PandoraPartyProject

シナリオ詳細

<巫蠱の劫>ゐとをしゐと願ゑども。

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 その人は美しい男であった。長く白い髪に、同じく銀雪を想わせる双眸は冬の色をしていた。白くほっそりとした指先がそうと握る筆が描いた墨色に掛けられた情念の美しさは何たるか。
 凋む事なき恋情が揺らぎ、彼のかんばせを双眸で穿てば涼やかな眦に僅かな笑みが浮かぶ。
「今日は何を書きましょうか」と書家たる彼に甘えたように繰り返しの言葉を掛けた。
 一抓みの乙女心が求むるは「私の名前を書いて下さいませんか」と。
 遠回しな恋心の発露にときりと胸が高鳴った。この片恋に気付かれや為ないかと紅を塗った唇を震わせれば、相槌一つ「畏まりました」と彼は云う。
 この方は書にばかり夢中であるから。気付かぬのだわ。
 片恋で居られる理由を幾つも並べて心沈ませ、静かに唇に笑みを乗せる。
 それだけの私にどうか、どうか気付かぬ儘でいて――綺麗なままの貴方で居て――

 そう。
 そう、想っていたと云ふのに。
 届いたのは彼がある娘を娶る事となったという知らせであった。
 深く関わりのあったという彼女とは仕事の縁で結ばれたと聞いた。
 目の前が真っ暗になる、と、滑稽ながら私は想った。
 そして、この方は穢されてしまったのだわ、と。愚かにも私は畏れを放つ。

 何方様かの者になった貴方など――


 呪詛が行われた痕跡がある、と。その情報を手にして『聖女の殻』エルピス(p3n000080)は「ひとりの書家がいるのです」とそう言った。
 白雪の如き美貌のその男は凜とした筆遣いで命を生み出すように文字を描く。
 彼の書の評価は高く、その彼がこの度、貴族の娘を娶る事となったという話は京の噂となっていた。
「その方は八百万――精霊種です。書家の、沫雪さまです。
 かの方は八百万の姫君、三稜姫を娶ることとなったそうですが……」
 大恋愛であったそうです、とエルピスは言葉を手繰る。恋や愛など知らぬ『元・聖女』は絵物語を想うように「きっと素晴らしいことですね」と目を細める。
「けれど、呪詛が沫雪さまを、そしてその奥方となる三稜姫さまを狙っています」
 その呪詛を放ったのは八百万の娘、小雀であるという。呪詛が行われたその場所で彼女の姿が見られたこと、そして、酷く沫雪に陶酔為ていたことから彼女が主犯であると目されていたが――それは誠のことであることが証明された。
 自身の胸が内に溢れた想いが彼女のその心を象り怨霊と化したのだという。『生き霊』と呼ぶに相応しい。小雀姫が眠っている間、その怨霊は呪詛となり動き出し沫雪の命を狙うという。
 どうして、と。
 問う声にエルピスは「小雀さまは、沫雪さまを慕っていました」と小さく告げた。
「小雀さまは、ずっと、ずっと、沫雪さまに恋い焦がれていたそうです。
 誰が見ても明らか、それに……沫雪さまだって、屹度――」
 しかし、淡い恋心は叶うことはない。良家の娘である小雀が嫁ぐ先は『家』が決定し、沫雪とて此度婚姻を結ぶ三稜とも政略結婚の仲になる。家同士が決めた婚姻であるならば納得して然るべきだという声もあるだろう。
 然し、恋はその様に簡単には収まらない。
 小雀は永遠に叶わぬ恋のおわりを沫雪という美しく、愛だの恋だのしらぬ顔を為た綺麗な男の幻想に押しつけた。
 彼が一人、書にのみその情熱を注いでいたならば――
 そう願っていた小雀はおんなと関係を持つこととなる沫雪に『裏切られた』と身勝手にも、そう思ったのだ。
「わたしは……小雀さまの独りよがりだと、思えないのです。
 小雀さまが、もし、自由に愛を紡げる立場であったなら、きっと沫雪さまに……。
 いいえ、いいえ、きっと、これこそ、傲慢なのかもしれません。愛することを、伝えてはいけないそのお立場を理解できないからこそ、口に出来るのかも知れない」
 エルピスは首を振って忘れて下さいと云った。
 小雀の怨念が愛しい男を焼き尽くす前に――どうか、消し去って欲しい。


 いとしいひと。大切なおもいを、預けたあなた。
 きっと――あなたはこの思いを知らないのでしょう。

 じくじくと。言葉と涙の雨が降る。その怨霊はまるでいのちを得たかのように男の前へと現れた。
「知っていた」と沫雪の唇は紡いで、そして、結ばれた。知っていても――知らぬ顔を為ていなくてはならなかったのだ。
 好きも嫌いも、告げることが出来ぬこの立場を、許して欲しい。

GMコメント

 日下部あやめです。宜しくお願いします。

●成功条件
 『小雀の怨霊』の撃破

●ロケーション
 書家『沫雪』の庵。山間に存在し、美しい星と月明りが光源となるような場所です。
 庵の中に怨霊は姿を現しますが、泣き濡れて、沫雪を見守っているようです。
 但し、この日は三稜姫がこの庵を訪れる予定だったようです。
 其方の足止めが必要かも知れません。

●小雀の怨霊
 八百万の娘、小雀姫の生き霊。呪詛を使用し、その深き思いが形を為したもの。
 長きに渡り沫雪に片恋を為ていました。しかし、その恋を発露してはならぬと、美しく書にのみ情熱を注ぐ美しい青年が『一人で居る事』で恋を諦めようとしていたようです。
 非常に身勝手ですが、そうしなくては、いけなかったのでしょう。
 神秘攻撃を中心に行い、涙を流し、範囲攻撃も使用します。

 あなたが、他の人を愛すから。私にもその芽が有ると思ってしまうから。
 浅ましいけれど、想ってしまえばもう止まらない、あの女が憎らしい。

●沫雪
 書家。一部では評価が高いそうです。白雪が如き美貌の青年です。
 無口、無表情です。三稜姫の父に乞われその技術を彼女の生家に与えるために婚姻を行います。
 幼き頃からの小雀をよく知っており、彼女の恋心には気付いていましたが、立場が許さず、好きも嫌いも答えることは出来ませんでした。

●三稜姫
 山の庵まで向かってきます。ふんわりとした愛らしい娘。沫雪のことは好んでいるようです。
 また、小雀のことは知っており沫雪の命が狙われているのではと焦り、彼の元へ急いでいるようですが……。
 小雀の怨霊と出会えば必ず狙い撃ちにされます。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はAです。
 想定外の事態は絶対に起こりません。

 どうぞ、よろしくおねがいします。

  • <巫蠱の劫>ゐとをしゐと願ゑども。完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2020年09月03日 22時10分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費100RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

ジルーシャ・グレイ(p3p002246)
ベルディグリの傍ら
如月=紅牙=咲耶(p3p006128)
夜砕き
長月・イナリ(p3p008096)
狐です
アシェン・ディチェット(p3p008621)
玩具の輪舞
泰舜(p3p008736)
鐵 祈乃(p3p008762)
穢奈
鬼龍院・氷菓(p3p008840)
寒獄龍図
ルーキス・ファウン(p3p008870)
蒼光双閃

リプレイ


 深々と茂る草木は夏露に濡れその鮮やかさを披露する。錦に染まるにはまだ時があるであろうか。深き森の草木の音を聞きながら『月香るウィスタリア』ジルーシャ・グレイ(p3p002246)はその美貌のかんばせを引き攣らせた。曰く――『おばけは怖い』のだ。夏爛漫なる神威神楽。人為的且つ霊的、そして、物理では無く神秘の作用、其れこそが呪詛の定義とは言うが『生き霊』と情報屋に称されればおっかないもの。
「……生き霊って事は小雀ちゃん本人はまだ生きているのよね?
 じゃあ厳密にはお化けじゃ無いわよね、きっと! がんばるのよ、アタシ!」
「ああ。生きていて『生き霊発生時にゃ気を失ってる』――とかじゃ無いか?
 色恋沙汰ってのはおっかねえな? だが、言葉で表せんのもまた愛だろ、行動しないよりはいいさな」
 頬を掻いて泰舜(p3p008736)はそう言った。色恋沙汰より派生した生き霊呪詛事件。思いの強さが姫そのものを顕現させたと言うのならば、それだけ大きく言葉に出来ぬ愛であったのかと関心さえ覚える。
「色恋ね。小雀の怨霊……人を本気で好きになるとこげんことにもなるんたいね。
 あたしには、そこまで想ってもらえるのは良いことに思えるばってん、人を傷付けるくらいの情熱はどげんかせんといかんね」
 きっと、沫雪と言う書家だって――と口にしてから噤む。『穢奈』鐵 祈乃(p3p008762)は、そして、『寒獄龍図』鬼龍院・氷菓(p3p008840)は神威神楽には家同士の婚姻なる物が存在していることは識っている。
「小雀姫様の怨霊を呪詛返しが起きぬように退治致しましょう。
 拙には恋は理解の在る処では在りませんが、この結末が不幸と怨みに塗れるのは余りに侘しい」
 目を伏せる。美しい少女のようなかんばせに哀愁乗せて『彼』は溜息を吐いた。氷菓と同じく、『恋心には疎い』と自覚する『無銘の刀』ルーキス・ファウン(p3p008870)は「恋心が転じて怨霊に、とは……」と憂うように目を伏せる。
「そこまで思う相手が居る、というのは少し羨ましいような気もします」
「ええ、そうね。羨ましいかも知れない……けれど、好きな人を傷つけてしまうのは小雀さんにとっても――きっと……」
 きっと、恐ろしいことであろうと。『玩具の輪舞』アシェン・ディチェット(p3p008621)は不安げにそう言った。畏れるように、唇を震わせる。話を聞くだけならば家同士の婚姻、幼き頃から側に居た間柄――アシェンは小雀の恋が叶って欲しいと願ってしまうと、そう言った。
「……でも、他の二人の気持ちも大事、かしら?」
「そうね。恋心ってのは面倒で、今回は古来からよくある『話』なのだとは思うわ。
 恋心と家柄が絡む出来事は面倒ごと、って決まっているもの。でも、此の儘終わらせるのは可哀想だわ」
 きっと叶わぬ恋だから。彼が誰かを愛さなければ諦めがついていたと。そんな、身勝手な諦め方をしなくてはならないほどに『家』とは重責だ。『狐です』長月・イナリ(p3p008096)は行きましょうかと山を歩む。
 茂みを踏み締めればさくりと音を立てた土の感触に『暗鬼夜行』如月=紅牙=咲耶(p3p006128)は人が踏みならしていない場所なのだと茫と考えた。書を生業として、それ故に他舎との距離を取っていた男。彼に在らぬ幻想のように、情を酌み交わす事の無い未来を描いた姫君の事は、分からなくは無い。理解の他にあるわけでは無い、けれど――
「……取り返しのつかぬ事になる前に。彼女を止めねばならぬ。
 しかし力なくとも人を殺せる術、『呪詛』とは本当に厄介な代物でござるな!」
 人を呪わば穴二つ。『貴方が死んだ未来に私は居ない』――そんな、嘘八百が罷り通る呪詛など文字通り『厄介』で『糞喰らえ』なのだ。


 一人、別行動を取るアシェンに「お願いね」とジルーシャはただ小さく告げた。『お化け』と口にすれば恐ろしいけれど、それが恋する乙女であるというならば放置はしていられない。
「……傷ついた心に寄り添い癒やすのがアタシの――『香術師』の仕事だもの。
 例え叶わない恋だとしても、その思いをこれ以上呪いの道具にさせたりするもんですか」
 それに、と再度自身を勇気づける。厳密に幽霊ではない恋する乙女の悩み事なのだから、此処で話を聞かずに白旗では『香術師』の名が廃るのだ。ドリアードの祝福奏でる精霊好みの音色に合わせ、傍らで彼に声かける小さな風精シルフに「大丈夫よ」と小さく笑みを零す。
「御免」と声発した咲耶がするりと沫雪の庵へと入り込む。徐に起き上がった男の傍らには白く霞んだ肢体で泣き濡れる一人の娘――それが、『生き霊』たる小雀か。
「小雀姫様で御座いますか。沫雪様、此処は『神使』たる拙達にお任せ頂けませんか」
 穏やかな声音とは裏腹に握るは切れ味の研ぎ澄まされた軍刀。黄泉津言葉を用いる氷菓が睨め付ければルーキスは沫雪と『怨霊』の間を開くように瞬時にその身を投じた。無銘が僅か光を帯びる。その一閃の軌跡はきらめく星が如く深く間合いへと入り込み『怨霊』が如き女の懐へと切りつけられる――が、『斬った感覚』はない。
「成程、これが怨霊」
「いいえ、生き霊よ!」
 非難めいたジルージャの声にルーキスが小さく笑う。七名の特異運命座標がやってきた理由を瞬時に理解したのは沫雪たる青年が貴族社会にも精通し、『中務卿所以の神使が居る』と言うことを認識していたからに他ならない。
「小雀は……」
「噫、忍ぶれど――色に出た戀の涯てです。彼女に呪詛の素が返らぬように此度は退治させて頂きます」
 氷菓のその言葉に沫雪は小さく頷いた。鬼神の拳に力を籠めて踏み込んだ祈乃は「可哀想ばってん」と小さく呟く。人を本気で好きになった、その気持ちは決して悪くは無い。綾の織物の呪を身に纏った鬼人は唇を震わせる。
「沫雪に一つ言いたい事があるけんね」
「……何、であろうか」
「――沫雪は小雀のこと、どげん思っとるん? ちゃんと小雀と、自分の気持ちに向き合わんと、皆不幸になってしまうばい」
 切っ先を定める。白く揺らめく煙が如き乙女の姿。至近距離、その拳の一撃が衝撃波を放つ。ぐん、と煙が霞むように怨霊の姿が揺らぎ、またも実体を取り戻す。息を飲んだ沫雪は「小雀姫」と彼女の名を呼んだ。
「小雀は、可哀想ばってん少し落ち着こう? 呪詛ば使うなんて良くないけん、生霊は倒すよ。
 でも人を呪わば穴二つちいうし、ここで仕留めてしまったら呪いが返っていかんか心配やね」
 呪いは、人に返るという。そうならぬように沫雪に何かしか対処をして貰うべきかと問う祈乃に自身は何ら役に立たぬと沫雪はその薄い唇を震わせる。
「生憎、私はただの書家で――」
「その書家を好いたのがあの姫さんって事なんだろう。
 ……お前さん、このままでいいとは思っていないんだろう? 上手くいかなくても俺が護るから、取り敢えずは最後まで見てな」
 纏うのは鬼人としての矜持。仇凍土を思わせる要塞の如く巨壁。堅牢なる肉体で泰舜がはあんったの葉的の勢いをも破壊力に変える防御攻勢。護ることで、相手を退ける。泰舜に護られながらその様子をまじまじと見ていた沫雪は「小雀姫は助かるのですか」と呟く。
「さあな。けど、お前さんの事を思って『こうなった』んだ。お前さんを想う者に言葉くらい掛けてやってくれ」
 それ以上、泰舜は言わなかった。譬え話では救えやしない。護られるだけの冬の双眸は切なげに細められていく。


 庵の手前で立っていたのはアシェンであった。ままならぬ運命に乙女の嗜みを抱いて、淡いホライズンブルーのワンピースを揺らして待っている。
 息を切らし、山を走る少女がいた。仕立ての良い外出着は泥に濡れ下駄の鼻緒はぷつりと着れている。黒髪の、愛らしい乙女であった。アシェンはその少女を見て、一目で三稜姫で在ることに気付く。
「三稜さん?」
 柔らかに声を掛ければびくり、と肩が震える。ふわりと揺らいだ黒髪は淡い色彩を纏っている。
「……どなた?」
「ええと……沫雪さんを守りに来た神使よ。貴女も彼のことを守りに来たのよね?」
 アシェンがそう云えば三稜はおどおどとした調子で頷いた。彼女の警戒は未だ溶けては居ない。唇振るわせて畏れるようにアシェンを見遣った其れを説得するが為の交渉に使えた少女は「聞いて欲しいの」と口を開く。
「京で流行っている呪詛に対しては私の仲間がキチンと対応するわ。沫雪さんの事だって護る。
 それから……貴女も危険な目に遭うかも知れない。相手は『呪い』だもの。それに――」
「――その、呪いが小雀さんなら、わたくしが恋敵と云う事でしょう」
 淡々と応える三稜は見かけはふわりとした大人しげな令嬢だがこうしていれば凜と意思を持った娘なのだろう。堂々と応えた彼女にアシェンは頷く。
「だから、安全になるまで少し待っていて欲しいの。捨て身で行かれても護る人が増えて困るわ。
 貴女は戦えるわけでは無いでしょう? それから……お話ししたいことがあるのだけれど」
 三稜は小さく頷いて可愛らしい刺繍を施したハンカチを岩の上に広げる。小さな岩を椅子代わりにして来るべき時を待つ彼女の傍らに腰掛けてアシェンはその横顔を見る。愛しい人の危機に駆けつけてきた割には妙に落ち着いているのは『その元凶』が誰であるかを理解しているからなのか――恋が禍に転じたことをひょっとして、彼女はその幼い身の上で理解しているのかも知れない。
「小雀さんの気持ちは知っていたのかしら……?」
 その気持ちを知っていたのならば。家同士の決定とは言え、理由がどうあったとしても彼を小雀から奪ってしまっているという事をどう思うのか――言い方は悪いだろうとアシェンは想う。それで本音が聞けるなら嬉しいとまじまじと三稜の顔を見遣る。
「そんな物、彼女を見れば一目瞭然でございましょう。婚約をし、沫雪様の許に向かったときに小雀様に会いましたわ。その時に理解をしたのです」
「……それでも、家の決定だから?」
「其れもありますわね。家のために生きてきた、というのも淑女の嗜みでしょうから。
 けれど、お傍に居れば沫雪様のことも好ましく想いますわ。小雀様がこうして凶行に走ったのは残念ではありますが――」
 そこまで口にしてから三稜はアシェンにのみ聞こえるように、ひとつ、告げた。その言葉に息を飲む。ああ、そんな、どっちにしたって悲しくなってしまうではないか。


「小雀殿、お主はこの様な終わり方を望んでいるのか! お主はまだ己の想いをきちんと沫雪殿には伝えておらぬのでござろう?」
 その掌には濡羽の色。始末屋のその掌によく馴染む妖刀を振り上げて咲耶はそう言った。流れる射干玉の髪に掠めた怨霊の掌を受け止める。享楽的で華やかなる花の香りがつん、と鼻先を擽った気さえした。
 張り巡らせるは破邪の結界。青き血の本能がイナリの体を突き動かす。魔性と称するしか無い多重の影を身に纏い因果を超える力をその掌へと降ろす。贋作と、そう名に刻まれた古剣に魔力を重ね冠位魔術を重ね続ける。
「怨霊退治も中々骨が折れるわね」
「……生き霊だからお化けじゃ無いわ!」
 ジルーシャの注釈にイナリは小さく笑った。くすくすと精霊達の揶揄う声に小さく唇を尖らせて奏でる気配に精霊体が躍り出る。『境界』揺蕩う淡い香りは哀れと憐憫、悲嘆を乗せる。物憂げな冷たく澄んだ香りは妖精女王の溜息の如く。身を苛む痛みに怨霊が唸る声を上げればジルーシャは眉を寄せる。
「……ねえ、アンタはそれでいいの? 大切な想いを、このまま悲しい思い出だけで塗り潰して……本当に、後悔しない?」
 うう、ああ、と。唸るだけの稚児のような怨霊の声音に「悲しかったのね」とジルーシャは小さく囁いた。剣の切っ先翻る。至近に迫ったイナリは呪詛をどろりと纏う。自身の腕にまで纏わり付いた黒き気配を其の儘に、伊邪那美の呪詛が迫り行く。
「伊邪那美様は黄泉の国の主様なんだけど敵が怨霊なのよね……流石に即座に黄泉送りしないわね……」
「黄泉に送られたら話にもならないな」と泰舜の揶揄う声が降りる。沫雪はただ、その様子をじっくりと見詰めていた。結果は後悔が少ない方が良い――残る後悔が一つあることを泰舜は気付いている。
 ひとりの男。
 ふたりの女。
 ひとりが不幸になり、
 ふたりが幸福になる。
 それはゐとしい人を想えども――願いは決して叶わぬが儘。
 祈乃は言葉が本人に届くというならば淡雪の気持ちを伝えて欲しいとそう言った。
「大丈夫よ。あたしもそれなりに打たれ強いけんね。
 ねえ、小雀。なして泣いとうと? 好いとうもんが他の女のとこに行くのが堪えられんで泣いとうと?」
 しくしくと音を立てて涙を流した彼女の許へと飛び込んだるーきすの一撃は『その姿』からの解法を望むが如く。
「貴女の気持ちが分からぬ訳ではないが、その姿では話し合いも出来ないでしょう。悪いが斬らせて貰います」
 淡雪は、戦いをこの場で見届けるが為に立っている。それを背に氷菓は幾重も攻撃を重ねた。呪詛が返らぬ様に、華やかなる一撃から転じてその命を殺めぬ様にと意識を刈り取るだけに留めるが如く。
「身を焦がす情熱も、淀んだ憎しみも拙は否定しません。しかし之は、発露の仕方を誤りました。
 其の心は言葉で伝える物で、呪う物では無いと拙は思います。――誤りは正せば良い」
 薄ら、とその怨霊の姿が霞む。ジルーシャはその奥に確かに小雀を見た。
「聞こえてるんね。つらいね、悲しいね……それでもやってよかことと悪いことがあるよ。お家の立場もあるっちゃろ? 大変やねぇ……」
 祈乃は眉をへにゃりと寄せた。悲しいねと唇を震わせれば怨霊の気配が霞む。
 イナリの黄泉へと誘う声に合わせるが如く『始末』せぬ様に刃を振るう咲耶の忍術が怨霊を包み込む。
「今一度、やり直しましょう。この呪詛は拙が撃ち砕きます!」
 氷菓はそう言った。もう一度、言葉にして、想いを伝えることが出来る筈だから。

 ――――
 ――

 しん、と庵は静まり返った。掻き消えんとした怨霊の呪を返さぬ様にと気を配る神使は呆然と一部始終を眺めていた淡雪へと向き直った。
「このまま想いを抱えたままでは心の中に大きなしこりが残りましょう。
 沫雪殿への想いが変わらぬならば気持ちの整理を付ける為にも一度沫雪殿と話しては見ませぬか」
 静かに咲耶が告げた言葉に沫雪は「噫」と唸った。
「何を想い、選ぶのかは全て貴方の自由。けれど、想いは表に出さなければ相手に伝わらない。貴方の本心を、小雀さんに伝えて欲しい。そして彼女を解放してあげて下さい」
 ルーキスの告げた言葉に氷菓は『家』というしがらみがどれ程に厳しいものかを知るかのように眉を寄せた。
 足下に潜ませた影の気配。三稜も一声話したいのだとアシェンが付き添いやってきた其れを緊張したようにジルーシャは見遣る。
「ねえ、沫雪さん。お願いしたいことがあるわ。
 小雀ちゃんの名前を書いてくれないかしら。言葉にも顔にも気持ちを出せなくても……書家なんだもの、文字に籠める心は隠せないでしょ?」
 そう告げたその言葉に、沫雪は俯いた。ぽたり、ぽたりと涙が落ちる。その涙を流したのは、その場に立っていた『ただの一人の少女』。三稜と云う名前の、愛しい人の危機に駆けつけた一人。
「いいえ、良いの。皆様。……わたくし、淡雪様に言う事があったの」
 霞む呪詛の気配に、呪詛が戻らなかったことを安堵してその根源を断った氷菓は彼女のかんばせを見て息を飲んだ。
(――嗚呼、)
 さいわいになるのは二人だけ。ならば、最後の一人は。
「……小雀様とどうか、幸せになって」
 そう告げられた淡雪は立ち上がる。彼女がいる場所へと行きたいと神使へと懇願して。
 泰舜はそっと、彼女の横顔へと語りかけた。怨霊でも呪詛でも無い、それを見咎めた正式なる恋の相手。
「満足できたのかいお三方。とても参考になるような経験は俺にはねえが、まあ……お互いに言いてえことは言うもんだな。
 仕事柄、何もかも話し足りないまま死で分かたれて別離する者もよく見る。
 今持てる時間は大切にすることを勧めるぜ。……ちっと説教くさすぎたか? ははは」
「話すことを――」
 泰舜へと、三稜は言った。
「話す事、諦めて居たのは、きっとわたくしだったのね。
 小雀さまの愛はあんなにも……美しくて、そして、深いんですもの」
 ぽたりと落ちたしずくに泰舜はその武骨な掌をぽん、と乗せた。


 アシェンさん、と仰ったわね。聞いてくださる? 一世一代の発表ですの。
 明日、目が覚めたら――この恋を、諦めようと思う。あの人たちに幸せになってほしいの。
 きっと、わたくしは彼が好きだった。
 ばかな、おんなね。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 この度はご参加有難うございました。
 愛も悍ましい呪いの一種、なのでしょうか……。

 又お会いできますことを楽しみにしております。

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