SS詳細
ああ美しき闘争の日々よ
登場人物一覧
●いずれ花も散るならば
板間にそよぐ春の風。夏にかわりゆく花の香りを乗せた冷たさに、『白百合清楚殺戮拳』の使い手咲花・百合子は座を組んでいた。
無論、『美少女』における座とは乙女座りをさし、時にそよかぜにゆれた髪をかきあげることこそを是とした。
だが涼やかな風景にうっかりと近寄ってはならない。
もし美少女が乙女座りをしていたならば、それは美少女力を強く練り上げている最中なのだから。
練り上げられた美少女力はやがて当人を高め、触れただけで鉄をも切り裂く美しさを、三千世界を焼き尽くす魅力を手にすると言われる。
ゆえに。
「破」
百合子が睫の長い目を開いたその瞬間、舞い落ちた葉は八つに切り裂かれ、広い庭へと落ちていった。
「さすがは、この世界における美少女拳法の開祖……見つめただけで空間を八つ裂きにするとは」
背後に聞こえる声に、百合子はゆらりと振り向いた。
両手を合わせ、頭を下げる八田悠の姿がある。
彼女もまたこの世界にて美少女拳法『水蓮微睡抱擁拳』を編み出したネイティブ美少女。
「お見事」
「世辞はいい……」
百合子はどこか空しそうに首を振った。
頭に飾り付けた白百合の花が、遅れて揺れる。
「かつてこの花も美少女力で生み出していた。
それだけではない。地に花は満ち、空は虹色に輝き、鳥は歌い精霊は踊り出したものだが……」
「かつての力が懐かしい?」
悠の言葉に、百合子は口の方端だけで笑った。
「笑止。熱き闘争の日々が戻ったのだ」
乙女座りからワンアクションで立ち上がる。
腰と膝、そして美少女力を用い肉体を跳ねさせ美しい立ち姿へと一瞬で転じる美少女拳法の基礎動作。いついかなる時に奇襲を受けようと戦える、美少女世界における精神がその動きには詰まっていた。
「是非もなし!」
ハハハと声を上げて豪快に笑う百合子。されど振る舞いは麗しき美少女のそれである。口に手をあて淑やかに笑うさまであった。
「恐ろしいひと……」
悠は彼女の声に背を向けて、そしてそっと自らの頭に手を触れた。
頭には水蓮の花飾り。
水蓮微睡抱擁拳を切り開き百合子より美少女の証として受けたものである。
悠は夢見るように瞳を閉じ、その日のことを思い出した。
闘争の、記憶を。
――「花をつけた美少女を見たら、一つの命が必ず散ると思え」
●せめてこのとき一片だけは
美少女道場には日夜美少女力を磨くべく多くの美少女たちが集まり鍛錬に励んでいた。
短冊に詩を詠む者。華を活けるもの。茶をたてる者。舞を踊る者三味線を弾く者。カオスペッパーに食レポを書き込む者。
その中に、かつての悠はあった。
「破――!」
崩壊する壁。吹き飛んだ悠の肉体は枯山水の庭に突き刺さり、岩と砂利と錦鯉を吹き上げた。
「遅い。まどろむように飲み込み、抱擁のように包み込む貴殿の拳……されどこのように清楚のひと突きで崩れるようでは、美少女拳法とは呼べぬぞ!」
破壊の中心。道場の板間に立った百合子はただまっすぐに拳を突き出していた。
暴力的な空白を埋めるかのように吹いた風が、彼女の長い髪と丈の長いスカート裾を揺らしている。
「……」
仰向けに倒れたまま、目を開ける悠。
雨のように降る池の水と砂利、そして錦鯉。
和着物と女学院の制服を混ぜ合わせたような彼女の服装が、混じり合った泥に汚れていく。
「僕もまだまだ……だね」
ふわりと浮き上がり、身体についた泥を手で撫でるようにぬぐい去っていく悠。
いかなる理屈か、彼女の汚れはそれだけで流れ落ち、美しく清らかな肌と衣服だけが残った。
「所詮は僕も概念少女。美少女世界の美少女拳法使いたちと同じにはなれない……ってことかな」
「悠よ――」
眉を険しくして何かを述べようとした百合子。だがそれを遮るように、道場に大声が響いた。
「てえへんだ! 百合子の姐さん、てえへんだ!」
庭を小走りにやってきた女学生。ミキサーにかけたような庭の有様にぎょっとしつつも、百合子の前に立ち止まった。
「そんなに慌てて、どうしたヤス」
「へい……」
彼女の名はヤス。本名は仁徳川康子といい幻想でも名の知れた名家の娘であったが、かつてレベル1の百合子に命を救われて以来彼女を『お姉様』慕っている少女である。
お姉様とは美少女における言葉のひとつで、義姉妹(スール)の誓いをたてた二人は血よりも濃い絆をもち、命果てるともその魂を共に燃やすという近いである。流派によるが、百合子とヤスはハーブティーの杯を交わすことでこの誓いとした。余談であるがこの道場の土地と建物を提供したのもこのヤスのツテである。
「姐さん、こいつが門に」
ヤスが懐から取り出したのは一通の封書。
燃えるように赤い字で『果』と書かれていた。
香り立つ鉄の臭いに、それが未だ新しい血であることと、臭いに混じる確かな殺意に書いた本人のものであることが百合子には分かった。
――拝啓
小さなカエルが窓にとまる季節になりました。
冬の間に見なかったもので、つい顔なじみの帰りを喜ぶように声をかけてしまいましたの。
百合子さまの庭にも、なじみのカエルはいらっしゃるかしら。
明日正午、秘密のお茶会にまいります。
『造花』のアスターより。
敬具
グシャリ、と手紙を握りしめる百合子。
「百合子さん……?」
小首を傾げ問いかけようとして、悠は止まった。
百合子の握りしめた拳から血が滲み、手紙を赤く染めていたからである。
手紙を裏からすかして見ていたヤスと悠は、するべき質問を変えた。
「『お茶会』というのは、やはり……」
「うむ。道場破りに他ならぬ。吾を倒し、美少女道場の看板を割るつもりであろうな」
「なんて野郎だ! 姐さん、あっしも加勢しやすぜ! 他の皆だって……ねえ悠の姐さん!」
「勿論さ。襲撃なら僕の力も――」
「否!」
美少女力を含んだ強い声の張りに、悠は思わず半歩引き下がった。ヤスに至ってはもんどり打って倒れ、そのまま後ろ向きに転がっていくほどである。
くるりと背を向ける百合子。
「『秘密のお茶会』は二人だけで行なうもの。兵隊を揃えて待ち構えるなど無粋千万である。この挑戦、吾ひとりで受ける。明日は道場に来ぬように」
「…………わかったよ」
悠は背を向け、道場の外へと歩き出した。
「あ、ちょっと悠の姐さん!」
ヤスは背を向け合った二人を交互に見てから、悠を追いかけて走って行った。
皆が立ち去った後。
百合子は握りしめた拳を小さく振るわせた。
悠たちにはまだ、説明していないことがある。
「『造花』……まさか、この世界にも完成していたというのか……」
●咲かせて見せよう地獄花
正午の鐘が鳴る。
道場の中央で乙女座りを組む百合子が、ゆっくりと目を開けた。
「やはり、貴殿か」
彼女の背後には、ひとりの美少女。
足音もなく気配もなく、いつのまにか立っていた彼女の名を、百合子は知っていた。
「虚偽咲・殊根(きょぎさき・ことね)」
「あら、よく覚えていたわね……咲花・百合子。随分醜い姿になって」
一歩。一息。一瞬一拍子。
たったそれだけのテンポで百合子の拳射程圏内へ滑り込み、瓦割りの如く手刀を繰り出す殊根。
しかしたたき割ったのは木造の床のみ。
百合子は手刀よりも早く立ち上がり、反転し、殊根と向かい合うように立っていた。
殊根の髪に揺れる赤い数珠のごとき髪飾りは、まごう事なきコトネアスター……の、造花である。
それが何を意味しているのか、美少女世界を生き抜いてきた百合子は知っていた。
コトネアスター(Cotoneaster)とはラテン美少女語で『榲桲と似て非なるもの』をさす。美少女であって美少女で無い……つまり……!
「まれながらにして美少女である者だけが天下をとる世界。なんて差別的でくだらないルール……そう思わない?」
「笑止! 生徒会長(天下)を獲るは強き者のみ。美少女であることは、条件にすら含まれておらん」
「ええその通り」
長い黒髪をはらい、殊根は目の中に真っ赤な『☆』を現わした。
「――それは『インスタ』!」
ハイクラス美少女の瞳に現われるという星の名。
それすなわち、殊根が高レベルな美少女であることを証明していた。
赤い軌跡を描き距離を詰め、再びの手刀を繰り出す殊根。
美少女力を纏わせた腕で手刀を受け止めた百合子は、その事実に表情を険しくした。
「貴殿は『美少女』では無かったはず。よしんば『造花』となったとて、貴殿がそこまでの美少女力を有するなど――」
「私は生まれ変わったのよ。『総長』と出会ってね」
刹那。
殊根の腕が無数に分裂したように幻視した。
幻惑的な腕運びと人間離れした速度によって千に増えたように見えたのだ。
「クハッ――!」
世にも美しく笑い、猛烈な連撃を繰り出す百合子。
手刀と拳が幾度となくぶつかり合い、無数の幻花を咲かせた。
同時に飛び退き、乙女構えをとる二人の美少女。
「なるほど。互角……この世界で完全なる美少女力の移植に成功したということであるな」
「そういうことよ。ここでは乙女力と呼ばれているけれど、ね」
「乙女力……まさかそれは」
「悪いけど、ここまでよ」
続きを問いただそうとした百合子に手を翳し、殊根はパチンと指を鳴らした。
その途端、気配を消していた七人の造花美少女が道場へと現われた。
百合子を取り囲むように乙女構えをとる彼女たちの髪には殊根と同種の髪飾りがついていた。
「グラコフィラス、推参」
「コリアケウス、推参」
「フランチェッティ、推参」
「フリキダス、推参」
「ホリゾンタリス、推参」
「ポルニニー、推参」
「ラクテア、推参」
「「お命、頂戴致す!!」」
全く同一の構え。隙はなく、そして恐ろしく強い殺意。
「吾は『白百合清楚殺戮拳』咲花・百合子! 貴殿ら……流派を名乗れ!」
「流派? そんな古くさいものは必要ないわ」
「僕らは新時代の美少女さ」
「お前に出番はない。くたばれ旧式」
「懐古を抱き破滅せよ」
「…………」
ごくりと息を呑む百合子。
その様子に、殊根は笑った。
「かつて『生徒会長』であった頃のあなたならばいざ知らず。今のあなたにこの数では手も足も出ないでしょう?」
「『秘密のお茶会』出会ったはず。なぜ……」
「言ったでしょう。そんな古くさいものは必要ない。あなたは新時代の美少女力によってなぶり殺され、道場を明け渡すのよ」
『覚悟!』八人は同時に叫び、そして同時に飛びかかった。
●されど枯れぬ花なれば
百合子を襲った八人の造花美少女たち。
彼女らの斬撃が百合子の全身を一度に砕かんとしたその一瞬。
天井の梁がぎしりと鳴った。
造花美少女たち全てが百合子の首や手首に意識を集中させていたがため、彼女たちの頭上に上下反転して『着地』していた悠に気づかなかった。
「――『水蓮微睡抱擁拳』!」
存在に気づいたのは、悠が造花美少女たちの間を山の水流のごとくふき流れた後であった。
百合子の首を絶つ筈だった打撃が。手首をへし折る筈だった打撃が、臓物を抜き出す筈の、足の腱を斬るはずの、膝の皿を割る筈の、目を突くはずの、心臓を穿つ筈の打撃が――全て命中したにも関わらず、百合子に一切の傷は残らなかった。。
一度悠という隔絶された一世界に傷と痛みの全てを受け入れ、飲み込み、循環させ、自然のひとつとしてこの世界にはき出す。その結果として、百合子の傷は『なかったもの』とされたのだ。
「あなた、邪魔を――」
「本当なら、邪魔をするつもりはなかったんだ」
乙女構えをとり、百合子と背を合わせるように立つ悠。
「『秘密のお茶会(タイマン)』を破ったのは、君の方だよ」
「クッ……」
百合子は破顔し、そして大きく口を開けて笑った。
「クハハハハハ!! 愉快! げに――愉快!」
百合子の美少女力がより一層の輝きを放った。
目の奥に星を生み、ぎらぎらと輝かせる。
点描も虹も、歌う小鳥もないが、この一瞬ごくごく小さな間だけは、百合子は圧倒的に荒ぶる美少女力そのものであった。
座して待てば仕事が舞い込み、有象無象を殴る日々。
それは生徒会長の椅子に座り平伏した美少女たちを眺める日々と、根の所では変わらない。
あらゆる手を使って自らの首を狙う者。
背中を任せて戦う同志。
ああ美しき闘争の日々!
「打ってこい造花の美少女たちよ。吾が首はここにあるぞ!」
造花美少女の蹴りを腕で受け、鋭い拳で顔面を打ち抜く百合子。
さらには豪快な後ろ回し蹴りでもう一人の造花美少女を蹴り倒すと、素早くその場で身を屈めた。
髪を振り乱す悠。流れ出た大気と水流の循環が百合子の頭上を抜け、造花美少女を巻き込んだ。
造花美少女のもつ生命エネルギーを一度取り込み、奪い取る。自らの世界観に揺らぎを作られた造花美少女はがくりと身体を傾けるが、その隙を狩るようにして百合子の足払いが打ち込まれた。
「一人増えたから何よ。元々こちらは『インドア派』! 屋内で取り囲めば勝機はこちらにあるのよ……!」
殊根たち造花美少女たちが屋内を天地の区別無く跳ね回り複雑怪奇な軌道で襲いかかる。
読者諸兄に美少女語に詳しい方はおられようか。その方なら分かるだろう。インドア派とは屋内戦闘に熟練した美少女をさす言葉である。
特に殊根の戦闘スタイルは暗殺のそれ。ガチガチのインドア派なのだ。
「迂闊だな殊根よ」
百合子の拳が、大地へ向いた。
と同時に悠は飛び上がり、内包世界で殻のように自らを覆う。
「見よ、『白百合清楚殺戮拳』――大名舞斗(だいなまいと)!」
次の瞬間。
美少女道場は消えた。
雨のように降り注ぐ木材と砂。そして錦鯉。
ここまでご覧頂いた読者諸兄にはもうおわかりだろう。百合子は自らの道場そのものを粉砕し尽くすことで屋内戦闘を帳消しにしたのだ。
そして次の一手は。
天空に拳を突き上げたその姿勢で、百合子と悠はその場にいる全ての造花美少女を天空の彼方へと巻き上げ、吹き飛ばしてしまったのだ。
美少女道場はその翌日にいきなり新しく建造され、看板も収まった。
真新しい道場の床に、百合子と悠は立っている。
「先の戦い。見事であった。貴殿を美少女拳法『水蓮微睡抱擁拳』の使い手と認めよう」
百合子が取り出したのは水蓮の花飾り。
ギラリと目の奥で光る星。
それは今、悠の目にもあるものだ。
百合子の手によってつけられた髪飾りが揺れ、二人の視線が交わる。
期待。喜び。そして闘争心。
ああ、美しき闘争の日々よ……!