SS詳細
謀略、対峙、その先にあるもの――
登場人物一覧
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「はあ……」
執務室から出た途端に溜息が出た。執務室の主――兄、もといフロールリジ伯に呼び出された時は驚いたが、なるほど詳細を聞くと私が適任なのは理解できた。
「しかしなあ……」
命令とはいえ、必要な差配の多くは伯が自ら乗り出すとはいえ、あまり気乗りする話ではない。
「失礼します! エッダ隊長でいらっしゃいますね?」
不意に敬礼の姿勢と共にそんな声を掛けられたので視線を向ける。そこにいたのは、副官を命じられた男だ。私との面識はない。
「そうだ。貴様がフロールリジ伯に第一報を報告したと聞いている。同じ話をさせるが、私にも聞かせてくれ」
こんな口調で話すのは久しぶりな気がする。副官が淀みなく話し始める中で、私――エッダ・フロールリジはそんなことを思っていた。
発端は小さな叛乱だった。それ何一つ成し遂げず失敗に終わったが、首魁は逃亡。行方を捜索中、幻想との国境付近にある村に潜伏している旨の密告が、先程の副官を通じて領主に上奏された。
伯はその情報の信憑性について時間をかけて吟味したようだが、つい昨日私兵の投入を決定、私に隊長職を命じた。
翌朝、数十名程度の兵士を率いて進軍を開始、そして今、目的地である村の広場に住民を集めている。
「遅くなりまして申し訳ございません」
領主代理を務めるという執政官が声を掛けてきた。睥睨すると、かなりの数の村人が自分を見ている。軍服姿の自分に注がれるのは、不安、恐怖。
一歩進み出て、声を張り上げる。
「先日発生した叛乱について、首謀者がこの村に潜伏しているとの密告があった! 従ってこれより暫くの間許可のない外出を禁止する! 違反した者は拘束する!」
一方的な宣言に村人の間に動揺が走る。だがこれも、不埒物を捕まえるためだ我慢して欲しい……とは言えない。
村人を解散させ、静寂が訪れた広場に隊員を展開させ指示を下す。特に厳命するのは拘束はしても絶対に怪我をさせないこと。
「さて……」
準備は終わった。あとは「彼女」がどう出るか、だ。
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私にとって、届く手紙というのは大半が誰かの死を告げるものだった。同封されるドッグタグを見るたびに、運命とはいえやるせない思いが浮かぶ。今回の手紙はそういうものではないが、それでも苦手意識は消えない。
中身に目を通し、承諾の返事を認めて送り主が遣わせた鳩の脚に括りつける。
「行ってらっしゃい。気を付けるんだよ」
両手を離すと、鳩は元気に空に飛び去った。その姿を見て、私はさっきまでいた酒造場に戻る。
「領主様、用事は済んだので?」
「うん。ああ、領主様ってのはやめて欲しいな、様をつけるのも」
くすぐったいというより、軍人の自分が領主様と扱われるのに違和感が拭えない。
「承知しました、マリアさん」
「ありがとう」
ここは私の領地。元々はある人のために用意した酒造場だったけど、私も出入りしてはドリンクを用意してもらう……ノンアルコールだけど。
グラスに入っているブラッディマリーは最近の個人的な好みだ。燃えるような赤を見ていると満ち足りた気分になる。
ただ、今はそうも言ってられないけど。
「マスター。悪いけど、今日は帰らせてもらうね」
「そうですか……。お仕事ですね。お気をつけて」
「ありがとう」
慧眼なマスターの言葉を背中に受け、私は店を出る。
「……さて、行こうか」
手紙は、私の庇護下にある別の村で起きた事態について書かれていた。村に軍隊が駐留し外出禁止の戒厳令を敷いたらしい。理由は、「叛乱の首謀者が潜伏している」ということだが、それはあり得ない。
その他にも細かな内容について書かれていたが、要約すると「この事態を解決して欲しい」という内容だった。
行商人一行に同乗して無事に村に入り、宿の一室で奇襲の準備を整える。単身乗り込むとは無謀だとは思いつつも、これが最善手だと思うのだから仕方ない。
夜の闇に紛れて外へ飛び出し、水たまりを踏み越えて路地を駆ける。昼間、村人から確認した兵隊の見張りは数カ所。目的地、執政官の執務室を最短距離で抜けようとすると強行突破しなければならない所がある。
(見えてきた)
まだ距離があるが、兵士がいるのが見える。一人だけ、戦闘することを想定していない配置だ。都合がいい。
視線が合ったような気がし、加速する。
相手には紅い稲妻が走るように見えただろうか、数瞬の間に距離を詰め、声もあげさせずに連撃を叩きこむ。まともに入ったのが二発、痛打にならなかったものを含めれば四、五発は入っただろうか。
紅雷が齎す痛苦に悶え、そのまま気を失う。目立たないようにその辺の路地裏に転がしてから、再び駆ける。
(いつまで見つからないかな……)
闇夜と雨天下での奇襲とはいえ、紅雷を使用してるので目立つ。正面戦闘では困らないが、奇襲にはお世辞にも向いていない。ましてや、軍を率いているのはエッダ君なのだ。同じ依頼に赴いたこともある。戦い方は筒抜け同然だ。
下手人が私であることはすぐに知れる。だが、まあそれは計算の内。そろそろ、行動方針を切り替えよう。
紅の雷光が、縫うように細い路地の裏に迸る。
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部下からの報告は芳しいものではない。
一人また一人と部下が倒されていく。急遽組織した別動隊によると被害はその時点で5名。恐らくこれで全てはない。
死者はおらず、最も発見の早かった部下は既に意識を取り戻している。報告を受け聴取しに行った私を待っていた言葉は、
「紅い、雷」
その一言。姿を認める前に沈められたということだ。こんな戦い方ができる人間で、この村に乗り込む理由があるのは唯一人。
「マリア・レイシス」
来たか、というのが率直な感想で、予想通りとはいえ少し意外だったともいえる。
執務室に戻る道中、降りしきる雨の音が渡り廊下を叩く。人気はない。兵力の余剰も街中に割き、残っているのは副官だけという状況にしている。
「隊長! こちらでしたか」
その彼がこちらに向かってきた。言葉の端々に潜むものが一々腹立たしい。
「……手掛かりは皆無、下手人は依然不明。そっちは?」
「別動隊も被害の把握が精一杯のようです」
やはりな。どこかで派手な戦闘を避け、隠密に潜入する作戦に切り替えたのだろう。当然、彼女は私の元へ来るつもりだ。
「最後に我が隊に被害が生じたのは?」
「少なくてもこの5分は確認されていません」
「そうか。それなら」
そろそろか、と私が零すその背中で、雨に紛れて確かに聞こえた。
電雷の弾ける音が。
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「随分と不用心だね? てっきり、もっと警護を固めていると思ったけど?」
「生憎と人手に余裕がない。それに、こうした方が『お客様』が来やすいと思ってな」
相対し、睨み合う両者。
「なるほど、つまり私は誘い込まれたということかい?」
「その表現は少々違うな。貴様は私がどう出ようとここに乗り込む気だったであろう?」
不敵な笑みを浮かべる両者。反面膨れ上がる緊張。エッダから吹き上がる上記が、マリアから迸る雷がその証明。
その場にいた第3の人物——副官の男からすれば衝突は突然、或いは刹那の間に行われた。優に数十メートルはあろうかという距離を瞬く間に詰めたマリアの拳が、エッダの顔へと向かう。難なく受け止めたエッダだが、マリアの連撃は続く。再びストレートが迫り、エッダはそれも徹甲で防ぐ。だが戻りの動作を活かした回し蹴りまでは受けきれず、踵が脇腹を抉る。
「……っ!」
空気が吐き出される。一瞬明滅する視界に、蒼い雷の残像が見える。
(本気か)
好機を逃さぬとマリアの追撃が迫る。エッダは冷静にその動きを見極め、最小限の動きでその足を弾く。徹甲の動きで強制的に攻撃を逸らされると同時に、マリアの身体が数瞬ぐらつく。
その隙をエッダは的確に突いた。痩身の彼女の肩を掴んだかと思うと、咆哮のような呼気と共に、
「しまっ……」
――あらん限りの力を込めて徹甲を叩きこむ!
凄まじい衝撃がマリアをもといエッダの周囲を襲う。渡り廊下の随所が共鳴するように揺れ、響く。
その中心にいる筈のマリアは……未だ不倒。直撃こそ避けたものの無傷でもない。
(骨は……折れてない、か)
拘束を振り解き、距離を取る。ほんの一瞬だけ、二人の視線が交差する。
その時、タイミングを計ったように伝書鳩が一羽、マリアの肩に止まった。場の雰囲気が一気に何とも言えない物になる。
足に括られていた手紙に目を通し、マリアが一言。
「エッダ君、認めたそうだよ」
「……感謝する。マリア・レイシス」
今一度膨れ上がる蒸気。噴出する怒りの矛先はしかし、マリアには向かない。
「貴様っ!」
その場にいた第三の人物――エッダの副官へと向けられる。唐突な展開に目を白黒させる彼だが、すぐに何かを悟ったのかぽつりと呟く。
「……捕まったのか」
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「先刻、フロールリジ伯の兵が別の村に潜伏していた首謀者を捕えたようだね。尋問した所、君との関連を認めたとのことだ」
「遅かったな。おかげで、する予定のなかった戦闘までする羽目になってしまった」
「それについては、伯から手間取って申し訳ないと添えてあるよ」
今一度、手紙に目を通すマリア。そこには整然とした字――依頼者であるフロールリジ伯爵からの経緯と謝意等が書かれていた。
「……いつから、俺が内通者だと?」
「最初からだ。そもそも、この派遣自体が貴様を炙り出すための壮大な罠だ」
エッダが副官、今や裏切者である男に冷たく言葉を投げつける。
「貴様が最初にフロールリジ伯に首謀者がこの村に潜伏しているという嘘の情報を流した時、既に伯爵には別の村における首謀者の目撃情報が届いていた」
その報告をしたのが私さ、とマリアが言葉を繋ぐ。後ろに立つ彼女だが、エッダの怒りは吹き上がる蒸気が教えてくれる。
「私の領地での目撃情報だからね。捕縛の約束と身柄の引渡しを申し出たんだけど……。帰ってきた答えには驚かされたよ」
「この事態を解決して欲しい」。その言葉と共に綴られていたのは、自分の身近に首魁を匿おうとする人物がいるということだった。
「伯は貴様の報告とマリア・レイシスから齎された情報のいずれかが正しいかを吟味し、私にこう命じた」
――身内に蔓延る裏切者を炙り出せ、と。
肩を掴むエッダの手に力がこもる。副官も手練れだろうがこうなっては動けない。痛みに顔を顰める裏切者を見て、マリアに嫌な予感が去来する。
「エッダ君?」
「……貴様の不運は二つだ。首謀者が逃げ込んだ先がマリア・レイシスの庇護下だったこと。そしてもう一つが、私が隊長として任命されたことだ!」
瞬間、徹甲が副官の腹を激しく殴りつけた。
「止めたまえ!」
マリアの鋭い静止も耳に入らない。そのまま、一撃、二撃。二撃目の時点で気絶したのか呻き声も聞こえない。
「それは私刑だ、その男に君の価値を貶める価値などない筈だ、エッダ君!!」
「これは身内の処断だ!」
表情は見えない。だがエッダの声に含む怒気は、恐らく表情よりも感情を雄弁に語る。
「君には感謝する。だが裏切者は処断せねばならん!」
「守るべきものがある。それは理解しよう! だが処断なら法に則るべきだ!」
強く肩を掴み、無理矢理エッダを引き剥がす。なお掴みかかろうとする彼女の間に、マリアが割って入る。
「フロールリジ伯からの伝言だ。『私の教えを思い出してほしい』」
「……!」
エッダの動きが止まる。それは、かつて『軍人』だったエッダを『特異運命座標』のエッダたらしめた、フロールリジ伯の言葉。
取り上げた筈の怒り、それを再度得ようとするのはいい。だが回帰ではならぬ。克服でなければならぬ。
ただの回帰では『特異運命座標』としてのエッダに意味がなくなってしまうから。……どこかで、エッダ自身もそれに気付いていた、そんな風にマリアは思う。
そのまま振り上げた拳を降ろさずにいたエッダだが、やがてポツリと呟く。
「……マリア・レイシス。頼みがある」
「なんだい?」
「私は兵を呼んでくる。その間、そいつが逃げないよう見張っていてくれ」
「……了解した」
ありがとう、とマリアは呟いた。その意図が、エッダには伝わらなかった。
こうして、一連の事件は首謀者と協力者逮捕という大団円を迎えた。
だが幕の終わりに拍手のように響く雨音をBGMに繰り広げられたやり取りが、世の記録に残ることはない――。