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忌むべき森の宵のうた

登場人物一覧

エーリカ・メルカノワ(p3p000117)
夜のいろ
エーリカ・メルカノワの関係者
→ イラスト
エーリカ・メルカノワの関係者
→ イラスト

 それは、昏い昏い夜の話だった。

 神よ―――

 祈り捧げし村人たちは、只、盲目的に『神』を想った。清廉なる白より離れた深き森に覆われたちいさな村、タオフェ。その場所は人間種のみで構成され、他種の存在もなき閉鎖的な場所であった。
 穏やかに献身的に祈りを捧げる村の人々は、この天義と言う国の理想的な存在であったかもしれない。
 しかし、盲目的なまでの信仰とそれ故の閉鎖的な状態は村にある意味の禁忌を作り出していた。
 人間種という当たり前の存在であることを彼らは『是』としている。
 他種と交わることは勿れ。
 翼を持ちし飛行種や旅人は神の御遣いであると信じられる。それは壁画やステンドグラスに描かれる姿であったからだ。
 他種と交わることは勿れ――尤も、そのような者が訪れるようなことはないのだけれど。
 両手を組み合わせ光彩さすステンドグラスに描かれた聖母の姿に惚れ惚れと息を漏らした村人たち。不治なる病にその身を苛まれし老人が先往く場所を祈る様に。幼き我が子の辿るべく道を憂う母が幸あれと祈る様に。
 深き森に閉ざされ、『そと』などないかのように神と言う見えぬ存在に祈りを捧げ続ける。
 タオフェは、祈りに満たされたひかりの国の穏やかなる箱庭の如き場所であった。

 神よ―――
 我が願いを聞き届け給え、神よ――

 祈る村人たちに穏やかな色を帯びた視線を向けるディルク。その傍ら、木製の椅子にふんわりとした桃色のクッションを置き、暖かなブランケットを膝に掛けたその妻ヘリガは愛おしき村の神父――穏やかな夫を眺めて目を細めた。
 彼女は神に祝福を受けた。村一番の美しい歌姫と誰からも慕われる心優しき村唯一の牧師。
 世界と呼ぶべき輪の中で、天使が笑みを浮かべたが如き縁の結びつき。これを村人たちが祝福しない筈がなかった。
 森の木々に差し込む穏やかなひだまりの如き暖かさと、病むべき苦しみを凍土に伴に或るが如く分け合う事のできる羨む夫婦の姿。天使の運んだ愛おしき世界に神の祝福をその胎に宿したヘリガに村人たちは何処までも幸福なる未来を夢想した。
 だからこそ、彼女の懐妊を歓び誰もが笑みを浮かべ続けていたのだ。
 神の寵愛を受けた祝福の夫婦――
 けれど。
 けれど、ヘリガが産み落とした子はどちらの親にも似る事ない彩を宿していた。
 宵を落とし込んだ髪に冬を閉じ込めた薄氷の瞳。陽溜まりの如き金の髪を持つディルクとは似ても似つかぬ彩。
 その母、ヘリガでさえも宵の色をその髪には持つ事が無かった。
 そして、子は彩だけではない尖った耳を持っていた。

 ――――――!!!

 産婆が悲鳴を上げる。神の祝福より魔が生まれ堕ちたのだ。
 誰もがその悲鳴に異変を感じた。異分子、夜に生きる者、陽の当たる神々の祝福を無碍にせしもの。
 翼をもつ天使や、精霊たちとも違う、異形の如き長耳はタオフェにおいてはあくまの象徴だった。
「ヘリガ」と駆け込んだおとこは、それを見て終わりを確信した。
 愛おしく天真爛漫に笑う妻が震えながら我が子を抱き締めている。
 肩を竦ませ震えるような声音であなた、と呼ぶ声すらおとこには聞こえなかった。
「ああ……」
 男の薄い唇から声が漏れる。それが絶望の足音であると誰もが認識していた。
 だからこそ、彼に判断を仰いだのだろう。どうすればよいか――どうすれば、救われるのか。
 その妻、ヘリガでさえもその長耳の意味を知っていた。だからこそ、彼女は『彼の判断』を待ったのだ。
 災厄の如き忌み子は宵と薄氷の不幸を宿した愛しい筈の我が子。
 あなた、ちがうの、どうして、こんな。
 唇から漏れだそうとしたヘリガの声は一瞬で飲み込まれた。大仰な程に頭を上げ、その両手を天の神に沿うが如く伸ばす。
『――――ああ、主よ、感謝致します!
 我らの安寧を祈る為の、贄を!
 災厄を、『かたち』にして齎して下さった!』
 それを誰が、否定できようか。その場の誰もが意を唱える事無く、否と言葉を発すこともなかった。
 否定の言葉を漏らすのは母親になったおんなだけであっただろう。輝かしき、神に祝福された未来を待ち望み、胎の子の生誕を待っていた一人のおんな。穏やかに満ち溢れた世界が暗転し、宵の色に満ち溢れたのだ。
「―――待って」
 待ってくれなど、しなかった。
 村人は誰しもが喜んだ。
 おとこのことばは救いだった。おとこのことばは導であった。
 異端を受け入れる口実。異端という恐怖を振り払うために都合のいい言葉であり、存在であった。
 この村は閉鎖的であり、盲目的なまでに神を信じていた。
 この村ではその背に翼を持ちし清廉なる存在を天の御使いと信じていた。
 この村では魔を宿せし長耳を災厄であると断じていた。
 それが、おとこの横顔で物語る。狂気と絶望。その色が災厄の娘を痛め付け傷つける不幸を生み出した。

 魔女裁判をご存知であろうか。全くの無実なる娘たちが魔女であるとし断罪され続けた事例だ。
 この村において、神の祝福を否定し涜神たる行為に耽り魔をその胎に宿したおんなの代わりに災厄を磔にし、晒し、慰みとしたのは誰もが否定せず誰もが受け入れるべきことだった。
 まだ幼き小さなむすめ。いのちを繋ぐ最低限の世話は、飲食と睡眠だけだった。
 納屋に押し込み、魔であると謗り続けられる幼き娘を護るが為、立ちはだかる母もまた涜神と不貞を疑われ、詰られ謗られその心に深き傷を刻み込んだ。
 ある朝、エーリカと名付けられた宵の色の娘は母が事切れているのを見つけた。
 美しい女であった、こっそりと寝かしつけるときに謳ってくれた子守唄は事切れた母の唇からは聞こえない。
 おかあさん、と呼ぶ事さえ許されなかったその言葉はするりと唇から落ち、少女は只、泣いた。
 その背を見詰め、ディルクは一層の狂気をその胎の内に宿したのだ。
 手を引き、納屋に押し込み『魔を祓う禊』と称して石を投げた。
 魔たる少女を冒涜することで神への信心をより深める儀式であると村人たちは皆、納得していた。
 夜になれば愛おしい妻の死を生れ落ちた災厄――エーリカの罪だと理不尽と鬱憤を叩きつける様に責めた。
 世に蔓延る理不尽と鬱憤。世界とは斯くもどうして災に襲われるか。神の御気持ちは我らに幸を齎さぬのかと男は娘を詰り続けた。

 泣けど、誰も救い無かった。
 求めれど、誰も救いはなかった。
 ――――という少女の存在はこの村においては必要のないものだったのだと思い知らせるかの如く。
 余りに狭い箱庭で、己の手を握ってくれた愛おしい母すら失った事さえも自身の罪だと石を投げられ続けた。
 細く華奢な手足に刻み込まれた傷跡は確かな不幸であった。
 薄氷の瞳は陽の許に出る事無く感情を映すことはない。

「お前も、もう10か」
 ある朝、おとこはそう言った。
 彼女にとっての更なる不幸であり、父による悪徳の形であった。
 おんなという生き物が腹に宿したひとひらの奇蹟は淡い泡沫の如く、災厄の胤であったと謗られた。
 禊と称した不幸。夜毎におとこたちが災厄の胤の住まう納屋に集められ続ける。

 ――夜鷹――
 ――ああ、それを夜鷹と呼ばず何と呼ぶか――

 村人たちはそう称した。
 彼女が『そうなりたかった』訳ではなく、その在り方を是としたわけではなかった。
 生れ落ちたときに災厄の胤と呼ばれ、不貞と禁忌に呪われた母。その有り得もしない不徳の致す所を余すことなく一心に責任と言う重石で雁字搦めにされた娘の表情からは笑みが消えた。
 薄氷の瞳は、曇り硝子の様に何も映さず、宵の色を落とした髪は雑な程に地面に広がった。只、裸足で這いずり回ったその痛みと自身の体から溢れる赤き血潮だけが己のいのちが確かなものであると認識させるから。

『ねえ?』

 囁くように、精霊は言った。
 森深きタオフェに出入りしていた『彼女たち』を見る事が出来た事は彼女の幸運と不幸だった。
 ある日、エーリカは『彼女たち』と話していた。他愛もない、誰も彼女に話すことのなかった愛らしい御伽噺。
 それを、村人は見たらしい。
 呪われ子供はやはり悪魔が見えるらしいと騒ぎになり、彼女は黙すことを知った。
 精霊たちは皆口々に『逃げましょう』『―――が我慢することはないわ』『貴女の名前は――――。素晴らしい名前』と娘を呼んだ。
「いいの」
 静かに、皴がれた老人の様な声を出して――笑う事も、怒ることも忘れてしまったぎこちない表情で――エーリカは言う。
「『夜鷹』はこの村に居なくちゃいけないから」
 自分が犠牲になれば村人たちは神への信仰心を満たすことができるのだ。
 災厄の胤、魔の子。神を冒涜すべき存在。魔を祓うが為に痛めつけるべき災厄。
 呪いの様にずたずたと布切れが如く扱い、そのいのちひとひらすら幸福を赦さぬ儘に村人たちは口にした。

 悪魔の子だ。
 神が我らに遣わせた試練だ。
 災厄の胤を摘まねばならぬのだ。

 精霊たちは皆、只の一人の可愛い乙女を助けたかった。自身らを見て、言葉を交わし、友になれる存在。
 それが夜毎に『夜鷹』とまで呼ばれている理不尽をどうして許せるか。
『―――』
 首を振った。
 声を出せば、もっとみんなが酷い事をするのだと彼女は知っていた。
 だからこそ、彼女は話すことさえ忘れてしまった。
 何度も、何度も、何度も。まるで汚泥より救い出そうとする一縷の蜘蛛の糸の様に、か細くも確かな声音で精霊たちは語り掛けてくれた。
 頭の中に浮かぶ母の泣き顔が確かな不安としてその胸に残っている。

 ――母さま――

 父ではない、父であるとは知らない。牧師さまが叩こうとするのを庇ってくれた。
 ダメです、と、やめてください、と。泣きながら何度も、何度も。
 庇ってくれる母さまの泣き顔が少女にとっての傷となった。
 少女はある日、母に言った。

 動物にも、木々にも、風にも、水にも、ぜんぶぜんぶいのちが宿っている。
 彼らと話すことができるのだと。
 みんなは優しく、わたしと母さまの事を心配してくれている、と。
 それが神様であったならばと母は言った。

 いいえ、神様ではありませんでした。

 その言葉が――どれ程、母に衝撃をもたらしたのだろう。
 やめなさい、と酷く怯えた様に頭を抱えて彼女は泣いた。美しい村一番の歌い手であったという咽喉からは聞いたことのない酷い声音を絞り出して。
 悪魔だ、災厄の胤だったのね、誰にも言ってはいけないわ、と。
 叱る様にそう言ったその声に怯えた『わたし』と『みんな』
 それっきりだった。それっきりで、みんなは母の前には姿を現すことはなく、娘の前のみに顔を出した。
「母さまも悪くないのに」
 とても、悲しかった。
 泣きながら、そう言って――わたしは、そのまま言葉を話すのをやめたのだ。


 ――
 ―――
 ――――その日、鮮やかな夜の月が眩む様に、月に隠された。

 誰もが眠りにつくようにして、静かに息を潜めたその時に、禊はしずしずと終えられた。
 名残の様に揺れた景色の中で、意識を保つようにヒュウと何度も咽喉で息を繰り返す。
 救いはなかった。
 救いはなかった。
 救いはなかった。
「夜鷹」
 その言葉に、囁く様な声音で牧師さまとおとこたちが禊を終えたと告げた。
 足に嵌められた鎖が朽ちて繋ぎ止めるに至らない事に気づいた。
 重たくない手足に、宙ぶらりんになったかのような気持ちになってむすめは呆然と虚空を見詰めた。
「――」
 一息で、光が天井に待っている。
 男たちと牧師さまが出ていった背を追い掛けた薄氷の瞳は気付かれなかったことに気づき、ひゅ、ひゅ、と何度も浅い息を繰り返した。
 繋ぎ止められないならばその鎖は意味もない。夜鷹であった――――をただの――――としているのだから。
 ゆっくりと立ち上がる。声を出すことも忘れてしまったのに。
 彼女は、その言葉をどうしてか咄嗟に理解できたのだ。誰が言ったでもない、自分の中にあった、たったひとつの希望として。

 逃げられる――

 優しい母も、穏やかな日々もそこにはない。
 理解した。ぞ、と背筋に走った確かな気配にエーリカは息を飲む。
 神様は何もくれなかった。天使様も何もくれなかった。誰もが、不安の中に生きていた。

 逃げられる――?

 捕らえれたらもっと『こわいめ』にあるのだろうか。『いたいめ』にあうのだろうか。
 それでも、彼女はその言葉を口にしたかった。千切れた鎖は朽ちた因習のように落ちている。
 母が災厄を産み落としたその日より続いた不和が今になって、落ちていったのだ。

 逃げ、られる―――!

 そこから、少女の記憶はなかった。
 ふらりと足を動かして少女は言う。力は驚くほどに確りと入り、声音もはっきりとしていた。
『みんな、……ちからを、かして……!』
 その言葉に彼女たちは笑った。あなたのその言葉を待っていたの、と微笑んで。
 ただ、我武者羅だった。おとこへの恐怖も、救いのないおんなたちの侮蔑の瞳も、彼女にとっては今は過去だった。
 ひらひらと夜の帳に紛れる様に、月影の下で羽搏く翅が揺れている。
 砂の精霊は眠りの砂を撒いた。
 風の精霊は村中に眠りを運んだ。
 そうして、夜鷹はその呼び名の通り夜に紛れるようにして納屋の吹き抜けからこそりと抜け出した。
 黒い髪をだらりと垂らしたまま、その体に適当な布を纏わりつかせ、宵の色に紛れ月が嗤わぬうちに少女は只、走りだす。
 裸足の皮膚が避けていく。怯える事無く、只、彼女は走った。
 足を止めてはそこにあるのは不安だけだった。

 夜鷹と呼ばれるに至った長耳も、宵の色の髪も、薄氷の瞳も、全てが全て必要なかった。
 自身を構成するすべてが今は全て鬱陶しいもののように思えてしまったから。
 誰も、誰もいない所へ行きたかった。
 深い森の中から、彷徨う様に動いて。
 ただ、ただ、走るだけだった―――
 風に運ばれた眠りから逃げるようにして走った。

 闇を纏えば、いろも、尖った耳も隠せた。
 名を、性別を偽れば、おとこはこわいことをしないのだ。
 牧師さまが災厄のたねだと呼んだ『―――』はもうどこにもいない。
 おんなとなって、幼いこどもでいられなくなった世界では、恐怖しかなかったから。
 全てを隠す様に闇に身を紛れさせて、ひかりの中から夜の帳に飛び込んだ。

 つめたい、いたい、こわい、――しにたく、ない、
 どうして、どうして、母さま、こわい、なんで、
 たすけて、みんな、なんで、なんで、たすけてくれないの―――

 誰も助けてくれない涙の日々から逃げるように、しるべもないまま、西へ、西へと走った。
 ひかりの国から逃れる様に。
 清廉なる国より走る様に。
 美しい光の下にいては、宵の色が目立ってしまうから。
 だから、この月影に隠れたこの夜が有難かった。
 夜を愛したことはなかったのに、これほどまでに自身が紛れる夜に感謝したことはない。
 もう、村一番の歌うたいと呼ばれた天真爛漫な笑みを浮かべた母の声は聞こえない。
 昏い昏い夜の中、穏やかなひかりの国に神が与えた災厄は逃げるように消え失せた。

 それは、わたしが16の齢を迎えた夜のことだった。
 ――空中庭園に導かれるまで、あと――

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