シナリオ詳細
<ラドンの罪域>滅影の牙
オープニング
●『狂黒竜ラドネスチタ』
ぎょろりとした黒い瞳がどこにあるかも分からぬほどの闇色。顔と呼ぶべき部位そのものさえ判別が付かぬものだった。
その身からは黒き粒子が漏れ出る。悍ましき霧が周辺を包み込み、竜の口からは黒き吐息が毀れ落ちた。
その恐ろしき姿は本能的な畏怖をも与える事だろう。
周囲を蝕み、全てを闇に閉ざす『狂黒竜』――同じ竜種であろうとも、果ては天帝種とてその存在から目を背けた。
「仕方在りませんなぁ。何を怯えているのですかな」
幾人かの『人』を連れてその男はやって来た。人の形を取っているが、それは天帝種であっただろうか。
連れている男は只の人ではない。朗らかさとは別に、その体は滅びの気配を宿していることが良く分かる。
「世界を滅ぼす竜と呼ばれているのだそうですな。その黒き気配が『滅び』の象徴であると。
……全く以て、嘘っぱちだ。おまえが世界を滅ぼすというならば、この身の方がとっくの昔に世界を滅ぼしてしまっているでしょうに」
男は揶揄うようにそう言った。近寄る男へと「ベルゼー」と幾人かが慌てた様に声を掛ける。
ラドネスチタの頬に小さな掌を押し遣って、優しく撫でる男――ベルゼーは笑う。
「ラドン。そう呼んでも?」
――構わない。
「ラドン、お前はその外見から化け物だと竜達の中でも疎まれてきたのでしょう。それが勘違いだと私が教えましょう。
知らぬ者が近付けどもお前は牙を剥くことさえしなかった。その素晴らしいこと。私は敬意を示しましょう。
我が名はベルゼー。ベルゼー・グラトニオス。……我が身が『何であるか』は『お前には』説明しなくても良いのでしょうなあ」
人をよく見ている子だと撫でる指先が、優しかった。
ラドネスチタ――ラドンはその時に決めたのだ。
この不憫な男が望むことを出来る限り叶えてやろう、と。
彼が、黄昏の地に『幸福の地』を作るならば、己が護ろうと。
彼が、心に決めた唯一の希望があるならば、己が『その意志を担ってやろう』と。
●『ヘスペリデス』
「あなた様」
穏やかな声音でフォスは目の前の男に声を掛けた。春風の気配を感じ取り、『友人』が大切に育てた花を愛でていた男――ベルゼー・グラトニオスは「ああ、フォス」と顔を上げる。
「鉄の国の轍はどうなりましたか」
「どうやら、我が兄は敗北したようでしてなあ。……あの子達には驚かされる。出来れば、戦いたくないものですが」
からからと笑った男のその真意が強者と戦う事を畏れる臆病者ではないことをフォスは知っていた。
のらりくらりと交し続ける男は、何時だって『優しい』人であったからだ。
「父祖様、お身体の調子は」
「はは、心配を掛けますな。お前達ならば何処へだって行ける。何も、共に居なくとも――」
「『喰われてしまっても』構わぬからこそ、父祖様と共にあるというのに」
唇を尖らせる白堊は目を伏せた。ヘスペリデスはこの男が竜種達にも『暮らし』を与えようと作ろうとした場所だ。
しかし、人と竜は余りに違う。
人を真似て建築物を作ろうにも石を積み上げ、瓦礫と化すだけ。決して『里』とは呼べぬ有様だ。
だが、男の人柄に惚れた者達が此処に集ったのは確かだ。最期の場所、黄昏の地、残された楽園。
「もうすぐ『彼女』を食い終わるのでしたら、次はわたくしが――」
「いいや、白堊。今度は『それだけでは』収まらないでしょうなあ。自分のことだからこそ、良く分かる」
フォスと白堊は渋い表情を見せた。男は暴食だ。故に、全てを喰らい尽くす可能性があるのだろう。
「……だからこそ、此処に逃げ果せたのでしょう、あなた様」
「ええ」
「ここに、里長達が向かってきています」
「でしょうなあ」
「……会いたく、ないのでしょう?」
フォスの問い掛けにベルゼーは答えなかった。ただ、言葉にも出来ない表情だけを返す。
――父よ。
上空より響いた声にベルゼーは「ジャバーウォック」とその名を呼んだ。
――ならば、我が奴らを退けよう。父よ、お前が為すと願う事は我が願いも同然。
父よ、ベルゼー・グラトニオスよ。お前が為したい事は許されることではないだろう。
お前の姿が変容し、全てを呑み喰らう時、お前が『愛する者』から目を背けることは許されることでない。
「ええ、そうでしょうな。しかし、止められるものではない。
我が力は我が存在とは切り離せるものではない。全てを食い尽くしたならば何時かは己のことも喰らえるであろうか。
そんな『莫迦らしい自殺』を待つまでに、どれ程の者を犠牲と為ねばならないのか――考えるだけで苦しくもなりましょう」
「あなた様!」
フォスの悲痛な声にベルゼーは首を振った。それが冠位暴食という存在なのだ。
その腹の中には『親愛なる娘』がまだ、存在している。それが消えてしまうときが近いのだ。
300年も前の話だ。その時に、自らを犠牲にした彼女も『予期』していただろう。
「……パラスラディエ。おまえが我が身に全て飲まれたあの時から随分な時が経った。
雛は飛び立ち、この身はまたも餓えを感じ始めたばかり。食い繋いだが、もう直ぐ限界(リミット)だ」
許されることではないと知りながら。
己は、何もかもを喰らうのだろう。その時まで、僅かにでも時間を稼ぎたい――男の願いを、竜は聞き届けた。
●罪域に坐す者
――この地に近付く者よ。
わたしの名はラドネスチタ。……ラドン。
我が友の意志に従い、黄昏へと踏み入れる者を見定める者なり。
目の前には巨大なる竜が存在していた。その傍に佇むのは『ピュニシオン』の管理人であった『志遠の一族』の娘、フォスである。
本来の名を志・礼良というその娘は平静の儘にイレギュラーズと向かい合う。
「よくぞ、森を抜けられました」
穏やかに微笑んだフォスを見詰め、煉・紅花は「フォス」とその名を呼ぶ。
「関所守の方が、どうしてこんな所に……?」
渋い表情を見せる劉・紫琳(p3p010462)にフォスは首を振った。
「元より、関所守は死した存在のようなもの、亡者が何処に居ようとも構わないではありませんか」
「……ッ、そう扱ったことは、謝るわ」
珱・琉珂 (p3n000246)の傍では朱華(p3p010458)が渋い表情を見せた。
眼前のラドネスチタを対処せねばならぬのに、障害が多い。フォスだけではない、上空に覆い被さった黒き影は――
――久しいな。矮小なる愚か者共。
「ジャバーウォック……!」
練達を襲った『怪竜』の姿もあった。
Я・E・D(p3p009532)は僅かにでも傷が癒えた強大なる竜の姿に眉を寄せる。
――あの日、このジャバーウォックが告げた言葉を忘れてはないな。
このジャバーウォックはアウラスカルトの様に無垢な竜ではない。
我らが領域は決して滅びには抗えぬ。虫螻よ、世の序列はよく分かって居るだろう。
我らは抗えぬ滅びを前に、好ましい『父』と共に在ることを選んだのだ。
「……ええ、わたくしも、その一人。ベルゼー様はあなた方がヘスペリデスに至ることを拒んで居られます。
わたくしは愛に殉じ、里を捨てた只の人。けれど……『わたくしを喰らうその日』まで、あの方の傍に居ると決めたのですから」
ジャバーウォックの鱗を撫で、前へと一歩踏み出した娘は白堊という。
珱の家に『男』が産まれていれば嫁ぐことの決まっていた娘は琉珂を見詰めて、忌々しそうに目を細めた。
「どうして、此処まで来て仕舞うのですか、琉珂」
「……白堊ねえさん」
その視線に気付き朱華は「琉珂、あっちで戦って」と別働隊へと移動するように背を押す。
白堊は、そしてフォスは『ベルゼーが琉珂に会いたくはない』事を知っているのだろう。故に、命を狙われる可能性は高い。
「煉家の……いえ、それだけでは、ありませんね。こんなにも沢山の方が、ラドネスチタに認められるためにこんな場所まで。
なんと、嘆かわしい――ラドネスチタ。わたくしたちが、あなたを御守しましょう」
白堊はうっとりと微笑んだ。その気配が変化する。『魔種』はイレギュラーズをこの先に進ませぬ為に牙を剥いた。
- <ラドンの罪域>滅影の牙Lv:50以上完了
- GM名夏あかね
- 種別EX
- 難易度VERYHARD
- 冒険終了日時2023年04月25日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談6日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
リプレイ
●
黒霧に包まれたその場所は『ラドンの罪域』と呼ばれていた。
決して立ち入ること勿れ――
死の森、帰らずの森。その様に呼ばれた深き森は昏き気配と共に安易なる好奇心を拒み続けた。
果てに夢が在る等とは誰も思うまい。
元より『覇竜領域』とは国等という言葉では括れぬ場所だ。上位存在である竜種達が翼を広げ、命を貪り喰らうが為の領域である。
疆域を一度越えれば、それは只の自殺志願としか言い表せぬ。
その奥地に、向かうべき場所があるのだという。
『狂黒竜』ラドネスチタの『領域』の向こう側――とある男が夢見た楽園。
その様な場所がこの森の奥にはあるらしい。人為的に作られた楽園は滅びの時を待つ『冠位暴食』の為にあったのだろう。
だが、彼の権能が暴走した時、距離を離せどもその暴食は留まることはなくいつかは領域全てを飲み込む可能性さえもある。
『貴様等は理解してやって来たか。我が父の苦しみを、我が父の悲しみを。
幾度となく逢瀬を重ねる度に我は貴様等に絶望する。父の心に土足で踏み入る者達よ』
這い寄るような声音でそれは言った。強大なる竜だ。見上げる程の肢体、無数に存在する眸の幾つかは潰れている。ぎょろりと蠢いたその眸に心の奥底を見透かされている気がして『綾敷さんのお友達』越智内 定(p3p009033)はごくりと息を呑んだ。
「絶望、そうかい。君の存在こそ絶望だ、なんて言えば笑うだろうか」
遙々とこの様な場所にまで己が来るとは思っても居なかった。あの日、手にした『ビギナーズラック』は『英雄病』の再発症で青年の体を森深くまで運んできたのだ。
全く以て度し難い事だが、目の前の竜には因縁がある。全く以て度し難い事だが、一度の襲来を経てから「もう関係ないね」と言えるほど彼は薄情な男ではなかった。
「僕は生憎ロマンチストじゃないから、竜『なんか』とは分り合えないと思ってる。君達だってそうだろう」
「それは魔種とて同じことでしょう」
ジャバーウォックの背を撫でたのはフォスと呼ばれた娘であった。ピュニシオンの森の関守、志遠の一族の娘は所在不明ではあったがベルゼーと合流しヘスペリデスで過ごしていたのだろう。
「それは……どうだろうね? 少なくとも私達は、目的があって此処までやってきてしまったから案外話せば通じるかも知れないよ?」
肩を竦めた『優しき咆哮』シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)にフォスは些か不機嫌そうに眉を顰めた。柔らかなフォスフォフィライトを思わせる髪の娘はジャバーウォックの上で唇を鎖す。
「やぁ、君がラドネスチタ……ラドンって呼んでもいい? 私はシキ・ナイトアッシュだよ。シキと呼んでね」
アクアマリンのように鮮やかな眸には好機の色が滲んでいる。自身の声には小さな加護が存在していた。それは、護石の効果なのかラドネスチタの気配を些か和らげる。
「試練を受けに来たよぉ。少し目的があってさ……私は私のわがままを通すために戦わせてもらう! 正々堂々、よろしく頼むね!」
明るい笑みを浮かべるシキを見詰めていた白堊は「天真爛漫で、愛らしいお方ですね」と好意的な態度を示して見せたが敵意だけは喪っていない。
先程、『煉獄の剣』朱華(p3p010458)と『劉の書架守』劉・紫琳(p3p010462)がラドネスチタの体の逆側へと逃がした『里長』には彼女も――否、ラドネスチタ以外の三者が思うところがあったようにも思えた。
――ラドンで構わぬ。そう呼ばれて久しいのだ。
地響きのような声音で、その巨竜は言った。黒き靄を周辺一帯に展開させるほどの存在感。岩のように先を隠し動かぬ巨竜と並べばジャバーウォックが幾分か華奢にも見えるほどである。
「それでも、この気配……。ジャバーウォックに……ラドネスチタ。
堂々たる竜のお出ましってところか。いいだろう、私達イレギュラーズの力……見定めてもらおうか!」
ごくりと息を呑んだ『奪うは人心までも』結月 沙耶(p3p009126)は広域からの視界を確保し、永劫不滅の防御武装を展開した。
髪を揺らがせた黒き気配は眼前の竜からであると分かっている。竜は巨体が過ぎるため別働隊との対処になるが――
「逆側も闖入者の相手からだ。力が必要なら、示すとも。
こちらも、あちらも、その何方もを、相手に出来るほどの竜。しかし……メインは、余計な闖入者に退場願ってから、だ」
切り揃えた髪が頸筋を擽る。金糸で刺繍を施した手袋に褐色の膚を包んだ『愛された娘』エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)の眸は白堊を見詰めていた。
ジャバーウォックと白堊、そしてフォス。その三名は密接に関係している。見る限り、フォスは後方からの支援を行なう事を中心としているのだろう。自らを魔種であると公言したかのように思えた口ぶりである白堊はイレギュラーズをラドネスチタの判断以前に、先に進ませたくはないのだろう。ジャバーウォックとてそれは同じだ。
「酷い言い方をなさるのですね。闖入者こそ、皆様方ではありませんか」
「……ええ、あの方は、皆様と顔を合せたくはないはずです」
一方は心の支えとなった未熟な恋心を向けた男への恋情が主に、もう一方は『死』の傍に佇んだ娘の唯一の拠り所であった男への信頼が主に。
どちらにせよ、ベルゼー・グラトニオスという存在が悪人とは呼べない事を示しているかのようで『決意の復讐者』國定 天川(p3p010201)は舌を打った。全く以て遣り辛い――相手は人を慮っただけ。しかも、分かり易い依存と恋情というそれぞれの『人間には当たり前の感情』なのだ。
「……アンタらがただの外道なら良かったんだがな」
「下劣な存在になど、なれません。ベルゼー様はその様なわたくしを愛しては下さいませんでしょう」
悲痛な表情をした白堊に天川は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。女は愛されないことを知りながらも、忠義を尽くしているのだろう。
「……何にせよ、アンタらにも色々理由はあるんだろうが、はい。分かりました。って訳にゃいかねぇ。お互い辛いところだが、ここは通してもらうぜ」
――白堊。
静かに声を掛けるジャバーウォックに白堊は「心配なさらないで」と穏やかな声を掛けた。まるで、兄弟や子供に掛けるような慈愛を滲ませた声音である。
(……アイツらは分かってやがる。俺達が何を狙うのか……ジャバーウォックの野郎にも借りを返したいところだが、こりゃ別の機会になりそうだな)
相手が作戦を読んできているならば、それなりに対応する『方法』を勘案しなくてはならない。全員で対象を絞らねばならないのだ。
「琉珂をわたくしから離したのは良い判断でした。煉家の末娘、それから劉家のお嬢さん」
白堊の美しい瞳が二人を見る。朱華を庇うように立ったのは『焔花』煉・紅花、彼女の姉である。
「白堊様、お久しぶりね」
「紅花、貴女が着いてくるのですものね。さしずめ、イレギュラーズから死人を出すくらいならば死ねとでも言われましたか? 真朱様は手厳しいですもの」
旧友と出会ったかのように朗らかに微笑んだ白堊に紅花が唇を噛み締めた。「姉様」と呼び掛ける朱華に紅花は頷く。
「妹は殺させない」
「……違うわ。姉様。琉珂も、鈴花も、ユウェルも――大事な友達が向こうに居る。私達は誰も死なない。
どうせ、黄昏の地に向かおうとしていたのだもの。何れは巨大な竜と真っ向対決になるくらい分かってたわ。最初からぶつかることになるとは思ってなかったけど」
それ程、琉珂と合せたくないのか。それ程、この先に進ませたくないのか。
朱華の眸が問い掛けるが白堊は応えやしない。怖い。恐ろしくて堪らない。指先が震えたのは『覇竜領域』で生きてきたからこその不安。
「白堊さん、フォスさん、ジャバーウォックにラドネスチタ。私は目的があって此処に来ました。
……あの方を慕うどれほど多くの者に阻まれようと私たちは止まりません。ベルゼー様が何を思おうと、私は琉珂様の為に進まなくてはならない」
紫琳の声音は冷静であった。指先の僅かな震えを止め、対物ライフルを抱え上げる。傍らの朱華の震えは、もはやなかった。
恐怖は誰だってある。それでも、朱華は琉珂と共に進んでいくと決めた。彼女が進むなら、朱華だってそうする。
「私は、琉珂と共に行く」
「ええ、私だって。……琉珂様を害するつもりならば一切の容赦は致しません」
亜竜種の少女達は互いに顔を見合わせて笑った。
「その歩む先に竜種が立ちはだかったとしても、共に歩む仲間が居るのなら乗り越えられるって、そう信じているから。
だから………行くわよ、姉様! 紫琳! みんな!」
●
黒き影が飛翔したときに、それを絶望と呼ぶのだと心が大いに震えた。歓喜したのは、見ぬ世界が広がっていたからだ。
それでも『闇之雲』武器商人(p3p001107)は止まることは無かった。知れば知るほどに、得も言い難い感情が溢れ出すからだ。
「滅びの時、ねェ……」
冠位暴食と呼ばれた男は自身で管理できぬ権能が存在している。例えば、バルナバスのように『怒り』等を集めて肥大化させる攻撃的な権能も、ベアトリーチェのように発動させることで死を溢れさせる権能も、男に関しては特筆すべき者ではないのかもしれない。
深緑にジャバーウォックと共に現れた男のデータを『独立島の司令』マルク・シリング(p3p001309)はその脳に叩き込んでいる。
「あんな巨大な竜が2体……此処は死地以外の何物でも無いね。
……それでも僕等は、この先へ征かなければならない。真っ直ぐに。勝つことだけを考えよう」
情報は手にしている。勝たなくてはならない。あの情報から推測される未来は『恐ろしい』ものでしかないのだ。
(冠位『暴食』――つまりは、全てを呑み喰らう可能性があるというものだ。空腹とは管理できる者ではない、いつかそれが暴走したなら……?)
黄昏の地やピュニシオンだけではない。その危険はフリアノンにまで及ぶ可能性があるのだ。
それを里長代行達は理解している、里長である琉珂だって理解していた。僅かな焦りが滲んだのはその未来が程近いものであることを察してしまったからだ。
「……何も無理に進む必要はありません。ジャバーウォックも、ラドンも、どちらも巨大な竜種。
ジャバーウォックは天帝種なのです。血統によって格の決まる竜の中でも、神代に次ぐ存在。危険を冒す必要など――」
「……わたしは絶対に諦めないよ。
ベルゼーさんに会うために、必ずヘスペリデスに行くんだ。だから誰が立ち塞がろうとも、わたし達は先に進むよ!!」
『赤い頭巾の魔砲狼』Я・E・D(p3p009532)ははっきりと、そう言った。戦力差は理解している。恐ろしいことだって『この地を一番に知っている』妹から伝わってきている。
それでも、諦めてはならない。少しだけ本気を出す。ただ、ほんの少しだけ動作の無駄が消え、ほんの少しだけ体軸のズレが消えて、ほんの少しだけ思考の遊びが消えて――ほんの少し、キリリと吊り上がった眉の下で揺るぎない信念が燃えるのだ。
「そう」
白堊の声が聞こえた。地を蹴った女の姿が『ブレ』る。魔種でなくては、その身のこなしは有り得ない。
シキの眸がぎょろりと動いた。ジャバーウォックを倒す事は出来ず、白堊にダメージを蓄積させフォスに撤退勧告をさせるのだ。人と竜ならば、人の方が去なしやすい、が、『冠位暴食から直接反転させられた』女は強い。
「恋する女の子は強い。良く分かるよ、なら、私だって手なんか抜けないよね!」
レインメーカー、奇跡の刃。ガーディアンブレードの刀身に纏わせたのは殺人剣の一種。淀みなく振る剣を白堊の脚が勢い良く蹴り上げる。
「わたくしとて、避けるわけには行かないのです」
白堊が攻めこんでくるならば、と。エクスマリアはジャバーウォックへと敢て攻撃放った。白堊をも巻込めばジャバーウォックの攻撃で魔種の疲労も更に蓄積されるはずだ。
(警戒、しなくては、な。白堊を狙うことは、見透かされている――が、『仲間』を、傷付ければ、どの様な行動を取るかは分からない。
怒りで僅かでも精彩を欠く瞬間があれば、逃さず狙い、隙を穿つ……こうしている様も、ラドンに見定められているかもしれないし、な)
それは確かなことなのだろう。ラドネスチタは『お行儀』が良い。体の片側で起る花の番人と妻を追い求める男の喧噪を気にする素振りもなく、のそのそと体を起こしては等しく周囲へと攻撃を行って居る。
方針こそジャバーウォックの短期的撤退だが、ラドネスチタの攻撃が止むわけでは無い。
「アンタを倒せばあのデカブツも帰ってくれるんじゃねぇか? ってことで先にアンタから相手をさせてもらう!」
天川はラドネスチタを一瞥しながらも白堊の元へと飛び込んだ。引き抜いた魔剣。陽光をベースに作り上げた装甲は科学との結合を思わせる。竜の鱗一つを叩ききることをも目的の意識へと置いた。
現時点でイレギュラーズ達がラドネスチタの猛攻に遭っていない理由は別働隊にある。アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)や日向 葵(p3p000366)、ミヅハ・ソレイユ(p3p008648)の三名がラドネスチタの攻撃を惹き付けているからだ。
待っていてくれと頼んでもそうは行かないことをエクスマリアは知っていた。別同隊が惹き付けているならば、その隙を突くしかないか。
「いやはや、急がなくてはならないね。ラドネスチタ。我(アタシ)達にも目的があるから――見定めて、道を空けておくれよ」
朗々と囁きながらも武器商人は白堊に攻撃を集中させていた。フォスが白堊を回収しジャバーウォックと撤退するまでの『時間』を別働隊が稼いでくれている。この僅かな時間でも無駄には出来まい。
(ああ――滅びの時が近い『父』と共に……か。愛しい眷属(コ)を持つモノとしては複雑な気分になってしまうね。
彼と同じ立場なら……少し嬉しいだろうか。寄り添い、死に至る。ただ、それは赦しては置けない。心の底では抗って欲しいと願ってしまいそうだなァ)
長い前髪の隙間から紫苑の瞳を覗かせて武器商人は唇を三日月に吊り上げた。前線へと飛び出していく仲間達のカバーを行なうのが武器商人の役目だ。
出来る限り戦線の維持をし、寄り有利な状況に事を運ばねばならない。
琉珂に会いたくはないと、ベルゼーがそうした素振りを見せた時点で思うことは同じなのだろうかと武器商人はふと、思った。
(愛しいコ達はいつまでも穏やかに、健やかにいてほしい。そう願ってしまうものだから。
故に、先に進みたい。彼の愛するコらがこの先を生きる可能性として――)
武器商人の背後で指揮を行って居るのはマルクであった。全員が白堊の近くに集まり、ジャバーウォックのブレスに巻込むことを考える。
密集している状態ではブレスを全員が承けると見做せば散開する。白堊の攻撃動作の全てをその場で見極めねばならない。額に汗が滲んだのは、極限の状態で青年が仲間達の命の綱を握っているからであった。
対照的であったのは定とЯ・E・D。一方はこの瞬間はこの場の誰裳を圧倒する火力を有し、もう一方はスロースターターだ。ならば、定は飛び出す。
「Я・E・Dさん」
「任せておいて」
白堊とジャバーウォックの双方に、叩き込むのは圧倒的火力。少しだけ本気を出したならば、収縮した魔力が己の身体を蝕むことなど気にも留めてなるものか。
呪殺の紋章が二つ、Я・E・Dの周囲で魔力の燐光を帯びた。叩き込まれた圧倒的殲滅砲。
「Fire――!」
一気呵成に攻め立てる。
魔力の反動に腕に赤一閃。気にする事はない。無理を通さないと、中途半端じゃ認められないことくらい知っていた。
「聞け、ジャバーウォック!! 白堊さん、フォスさん!
琉珂さんだって前に進もうとしてるんだ。琉珂さんだって、ベルゼーを思ってのことなんだ!
ベルゼーが望まなくたって、わたし達は彼に会わなければならない。最後にどんな結末が待っていても、もう目を背けて見て見ぬ振りなんてできない!
だから――だから、それを助けるためなら、虫螻だって竜を泣かせて見せる!」
じり、とジャバーウォックの身に焦げた後を付けた殲滅の光。Я・E・Dが渋い表情を見せるが白堊はその能面のような表情を歪めることはしない。
「白堊」
フォスが白堊の傷を癒やすべく癒やしの光を輝かせる。だが、それだけで『事足りぬ』だけの戦力を此処に集結する。魔種と竜種を相手にするのだ、生半可な覚悟で倒せるものか。
最悪、Я・E・Dはこの三人を命懸けで何が何でも撤退させラドネスチタの事は仲間に任せると決めて居た。そんな『赤頭巾』の傍で定は「僕も格好付けてもいいかい?」とフランクに笑う。
白堊の前に滑り出す。女の蹴撃を受け止めた腕が痛い。痺れが走り、衝撃にびきりと筋が引き攣った。
「ッ、僕らは約束を胸に此処までやってきたんだ」
「わたくしには理解出来ません。琉珂と会いたくはないというあのお方のお心を無碍にするあなた達の事が」
「違う。違うだろ。会いたくないだなんて、逃げているだけじゃないか……!」
定は叫んだ。生きて返ってきてね、という約束が頭にちらついたのは生存本能がざわめいたから。
白堊の攻撃は鋭く青年の肉体を痛めつける。歯列ががちがちと鳴った。恐怖なんて――捨てられるわけがない!
「逃げるなよ! 逃げて良いときと、そうじゃ無いときがあるって事を僕は知ってる。僕だってそうだった! 今は後者だ」
「逃げではありません。ベルゼー様を愚弄なさるおつもりか!」
フォスの叫ぶ声が聞こえたが天川は一瞥し、女を後退させるように剣を振り翳す。白堊とフォスの間に入り込むように身を投じる男に続き紅花が勢い良く焔剱を振り下ろした。
「愚弄しているのは、そちらでしょう。志遠の娘!」
「『焔花』!」
忌々しげに叫ぶフォスの癒やしが白堊へと降り注ぐ。フォスの支援があれど、それを圧倒するだけの火力で応じれば良い。
やれたらやり返す。やれると分かってるなら『その前にぶっ飛ばす』のが煉家の教え。紅花と朱華は連携し、白堊の前へと飛び出した。
「話くらい聞きなさいよ。私達だって、信念を持ってやって来た!
私は琉珂と何処までも歩むと決めたのよ。茨の道だって、岩山だって、ドラゴンの住処だって!」
朱華が大地を蹴った。身を捻って、白堊の傍に滑り込む。巨大な竜は仲間意識がある、白堊とフォスを悪戯に巻込む訳がない――ジャバーウォックとは外見こそ怪物を思わせるが、心根は幼子のようなものなのだ。
「ベルゼー様が琉珂様に会いたくないのならば、なおさら会っていただかなくてはなりませんね。
琉珂様の言いたいことも思いも全部、逃げずに正面から向き合っていただきます。……まあ言いたいことがあるのは私もですが」
ラドネスチタの向こう側で戦う同じ亜竜種達にも言いたいことは山程にあるだろう。コレだけ大がかりに姿を隠したのだ。文句の一つや二つ、拳の一つや二つ、甘んじて受けてもらうしかあるまい。
「あのお方のお優しさを、どうして蔑ろに似しようとするのです。わたくしは、いずれ滅ぶ身。あの方は世界を滅ぼす一角の化身。
ベルゼー・グラトニオス様が、大切にした者を自我ある内に殺してしまうことが、どれ程に滅びへの引き金になるか、お分かりではありませんか!」
「……それでも、彼の権能が暴走すれば領域を飲み込む可能性はある、違うかな?」
マルクの問い掛けに白堊がぐ、と息を呑んだ。『暴食』とはそうしたものだ。今は、軽く何かを腹に入れるだけで満たされるのだろう。
それはアウラスカルトの母である『光暁竜』パラスラディエ――『リーティア』を喰らうた事により暴走を食い止めたという事実があるだけだ。
三百年余りも前の物語。ベルゼーや竜達に撮っては只の思い出話にしかならない、彼の権能の綻び。
彼は竜を愛し、亜竜種を愛し、『ヘスペリデス』という平和を作り上げた。
争いは好まず、穏やかに愛しい者達と過ごす事を求めた彼は、幾人もの冠位魔種が撃破され残る領域を手中に収めるために動き出したのだ。
「『たら』『れば』はお好みではないでしょう」
「ああ、話しても無意味、だ」
エクスマリアは白堊の言いたいことを理解していた。
沙耶の柘榴の色の動向が収縮する。ジャバーウォックの攻撃を真っ向から受け、肉体の軋みを感じながらも尚も立ち上がる。
「一つ、聞いて遣っても構わない」
「もしも――もしも、イレギュラーズが『滅びに抗うことがなかったら』、あの方は覇竜領域で穏やかな滅びと共に過ごしておられたでしょう」
「愚かしい話だ」
沙耶は血を拭ってそう呟いた。武器商人とて理解する。ベルゼーの言う平和とは仮初めだ。抗うことも出来ず、緩やかに滅びを待つだけである。
それが今生きる者達の死後、遠い未来の話であったか、近未来的な話であるかも判別はつかない。『過去』は変わらないのだから。
「もしも……もしも、『冠位魔種が敗北していなかったら』、あの方は深緑や練達を襲わなかった」
定は奥歯を噛んだ。パフォーマンスであったのだ。ベルゼーは大切なモノを天秤に掛けて、覇竜領域をとっただけに過ぎない。
「もしも――もしも……琉珂が此処に来ていなければ……わたくしたちだって、あなたたちを殺さずに済んだ」
白堊の眸からほろりと涙が落ちた。刹那、周囲を包んだのは白堊諸共巻込んだジャバーウォックの竜の息吹であった。
●
心優しい冠位魔種。男が『人ならざる存在』であることを知っていた。それはリーティアも、前代のザビアボロスも、今代に生きる天帝種だってそうだった。
彼の権能の綻びは、暴食という抗いがたき欲求のためにある。男の腹は無尽蔵に周囲を喰らう。だが、権能の暴走にもいくらかの段階があるのだと男は告げた。
自らで抑えられるモノであれば権能を開放し僅かに腹を満たせば、ある程度の時間稼ぎができよう。
暴走を始めた権能はそれなりのモノを喰らえば消化するまでは時間稼ぎができる――だが、箍が外れれば国をも飲み込む程になる。
怯えるモノも居たが、男の優しさに触れてきた竜達は彼に同情した。どうしたって、彼を殺したくはないと願うモノも居た。
故に、リーティアは彼に喰われ、彼へと僅かな時間を与えたのだ。
白堊の云うことは尤もなのだろう。
冠位魔種が動き出すことを決めなかっ『たら』。世界が滅びの瀬戸際でなかっ『たら』、彼は今も平穏だった。
イレギュラーズが滅びに抗わなかっ『たら』。イレギュラーズが冠位魔種に敗北してい『たら』、彼が冠位魔種だと愛しい亜竜種に知られることも無かった。
それは彼等側の事情であるとマルクは知っている。マルクを庇う武器商人とて察して居た。
「赤ずきんはそろそろだね、どうする?」
「もう少し耐えなくてはならない」
マルクに武器商人は頷いた。回復手、戦場の要。彼を庇う自身とて疲弊しているのは確かだ。
滅びに抗わず、来るべき日を待つことなど言語道断だ。人の世に、その様な未来は必要ないのだから。
(あちら側でラドネスチタを引き寄せてくれている間に白堊とジャバーウォックをどうにかしなくてはならない……。
白堊も満身創痍だけれど、フォスが回復しきれないと思わせるまでこちらは攻めなくてはならない!)
マルクの視線を受け、紫琳が頷いた。ジャバーウォックが攻撃を躊躇っていたが打ってきたという事はそうしなくては撤退の時が近いという事だ。
「小細工、小手先、良いではありませんか。使える全てを積み重ねて押し通らせていただきます。
その奥にいる『貴方の友』に会うために、私たちはここまで来ました。誰一人として諦めるつもりはありませんので、そのおつもりで」
眼鏡のブリッジに手を添える。紫琳の周辺に氷の礫が産み出された。白堊に急接近した書架守の娘は大型のライフルを振り回す。
その名を『支配者』。闇のドラゴンロアを有する娘は長いアメジストの髪を揺らし白堊を真っ向から捉える。
「あの方は素晴らしい方なのでしょう。慕う方が山程居る。けれど、止るわけには行かないのです」
紫琳と距離を取るように白堊が勢い良く蹴り上げる。腹を目掛けた中段蹴り。その脚を目掛けて飛び込んだ朱華が「こっちよ!」と声を上げる。
「煉家の剣は姉様だけじゃないんだから!」
焔を纏った、象徴武装。それは『煉』という家に生まれた一人の娘が漸く手にした自らの存在意義。
灼熱を纏った剣を受け止めた白堊の膚に僅かな後が残る。バランスを崩したかと思えたが、勢い良く下から蹴り上げる女は身を捩りラドネスチタの体を足場に跳ね上がった。
「フリアノンは恵まれています。けれど、その恵みも何方からの頂き物であるか――!」
「可笑しな事を言わないで。ベルゼーなら『皆で為し得た』とでもいうでしょう? 貴女がその在り方を否定するの?」
「……っ」
朱華が睨め付ければ白堊が僅かに止った。その隙だ、天川が勢い良く太刀を振り上げる。白堊の脚を小太刀で受け止め、カウンターとして叩きつけた一刀。
「ぐっ」
「もういい加減帰ってくれてもいいんだぜ?」
至近距離で女を見据えた天川は白堊の瞳に僅かな揺らぎを見詰めた。一度身を立て直そうとした女の前に沙耶が滑り込む。
粘り強く、彼女の行く手を遮るならば、攻撃が無数に降り注ぐ。
「ッ――ラドネスチタを護るのか? ベルゼーを護るのか? 滑稽だ、それっきりでは何も為せない!」
「……わたくしたちが本気になれば、一捻りできるのに」
「一つ問題点を指摘してやろう。本気ではないからだ。『殺してはならない』とその言葉が足枷になる」
沙耶はイレギュラーズが立っていられる理由を知っていた。
白堊も、ジャバーウォックも『これ以上は無理だ』と恐怖でイレギュラーズを支配して退かせることが目的なのだ。
武器商人の指先が宙を描けば、蒼き槍が流星の如く天を裂いた。報復の乙女の怒り、乙女の微笑みは全てを串刺しにして捉えては放さない。
ああ、やはり――『彼』とは優しいのだ。自身達を殺さぬように気配っている。その足枷は嘸重たいものであろう。
「ベルゼーは琉珂さんの父親代わりだったんだろう?
父親が娘から逃げんなよ、会って話して空腹は満たされなくても、腹を割って話せば心はそうじゃないかも知れないだろう!
竜のあんたたちにだって分かるはずだ。
孤独でも、孤高でも、誰かに優しくされたら嬉しいから。だからこうして!今そうしてくれたそいつの為に僕達と戦ってるんだろう!?」
「ッ――」
白堊が息を呑んだ。
「それと同じだ。僕達は僕達の信じるようにするんだ。諦めが悪いんだぜ、人間ってヤツはさ!」
定が血を拭う。大地を蹴って白堊へと殴りかかる。拳が、重たい。
「それ位、分かって居るのです。分かって居るからこそ!」
「そうだね、ごめんね、でも私達も止まってはいられないんだ」
瑞刀の中に込められた宵闇。神威の守護に包まれながらけがれの詛いと獣性を内在しているはずのその刃は澄んだ『彼女』の加護を思わせた。
友と呼んだ穏やかな止まり木。シキにとっては永遠とも呼べるような、途方もない時を黄泉津と共に生きている神霊から得た術式を刃に宿らせる。
祓い給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え――君の加護と共に。
遠き行き先をも照らす、一閃を。
大車輪に咲むが如く、シキは白堊に一閃を投じる。
「さあ、そろそろ、『父』に伝えてはくれないかな? 我(アタシ)達は諦めが悪そうだってねェ」
柔らかな銀の髪が揺らいだ。武器商人の笑みが、恍惚なる気配を宿す。
獣はたおやかな肉を裂いて喉笛をも噛み千切る。その獰猛なる気配が白堊へと迫る。武器商人が攻勢に転じるように指示したのはマルクだ。
「いいのかい」と問われれば「構わない」とそう答える。
――例え仲間が倒れたとてマルクは冷静さを保つと決めて居た。例え追い詰められたって、指揮官は冷静でなくてはならない。
知恵と勇気。それは臆病者であった青年が勝利に届き得る唯一の武器。
マルク・シリングは人間だ。獣でなければ、神でもない。ただの、人だった。人間の持ち得る武器は、此処にある。
誰を生き残らせれば良い?
自分を捨て駒に出来る?
応えは、とっくの昔に決まってただろう――?
「後は、頼むよ」
「……、マルクさん!」
唇を噛んだ定はマルクを背後に押し遣った。紅花がその体を護ってくれている。
吹き荒れた輝き、祈るような光が青年の身体を前へ、前へと押し遣っていく。
「父親の願いを叶えてやろうだなんて、随分と殊勝じゃないか……!
でも、お兄ちゃんなら妹のことも考えてやるべきだぜ。退いてくれ、退けよ! お前の目を『もう一度』抉らなきゃならないだろ!」
定が奥歯を噛み締める。竜二匹がキツい? 撤退しろ? 『はい、分かりました』で諦めるならこんな所、来ちゃ居ない!
太陽と月の廻り、眠り姫を起こすのは『王子様のキス』ではなくて、諦めの悪さだ。
――兄、愉快なことを言う!
人間など虫同然だと叫んだジャバーウォックは余力を残している。だが、斯うした竜だから『分かり易い』。
Я・E・Dが奥歯を噛み締める。傷みを堪えて、叫ぶ。いけ、と。
あの竜は、人間如きに手痛い一太刀浴びせられたならば苛立ち退くだろう。此処が死に場所でないと知っている。フォスも、白堊もそうだ。
「滅びに抗うのをやめたって言うならそれでいいさ。
でも、諦めを人にも強いるなよ! ――僕達が見せてやる、滅びの先にある未来ってヤツを!」
定の一閃がジャバーウォックに叩きつけられた。白堊の鈍い叫びが上がる。
フォスの癒やしが周辺に降り注ぎ、彼女が「仕方在りません」と囁く声だけが聞こえていた。
●
向き合ったならば、どれ程に強大なる竜であるかがわかる。
エクスマリアの喉がごくり、と鳴った。それでも、彼は『将星種』の中で特に秀でた存在であるだけに過ぎない。
比べるのも烏滸がましいのだろう。あの、海で出会った『神代』の竜とは――
「マリアたちは、あの『青』に挑んだ。あの『青』を越えた――今更、この程度の『黒』になど、折れて、堪る、か……!」
面白いとラドネチスタの周囲に黒き瘴気が広がった。身構えたエクスマリアの瞼が咄嗟に落とされたが、直ぐにこじ開ける。
その眸が捉えたならば――逃しはしない。蒼き魔剣は、死線を作り出す。『魔瞳』による、剣技の模倣。
魔力の刃を放つエクスマリアはラドネチスタを向き合っている。
ジャバーウォックは『一度』ならず『二度までも』同じくして一太刀浴びせられた為か非常に不機嫌であった。
上空にまで飛翔していくジャバーウォックを見送ってから天川がその死線をラドネスチタへと向ける。
「お前らがただただ嫌な奴らであってくれりゃあこっちもやりやすいんだがなぁ! ここは退いてくれねぇか!? 駄目なら押し通るまで!」
――人のことは難儀なものだ。善悪を比べ、なまくらを振るうのだ。
「なまくら、そうだね。人の心は不可思議だ。
……だって、この場の誰もベルゼーの事を嫌ってやしないんだ。白堊やフォスや今回戦う2匹の竜達だけで無く、琉珂やわたし達だって」
傷だらけのЯ・E・Dは唇を震わせた。
此処に居る者を斃したいわけではない。飛翔していくジャバーウォックと怪我を負った白堊に『最期』を狙わないのだってそうだ。
Я・E・Dは先に進みたい。琉珂をベルゼーに会わせたい。自分だって、彼と話したい。
「ラドネスチタ、私達イレギュラーズの力、侮ってはいけないぞ?
黄昏の地を目指し、そしてベルゼーを目指し、ひたすら歩み続けるために努力してきたのだからな!」
ふふ、と唇を吊り上げ笑う。傷だらけ、立つだけでも必死だ。博を前にして、只管に粘り強く戦った彼女は武器を振るう事は出来ないが、決意だけで此処に立っていた。
武器商人は仲間達をサポートし続ける。攻勢に転じ、今為すべきは継戦ではなく最もダメージを効率よく与える事だ。
沙耶の瞳はもはや黄昏の地だけを目指していた。ラドネスチタを越えれば良い。白堊を押し止めることに注力していた彼女は、ラドネスチタには同じ先鋒は必要ないと知っていた。
――主等はこの先に待ち受ける死を越えんとするのか。
「死? この私一人退けられないのにか」
沙耶の瞳が、ぎらりと輝いた。邪道の極みたる殺人剣。
鱗に叩きつけられたのは幾つものカードを繋ぎ、剣に見立てた『怪盗』の武装であった。
「君が見定めてくれるなら全力で戦うよ。だから見てて、私がどんなヤツかってのをさ――代わりに私にも君のことを教えてよ!」
シキが大地を蹴った。知りたい事ばかりだった。けれど、彼はその体で教えてくれていたのだろう。
ベルゼーという存在がどれ程に大切であるのかを。
彼が、この場を護り続けて居るのはベルゼーの為に『立ち入る者を振るいに掛けている』ということを。
(この先に進むことが命を失いかねないというならば、その覚悟はとっくの昔に出来ている!)
沙耶は奥歯を噛み締めた。それは、誰もが同じだ。
「言っただろ、エンジン掛かるの、遅いんだよ」
定が走る。武器商人が振り返れば朱華が頷いた。
「この先に行かなくちゃならない理由がある! 私は、進むと決めたのだから!」
足りない力は、想いで。振り絞れ、叫べ。喉が裂けても良いほどに。
傷付いたって前に進もう。虫けらが竜に手を届かせる奇跡を――世界に書き込むために、ただ、心からの声を響かせるのだ。
Я・E・Dはなまくらとラドネスチタが笑った攻撃を『声』と思いに変えて叫んだ。
「それが貴方達の愛だって事は、わたしだって判ってる!!
――けど、命を賭ける覚悟があるのが、自分達だけだと思わないで!!」
ひゅ、と息を呑む音がした。悲痛な表情をしたフォスが見える。
「ジャバーウォック、あちらへ」
促す女の言葉に従ってジャバーウォックはラドネスチタの体を乗り越えた。
「おい! ジャバーウォック! 次こそは借りを返す! 今度会った時は思い切り遊ぼうぜ!」
天川が叫べば尾だけが揺らいだ。非常に不機嫌なジャバーウォックはフォスに従って上空から彼女の声を届けるのだろう。
「た、倒した……?」
ふらつきながら、朱華が座り込めば紅花が「朱華ちゃん!」と彼女を抱きすくめる。
姉の愛情を一身に受ける末妹はぱちくりと瞬いてから「ねーね」と彼女を呼んでふにゃりと笑みを浮かべた。
「疲れたな……。帰ったら先生誘って飯でも行くか……」
嘆息して煙草を燻らせた天川の傍で定がへたり込む。紅花に支えられてやって来たマルクは「向こう側が見える」と呟いた。
「花畑……?」
「遺跡のようなものもありますが……あれは適当に組み上げた岩のようにも思えますね……?」
朱華と紫琳が顔を見合わせれば、エクスマリアはぽつりと言った。
――ヘスペリデス。
ベルゼーが作り上げた黄昏の地の名前を。
「ここが、彼の終の棲家……?」
Я・E・Dは呆然と見遣る。あの鬱蒼と茂った森とは対照的な美しい花園だ。
「まるで、天国……とでも言うべきか。そうした場所があるならこんな場所を言うのだろうな」
傷の応急手当をして居た沙耶に武器商人はゆるゆると頷いた。
屹度、己を愛してくれた『子供(コ)』達にせめて最期の祝福を与えんとして作った黄昏の花園『ヘスペリデス』
その美しさを眺めてから武器商人は実に遣る瀬ないのだと肩を竦めた。
フォスによる停戦命令が出てからラドネスチタは瘴気の気配を失せさせて身を丸めて佇んでいた。
「はッ――、私はね、君の瘴気がどんなに濃くったって怖くなんかないからね!」
シキは笑みを浮かべる。フォスによる撤退勧告を受けてからもラドネスチタはその場所から動かず佇むだけだ。
掌を添えてから、シキは笑って見せた。
ベルゼー・グラトニオスが『彼』にしたように。
――お前はその外見から化け物だと竜達の中でも疎まれてきたのでしょう。それが勘違いだと私が教えましょう。
知らぬ者が近付けどもお前は牙を剥くことさえしなかった。その素晴らしいこと。私は敬意を示しましょう。
だからこそ、彼を愛したのだというようにラドネチスタはゆっくりと顔を上げた。
己がこの小さき者達に敗北した訳ではない。だが、左右よりの攻撃を経て、その覚悟は良く分かった。
――あの者に、殺されてくれるな。
ラドネチスタは言う。緩やかに顔を上げたエクスマリアはその藍玉の眸で竜を眺め、頷いた。
彼はこの地の番人。黒き瘴気を撒き散らす黄昏の門番。
その役割は、黄昏の花園を護るだけではない。
唯一、己を怖くはないと笑ってくれた怖い物知らずの『滅びの化身』の心を一つ護りたいというエゴだったのだろう。
成否
失敗
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
ラドンは未だ健在ではあります。ですが、皆様の熱意はよく伝わった筈です。
MVPは戦場の要でした。お疲れ様です。
名声はHard基準に加算を行なっております。
それでは、ヘスペリデスにて、お待ちしております。
GMコメント
●目的
・『狂黒竜ラドネスチタ』の撃退
・ジャバーウォックの撃退
●『狂黒竜ラドネスチタ』
通称をラドン。ベルゼーの友とも言える存在です。
人間から見れば巨大な竜です。この一体を包み込むほどの黒き瘴気をその身から発します。
その黒き気配は人の体には悪影響を与えます。不調・不吉系列のBSの他、その種別が変化する可能性もあります。
極めて堅牢で、極めて巨体であるために左右からの作戦となります。当シナリオは【左側】です。
連動する双方のシナリオでの竜種へのダメージ及びBS付与は共有されます。
オールレンジ対応の攻撃性能を有しています。身は重たく、回避性能は低い様子ですが特殊抵抗も高いようです。
自らが実力を認めた場合は戦闘を中止します。が、ジャバーウォック君と……白堊さんがとてもお邪魔ですね。
●『怪竜』ジャバーウォック
その『怪竜』の名に似合う悍ましい竜です。強大な存在であり、巨体だけではなく鋭き爪や牙も目立ちます。
ベルゼーを父と呼んでいます。イレギュラーズを躯を傷付けた虫けらとして忌み嫌っています。
知性を有しますがその言葉は不可思議なことも多く、聞き取れたとしても人間的な倫理観などは伝わりません。
彼にとっては人など虫けら同然であり、それらが何事かを言っていても踏みつぶせば終わりだと認識しています。
闇の属性を身に宿し、その攻撃方法は『観測されていただけ』である為に全容が計り知れません。
極めて堅牢かつ、凶暴性が高い竜です。高いHPを有し、再生能力なども備えているでしょう。
その巨大さから攻撃方法は範囲攻撃が中心になり、ブレスには注意して下さい。
フォスと白堊に「無理をしてはあの方が心配なさる」「父祖様を悲しませるおつもりか」と叱られるため、二人の指示で撤退します。
●フォス
本名を志・礼良。ピュニシオンの森の『志遠の一族』の直系の娘です。
ベルゼーの傍におり、ジャバーウォックと共に姿を見せました。
どうやら、ベルゼーが「皆に来て欲しくない」と願うため、足止めをする目的のようです。
様子を見る限りヒーラーです。
無茶をする白堊&ジャバーウォックのストッパーの役割です。白堊はジャバーウォックのことしか考えて居ませんが、フォスは白堊の蓄積ダメージ次第では両者を連れて撤退を考えて居ます。
●白堊
フリアノンの出身。里長代行を担う瑶家の娘。本来ならば珱に嫁ぐ家系でしたが琉珂が女性であったため、破談となりました。
琉珂の遊び相手でもあったベルゼーに仄かな恋心を抱き、彼に付いて回っていました。
嘗ては『婚姻の約束があった娘』であった為、腫れ物扱いをされており、未熟な恋心を抱いていた白堊はベルゼーと共に姿を消し――今は、皆さんの前に現れました。
ベルゼーの願いのためならば自らの身を削ることも厭いません。ジャバーウォックと共に此処で足止めを行なうつもりです。
様子を見る限りアタッカーです。果敢に責め立ててきます。
●同行NPC
『焔花』煉・紅花(れん・くれない)
朱華(p3p010458)さんの姉。フリアノンの戦士団の団長。煉家の流儀は『やられたらやり返す』。
焔の剣術を駆使します。非常に優美な女性ではありますが、戦闘に至ると途轍もなく苛烈に戦います。
何かがあった際は母・真朱より「イレギュラーズと里長を生きて返せ」と言われている為に盾ともなります。
●参加の注意
当シナリオは同時系列で運用される連動シナリオとなります。
・『<ラドンの罪域>黒蝕の翼』
・『<ラドンの罪域>滅影の牙』
上記シナリオとは同時参加は出来ませんので予めご了承下さい。
●情報精度
このシナリオの情報精度はEです。
無いよりはマシな情報です。グッドラック。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
Tweet