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いつか踏み出す一歩の為に
登場人物一覧
窓から覗く世界は白い。
理由はもちろん、シャイネンナハトのお祝いにして、同時にヴァレーリヤの誕生祝である。
マリアの家はシンプルな作りだったが、所々に、可愛らしい人形やぬいぐるみ――それはヴァレーリヤを模したものだったり、虎や猫などのデザインだったりした――が飾られていて、マリア自身の、混沌に召喚されてから今に至るまでの間の心境の変化のようなものをうかがわせた。とりわけ今日は、可愛らしく、綺麗に部屋も飾り付けられている。そうだろう、今日は年に一度のお祭りの日だ。シャイネンナハトとしても、大切な友達の誕生日としても。
友達――なのだろうか。マリアは少し、悩む。友達。それは間違いないだろう。大好きな友達、ヴァレーリヤ……でも、本当にそれだけなのだろうか。
胸中に浮かぶ疑念は、泡のように弾けて消えてくれたりはしない。そう思うのは、マリア自身が、ヴァレーリヤに向けている
例えば友達だったとしたら――ただの友達だったとしたら、こんな気持ちにはならないだろう。その上の間柄、親友だったとしても、きっとこんな気持ちには。誰かに微笑みかけているだけで、その微笑が自分に向いていないというだけで――パフォーマンスが落ちるなんて。
「……マリィ?」
ふと、ヴァレーリヤの声で、マリアは我に返った。小さなキッチンでは、マリアとヴァレーリヤが肩を寄せ合うように、二人で料理を作っている。マリアは、代々レイシス家に伝わるキッシュを焼いていて、ヴァレーリヤはボルシチにも似た、ゼシュテルの郷土料理を煮込んでいた。
「あ、ごめん! 焼き加減を眺めてたら、ぼーっとしちゃったみたいだ」
ヴァレーリヤの前でボーっとするなんて。どうかしてる……ほんとうに、どうかしてる。
「いけませんわね、料理中に。火傷やけがをしたら、大変ですわよ」
くすくすと、ヴァレーリヤは笑う。ぽんぽん、と、マリアの頭に手をやった。思わず頬が熱くなるのは、なにも目の前のかまどの熱のせいではないだろう。
「あはは、気を付ける……それより、とってもいい匂いだね? やっぱり君ってお料理上手だよね! 良いお嫁さんになるよ!」
マリアの言葉に、ヴァレーリヤはふふ、と嬉しげに笑った。
「ふふん、でしょう? 料理の腕には、教会でも定評がありますのよ!」
お嫁さん、と言う言葉に、すこしだけドキッとするヴァレーリヤ。例えば、純白のドレスを着て、教会にて洗礼を受けるイメージを思い浮かべる。隣にいるのは――。
(とと、いけませんわね。今度は私がぼーっとしてしまいますわ!)
内心を気取られぬように、ヴァレーリヤは頷いた。
「それより、そろそろマリィの料理も焼きあがるころではなくて? 私の方は、もう完成いたしましたわよ?」
「ああ、本当だ! じゃあ、ダイニングの方に持っていこうか」
マリアは頷いて、かまどからキッシュを取り出した。ふわふわと立ち上る湯気にとても良い香りが立ち上って、『わたしはとてもおいしいんだぞ』とアピールしているようだった。
二人で一緒にダイニングに移動して、大きなテーブルに料理を乗せる。キッシュとボルシチ以外にも、いくつもの、二人で作った料理が並んでいて、ダイニングルームは立派なパーティ会場のように見えた。
「少し作り過ぎましたかしら」
ヴァレーリヤが小首をかしげるのへ、マリアは笑った。
「一緒に作るのが楽しかったから、つい、かも。でも、ヴァリューシャの作った料理なら、私はいくつでも食べられるよ!」
本当に食べてしまいそうだなぁ、と、ヴァレーリヤは思った。たぶん、ちょっと無理してでも、マリアは本当に食べてくれるんだろう。それがとても、嬉しい。
二人は向かい合わせに座って、食事をとることにした。
「まずは先に、お祈りですわね」
ヴァレーリヤはそう言うと、静かに手を組んで、目をつぶってうつむいた。マリアも真似するように、それに倣う。
しばしの沈黙。祈りの時間。マリアは少しだけ、薄目を開けて、祈るヴァレーリヤを見てみた。ランプの明かりに照らされて、きらきらと輝くヴァレーリヤ。本当に、聖女様のようだ。何処か荘厳な雰囲気をまとうヴァレーリヤ。そんな聖女を、今独り占めしているんだと、今思ってしまうと、なんだかドキドキしてしまう。
「マリィ?」
ドキ、とマリアの心音が高まった。見てるのがバレたか、と慌てそうになるが、
「そろそろいいですわよ、終わりにしましょう」
単純に、お祈りの時間の終わりを告げようとしただけだったようだ。マリアは「うん」と声をあげて、今度は瞳をちゃんと開けた。そんなマリアを、ヴァレーリヤはきょとんとした様子で見つめる。
「どうかしましたの? すこし、頬が赤いようですけれど……」
「ううん、何でもないよ!」
慌ててごまかす。でも、色々な表情を見せるヴァレーリヤが、今目の前で、自分だけを見てくれているのだと自覚すると、頬は思わず紅潮していく。
「ささ、たべよ、ヴァリューシャ! ヴァリューシャのボルシチ、楽しみだよ。あったまりそう!」
「厳密にはボルシチではないのですけれど……でも、それで通りがいいならボルシチで構いませんわよ」
お互い笑って、食事が始まった。
お互いの料理に舌鼓を打ちながら、二人だけのパーティは進んでいく。会話の話題は尽きない。例えば、依頼の話。
「キノコの依頼の後に食べに行った鍋、美味しかったね! あれもゼシュテルの郷土料理なのかい? ロシア料理のソリャンカに似ていたけれど」
「ノーザンキングスの、変なキノコの時の話ですわね……あのスープは、二日酔いに効く、なんて言われてましてね。私もよくお世話になりましたわ……」
思い出して、くすりと笑う。
「そう言えば、今年はマグロ漁船にも乗りましたわね」
「ああ、あのすごくアグレッシブなマグロを獲りに行った時だね。ゼシュテルの人たちの役に立てたかなぁ」
口をついて出てくるのは、楽しい思い出ばかり。二人でいれば、どんな時も楽しい。楽しい思い出が潤滑油となって、食事のペースも上がっていく。いくつもの思い出を、二人は語らった。お互いが、お互いを想って作った最高の料理も、二人で分け合った。間違いなく幸せな時間を、二人は過ごしていた。
「あの夜景、本当に綺麗でしたわね。また一緒に行きたいなあ……」
「ヴァリューシャが望むのなら、いつでも……今すぐにだって、どこまでも飛んでいけるよ!」
気づけば、皿の大半が空になっている。お腹もいい具合に膨れてきた。満腹の満足感と、楽しい時間も終わりに近づいてきたという事実が、二人の心に浮かび上がる。
「そろそろ、パーティもお開きですわね」
ヴァレーリヤは少しだけ寂しそうに微笑むと、足元の袋から、ウィンター・ローズの花束を取り出した。
「シャイネン・ナハトおめでとう! 貴女の道行きに、主の御加護がありますように……」
その花言葉は祝福。聖なる夜に、大切な人へと送るのに、相応しい贈り物だっただろう。マリアは、「わぁ」と声をあげて、それを両手で受け取った。すぐに満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう……! とっても嬉しいよ……!」
ずっとそのプレゼントを抱きしめていたかったが、そうもいかない。名残惜し気に、花束をテーブルに置くと、今度はマリアが、足元の袋から、プレゼントを取り出す番だ。
こほん、とマリアは一つ咳払いをする。それから、どこかもじもじとした様子を一瞬みせて……いやいや、こんなのは自分らしくない、と一度頷いてから、言葉を紡いだ。
「あの、あのね、今日はヴァリューシャの誕生日でもあるだろう? だから、これ!」
ばっ、と、マリアは両手を差し出した。その手の上には、一つのラッピングされた箱があって、ヴァレーリヤはその様子に目を丸くした。
「これ……! お誕生日のプレゼント! 君を守ってくれるように、魔除け効果のある宝石に私の異能と白虎君の加護を込めて一緒に頑張って作ったんだ! 良かったら使っておくれ!」
一息に、マリアは言った。どきどきして、喜んでもらえるか不安で、目をそらしたくなったけれど、でも真っすぐに、ヴァレーリヤを見つめた。
「ありがとう……開けても?」
「うん!」
こくこくと、マリアは頷いた。ヴァレーリヤがそれを開けると、中に入っていたのは、太陽のような美しい宝石のアクセサリだった。
「これ……」
これは、特別な人に贈るものなのでは――と、ヴァレーリヤは言葉を飲み込んだ。期待してしまう……ヴァレーリヤは、心の奥底で、マリアへの好意に……それが、恋に類する好意であることを、気づいていた。
大切な友達だと思っていたマリア。春の木漏れ日のように優しく、暖かく……いつでもそばにいてくれる大切な友達。その感覚が、いつしか恋に変わっていったとしても、おかしくはあるまい。
でも……ヴァレーリヤはその気持ちを、抑えていた。マリアが、自分の事を『大切な友達』だと思ってくれているのだと思っていたから。その関係を、壊すのが……進めるのが、怖かったから。
だからヴァレーリヤは、その言葉を飲み込んで、
「これ……とても素敵ですわ! ありがとうマリィ、とっても嬉しいですわー! これは貴女の誕生日には、いっぱいお返しをしないとですわねっ!」
ふふっ、と。いつもの笑顔を返すのだった。そんなヴァレーリヤの心の葛藤を知らず、マリアは、世転ぶヴァレーリヤの笑顔を見て、満面の笑顔を浮かべる。
「早速、着けてみてもよろしくて?」
ヴァレーリヤの問いに、マリアは何度もうんうんと頷いた。ヴァレーリヤが、そのアクセサリを身に着けて、笑ってみせる。
「どう? 似合っているかしら?」
その笑顔を見た瞬間に、マリアの中で何かがストンと腑に落ちた。
――ああ、そうか。
くすり、と、マリアが微笑む。
――そうか……。私はあの時……嫉妬していたんだね……。この笑顔を独り占めにしたくて……。
そうと気づけば、その時の――自身の嫉妬心すら、愛おしく思えた。
――ふふ。何のことはない。私はただ……この素敵な女性に恋をしていただけだったんだ……。
そうなのだ、と自覚した瞬間に、マリアは生まれて初めて、ほんわかふわふわした気持ちを覚えた。それが、恋の魔法のもたらす事なのだと、今のマリアには充分理解できた。
いつも以上に、世界が明るく見えた。その中心にはヴァレーリヤがいて、ヴァレーリヤがいるというだけで、世界が今までの何倍以上にも幸せに満ちているように感じられた。
今すぐ、いつものように、伝えたかった。好きだよ、ヴァリューシャ。でも、その言葉の意味を自覚した瞬間、今度はその言葉をいつものように、出すことができなくなっていることに気づいた。
――ヴァリューシャは、優しいから。気持ちを告げると、困らせてしまうかもしれない。
いや、本当は、彼女の気持ちを知るのが怖いのだ。
今この瞬間は、二人とも臆病だった。でも、それを誰が責めることができるだろう? そのささやかな恐れを乗り越えて、きっと二人は手をつなぐのだろう……そして、そのつないだ手の本当の意味を、いつか二人で共有するのだ。
でも、今は、まだ。
すこしだけ、まだ怖いから。
今のままで。
でも、いつかは――。
「シャンパンを開けましょう。この幸せな日々がいつまでも続くように、願いを込めて」
ヴァレーリヤが、最初の言葉を紡いだ。マリアは、「うん!」と、頷いて、笑った。
「冬休みは二人でゆっくり過ごせるね! どこかに遊びに行こうか……でも、のんびり過ごすのもいいかもしれないね」
「ええ、二人なら、きっと、どんなことでも楽しいですわ!」
ヴァレーリヤは笑った。
外は静かに雪が降っていて、これから二人が足跡をつけて歩いていくのを待っているかのように、まっさらな世界が広がっていた。