シナリオ詳細
<神逐>私の涙でみんな溺れてしまえばいい。
オープニング
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臥所では、細くすすり泣く声がずっと続いていた。
ここは、逃げるようにやってきた尼寺。
明日、髪を下ろして尼にならなければ、落ちぶれて明日をも知れない身の上になる。尼になりさえすれば、従者共々今後の暮しは保証されよう。
長く長く伸ばした髪も、明日あごの下で切りそろえられる。なんてこと。信じられない。この後一生尼寺から一歩も出ずに暮らすのだ。いや、そうでもないか。今の権力者が権力の座から転がり落ちればこの尼寺にもいられなくなるかもしれない。
先の見えない明日が怖い。煌々と降り注ぐ月の光が今日は恐ろしくてたまらない。でも、明日の朝日はもっと恐ろしい、
「明日など来なければいいものを」
ぽそりと呟き、誰ともわからないものに祈る。明日からはご本尊に祈るので今日のところは許してほしい。
ああ、もう、この涸れることのない涙で海が出来たらいいのに。その中でおぼれて死んでしまいたい。
やがて、泣き声がやんだ。胸が潰れる思いで聞いていた侍女達が安堵の域をついた頃。
ハマグリが吐く幻のように、おぼろげな姫君の姿を取ったもやが境内に立った。
その目からはらはらと落ちる涙は地面に座れることもなく、ひたひたとたまり、地面を覆って、どんどんかさを増し始めた。
甘美な涙に引き寄せられて、妖共が藪の中から姫君の姿をした靄を見つめている。一つや二つではないおびただしい光点。
尼寺は百鬼夜行の舞台と化そうとしていた。
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『そこにいる』アラギタ メクレオ(p3n000084)は、今日も盛大に揚げ餅を「えっと、ひょっとして、今大体どんな感じか――とってもやばい感じなのはわかってると思うんだけど――説明した方がいい。あ、よさそうね。はいはい。そんじゃ。かいつまんでね! 時間もそんなにないしね!」
「こないだ、強大な呪詛が行われることを『けがれの巫女』つづりが感知し、呪詛『大呪』を成立させない為に敵の本拠へと乗り込んだでしょ。色々被害甚大だけど。捕虜取られたりとか。で、敵方の重要人物が『捕虜に夢中』になって、霞帝に掛けられてた呪縛が緩んだの」
意図せぬ傾国行為。結果オーライとはこういうことだ。
「霞帝を救出した『中務卿』建葉・晴明は抜け目ないね。帝と共に『自凝島』からの転移魔方陣を発動させることを決定する。それと同様に、『大呪』を封じ込むための四神の守護をイレギュラーズに得てきて欲しいと告げた。抜け目ないね。ローレットをどこまでも使う気だね。いいけどね」
放置できないから。と、情報屋は言う。
「イレギュラーズがそれぞれ四神の守護を手にし、歪んだ形で発動した『大呪とけがれ』を高天御所に封じ込むのが目的――曰く、『黄泉津瑞神』と呼ばれてる神威神楽の『守護神』が『けがれ』と『大呪』の影響を受け暴走しかかっているんだって。割と時間との戦い? わかりやすく言うと。やばいもの煮詰めた魔女の大鍋がいつ爆発するかわからない状態」
今、ぼっこんぼっこん沸いてるとこ。
「このまま放置すれば京は崩落し、無辜の民が犠牲となるだろう、と大精霊『黄龍』は語ったってさ。なるだろうじゃねえよ。なっちゃまずいの! 今、そんな感じ!」
ついてきてる? 大体わかった? と、情報屋は一同を見回した。
「実際、げろまずなんだって。御所の方――影響を受けやすい方、呪い耐性がない方は指の間から――ご覧ください」
素養のあるモノにははっきり見えただろう。御所の屋根の上に本来の有り様を捻じ曲げられた巨大な神性存在が座しているのを。
「神威神楽を守護する黄泉津瑞神が「けがれ」を介した儀式「大呪」でゆがめられたお姿。おいたわしいことこの上ない。このままでは守護すべき地を自らの咆哮で焦土に変え、無辜の民を屠る神になる。何もないところに祟り神が残るぞ。民の恨みつらみ、死のケガレを吸い込んじまうだろうがな。控えめに想像して大惨事」
やばさを共有してくれた? みんなでがんばろうね? と、情報屋は心労をおすそ分けしてきた。
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「じゃ、話を戻すよ。さっきも言ったとおり、今、本来なら墓の下まで持っていけるレベルの恨みつらみも顕在化しちゃうくらい人心が惑わされてるの。で、生霊なんかも発生する」
「生霊」
「死んでない分、しぶとい。生きてる人間の方が実体あるだけ強い。にも関わらず、実体なしで来るので攻撃しづらいうえ、大抵無意識なので殺すのもためらわれ、非常に取り扱いがめんどくさい」
それをしろと申されるか。
「色々ありましてやんごとない姫君が尼寺に入られるんですけどね?」
父君が政治闘争で失脚なさって、後ろ盾がなくなったんだね。
「花も盛りのお年頃というのに、髪を下さなければならなくなりまして。いやなら逃げればいいじゃないっていうのは逃げればどうにかなるヒトの言うことでね。大体逃げたら使用人皆路頭に迷うよね。オヒメサマって最も潰しが利かない生き様だ。にっちもさっちも八方ふさがり。『みんななくなってしまえばいいのに』と涙で枕を濡らしながら眠ったのが罪だと思う者だけ石を投げなさい」
個人攻撃じゃないだけましかも。
「で、現場は尼寺です。尼寺潰れちゃえば、とりあえず明日の得度は延期だよね?」
うん。世間知らずなお姫様が荒野の暴れん坊的短絡指向に到達する境地になるとは、瘴気に当てられまくって、人心が乱れ切っているのがよくわかる。
「純真無垢なものほどひっくり返った時の反動が大きいのは皆さんもお分かりで。境内で泣きぬれて尼寺を水没させついまう姫君の生霊を正気付かせていただきましょう。倒すのではなく癒す方向で。尼――神仏に祈りを捧げる暮らしも悪くないってプレゼンをしてください」
まあ、話聞いてくれるくらいになるまで実力行使は許容範囲じゃね? と、情報屋は言った。
「涙は一晩で尼寺を飲み込むくらいの水量になるからね。突入時点で君らの足首。ふくらはぎまで行くとかなりの移動制限になるからできるだけ速攻で。ちょっと個の波、刺さったり飲み込んだり、呼吸器をふさいだりしようとするけど頑張れ。やるなら不殺で。生霊だけど。慈悲の心は繋がってるから。こうニュアンス的に」
その通りなのだろうが、この情報屋が言うとうさん臭さが先に来るのはどうしてなんだろう。
「あと、姫君の生霊に引き寄せられてちっこい妖怪がわらわら出てくるんだよね。ほっときゃ姫君の涙の意味でおぼれ死ぬくらいだし、姫君に味方しないけど、みんなのことはお肉だと思ってるからとても邪魔。それに、姫君の生霊をどうにかすると溺れ死なないし、それを放置すると尼寺が血の海になるからそっちの討伐もよろしくね。大丈夫。姫君がみんな引き寄せてくれるから」
- <神逐>私の涙でみんな溺れてしまえばいい。完了
- GM名田奈アガサ
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2020年11月18日 22時20分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(8人)
リプレイ
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「涙には、悲しみを洗い流す綺麗な力があるけれど……それが、人を傷つける武器になるのは、悲しいこと」
『おやすみなさい』ラヴ イズ ……(p3p007812)は、場に満ちる悲しみを感じた。
「何とか、何とか、致しましょう。できるだけ、不殺を目指すわ」
くるぶしの高さまでひたひたと水が迫っている。
「成程、これが涙の海……」
『祈りの先』ヴァレーリヤ=ダニーロヴナ=マヤコフスカヤ(p3p001837)は、カナヅチである。一般的にふくらはぎまで来たらおやばい。
「おおっと、随分と凄い状況になってるネェ……うんまぁ、霊とかその辺扱う側としてはこの状況は見過ごせないと言うかネ」
『通りすがりの外法使い』ヨル・ラ・ハウゼン(p3p008642)は、ひたひたとあたりを鎮める「涙」を指で確かめた。
「それ以上にこのお姫様はこうどうにかしてあげたいと言うか、悲観して絶望するの早すぎじゃろ? 気持ちはわかるけどネ」
家から出奔したヨルがいうと、重い。
「生きたいように生きられない、どこのお家もそういうモンすね。俺は仕える側ですが、そういうお方は知ってます」
『歪角ノ夜叉』八重 慧(p3p008813)は、今は遠く離れた所にいる。周りを慮ったヒトを知っている。
『誓いの緋刃』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)は、仕方ないねえ。という仲間に首をかしげた。
「何故にそこまで生霊になってまで泣くのかなー。意思が強いのがいいんだか悪いんだか
せっかくのお姫ちゃんなんだぜー? おとなしく王子サマ待っとけって」
若干の空白。
お姫様の定義が違う。と、カムイグラと風俗が似ている世界から来た『玲瓏の壁』鬼桜 雪之丞(p3p002312)が気が付いた。
『荊棘』花榮・しきみ(p3p008719)と顔を見合わせるが、ウォーカーの自分が話した方が異文化コミュニケーションの経験豊富な分いいだろうと説明を引き受けた。
「そうですね。明日、件の姫君は「姫」を廃業して、尼におなりあそばします」
「うん。それで? ひどい目に遭ってるお姫様のところには王子様が来て救ってくれるんでしょ?」
聖職者になると、なんで泣かなければならないのか。実際、聖職者にして姫君はローレットにも結構いる。聖職者が妻帯してはいけないという戒律があるところとないところがある。
「永久に王子様――私の世界では公達と言いましたが――はいらっしゃいません。というより、自分から俗世を離れましたので来ないで下さいという看板を出すと思召しませ。これからずっとお経を唱えて暮らす人生でございます」
雪之丞が説明する。待つも何も、王子様が来たらいけない存在になるのだ。
「おお?」
「実家もなくなり、後ろ盾なしなので、実質明日をも知れない身の上になります――身分の保証がされず――装備や補給の供給がいつ断たれるかわからない状況でございます」
なんとか、秋奈に分かる概念で説明しようと雪之丞は知恵を絞った。
シリアルナンバー凍結の上、格納庫に放置。
「まじで?」
「ええ」
「そっかあ。じゃあ、泣いちゃうかも、かぁ。メーカー保証ないのつらいよねー」
メンテとアップグレードサービス、自分から切らなくちゃいけないとかは辛い。
説得が不可欠な現場では、場の維持の観点から構成員の温度差が天敵だ。スンとしているものの顔を見て、説得されるものが正気に戻ったら全て水の泡になる。
「自分には何の責任もないのに、こんな場所にずっと押し込められることになったら、そうなるのも無理はありませんわよね」
両親の没落が原因で浮浪児となり、大司教に拾われて、修道院に入って司祭となった。
この道はかつて来た道。いや、ヴァレーリヤは自分で司祭になることを選択した。姫君には選択の余地さえない。巨大な運命という大波に流されるしかない。
「誰かの意志、都合で変わってしまう生き様は、少しばかり、手を出したくなりますね。せめて、無事に明日を迎えられる程度には」
雪之丞は、袖で口元を隠しながら言った。
「姫様にも色々と悩みがあるんだね」
『白虎護』マリア・レイシス(p3p006685)は、長く息をついた。
「でも眠ったまま死なせたりはしないよ! 生きていればこそ、さ! ヴァリューシャ! あの子を救おう!」
「もちろんですわ、マリィ!」
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有象無象。
ヒトに仇なす歪なナニカが集まってくる。乙女の涙、古今東西の化物が好むものだ。
ローレット・イレギュラーズと姫君がぶつかった後、漁夫の利を得るべく遠巻きに様子をうかがっている。戦線からはみ出せば、獲物と定めて駆り立ててくるだろう。
「さーて、生霊のお姫様をどうにかする前に先ずは――壁をぶち抜いて水抜き穴を作っちゃおうか。携行品のおかげで多少は水中適正あってもお姫様の涙で溢れ返ったら流石に手の打ちようもないし」
ヨルは、疑似生命体の錬成を始める。
「とは言え状況が状況、チャンスは1回きり。 ダメならダメでスパッと切り替えてお姫様と妖の方に対処しようか」
「結構遠いですわね。遠距離からの破壊を試みましてよ!」
「私の毒蛇で壁の弱いところを見つけました。こちらを照準となさるとようございませう」
しきみの卓越した上位式が壁を伝う。
「保護結界貼ったよ、ヴァリューシャ!」
マリアが大声を張り上げる。
「尼寺に被害はいかない! 流れ弾とか!」
ヴァレーリヤのハッスルの予期せぬ余波とか。
「では、こちらも……」
ラヴは、するすると無造作に境内のただ中に進み出た。
「――夜を召しませ」
ラヴの間合いにいた獣は、あとからゆっくり頂こうなどというこざかしい知恵をかなぐり捨てさせられた。意図的に増幅される敵愾心。膨れ上がる理不尽な怒り。
耳をちぎらん、鼻をそがん、手足をちぎらん、はらわたえぐらん。
夜行に紛れたるは、贄ぞ。
大呪の獣共はラヴを八つ裂きにする欲求に駆られて、四方八方から飛び掛かった。
「さあ、おいでなさいな。怒りも悲しみも、受け止めてあげる」
状況を動かすための運命の結節点は存外狭い。中央に立てば、全ての獣はラヴの間合いに巻き込まれる。
神の威光を帯びた白い光が獣たちを飲み込んだ。
「遠慮なく放つわ。あなた達がもう結構というまで」
生霊はおぼろげな姿を宙に浮かべて泣いていた。
頬を伝う涙がみるみる膨れ上がり、巨大な水球になってぼちゃぼちゃと足元に落ちる。
そんなに泣いたら目が溶ける。
生霊の目は、白目もなく黒目もなく満々と水をたたえた大海原になっていた。姫君の眼窩を通路にして、目から「海」があふれてくる。
「生霊の相手など、さしもの拙も初めてでございますね――あの陰陽師なら、この手の手合も、得意なのでしょうが」
雪之丞は、双の黒刀の刃を返して不殺とする。
「俺は、慧って言います」
自由に生きられないあの方がつけてくれた名。それを起点に聖域を作る。
「今から、お姫さんを止めますよ。泣くのをやめて、ちゃんと――」
今頃、姫君の本体は臥所の中だ。自分の身の上も理解している。しかし、納得できない心がここで泣いて泣いて泣きぬれて、全てを海の底に沈めてしまおうとしている。
「これを夢にしなくちゃダメですよ」
その陰から走り込んでくる高機動ユニット。
「今はとにかく時間が惜しい! 間に合わなくなるならいっそ……」
秋奈の戦神特式装備第弐四参号緋憑に闘気が蓄積されて、臨界に達するとき、双刃はいっそ静謐に翻るのだ。
一拍おいて、地面が揺らぐ。
生霊の姫のみ開いた眼下から滝の如く「涙」が吹きあがり、水位を上げる。
「水位高くねっ!? 溺れちゃうし!」
着地の際、思ったよりかさが増えているのに秋奈は声を上げた。
「主よ、天の王よ。この炎をもて彼らの罪を許し、その魂に安息を。どうか我らを憐れみ給え」
司祭よ、心して聖句を唱えよ。
「余がタイミングを合わせてあげよう」
ヨルは、ヴァレーリヤの波動に同調を試みた。
「――いっきますわよ。『太陽が燃える夜』!」
時々酒瓶の中に混じって居候先の床に転がる天使の翼から炎が吹きあがり、振り下ろされて火線は土壁を穿つ。
その奔流を軸にらせんを描きつつ、夜の疑似生命体が壁をドリルの要領で削る。削れたところを炎が舐める。
壁に穴が開いた。
壁ごと周囲が洪水になる蓋然性が発生した。生霊を迅速に泣き止ませないと、寺どころの騒ぎではなくなる、が、生霊騒ぎを迅速に済ませればどうということはない。有象無象の波状攻撃が予測される釵機動力の減少の方がやばい。
ヨルとヴァレーリアは、してやったりと笑うと、戦場に合流するべく踵を返す。
「露払いは任せたまえ!」
獣の群れに分断されないように後詰していたマリアが、紅い雷をまとう。
大呪の獣を狙い、範囲内に仲間を巻き込まないように着弾点を調整し、雷の出力をさらに上げる。
紅から紫を経て、それは死に至る蒼に移行する。雷雲がうっとおしいほど煌々と強い光を落とす満月を覆った。
「受けろ! 雷電の鉄槌!」
一瞬辺り一面が白に染め抜かれた。
雷が落ちた後のつんとした臭いが辺りに立ち込める。
前方吶喊ルート、オールクリア。
「待っていて頂戴、すぐに助けてあげますからねっ!」
司祭と外法使いは、戦闘域に駆け込んだ。
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「大丈夫。こわくないっす」
慧は、生霊の攻撃を一身にに受け続けていた。長期戦を見据え、自分と仲間の傷を癒すのは最低限だ。
「涙の向こう、見てください。今、あんたに手を伸ばしてる人、何人も居るんすよ」
生霊でも、多少は呼びかけに反応するかもしれない。
辛抱強く、語りかけは続く。
可憐な雪之丞の膂力と思えぬほど容赦なく重たい刃が生霊の姫に叩き込まれる。
注意深く息良之助具合などを観察し、うっかり死なさないように攻撃属性を一貫させるタイミングを見計らっている。
「私には殺さずという術がないのです」
しきみは、手の上に闇色に輝く月を展開した。黒い月光排気量の運気を蝕む。
「それは他者の命よりも貴い信じる唯一があるが故」
殺さずにいてそれを失う危険を冒すくらいなら、きっちり殺して憂いをなくす。時として、無慈悲は最も安寧を担保してくれる。
手にするものはやみから黒江、月から箱へ。パタリパタリと展開する苦痛の箱が生霊を閉じ込め、あらん限りの苦痛をもたらした。
「己の心にそぐわぬ運命、さぞお辛いでせう。貴女の境遇に分かりますとは言えませぬ」
しきみも、お家騒動に巻き込まれ、ローレット・イレギュラーズに救われた。
「けれど、光り輝く明日が在る事をあなたに教えたいのは確かなのですよ。私は毒を盛られ命喪う間際にお姉様に出逢い救われました。その様に、救いの道が貴女にあらんことを願っては已まないのです」
膨大な涙を沸かせていた眼窩に白目が――眼球があることに雪之丞が気が付いた。
『こわいの』
泣きじゃくるだけだった生霊が言葉を発した。
説得するなら今だ。
「生霊の相が変わりました。これより先は不殺の技だけといたしましょう。うっかり殺してしまう。できるだけ説得して下さい――これは夢で、ゆっくり眠り直すように」
「わかった。寝かしつければいいんだな!」
秋奈は、蹴りを放ちながら
「良い子は寝てなきゃダメなんだぜっ、神仏に祈りを捧げる暮らしも悪くないっ――」
自分で言っていて、向いていないことを痛感する。修行が足りない。
「プレゼン……はプロにまかせるのだっ。獣は任せろ!」
●
「感電したい奴からかかってこーい……なんてね」
ヨルは、味方はちゃんと避けて飛んでくれる雷撃の鎖を振り回す。
「ええい、しつこいですわね……これでも喰らいなさい!」
ヴァレーリヤは、どっかんどっかんとメイスから炎を吹きださせ、敵を憐れみまくっている。
マリアの雷は通常出力の紅色で継続的な運用方針に切り替えた。
あとからあとから湧いてくる獣が邪魔だ。いつもなら踏みつぶして歩くが足首を越えた水との合わせ技では思ったように前に進めない。振り返れば塀から排水はされているので贅沢は言えない。穴を開いていなかったら、どうなっていただろう。
「ヴァリューシャっ、キミならきっとできると信じてるんだよっ! がおーっ」
サイドテールをポニーテールに結い直した秋奈が目についた獣を斬り飛ばしながら声をかけてくる。
「こーたーい!」
巧みに体を入れ替えて、秋奈が作った隙間とヴァレーリヤ達が作った隙間にそれぞれ入り込み、再び突貫が始まる。
「こんなところで、なま肉になるつもりはこれっぽちもないもんねっ! 血のちょっとくらい流してれば尼寺には向かずにこっち来てくれるっしょ?」
ラヴが、ええ。と応じた。
「よし。じゃあ、慎重に戦ってた分、全部吐きだすぜー!」
秋奈が気を吐いた。
●
小さな獣が涙に溺れて死んでいく。残った中型大型は、目についた端から明菜とマリアが片付ける。
白い光が生霊を包み、少しづつ薄らいでいく。
「辛い、苦しいのは確かでしょうが、涙を拭う前に逝かせたかないっすね」
慧が地に付してのたうつ生霊に心を痛めた。
膝をついて、目線を低くして話しかけた。まだ無力されたわけではない。それでもそうせずにはいられなかった。
「明日は、未来は、良い日になるなど、俺には言えません。俺たちは、今後のお姫さんの側にいることもできない」
慧は、、でも。と、続けた。
「使用人や寺の方々はいてくれます。寺というか、神仏に祈りを捧げるっていうのは『同じ祈りを共有して』『共有した人達同士で助け合っていく』ものだと思うんです」
そうやって、慧は助けられた。
「お姫さんは、今守りたいものも、守ってくれるものも見えなくなっちまってるだけのはず。その目を曇らす涙は、きっと誰かが拭ってくれますし、お姫さんだって、拭う側になれますよ。あ、いや、お姫さんはもう守る側なんですね。尼になって守るんです」
雪之丞は慧から言葉を引き取り、慎重に言葉を紡ぐ。生霊相手に人心掌握術。表情が肉でない分有効性は低いかもしれないが地雷を踏む危険性は下がる。
「俗世を離れ、尼となることも、悪いことではないでしょう。お姫様として、見知らぬ男へ嫁ぎ、権謀術数へ呑まれるより、己の身を見つめ直し、神仏に祈ることで日々を健やかに、穏やかに過ごすことも、良いでしょう」
「尼寺から出られぬとしても、姫君の身と何が違いましょうか。新しき生活を迎えることは、誰もが恐ろしいもの」
ここのお姫様ってそんなに窮屈なの? と、秋奈が小声で聞くのに、しきみが頷いた。
「ですが、住めば都。新しき世界を知れば、それも悪くないと、思えるかも知れませぬ」
雪之丞はニコッと笑った。
「髪の毛を切られるわ自由の無い生活とか余も嫌だわぁ――と言うか髪の毛は女の子大事なものなのにネ!」
ヨルは、生霊の髪を撫でた。もう透けて、実体がない。
「まぁ、でも生きる為には神仏の道にって事だし今は仕方ないカナー。――今はね」
一族から出奔したヨルが言うと重みが違う。
「今はそうするしか無い、でもさ、生きて足掻いてみたら案外もう少し自由になるかもしれないしさ。悲観しちゃって絶望したら何も変わらない変えれない……だから今は辛いけど頑張ってみよう?」
今は雌伏の時だと、ヨルは言う。
「尼、人を慈しむ生き方……それって、素敵じゃない。人に誇れる生き様だと思うわ。きっと、今は解らないような幸せもそこにある。泣きたいときには、泣いてもいいのよ――ただ」
大呪の獣を焼き尽くした我慢強い泣き虫が、先達として言った。
「明日を壊すためじゃなく、明日を信じるために泣きましょう」
●
生霊の涙は止まった。死んだ気配はしなかった。あるべきところに帰ったのだ。
とろけるように、ほどけるように、生霊は姿を消した。
きっと、今日、姫君が見る境内は洗われたようにきれいだ。塀に穴は開いているけれど。いつか使うかもしれない逃げ道のとっかかりにはいいかもしれない。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様です。寺社の塀に穴を開ける。だと? 田奈は2秒制止しました。姫君は無事に朝を迎えました。涙の海は夢でした。姫君の攻撃を受け切り、経験に裏打ちされた説得をしてくれた慧さんにMVPを。ゆっくり休んで次のお仕事頑張ってくださいね。
GMコメント
●
田奈です。涙の海で世界が沈んだら困るので、泣き止んでもらいましょう。。
生霊・姫君×1
*まさか自分が迷うているとは思いも至らぬ姫君の生霊。本体は臥所で夢を見ながら寝ています。生霊を倒すと、姫君は二度と目を覚まさないでしょう。まあ、それも幸せと言ったら幸せかもしれません。
*ただひたすら泣いています。
*流れた涙は波となり、皆さんを襲います。泳げない方は対策を。
*涙は、溺れさせたり、窒息させたりしてきます。水の中で回転させ物理ダメージを与えてきたりもします。
『大呪』の獣×たくさん
*姫君の嘆きに引き寄せられて現れた妖です。みなさんがまんまに見える第3勢力です。主に物理的な手段で皆さんを生肉にしようとします。これも片付けないと尼寺が危ないのできっちり倒してください。
場所・尼寺・境内。
屋外・夜・晴れ。
大きな境内です。周囲は高い塀で囲まれています。その内部にくるぶしくらいの高さまで涙が上がってきています。この先どんどん水位は上がります。
戦闘区域にできるのはその内20メートル四方です。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
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