シナリオ詳細
ゴメズ・アスティンの不幸な日。或いは、糾える縄の実証…。
オープニング
●心を蝕む
青い空に、子どもたちの笑い声が響き渡った。
ところは幻想。
貧しいながらも平和な町、アンヘル。
今日は月に1度の礼賛日。
人々は、遥か昔に町を救った英雄へ感謝の祈りを捧げては、今日の平和を噛みしめる。
町にとって非常に重要な意味を持つ定期行事であり、また子どもたちにとっては、待ちに待った“お楽しみ”の日となっている。
なぜなら、礼賛日になると子どもたちには暖かくて甘いレモネードが振る舞われるからだ。
娯楽の少ないアンヘルでは、甘味は非常に手に入りづらい。
そんな現状を憂いた事業家、ゴメズ・アスティンが、礼賛日ぐらい子どもたちに幸せを享受してもらおうという想いから、数年前にレモネードの提供を開始したのが始まりだ。
依頼、礼賛日にはレモネード、という認識はアンヘルの住人にとって至極当然のこととなっている。
「……と、いうのが表向きの顔っす。さて、表があれば裏もあるのが当然っすよね? ほら、よく言うでしょう? 悪党は善人面して近づいてくるって」
声を潜めてイフタフ・ヤー・シムシム(p3n000231)はそう語る。
アンヘルの町から少し離れた水車小屋の一室で、イフタフは3人の女性と相対していた。
「はぁ、つまり……そのゴメズさんが実は悪党なんで、サクっと殺っちゃってってことでごぜーますか?」
殺っていいならやりますが……と、腰の刀に手を伸ばしてピリム・リオト・エーディ (p3p007348)は問いを返した。
視線はぼうとしているし、身に纏う雰囲気からは殺意や戦意を感じ取れない。
しかし、例えばここでイフタフがひと言「GO」と言えば、ふらりと出て行き、ゴメズを斬って捨てるであろうという確信染みた気配は感じる。
暴力をふるうには、相応の資質が必要だ。
いきなり通りで見知らぬ誰かに殴られて、即座に反撃できる者など実際のところそう多くはいないのだ。多くの場合は驚愕するか、怒りに任せて怒鳴りつけるか、となるだろう。
ところが、世の中にはそうでない者もごく稀にだが存在する。
殴りつけられた際、反射的に相手の顔面に殴打を叩き込めるような類の人間がいるのだ。そこに怒りや驚愕、恐怖といった感情は介在せず、ただ「やられたからやり返した」という昆虫のそれに似た本能だけがある。
「あ、待って待って。話は終わっていないっす。ほら、善と悪の2択で割り切れるほど、人間ってのは単純に出来ていないじゃないっすか?」
「善悪? なんですそれー? 人の性に善も悪もないですよー? あるのは欲と本能だけでごぜーます」
「ピリムさんの常識じゃそうなんでしょうね。まぁ、私も人の本質は悪だってのには同意するっすけど……まぁ、そう思ってない人もいるんっすよ。暴力的な欲望を抑えることが美徳だって宣う人たちっているでしょう?」
「んー……欲に素直になれないなんて、カワイソーですねー」
理解できない、という風にピリムは小首を傾げてみせた。
と、そこで苛立ったようにヘルミーネ・フォン・ニヴルヘイム (p3p010212)が、床を尻尾で強く叩いた。衝撃で風が巻き起こり、積もった埃が舞い上がる。
「話が長いのだ。つまり、ゴメズとやらは何者で、ヘルちゃんたちは何をすればいいのだ?」
舞い上がった埃を長い髪に付着させ、ヘルミーネはぐるると唸ってみせた。
若干、ヘルミーネから距離を取りつつイフタフは口の中でもごもごと言葉を転がす。
「有り体に言ってしまえばゴメズさんは殺人鬼っす。そして、依頼の内容はゴメズさんに殺人を止めさせること。あぁ、依頼人は昨年までゴメズさんに仕えていたおじいさんっすね」
老爺曰く、ゴメズの凶行に気がついたのは彼が慈善活動を開始した数年ほど前のことらしい。
時折、人目を憚るように町へと出かけるゴメズの後を追ったところ、彼はその現場に出くわした。
アンヘルから少し離れた小川側の水車小屋……つまり、今現在イフタフたちが居る場所だが……で、ゴメズは浮浪者を襲い、その喉を刃物で掻き切ったのだという。
その時のゴメズは、涙を流しながら愉しそうに人を殺していたそうだ。何度も何度も、首が千切れて落ちるまで、息絶えた浮浪者の喉を刃物で斬り付けた。
笑いながら、泣きながら、嗚咽を零し、嘔吐しながら、それでも喉を抉る手だけは止まらない。
その様を見た老爺曰く、まるで悪魔か何かに憑かれたようだった、とのことである。
つまり、その夜のゴメズの様子は、とても正気とは思えなかったのだ。
「脳が震える程の快感と、罪悪感や殺人への後悔の板挟み……かしら? 確かに快楽と道徳の乖離は言葉で縛れるものではないわ」
肩を竦めてロレイン (p3p006293)は呆れたような吐息を零す。
ちら、とその視線が天井の片隅へと向いた。
埃と黴に塗れた天井には、よくよく見れば赤黒く乾いた染みが残っている。おそらく、かつてこの場で犠牲になった何者かの血液なのだろう。
快感と苦悩の二律背反。
やめたくてもやめられない……暴力による快感は、長い年月をかけてゴメズの脳と心を侵した。
例えるのなら、それはまるで身を蝕む煙草の煙に似ているだろうか。
●二律背反の先
「殺人をやめさせることが依頼というのは理解したのだ。依頼だから努力はするけど、どんな事情でも人殺しは人殺し。許さんのだ」
侵した罪には相応の罰が与えられて然るべき。
ふん、と鼻息を荒くしてヘルミーネは小屋を出て行こうとする。きっと、今すぐにでもゴメズの屋敷へ殴り込みをかけるつもりなのだろう。
「待って。お話はまだ終わっていないわ」
「うきゃん!?」
ヘルミーネの尾を掴み、引き留めたのはロレインだ。
依頼の内容は把握した。
引き受けることに否やは無い。
けれど、情報が不足している。
イフタフの話はまだ終わっていないことを、ロレインは正しく理解していた。
「知っていることは全部教えてもらえるのよね? 必要なのは本拠地の間取りに、組織の規模、ターゲットの能力よ。作戦はこちらで考えるとして……さて、情報屋さんは、どれぐらいまで調べが付いているのかしら?」
背中に担いだライフル銃を手に取ってロレインは問うた。
確実に仕留めるのなら、ターゲットの至近に迫るのが何よりだ。
しかし、脅しをかける程度でいいなら、ロレインが適当な場所から鉛弾の1つも射かければそれで済む。
もっとも、ゴメズが脅し程度で凶行をやめる男のようには到底思えないが。
「その辺もこれから説明するっすよ。えーと、まずはどこから話そう……」
「ちゃちゃっと行って斬って来ればよくねーですか?」
「……話が進まなくなるんで、とりあえず話を聞いて欲しいっす」
口を挟んだピリムを黙らせ、イフタフはコートのポケットから町の地図を取り出した。
道路や家屋、公園内の溜め池に、町の中央にある時計塔までが細かく描き込まれた地図だ。しかし、町の中央付近のある一角だけが、白く塗りつぶされている。
「ここがゴメズさんのお屋敷兼仕事場っす。半径200メートルほどの広い敷地で、周囲は塀に覆われているっすね。塀の内側の様子や建物の間取りは不明っすけど、本邸と別邸、社屋を含めた3つの建物があるって話っす」
塀の出入り口は正面に2つ。
そして、裏にもう1つ。
正面入り口のうち片方は、社屋で働く従業員の通用口、もう片方はアスティン一家のみが利用を許されたプライベートゲートとなる。
さて、裏口の出入り口はと言うと、そちらは正面のそれに比べて2~3倍は大きなものだ。物資の搬入や馬車の出入りのために設けているものらしい。
「家族は妻と2人の娘。父の仕事を手伝っていることもあり、妻であるレティシア・アスティンとゴメズは多くの場合、一緒に行動しているとのことっす」
ちなみに、その間2人の娘は本邸か別邸にて、使用人たちと過ごしている。
「そして、本人の技能についてですが……こちらを確認してもらいたいっす」
ほら、とイフタフが手渡したのは、ゴメズの経歴が記載された紙片であった。
しかし、不自然なことに23歳より以前の経歴がすっかり空白になっているのだ。
「消したい過去があるってことっす。でも、過去を無かったことにすることは誰にも出来ないっす。私の調べによると、ゴメズさんは23歳まで“アンヘル教”のアサシンとして活動していたってことらしいっす」
アンヘル教とは、幻想の都市“アンヘル”に根を張ったごく小規模な宗教団体の名前だ。
町を救った英雄アンヘルを神の使いとして崇め、平和と救済に尽力する組織……と広く認知されている。もっとも、長い歴史の中で教団は何度も分裂の危機を迎えた。
その際、政敵を討つべく運用されたアサシンの1人が、後のゴメズというわけだ。
「今ではすっかり年を取っていますし、ストライプのシャツとスーツを着こなす伊達男って見た目ですが、昔取った杵柄とも言うっすからね。相応に腕は立つものと思ってほしいっす」
また、アンヘル教のアサシンには1つの得意な技能が伝わっているという。
それは、他者の技能や技を奪い取るというものだ。
そのため、これまで多くの者を殺めたゴメスは多彩な技や技能を身に付けていることが予想される。
例えば【致死毒】【ショック】【塔】【呪い】【致命】与える斬撃。
例えば、一時的に自身の機動力や反応速度を上昇させる体術。
例えば、壁をすり抜け、宙を舞う魔術。
そういった技をゴメスはここ20年の間、ただ己の快楽にのみ使用してきた。
「とまぁ、これが私に調べられた情報っす。ここから先は皆さんの仕事ってことでいいっすよね?」
- ゴメズ・アスティンの不幸な日。或いは、糾える縄の実証…。完了
- GM名病み月
- 種別リクエスト
- 難易度-
- 冒険終了日時2022年02月28日 22時05分
- 参加人数6/6人
- 相談8日
- 参加費150RC
参加者 : 6 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(6人)
リプレイ
●真夜中の襲撃者
ゴメズ・アスティン。
平和な街、アンヘルに住む事業家の名だ。
毎月ごとの礼賛日には、街に住む子供たちへレモネードを振舞うなど、近隣住人からの評判も良い。
それこそ、町の中央にある時計塔のすぐ付近に広い土地を買うことを大人たちの誰もが賛同するほどだ。
しかし、表があれば裏があるのが人間だ。
慈善活動の傍ら、ゴメズが大勢の人間を殺害した連続殺人犯である。
1つ、勘違いしないでもらいたい。ゴメズだけが、そうなのではない。人間の性が、そうなのだ。善人であれ、時に悪辣な思考に身を浸すこともある。悪人が、時に善なる所業を行うこともある。
善と悪と、どちらもが人の本質だ。
ゴメズは偶々、悪の方に針が振り切れてしまっただけというわけだ。
夜の静寂に錠の開く音。
ギィ、と重たい音を立てて大きな扉が僅かに開いた。
ゴメズの屋敷の裏口。馬車や物資の搬入口だ。
「……まずは本邸か、別邸か……どっちか灯りが多い方を目指すべきだな」
鍵を開けたのは背の高い女性だ。
彼女の名は『悪しき魔女』極楽院 ことほぎ(p3p002087)。足元に転がる門番らしき男の身体を蹴り飛ばし、端の暗がりへと押しやった。
ゴメズ・アスティンは悪党だ。
そして、悪は裁かれるのが世の常でもある。
しかし、ゴメズの家族や使用人は悪人ではない。彼女たちはゴメズの悪事を微塵さえも知りはしない。
「ねー、門番さんは殺っとかなくてもいーんですかー? 起きて騒がれたら面倒じゃないですかねー?」
「……放っておくのだ。迅速に依頼を達成するのが優先なのだ」
しゃらり。
腰に下げた刀を抜く『《戦車(チャリオット)》』ピリム・リオト・エーディ(p3p007348)を、『呑まれない才能』ヘルミーネ・フォン・ニヴルヘイム(p3p010212)が呼び止める。
ターゲットはゴメズ・アスティンただ1人。
しかし、依頼の達成に必要な犠牲は許容されている。
たとえそれが、彼の悪事に加担していない善良な一般市民であったとしても……。
「よぉ、もたもたしてんなよ。よほどに忙しいのか、まだ建物には灯が付いてる。ゆっくりしてちゃ見つかっちまうぜ」
暗闇の中から声がする。姿は見えないが、その声は『血反吐塗れのプライド』百合草 瑠々(p3p010340)のものに違いない。
一瞬、瞳に僅かな苛立ちを灯したピリムだが、刀を納めて歩を進めた。
行動は迅速に。
標的は速やかに。
それが暗殺の鉄則だ。
まず一行が向かった先はゴメズや家族の暮らす邸宅だ。
「欲望と倫理の二律背反、しかしゴメズ、貴方は苦悩しながらも欲望を満たしてきた。当然、報いはいつか訪れると予想出来てたはずでしょう」
ことほぎが開けた裏口から、音も無く家屋へ侵入を果たしたロレイン(p3p006293)は、壁に飾られている家族の写真を一瞥し、そんな言葉を口にした。
優しそうな父と母、幸せそうに笑う2人の娘たち。
在りし日の幸福な家族の団欒。
けれどそれは既に過去の出来事だ。
家族が揃って笑える日は、今日を限りに二度と無い。
ドレスルームの片隅で、メイドが1人、腹を押さえて蹲る。
その前に立つ『影の女』エクレア(p3p009016)は、折れた剣を手に言葉を紡いだ。
「ゴメズ・アスティン。彼は立派な男だよ。宗教に心酔し、自分の思う儘に人を殺めた。それでも君は悪事から足を洗って所帯を持ち、実業家に励みながら孤児を支援する……うーん、素晴らしいじゃあないか」
ねぇ?
そう問いかけるが返答は無い。
メイドの喉には刃が触れているからだ。
瞳一杯に涙をためて、必死に悲鳴を堪える彼女へエクレアは冷たく微笑んだ。
●罪には罰を、殺人鬼には鉄鎚を
従業員に見送られ、ゴメズとレティシアは帰路に着く。
同じ敷地内にあるとはいえ、社屋から邸宅までは距離がある。夕食の時間には間に合わなかったが、2人の娘はまだ起きているだろうか。それとも、待ちくたびれて眠ってしまっているかもしれない。
「今の仕事がひと段落したら、数日ほどまとめて休暇を取ろうか」
ふと、思いついたという風にゴメズは言った。隣を歩くレティシアは、手を打ち鳴らして「良い考えね」と微笑みを浮かべる。
静かな夜だ。
この時間になると、従業員の大半は既に家路に着いているし、使用人たちも宿直の担当者以外は帰宅している。
ゴメズとレティシアにしても、帰宅後はすぐに食事と入浴を済ませてベッドに入る予定だ。もうじき、次の礼賛日が訪れる。アスティン家の振舞うレモネードを楽しみにしている子供たちを、がっかりさせるわけにもいかない。準備は入念に進めなければ。
なんて、子供たちの笑顔を思い浮かべたゴメズはふっと口元をほころばせる。
けれど、次の瞬間には何かを堪えるように悲し気な目をしていた。
「ゴメズ? どうかしたの?」
「あぁ、いや……皆が息災であればいいと思ってな」
「……件の連続殺人鬼ですね。恐ろしい話です」
子供に被害が出ていないのが救いと言えば救いでしょうか。
暗い顔をしてレティシアは呟く。
人の命が失われて、救いも何もあったものではないけれど……しかし、2人にも娘がいる。一般市民も、貴族も、事業家も、人の親の考えることは皆同じ。我が子の無事と、健やかな人生だ。
「せめて、皆が少しでも笑顔になれるように……うん?」
「ゴメズ?」
言葉を止めてゴメズは鼻をヒクつかせた。
顔色が悪い。
そして、その瞳は鋭く冷たい。
「レティシアは隠れていなさい。詳しい説明は後でする」
物置小屋へレティシアの身体を押し込んで、ゴメズはそっと扉を閉じた。
それから彼は、音も無くその場から姿を消す。
「血の臭い……何があった?」
囁くように呟くゴメズの鼻腔には、まだ新しい血の臭いが染み付いていた。
目隠しと猿轡で拘束された娘が2人。
悲鳴も上げられずに振るえる2人を、瑠々とヘルミーネが拘束している。
「お嬢様たちを離しなさい!」
包丁にフライパン、武器としてはお粗末なそれを構えたメイドが3人。震えながらも、こちらへ敵意を向けている。
娘2人を人質に取って、ゴメズの居所を聞き出すつもりが、とんだ時間のロスである。
「なぜ庇う? 彼は殺人鬼だよ? それも殺人に快楽を覚えている類のね。まぁ、そんな事はどうでもいいんだ、確かなのは彼は“二度目”の過ちを犯したという事実」
「吐かないと、こんな様になりますよー。って、分かってないわけじゃないですよねー? もっとも、どちらにせよことが済んだら始末しますがねー」
エクレアとピリムの足元には、血を流し絶命している執事の姿。
パチン、とピリムが指を弾けばメイドの手中にあった包丁が彼女の手に移動する。
これでメイドたちは武器も失った。
それでも、抗う意思を持ち続けている辺り、忠誠心の高さが窺えた。エクレアがゴメズの正体について語っても、彼女たちの耳には届いていないのだ。
ゴメズはよほど、上手く善人を装っているようだ。
「……とか、してる間に標的がこっちに到着! ぐらいはありそうだなァ。仮にも元暗殺者だろ? んで現役で現快楽殺人鬼だろ? 備えぐらいはしてんじゃね?」
「腕のいいアサシンなら気配を消しながら動く私たちに気付くかしら?」
ことほぎとロレインが言葉を交わす。
もしも2人の予想が当たっているのなら、これ以上、メイドたちに用事は無い。
ピリムとエクレアは得物を構え、ゆっくりと前へ踏み出した。メイドの1人が、ひっ、と引き攣った悲鳴を零す。
瑠々とヘルミーネは、惨劇の予兆を知って娘2人を屋敷の外へ連れ出した。
それと同時に、ピリムとエクレアが駆ける。
ひゅん、と空気を切り裂く音。
次いで、短い悲鳴が零れた。
淡々と。
仕事は順調に進んで行く。
それはつまり、刻一刻と犠牲者たちが増えているということだ。
「うぅん……なんというか」
「ままならねぇもんだよな」
なんて。
屋敷の裏から外に出て、思わずといった様子で2人は呟いた。
それから、顔を見合わせて……。
「ぅ……ごほっ!?」
直後、ヘルミーネが吐血した。
見れば、その首元には短剣が突き刺さっている。本来は首の後ろを狙って放たれたものだが、咄嗟に首を傾けることで直撃を回避したのだろう。
「……賊か? 装備も揃っていないし、甘さも目立つ」
壁の内から声がした。
否、声の主は壁をすり抜け現れたゴメズだ。
ヘルミーネの首元からナイフを引き抜き、喉へと回す。
ナイフが喉を引き裂く寸前、瑠々の手が刃を掴む。深く裂かれた掌から血が溢れ、ヘルミーネの頬を朱に濡らす。
「賊にも仲間意識というのはあるようだな。娘を離せ。狙いは私なのだろう?」
ナイフを手放し、ゴメズは空へと舞い上がる。
刹那、ヘルミーネの放った肘打ちが壁に亀裂を走らせた。
巻き起こる暴風に乗るようにして、ゴメズは空中で姿勢を制御。弾丸のような速度で、2人へと襲い掛かる。
「因果応報……こんなことになったのもてめーの所業の所為なのだ。精々悔いながら死ぬがいい」
後退したヘルミーネが姿勢を低くし、四肢で地面を掴んだ。
代わりに瑠々が旗を構えて前へ出る。
「殺した時の快楽が忘れられないんだろう? 良かったなァ。此処に死にたい女がいるんだよ。是非とも殺してもらいたいものだね」
旗を一閃。
突き出されたゴメズの刺突を、瑠々は正面から受け止めた。
風のように速い。
そして、音も無く駆ける。
殺意も敵意も滲ませないままナイフを振るう。
「毒は効いているはずだろう? 抵抗しない方が楽に死ねるはずだ」
攻撃の手を緩めないままゴメズは問うた。
心臓目掛けて突き出された刃を、重心をずらすことで回避。肩を抉られた瑠々は、ドス黒く変色した血を吐いた。
瑠々が攻撃を受けた隙に、ヘルミーネが背後へ迫る。拳に呪力を纏った紐を縛り付け振るう。放たれた魔弾がゴメズの腹を撃ち抜いて、その動きを鈍らせる。
よろめきながら、ゴメズはナイフを投擲。
ヘルミーネの膝に突き刺さったそれを蹴りつけ、膝の皿を砕き割る。
右脚を赤く染めたヘルミーネが転倒。
しかし、倒れながらも彼女は地面を蹴りつけた。
「てめーの快楽殺人の犠牲者達の恨みを知るがいいのだ!」
一瞬、ヘルミーネの姿が真白い狼へと変わった。否、ゴメズの魂がそのように幻視したのだ。危うさを感じ身を捻る。正しい行動だ。頬の皮膚が破れ、骨と筋肉が剥き出しになる。
すれ違う刹那、ゴメズはナイフを一閃。
ヘルミーネの背に突き立てた。
次いで、血塗れの瑠々へ数度の斬撃を叩きつける。腹、胸、顎、額と斬撃を受け瑠々はよろめいた。
けれど、彼女は倒れない。
「オイ。殺せよ。死なねーじゃねえか。殺せっつってんのによ」
瑠々の背後にはゴメズの2人の娘たち。
それから【パンドラ】を消費し、立ち上がったヘルミーネ。
「……じゃあ、死ね」
中指を突き立て、吐き捨てるようにそう言って……。
次の瞬間、ゴメズの胸を黒い魔弾が撃ち抜いた。
紫煙を燻らせ、2階の窓から身を乗り出したことほぎは、いかにも悪辣な笑みを浮かべて、くっくと肩を震わせた。
「やり合うなら外でって思ってたんだよな。室内の方が得意だろうし、人質奪還するのに突っ込んでこられちゃ怖ェじゃん?」
煙管をひらりと宙に泳がせ、次々と魔弾を撃ち込んでいく。それをゴメズはナイフで弾き、或いは回避し、捌き切る。しかし、全てを回避しきることは出来ない。魔弾の幾つかは娘2人を狙って放たれたからだ。
快楽殺人鬼といえど、自分の子供は大切らしい。
腕を伸ばし、身を挺して魔弾を受け止めたゴメズは体を激しく痙攣させて動きを止めた。
次の瞬間、ゴメズの身体を稲妻が貫く。
空気の爆ぜる轟音に、肉の焦げる異臭。
口の端から黒煙を吐いたゴメズは、視線を屋敷の扉へ向けた。
「凶行の贖罪にレモネードを、公の場においては立派な人を。しかしどれだけ取り繕っても凶行はやめていない。ならそれは次の凶行へのスパイスでしかない」
そこにいたのは、金の髪をした1人の少女……ロレインだ。
構えたライフルの銃口に紫電が迸る。
「最期の舞台、全力で舞いなさい」
引き金を絞る。
放たれた雷弾がゴメズの胸へ疾駆する。それをナイフの一撃で弾き……刹那、ゴメズは頬を引き攣らせ、舌打ちを零した。
雷弾は囮だ。
本命は、地を這うように駆けて来た長身痩躯の異形の剣士の斬撃だ。
「やっぱり自分の欲に素直になり切れないなんてカワイソーですねー。殺しが自分の快楽に直結しているのなら、それで十分じゃねーですかー」
脚を狙って放たれた斬撃。
ゴメズは空へ飛びあがることで回避する。
虚ろな瞳と視線が合った。
にぃ、と口角を吊り上げて斬撃の軌道を上方へと切り替える。
ピリムの剣を爪先で受け流しながら、ゴメズは腕を振り下ろした。
がら空きになった背中へ数度続けて、ナイフを叩きつけるように突きたてる。
「何をそこまで気に病む必要があるのでしょーねー。不思議で仕方ねーですー」
「っ……私もそうならきっと楽だっただろうな」
血を吐きながら呟くピリムの顔面に、ゴメズは蹴りを叩き込む。
飛来する魔弾と雷撃を回避しながら、螺旋を描き上空へ。すれ違う寸前、ことほぎの顔面に拳を一撃叩き込み、2階の窓から突き落とした。
上空でピタリと動きを止めると、身体を反転。
降下の加速を乗せた一撃を見舞うつもりか。
けれど、しかし……。
「こんばんは、死神です……なんてね?」
ゴメズの視界に映ったのは、拘束された2人の娘と、その喉元に刃を添えたピリムの姿。
両手を広げ、にやけた顔でエクレアは告げる。
エクレアを守るように立つ瑠々とヘルミーネ、そしてピリムの身体が淡い燐光に包まれた。2人の精神は研ぎ澄まされ、魂の奥底より湧き上がる全能感に包まれた。
娘2人を人質に取られたことで、ゴメズは迷いをみせたのだ。
戦場では一瞬の迷いが死を招く。
ゴメズは迷わず、娘2人を犠牲にして一気呵成に攻め立てるべきだったのだ。そうすれば、勝ちを拾う目も出て来ただろう。しかし、それをしなかった。ゴメズの迷いが、罪悪感と慈愛の心が招いたミスだ。
当然、こうなることをエクレアは予想していたのだろう。
「言っておくけど、脅しじゃないよ? 盟友ピリム君……証拠をみせてあげようか」
「了解でごぜーますよー、っと」
ゆらり。
身体を揺らしてピリムが刀を振り上げて……。
「させないわ!」
「ん……おぉー?」
植木の影から跳び出した影に、体当たりを受け踏鞴を踏んだ。
●悪徳の末路
ピリムの身体を突き飛ばし、レティシアは娘たちの拘束を解いた。
彼女の手には枝切鋏。
目隠しと猿轡を外し、手足を縛る縄をそれで断ち斬った。
「逃げて! 決して立ち止まっては駄目よ!」
「ママ! パパ!」
「逃げなさい! 愛しているわ!」
母の想いが伝わったのか、娘たちは一心不乱に駆け出した。
その背へ向けて、ロレインが銃弾を撃ち込む。
レティシアは銃弾の前に身を投げ出して、子供たちが逃げる時間を稼いだ。
サクリ、と。
その首をピリムの刀が断つ。
枝切鋏でピリムを刺せば、重傷を負わせることも出来ただろう。それをしなかったのは、枝切鋏で娘たちの拘束を解くためだ。
だから、彼女は命を落とした。
「レティシアぁ!」
悲鳴のような雄たけびをあげ、ゴメズが飛ぶ。
構えたナイフがピリムの背へと突き立つ瞬間、間に瑠々が割り込んだ。
胸にナイフを突き立てられて、瑠々は口から血を吐きだした。
同時に、瑠々の身体を包んでいた燐光が霧散する。
返り血を浴びたゴメズの顔が朱に濡れた。
「はい、これでおしまい。やっちゃって」
エクレアの静かな声。
次いで、ゴメズの首に細い指がかけられて……。
「死出の番人(ニヴルヘイム)として悪戯に死者を増やす者には因果応報の鉄槌を!」
骨の砕ける鈍い音。
血の泡を吐き、ゴメズの身体が力を失う。
寄り添うように倒れたゴメズとレティシアの身体。じわりと地面に広がる血だまり。
「恨むのなら……ヘルちゃんに憑いてくればいいのだ。甘んじて恨み言は聞いてやるのだ」
犠牲者たちへ安寧を。
屋敷が業火に包まれた。
ヘルミーネの紡ぐ鎮魂の歌と、遠くから聞こえる誰かの叫び声。
そろそろ撤収しなければいけない。
「殺す奴は相手に親兄弟ガキがいようが殺すって。オレみてーに」
そう告げてことほぎは燃える屋敷に背を向けた。
ヘルミーネ、瑠々、ロレインは黙って燃える屋敷を見上げている。
屋敷に火をつけたエクレアと、ゴメズやレティシアの脚を抱えたピリムの2人は既にこの場を去っている。
「……此処までやる必要、あるかよ」
なんて。
瑠々の呟きは、屋敷の燃える音に紛れて誰の耳にも届かない。
この日、アンヘルの誰もに愛されたゴメズ夫妻は命を落とした。
町の皆は嘆き哀しみ……この日以来、連続殺人鬼による犠牲者が出なくなった事実に気づくものはなかった。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様です。
ゴメズは無事に討伐されました。
また、任務の途中やその後の火事で都合8名の死者が出ました。
依頼は成功となります。
この度はリクエストいただき、ありがとうございました。
縁があればまた別の依頼でお会いしましょう。
GMコメント
※こちらのシナリオはリクエストシナリオとなります。
●ミッション
ゴメズ・アスティンの殺害or殺人をやめさせること
●ターゲット
・ゴメズ・アスティン
幻想の町、アンヘルに済む実業家。
慈善事業として月に1度の礼賛日には町の子どもたちにレモネードを振る舞うなどの活動をしている。町の中央付近に居宅を構えていることもあり、町の住人で彼のことを知らない者はいない。
ストライプのシャツとスーツを着た中年の男性。
しかし、20代の前半まではアンヘル教団のアサシンを務めていた。
慈善事業の傍ら、殺人を楽しむ快楽殺人鬼。もっとも殺人を楽しむ自身の性に苦悩もしているようだ。殺した相手から技や技能を奪うという特技を持つ。
※ゴメズは一時的に自身の機動および反応を大幅に上昇させる技能を持つ。
※ゴメズは薄い壁をすり抜けたり、短い時間であれば飛行する技能を持つ。
アンヘルの闇刃:物近単に特大ダメージ
【致死毒】【ショック】【塔】【呪い】【致命】のうち1つか2つをランダムに相手へ付与する斬撃。
・レティシア・アスティン(および2人の娘)
ゴメズの妻。
公私ともにゴメズのパートナーを務めており、仕事でも家でも多くの場合一緒に行動している。
その間、2人の娘たちは本邸か別邸で使用人と共に過ごすしているそうだ。
非常に頭の回転が速く、状況の分析に秀でた人物である。
●フィールド
幻想の町、アンヘル。
町の中央付近にあるアスティン邸が今回の舞台となる。
中央には時計塔。
時計塔から東方向にアスティン家の土地がある。
半径200メートルほどの広い敷地。
本邸、別邸、社屋と3つの建物が存在する。
敷地の周囲は高い壁に覆われていて、内部の様子は外から窺えない。
出入り口は正面に2つ(従業員用通用口、アスティン家専用通用口)
裏手に大きめのものが1つ(馬車および物資搬入口)
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●注意事項
この依頼は『悪属性依頼』です。
成功した場合、『幻想』における名声がマイナスされます。
又、失敗した場合の名声値の減少は0となります。
また、成功した場合は多少Goldが多く貰えます。
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