笑んだスティアは嬉しそうにその腕にシーズーを抱いていた。自身の事を鮫であると認識している彼女の飼い犬テレーシアである。
「こんにちは。スティア君、それからてるこ君でいいかな?」
アレクシアにわん! と良い返事を返したテレーシアはお迎え担当であったらしい。散歩の続きをしてくるという使用人にテレーシアを預け、スティアは「よくぞ来てくれました!」と自慢げに胸を張った
中央教区、『ドクトゥス・フルーメン』を観光しながらスティアにとって一番紹介したい場所へ向かうという今日のルートだ。巡礼のための建物が並んだ風光明媚な街並みにアレクシアは「わあ」と小さく息を漏らした。
「なんだか、絵画みたいな場所だね。こうした建築物は深緑にはあるけれど、それがずっと並んでるとイメージも変わるかも」
「うんうん。此処はね、巡礼者の立ち寄る場所なんだって。この川を辿っていけば、アエテルヌム湖に繋がってるんだって。
アエテルヌムで巡礼者たちは禊ぎ、フォン・ルーベルグへと戻って往く……って伝えられているんだって」
ドクトゥス・フルーメンを流れる河川を辿りながらアエテルヌムへと向かおうと微笑んだ。何か行きたいところはある、と問い掛ければアレクシアはうーんと首を傾げる。
「実は天義って国は余り知らないんだ。だから、スティア君のお勧めに行ってみたいかも」
「オッケー! じゃあ、私のお勧めを案内するね。さ、行こう?」
アレクシアにとって、スティアはローレットの仕事ではとても頼りになる存在であった。それでもプライベートのことは伝聞でしか知らず深い間柄でもない。もっと仲良くなりたいと考えながらも――踏み込むことを躊躇う事が少し。それがスティアが一番お勧めしたいという花畑のことだと思えばアレクシアはその深堀を避けるように「この川を辿るんだね?」と微笑んだ。
「うん。巡礼者は川を辿って、湖で汚れを落とす。それから聖都フォン・ルーベルグに戻るそうだよ。それが巡礼の儀……なんて、宗教国家らしいよね」
そう言われているんだと微笑んだスティアはアレクシアと仲良くしたいと考えていた。もっと距離を縮めて、気軽に名を呼び合える仲に――と簡単に考えたいものの、スティアにとってのアレクシアは憧れの存在だ。回復魔法を使う魔法使いの女の子――踏み込むのだって緊張してしまうから。
「そうだ、後でお買い物もしない? アレクシアさんにはヴァークライト領のお土産を持って帰って欲しいかも!」
「お土産。うん、色んな所を見て回ってから最後に決定したいかな。スティア君のお勧めの場所でお土産とか買えるかな?」
アレクシアの問い掛けにスティアはむむ、と悩ましげな表情をして見せた。お土産は是非持って帰って欲しい。勿論、最初から「素敵な記念品と巡り会えますように」と彼女が言っていたことは知っている。
(うーん! けど、アレクシアさんだから本が良いのか、本当のお土産が良いのか、どっちだろー! 難しいね! とりあえず、行こう!)
迷っている時間も惜しいとスティアはアレクシアに「色々見て回れば決定できるよね!」と溌剌とした笑みを返した。
蒼と紅の柔らかな色彩の瞳を細め、るんるんと歩いて行く長耳の少女がヴァークライト家の令嬢と知る者は「お嬢様、お友達ですか?」「スティアさん、こんにちは」と声掛けてくれる。
「こんにちはー! あ、ヴァークライト領でおすすめのお土産って何かな? 友達のアレクシアさんに是非、うちの記念品を持って帰って貰いたいんだよね!」
「作物も良いですけど、お嬢様、あれは?」
こっそりと耳打ちする領民にスティアはぱあ、と表情を明るくした。それは良いアイディアだと大きく頷いてアレクシアに「アレクシアさん決まったよ!」と振り返る。
自慢げなスティアが向かうのはアエテルヌム湖。静謐溢るる静かな湖畔には小さなベンチが置かれていた。散策にぴったりの湖畔には澄んだ空気が流れている。
「此の儘、まーっすぐ行くよ」
「スティア君が言ってた花畑?」
「そう!
とっても綺麗で優しくてお転婆な人だったんだって! そんなお母様の名前を冠する花畑にアレクシアさんを招待したかったんだ」
そう言って、辿り着いたのは――
美しく咲き誇る花達。3月12日になると祝福を与える亡き淑女が微笑む場所。
踏み入れれば春の風が吹く。花弁が煽られアレクシアの頬を撫でた。柔らかに、少し伸びた前髪を攫ってゆく。長い銀髪を抑えてスティアはゆっくりと微笑んだ。
「此処が、
お父様とお母様が、
並んだ花々の種類は分からない。大輪の花を咲かせて揺れて、それが小高い丘に続いてゆく。一面の花模様。絢爛に彩られたキャンバスにアレクシアは小さく息を飲んだ。
「綺麗だね……」
「うん。アレクシアさんには言っていなかったけれど私は天義の戦いでお父様と……人形のお母様と戦ったんだ。
その時にね、お母様が私をとっても大事にしてくれてるって分った。お父様だって、魔種になって狂ってしまっていたけど……私を大事にしてくれてたんだろうなあ」
3月12日は、スティアの誕生日なのだという。愛しい一人娘へと捧ぐ愛情のように。その花々が咲き誇り揺れる姿に胸が一杯になる気がして。アレクシアは綺麗だね、ともう一度繰り返した。
一歩踏み出せば、花の香りが噎せ返る。春めいて、その景色に佇むだけで胸が躍り始める気さえして、アレクシアはくるりと振り返った。
「もしも、私が王子様だったら」
「もしも、アレクシアさんが王子様だったら?」
「スティア君にこう言うよ――躍ろう! って」
手をぎゅうと握りしめて花畑に誘う。常春の国の花翅の娘達のように咲き誇る花々を躍る様に進み続ける。出来の悪いワルツだって良い、今日が楽しくて堪らないのだから!
アレクシアの笑みに合わせてスティアが「まるでお姫様みたいだね!」と揶揄い笑う。
花を粧い、地を蹴って。魔法の気配を纏うように、軌跡を残して進み行く。
――私は天義の戦いでお父様と……人形のお母様と戦ったんだ。
それはどれ程苦しいことであっただろうか。人には人の歴史があって、積み重ねがある。無理に踏み込まないように。
そう言葉にして、此の地に招いてくれた彼女が花々に祝福されるように幸せであればと、願いその手を握りしめた。
「ここの花を一輪、押し花にして栞にしよう? それからね、ドクトゥス・フルーメンでその花に似合うガラスペンを買おうと思うんだ。
此処でアレクシアさんが一番素敵だと思った花の色のインク買おう? この花畑がアレクシアさんにとって今日一番の思い出になりますように! って」
「――うん。うん、そうしよう。栞を見れば今日を思い出せる。ガラスペンのインクで文字を書けば、スティア君のご両親の優しさに触れられる気がする」
ステキだね、と唇に乗せた言葉にスティアは弾けるように笑みを浮かべた。
「けど、お腹が空いちゃったから一度屋敷に戻ってアフタヌーンティーなんてどうかな?」
「ふふ、いいね。腹が空いてはなんとやら! スティア君のお屋敷で何か準備をしてくれてるの?」
「実はお友達が来るんだって家の皆に言ったら張り切っちゃって。あ、私は料理してないよ。私が作ると凄いことになっちゃうし……」
――噂の『すてぃあすぺしゃる』は今日はNGなのだとスティアが慌てたように繰り返せばアレクシアは愉快であるかのようにくすくすと笑った。
食事をしたらお土産を選びに行こう。
押し花は屋敷で準備をした。花畑で一番に鮮やかな色をしていた黄色の花を使用して、本に挟んで準備をして置いた。
ドクトゥス・フルーメンに置かれていたガラスペンと青いインクは花畑の空を思わせ、小さく咲いていた青い花をイメージして。そんな小さな思い出に心が躍って仕方が無くて。
「押し花が出来たら、このインクでアレクシアさんにお手紙を書くね?」
「うん。私もスティア君に遊びのお誘いのお手紙をこのインクで書くようにする!」
ヴァークライト本邸から歩いて来た道も美しい。ふと、アエテルヌム湖を遠巻きに見遣ったアレクシアは「ねえ、スティア君、鮫って――」と言いかけて口を噤んだ。
こんな風光明媚な場所に鮫なんて居ないのだ。スティアは「なんのことかなあ」とぎこちない笑みを浮かべて誤魔化して……誤魔化されたなら見なかった振りをすると、アレクシアは可笑しそうにくすくすと笑った。