シナリオ詳細
大人形︎ 富寿。或いは、彷徨い歩くヒダル神…。
オープニング
●彷徨い歩くヒダル神
ある朝のことだ。
豊穣のとある地方の街に、それは突然、現れた。
もっとも、街の住人たちは“それ”の姿を見ていない。
誰1人として、起きては来られなかったからだ。
手足の痺れや眩暈、頭痛。
そして、耐えがたい空腹感。
大半の者は目を覚ますことが出来ず、眠ったままに苦しんでいた。
辛うじて目を覚ました者も、あまりの不調に起き上がることは出来なかった。
日が昇ってなお、街はシンと静まり返っている。
昨日までの喧噪が、すっかり嘘のようである。
まるで一夜にして、街から人が消えたみたいだ。
だが、そうではない。
時折、民家の扉の向こうから呻き声が聞こえてくる。
ザリザリと足を引き摺る音が、表の大きな通りに響く。
歩いているのは、1人の男だ。
否、男だったもの……と呼ぶべきか。
ざんばらに乱れた髪。青白い皮膚に、骨ばった顔。血に染まったような真っ赤な瞳。
腹は大きく膨らんでおり、手足は異様なほどに長く伸びている。
「トキノエ……トキ、ノエ」
ブツブツと呟いているのは、人の名前か。
「ノエ……トキ、ノエ……エ、エ、エ……トキ、ト、ト」
ブツブツ、ブツブツ。
掠れた声で誰かの名前を呼びながら、それは街を彷徨い歩く。
●ヒダル神
「俺の名前を呼んでいる……だぁ? 知らねぇぞ、そんな化け物」
報告書を手にとって、トキノエ (p3p009181)は眉間にしわを寄せる。
それから、剣呑な視線を報告書を持ち込んだ者へ……イフタフ・ヤー・シムシム(p3n000231)へと向けた。イフタフはビクリと肩を跳ね上げ、後ろへ身体を仰け反らせる。
「知らないったって、ずっとトキノエさんの名前ばかり呼んでるんっすよ? 見た目はこんな風ですけど、知り合いじゃないっすか? それか、何か“感染”しました?」
「こうまで見た目が人間離れするような類の病毒は、人にかけたこたぁねぇな。仮にかけたとしても、すぐに殺してやるのが情けってもんだろうよ」
「……っすよねぇ。となると、何かしらの“呪い”でも踏んだか“呪具”の類でも使ったか」
「うん? 呪具? あぁ、いや……まてよ」
化生によってもたらされた事象には覚えがある。
ヒダル神と呼ばれる呪詛である。
そして、トキノエには“ヒダル神”の呪詛に覚えがあった。正確には“人をヒダル神に変える仮面”であるが、確か暫く前にトキノエのもとを訪ねて来た若い男が、そんなものを持っていたはずだ。
名をなんと言っただろうか。
「……富寿。そうだ。大人形 富寿って言ったか」
トキノエに身柄を預けろと、つまり実験材料になれと迫った若く世間知らずな男であった。
富寿の態度に怒ったトキノエは、富寿に少しの病魔を感染した。
と、言っても数ヵ月ほど高熱で寝込む程度の病魔だ。命に別状は無いし、外見が人から大きく逸脱するようなことも無いはずだ。
だが、今の冨寿はそうではない。
おそらく、家宝の呪具を自分に使い、ヒダル神へ……妖へと変じたのだろう。
「知ってるじゃないっすか。『触媒』の方でも忙しいっすけど、放置も出来ないっすよ?」
「分かってるよ。警戒すべきは【無常】に【麻痺】【魔凶】【停滞】ってところか? 俺のせいってわけでもねぇが、無関係とも言い切れねぇからな」
ヒダル神……こと冨寿は、今も街に留まっている。
山奥にある閉鎖された街であるのが救いだろうか。これが平野の街であれば、きっとすぐに富寿は別の村か街かに移動していただろう。
「街の中で戦うんっすか? これ以上、ヒダル神の呪詛が広まると死人が出るっすよ?」
「外に誘き出すか? 誘き出せるのか?」
「……さぁ?」
街の地図を見下ろして、イフタフとトキノエは首を傾げる。
- 大人形︎ 富寿。或いは、彷徨い歩くヒダル神…。完了
- GM名病み月
- 種別リクエスト
- 難易度-
- 冒険終了日時2023年07月24日 22時05分
- 参加人数7/7人
- 相談8日
- 参加費150RC
参加者 : 7 人
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参加者一覧(7人)
リプレイ
●腹が減る
ここはどこだ。
辺りは暗い。
時折、人の呻く声が聞こえる。
「トキノエ……トキ、ノエ」
トキノエとは、誰の名だっただろうか。
自分は一体、誰だっただろうか。
何も覚えていない。
何も覚えていないけれど、何か大事な役目があったような気がする。
「トキ……ノエ。トキノエ……トキ、ノエ」
はっきり記憶しているのは“トキノエ”という名前だけ。その人物が、どんな顔をしているのかさえ忘れてしまった。
静かな静かな街中を、宛も無くうろうろと歩き回る。
そんな異形の妖……人だったころの名は“大人形 富寿”という……の前に1人の男が現れた。
「よォ、お坊ちゃん。まだ俺のことを探してんのか?」
粗野な印象の男だ。
その身に纏う不吉な気配は、彼が人に似た人でない存在であることを否応なしに理解させる。
「ひでぇ臭いだ……それにそのツラ。色男だったのによ」
「トキ……ノエ」
そうだ。
その男こそが、『劇毒』トキノエ(p3p009181)だ。
同時刻。
街の近くの森の中。大樹の下に幾つかの人影が集まっていた。
「神仏のやどる面というのは噂には聞きますが、この手合いは呪詛か魔物の類でしょうか。呪い師の類が呪われて助かるために被ったとするなら未熟が過ぎるのも罪ですね」
『遺言代行業』志屍 瑠璃(p3p000416)が溜め息を零した。
ヒダル神と化した富寿の付近で、生物は極度の空腹感や倦怠感に苛まれる。街が、そして森さえも静かに鎮まりかえっているのは、そのせいだ。
「うへぇ。怨念の塊って感じですね」
瑠璃の頭上から声がした。
姿は見えないが、枝葉の中に『こそどろ』エマ(p3p000257)が隠れているのだ。
「どんな事情があったかは知らねぇがヒダル神になる面なんて厄の塊を何でつけたかね」
『鬼斬り快女』不動 狂歌(p3p008820)が溜め息を零して腹部を押さえた。
距離が遠いとはいえ、森の中もヒダル神の影響範囲内なのだろう。少々、小腹が空いた感覚がする。
森の中でこれなのだ。街へ出向いたトキノエたちはどれほどの空腹を感じているのか想像もつかない。
「ヒダル神って、ひとをぐったりさせてしまうのですか? おなかがすいてうごけなくなっちゃう? それは大変なのです!」
『あたたかな声』ニル(p3p009185)に空腹という感覚は分からない。けれど、空腹が辛いものだということは知識として知っている。
狂歌から貰ったせんべいに視線を落とし、ニルは悩んだ。
空腹に苦しむ街の住人たちに、せんべいを分けてあげるのはどうだろう。
空腹、恐怖、苦悶の感情が濁流のように脳裏に流れ込んでいた。
街の人口が何人いるかは不明だが、200や300ではないだろう。1000か2000か、それ以上か。
それだけの量の助けを求める感情が『挫けぬ笑顔』フォルトゥナリア・ヴェルーリア(p3p009512)の脳を揺らした。
頭痛に額を押さえながら、呻くようにフォルトゥナリアは言葉を零す。
「街一つを覆う呪詛……厄介な相手だね」
食材を持ち込んではいるが、今の状況で供給しても焼け石に水だ。やはり、まずは冨寿……ヒダル神の討伐を優先するべきだろう。
「あぁ、このままでは誰もが苦しむだけだ。何とかしよう」
建物の影から大通りを覗き込み『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)はそう言った。視界の先には、よろよろとした足取りで通りを進むヒダル神の姿がある。
トキノエを追っているようだが、やはり自我が曖昧なのか、それとも視力さえも低下しているのか、時折、トキノエの姿を見失い別の場所へ向かおうとしている様子だ。
「早いところ東南の森に誘導しないと……だね」
「あぁ。トキノエさん1人じゃ、どうにも手に負え無さそうだ」
このまま街に留まられては、いずれ住人に死者が出る。
最悪の事態を避けるため、フォルトゥナリアとイズマは行動を開始した。
●飢えと渇きのヒダル神
ニルの足元で、リスが横たわっていた。
ゆきせんべいの欠片をリスの口元に運びながら、ニルは難しい顔をした。
「ニルは、おなかがすく、というのがわかりません」
リスの正体は、ニルの使役する【ファミリアー】である。ヒダル神を誘導するのに良いルートを探すために、ニルと一緒に森を歩いていたのだがある瞬間から急にぐったりとして身動きが取れなくなっていた。
ヒダル神との距離が縮まったせいだ。空腹に襲われたリスは、身動きも取れなくなったのだ。当然、ニルも空腹を感じている。体の重さを感じている。
ただ、自分の体に起きた異変を理解できていないだけだ。
「でも、これがおなかがすく、ということなのでしょうか……?」
腹部に手を当て、ニルはこてんと首を傾げた。
「トキノエ。トキノエ。トキノエ……ト、キ、ノエ?」
ここはどこだ?
自分は誰だ。
何をしていた?
トキノエはどこだ? トキノエとはどんな者だった? トキノエはどんな顔をしていた? トキノエを見つけて、どうするつもりだ?
何も分からない。
分からないが、ただ歩き回っている。
「迷い込んでしまったのか?」
声が聞こえる。
ヒダル神の前に立つのは、細剣を構えた青髪の男だ。
彼は誰だ?
トキノエでないことは理解できる。
ヒダル神の目の前で、青髪の男……イズマは姿勢を低くした。細剣を腰の位置に構えた体勢で、地面を蹴って駆け出した。
まるで弾丸のような速度で、イズマは一瞬のうちにヒダル神との距離を詰めた。
きらり、と細剣の切っ先に青い光が閃いた。
咄嗟に腕を交差する。
リィン、と鈴の鳴るような音が響いた。
イズマが細剣を繰り出すと、剣身の長さを超えて青い光が夜闇を疾駆する。
「ずっとここで彷徨っててもトキノエさんには近付けないぞ。少し強引で悪いが、案内させてもらうよ」
そんな言葉が耳に届いて、交差した腕に衝撃が走った。
腕を中心に、青い衝撃はヒダル神の全身を打つ。
足が地面から浮いた。
身体が後方へと弾かれる。
大通りを転がりながら、ヒダル神はにぃと笑った。
暗い夜道に、トキノエの姿を見つけたからだ。泥塗れのまま立ち上がり、トキノエの後を追いかける。
「こっち! こっちに誘導して!
通りの先で、金髪の女性が叫んでいる。
あれはトキノエではない。
トキノエでは無いが、トキノエの関係者であるらしい。
その事実が、なんとなく腹立たしく思えた。
だから、そちらへ目を向けた。
“飢えて苦しめ”と頭の中で呪詛を放った。
ヒダル神を中心に、空気がぞわりと震えた気がする。
「……ぅ」
瞬間、フォルトゥナリアの体温が数度ほど下がった。或いは、それは気のせいだったのかもしれない。だが、身体が芯から冷える感覚がしたのは事実だ。
思わず、その場で膝を突く。
「気をしっかり持って! 治る病だから安心してほしい! もう少しの辛抱だ!」
遠くからイズマの叫ぶ声が聞こえた。
先に放たれた呪詛で、大幅に弱った住人を発見したのだろう。
フォルトゥナリアは、握った拳で地面を打った。
「なんて、酷い感覚……」
カロリーが足りずに眩暈がする。脳がしっかり働かない。このまま眠ってしまった方が楽だろうか。
「しつこい奴とは思っていたが……俺を捕まえるためにここまですんのか? その執着はどっから来てんだ」
壁にもたれた姿勢のままで、トキノエは言った。
舌を噛んで、フォルトゥナリアは無理矢理に意識を覚醒させる。まっすぐに視線を前へ向け、トキノエの方へ手を伸ばす。
「眠った方が楽ですって……駄目に決まってるじゃない」
淡い燐光が舞い散った。
風に漂う燐光が、辺り一帯に降り注ぐ。
「街の人を元気にして、たくさん食べさせてあげて……眠るのはその後だよ!」
燐光が、空腹感を拭いさる。
足に力を入れ直すと、踵を返して森へ向かって駆け出した。
街の方に人影が見える。
木の上から、エマはそれを眺めていた。
トキノエ達が、ヒダル神を連れて来たのだ。
と、その直後。エマは急激な空腹を感じ、思わず枝から足を踏み外しそうになる。
「ぅわ……これは酷いですね」
木の幹を掴んで体を支えた。
もうじき、真下にヒダル神たちがやって来る。奇襲を仕掛けるのなら、そのタイミングだ。
だが、空腹感と倦怠感を抱えたまま、それが可能だろうか。少なくとも、体調は万全に程遠い。
「まぁ、やってみるほか無いですかねぇ」
そう呟いて曲剣を抜いた。ナイフをそのまま大きくしたような武器だ。
爪先に力を込めて、木の幹を踏みつけた。
そして、跳び出す……その直前。
「こうすれば元気になるでしょうか?」
遥か眼下でニルの声がした。
燐光を孕んだ暖かな風が吹き抜けて、エマの空腹がするりと失せる。
偶然だろうが、いいタイミングだ。
脱力していた手足にいくらか力が戻る。
エマは強く木の幹を蹴り、闇に紛れてヒダル神へと跳びかかる。
ヒダル神の手が、トキノエの背中へ伸ばされる。
「トキノエ。トキノエ」
その指先がトキノエの背に触れる直前、ヒダル神の頭上で木の葉の揺れる音。
伸ばした手に衝撃が走った。
骨ばった腕に裂傷が走り、腐った血液が噴き上がる。
「エマか!?」
「ぅ……浅いですねぇ」
奇襲は成功だ。だが、与えたダメージは少ない。
ヒダル神の視線がエマに注がれる。着地と同時に、エマは森の方へと跳んだ。
「まぁいいです。私が狙われようともそのまま森に連れてけばいいだけの事!」
トキノエの腕を掴む。
引き摺るようにして、ヒダル神から距離を取る。
そして、そのまま森の奥へと駆け出した。
「来ましたね」
闇の中で声がした。
気配を消して、茂みの中に身を隠している瑠璃の視界に幾つかの人影が見えた。
そのうち1つは、ヒダル神に間違いない。間違えるはずがない。夜の闇よりなお黒い、不吉な瘴気を肌で感じ取っているのだ。
「……空腹なんて感じるのは、いつぶりでしょう」
腹部を押さえ、瑠璃が呟く。
「本当に……戦えない程じゃないにしても気分悪いし腹減ったなぁ」
独り言のつもりだったが、意外なことに狂歌から返事があった。
だが、会話を楽しむだけの時間は残っていない。
そろそろ仕事の時間だ。狂歌は大太刀を抜いて開けた場所へと歩を向ける。
「……」
口を閉じたまま、瑠璃はその背を見送った。
と、視線に気が付いたのか狂歌は瑠璃の方を振り向いた。
それから、不思議そうな顔をして手に持つ“何か”を差し出してくる。
「ん? せんべい食うか?」
差し出されたのは2枚の白い煎餅だ。味は塩とざらめだろうか。
「兵糧丸よりは美味しそうですね」
そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。
なんて。
疑問を胸に秘めたまま、瑠璃は煎餅を受け取った。
森のざわめきが気になるのだろう。
或いは、トキノエと同じように森の精霊が見えているのかもしれない。つまり、森の奥へと進むにつれて、ヒダル神が落ち着かない様子で視線を左右へ泳がせはじめた。
「付き纏われるのも嫌だが、無視されんのもなんか腹立つな……」
木の幹に背中を預け、トキノエは荒い呼吸を繰り返した。だが、口ではそう言うものトキノエの顔には、脂汗がびっしりと浮かんでいる。
見れば、肩も血に濡れている。
ヒダル神の攻撃を受けたのだろう。
「いやぁ、少し休んでいた方がいいと思いますよ。誘導なら私がやりますし。住人の救助とかは、ノウハウがなくて役に立てる気もしませんし」
歩き出そうとするトキノエを押さえ、エマが腰を低くした。
だが、エマが走り出すより先に、茂みを掻き分け疾走を開始した者“たち”がいる。
「誘導はここまでで構わねぇよ! 後は俺が抑えて見せる!」
1人目は狂歌だ。
茂みを掻き分け、雑草を踏みつけ、木の枝をへし折りながら、狂歌は疾走。肩には大太刀を担いでいる。
狂歌はヒダル神の手前で急停止。
上半身ごと投げ出すように大太刀を横に一閃させる。得物のリーチを存分に活かした、遠心力を利用した渾身の斬撃が茂みを切断。
ヒダル神の胸部に深い裂傷を刻んだ。
「叩きのめしてやるから掛かって来いよ神擬き!」
返り血に顔を濡らしながら、狂歌が吠えた。
そして、もう1人。
「待て! 呪具を剥がせないか? このままじゃあまりに浮かばれない!」
横から走り込んで来たイズマが、青く光る刺突を放った。
ヒダル神が腕を振るう度、辺りに瘴気が撒き散らされる。
壊死した腕での打擲を、狂歌が大太刀で受け止めた。痛みや骨折などを一切、気にもしていない力任せの殴打のラッシュ。
皮膚が裂け、肉が潰れ、血飛沫が散って、骨が砕けて……それでも、ヒダル神は殴打の手を止めない。止められない。
意識のうちには、進行を邪魔する狂歌を排除することだけしか無いのだ。
「トキノエ……トキ、ノエ。トキノエ、トキノエ」
「俺はトキノエじゃねぇよ! こら、逃げるな! その気持ち悪い神擬きの仮面を叩き壊してやる!」
技術も何もない素人丸出しの殴打であるが、人外の膂力が加われば十二分に脅威となる。実際、真正面からヒダル神の殴打を受け止める狂歌は、結構なダメージを負っていた。
額が割れて血が流れる。
肩の骨にも罅が入った。
手首の筋は損傷し、大太刀を握る手からは徐々に力が抜ける。
イズマやフォルトゥナリアが加勢に加わってなおこの有様なのだ。ヒダル神がいかに厄介で、危険な相手かがよく分かる。
だが、あまりにも視野が狭すぎる。
思考が短絡的に過ぎる。
注意力が散漫に過ぎる。
だから、気が付かない。
「背中ががら空きですよ」
闇に紛れて、背後に迫る瑠璃の姿に。
●夜が明ける
腹が空いた。
意識が曖昧だ。
夢と現実の境さえも曖昧となる。指先も、爪先にも、身体のどこにも力が入らない。
このまま死んでしまうのか。
それもいいかもしれないと思える。
優しい音を聴きながら、息絶えるのなら悪くない。
なんて。
生きることを諦めかけた老爺の耳に、若い男の声が届いた。
「少しでも気が紛れるといいんだが」
その声が。
イズマの声が。
少しだけ老爺に、生きる希望を与えたことは確かだろう。
黒く塗られた直刀が、ヒダル神の背を引き裂いた。
噴き出した血が、瑠璃の白い頬を濡らす。鮮血と同時に瘴気が舞って、瑠璃は急激な飢餓を感じた。
瞬間、口に含んでいた煎餅を噛み砕く。唾液ですっかりふやけた煎餅を嚥下すれば、多少は空腹感もましになった。
コツン、と刀の刃が何かに触れた。
ヒダル神の背骨だ。
「心臓に届くでしょうか」
刀を逆手に持ち帰る。腰を捻って勢いを乗せると、刀を切先をヒダル神の背に突き刺した。
刃が皮膚を貫通し、心臓貫くはずだった。
けれど、届かない。
ヒダル神が腕を大きく振り回し、瑠璃の頬を殴打したのだ。
落ち葉に足を取られた瑠璃はその場で転倒。
「くっ……」
転倒した瑠璃には目もくれず、ヒダル神は逃走を開始。
ここに来て、ヒダル神は初めて“逃走”という選択をした。
よたよたとした足取りで、森の奥へ逃げて行く。
「待ちなさい! 私は! 倒すべき敵はここに居るよ!」
フォルトゥナリアの咆哮も、ヒダル神の耳には届かない。
そもそも、最初からヒダル神の耳には誰の声も届いていない。
「お面が悪いものなら……それを壊せば」
転がるように、ヒダル神の前にニルが飛び出す。その手に宿る魔力の閃光を、ヒダル神の顔面目掛けて叩きつけた。
咄嗟に腕をあげ、魔力の砲を受け止める。
片腕を犠牲に、ヒダル神はニルの攻撃を防いで見せた。
ニルを蹴り飛ばし、逃げる。
逃げる、逃げる。
「逃げられない」
「ひひ……逃げられませんよ」
「逃がすわけねぇだろ!」
瑠璃が、エマが、狂歌がヒダル神を追う。
地面に、黒い手袋が落ちた。
拳から溢れる不吉な瘴気を、拳で握るようにひとつに纏めると、トキノエは拳を後ろへ引いた。
「トキノエ。トキノエェェエエエエ!」
嗤った。
嬉しそうに、ヒダル神が……富寿が嗤った。
嗤って、拳を振り上げた。
大上段からの殴打。
受けて立つべく、トキノエは腰を低く落とした。
そして、決着は刹那。
「俺のことは忘れて、ゆっくり眠りな」
夜闇を黒が引き裂いた。
トキノエの殴打が、富寿の顔面を貫いて。
それと同時に、富寿の拳がトキノエの頭部を打ち据える。
「トキ……ノエ」
「……ぐ」
そして、2人はもつれるように倒れ込む。
倒れて、それから姿を消した。
数十秒か、数分か。
一時的にトキノエは気を失っていたようだ。
頭が痛い。視界が揺れる。
崖……森の奥の渓谷に足を滑らせて落ちたのだと、暫くしてから理解した。
周囲に人はいない。
トキノエだけしか、そこにはいない。
足元には、腐肉塗れの半分に砕けた仮面の欠片が落ちている。
富寿はいない。
消滅したか。
それとも、逃げ出したのかもしれない。
「仕方ねぇか。追いかけるにも宛がねぇし……炊き出しやら治療やらもしねぇとな」
落ちていた仮面を拾い上げ、トキノエはそう呟いた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様です。
街からヒダル神を追い出すことに成功しました。
幸いなことに死者はいません。
依頼は成功となります。
この度はご参加いただき、ありがとうございました。
縁があれば、また別の依頼でお会いしましょう。
GMコメント
●ミッション
“ヒダル神”大人形 富寿の撃退
●ターゲット
・大人形 富寿(妖)
元は名家の三男坊。
過去にトキノエと揉めたことがある。
その後、実家に伝わる呪具“ヒダル神の能面”を被ったことで、ヒダル神へ変貌。
周囲に呪詛を撒き散らす存在と化した。
症状としては、手足の痺れや眩暈、頭痛。そして、耐えがたい空腹感。
少なくとも街1つを覆う程度には強力なものらしい。また、富寿の精神状態によって呪詛の効果は増減するようだ。
なお、あまり動きは速くないし、過去の記憶や自我も曖昧なものとなっているらしい。歩く祟りのようなものだと思えばいい。
https://rev1.reversion.jp/guild/1/thread/4058?id=1653413
触り:物近単に特大ダメージ【無常】【停滞】
呪詛に塗れた手で触れることで、対象の体力や気力を根こそぎ奪う。
ヒダル神の呪詛:神超遠範に小ダメージ【無常】【麻痺】【魔凶】【停滞】
広範囲に空腹感と、身体の不調を伝播させる。
●フィールド
豊穣。
山奥の小さな街。
正確には、死火山の山頂にある窪地に作られた街である。
そのため、街の周囲は天然の砦か何かのようになっている。
そのおかげか、富寿は今も街に留まっているようだ。街から出る方法が分からないのだろう。
街の住人たちは今も生きている。
生きているが、空腹その他の体調不良により身動きが取れない状態にある。
街の北側には、流れの激しい川。
東南には森。
東には果樹林がある。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
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