PandoraPartyProject

シナリオ詳細

晧月をも直隠す

完了

参加者 : 2 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●嚥下する悪の――
 生物とはその命を継続させるためにはある程度のコストが必要となる。それは、シラス(p3p004421)と言う少年にとっては至極当り前の行動理念であった。将来的な展望や未来に対する希望をその唇で遊ばせる前に、真っ当な生活を送らねば未来は青煙の中に霞み往く。
 だから、と言い訳がましく人殺しを正当化するわけではないが彼にとって、与えられた仕事に対して遣る瀬無い想いを抱えることも無い。露命を繋ぐのならば、与えられた仕事を熟す他にはなかったのだから。それがこの国で、幻想と言う長雨の如き放蕩の下で直隠されてきた歪な腐敗である。シラスと言う少年は、自身が生きる為ならば――そのオーダーが殺害であっても、淡々と熟せるであろう。その心に宿すは『依頼を完遂できたか』だけだ。
 その日、偶然であったのかもしれない。ローレットで引き受けた依頼の帰りに、幻想貴族は報酬は支払うからとシラスとアレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)に一つの依頼を持ちかけた。アレクシアからすれば顔色のよろしくはない話ではあるが、シラスの側はと言えば、二つ返事で了承するのである。

 ――急ぎ愛しい黒曜の姫のティアラを奪い返してほしい。彼女に涙を流させた者の命は奪ってしまえ――

 動もすれば貴族という者は自身の手のみ美しく保ち、後ろ暗い事は金銭で解決しようとするものである。命を奪え、といとも簡単に口にした男に、そして、それを『当り前の様に』受け入れたシラスに、アレクシアが感じたのは漠然とした不安であった。
 万人が為のヒーローになど容易くなれるわけがない事をアレクシアと言う少女は知っていた。背に翼を生やして願いを叶える天使様など以ての外だ。だが、救えるならば手を差し伸べたいと願っていた。だからこそ、シラスが何の感慨も抱かずに『依頼の通りに』年端のいかぬ子供を殺したことがアレクシアにとっては言葉にも形容出来ぬ恐怖として、惡のかたちとしてくっきりとした輪郭を見せた。
「アレクシア」
 シラスは傍らに立っていた少女を呼んだ。鳶色の髪で彼女の顔色を伺う事は出来ない。あの日、あの時――彼女が忘れ雪の中に埋もれ往く幼い少年少女を見て、擁いた言葉を口にすることなく、首を振る。
「ううん」
 蒼褪めた彼女のかんばせを思い返して、シラスは自身の唇が紡いだお為ごかしを思い出す。
『罪人なのだから殺されて当り前だ。君が気に病むことはない』
 そんな言葉で彼女の不安と焦燥が拭えるわけがない。あの時、確かに自身の掌にはべたりと幼子の血液が纏わりつき、不快なにおいを纏わりつかせていたのだから。
「ううん、行こう。シラス君。……折角の仕事、なんだから」
「……そうだね、アレクシア。行こうか」
 ぎこちない言葉を交わし合う。その時、シラスとアレクシアは、対照的な場所に立っていた。
 仕事を選ばず確実に熟してきた事への達成感と成果から、他人に認められるという実感をシラスは確かに感じてきた。やり方が間違っていたとも思わず殺す事も仕事の内であった。
 ――だが、人を動かすのは『生存』の為だけではない事を、見てしまった。見てきた時に、自身の手を見て、アレクシアと言う少女と手を繋ぐ事を躊躇った。何かを認めた時に自身を否定し、汚らしいものだと認識する様な気がして――その時に足が竦むだろう。懼れるだろう。それだけは嫌だった。
 アレクシアと言う少女は実に直向きであった。「これが仕方ない」「そういうものだ」と諦めれば物語というものは進まないと知っていた。手を伸ばし、行動する事の大切さを彼女はその身を以て実感してきたからだ。
 ――けれど、願うだけでは何も変わらず、時には手段を択ばず行動せねばならないことを理解していた。希望と期待と、奇跡と、そんな形ない物では救えないことも知っていた。
 ただ二度と自分の気持ちにウソはつきたくない。あの日、ごくりと呑み込んだ悪のかたちを見ぬ振りは、したくはなかった。

 そんな、対照的な場所に立っていた二人に。
 雪の日を思い返す様に一つの依頼がやって来た。
 あの日、幼い子供を殺してしまえと告げた男は自身の寵妃が拐かされたと半狂乱で告げたのだ。愛しの姫が無事であれば他は何でもいいと二人に懇願する。
 その時、二人の掌には、三人の男の命が転がされた。
 ――殺せば、そこで終わりだ。命と言うのは実に呆気もない。
 ――捕らえたならば、後程、この腐敗しきった心を是とする男は見せしめの処刑を行うだろう。
 ――逃がせば? 逃がせば、ああ、そうだろう。『また』があるかもしれない。

 早くと懇願する男に邸より放り出される。考える時間は、少ないようだ。
 ふと見上げれば顔を覗かせ微笑んでいた晧月は、今はもう紫の雲に覆い隠され闇を齎していた。

GMコメント

 リクエストありがとうございます。日下部あやめです。
 当シナリオはショートストーリー『嚥下する悪のかたち』の続編です。

●成功条件
 『黒曜の姫』の救出
 ※誘拐犯の生死については当シナリオでは問いません。

●幻想の辺境伯
 幻想の片田舎、かの国には良く居る――シラスさんにとっては『慣れた』存在かもしれませんね――長雨の如き放蕩により腐る性根の男が領地を収めています。
 彼には白百合の如く美しい寵妃が存在し、彼女が此度、男の政り事に反感覚える者達によって拐かされたのです。
 周辺状況等には余り詳細的な事を考えなくても良いです。

 当シナリオは『心情』を中心に判定させていただきます。
 特異運命座標のお二人に掛かれば誘拐事件の解決など簡単な事です。
 ――ですが、此度、貴族は『誘拐犯の処遇はおまえたちに任せる』と指示しました。
 愛しの黒曜の姫が無事出れば、それで構わぬと。
 
 戦闘に関しては『殺す』のか『捕縛するのか』の最終方針を決めてください。
 それ以外は必要はありません。酷くおびえた様子の寵妃はお二人を見て安堵し、危険な行為は行いませんし、誘拐犯も所詮は『領民』です。
 ・殺す場合はそこで誘拐犯は終わりです。
 ・捕縛の場合、見せしめで処刑されます。直接的に手を汚さぬだけです。
 ・逃がした場合、また同じことを起こすかもしれませんが彼らの命は無事です。
 お二人が心の儘に、選びたい選択をどうぞ。
 お二人の方針がズレた場合は最終的には貴族の私兵が追いつき『捕縛』に落ち着きます。
 課されたオーダーは姫の無事、だけなのですから。

●寵妃
 腐敗しきった地方貴族い大層甘やかされている美しい娘。白百合の様な肌に、黒曜の瞳を持った美女です。
 甘やかされた彼女はそれが当たり前であり、外について知る由もありません。生活に苦しみなどなく、誘拐犯が怒っている理由も分からないのです。

●誘拐犯*3
 辺境伯の治める領地の領民達。重い税率に苦しみ、領主に対しての対話の為に寵妃を浚いましたが、所詮は只の領民なのです。
 彼らは生きる為に誘拐しました。彼らにとっては何も知らずにぬくぬくと過ごす寵妃こそ、領主が腐敗する理由の一つです。
 知らぬことが罪ならば、寵妃は罪を背負っていますが、知らぬからこそ無垢な彼女は恐怖に駆られ泣いているのでしょう。
 彼らは弱いです。ですが、生きる為と行動を起こしました。
 殺すか、捉えるか、逃がすか、それはお二人次第です。

 それでは、足を止めたくないあなたと、嘘を吐きたくないあなたの選ぶ未来をお待ちしてます。

  • 晧月をも直隠す完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別リクエスト
  • 難易度-
  • 冒険終了日時2020年07月03日 22時10分
  • 参加人数2/2人
  • 相談6日
  • 参加費---RC

参加者 : 2 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(2人)

シラス(p3p004421)
超える者
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
大樹の精霊

リプレイ


 喉元過ぎれば熱さを忘れる――なんて、嘘吐きだ。

 瑞々しい草木は白雪を忘れたようにその芽を瞬かせる。初夏の日差しを受け止めた幻想の片田舎のその街にシラス(p3p004421)と『希望の蒼穹』アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)は見覚えがあった。蕩ける様な旭日は二人の影をのっぺりと黒く伸ばし続けた。蜂蜜色の石畳に靴音を響かせて歩む二人の足取りは何時もより密やかに。まるでささめきごとを口にするかのように、なだらかな山の向こうに隠れる太陽を見送った。黒き影を視線で追いかけてからシラスは「アレクシア」と彼女の名前を呼んだ。
「……シラス君」
 彼の名を呼ぶ。たったの三文字、呼び慣れた筈だと言うのに今日と言う日は錘の様に口蓋へと圧し掛かる。唇から音を諳んじる事さえ厭わせる倦怠感を振り払って、アレクシアは昊天の瞳で真っ直ぐにシラスを見た。
「――信じてる」
 隘路を進むかの如く、シラスは息苦しさを感じていた。露命を繋ぐ為ならばどの様な事だって仕事とした。アレクシアが煙たがる悪事であろうともシラスにとっては其れは必要な事であったのだ。鼠が限られた餌に齧りつく様になんだって咀嚼した。嚥下した悪のかたちなど、最早、憶える事すら面倒で。だと言うのに、あの日のアレクシアの表情がどうにも離れない儘なのだ。真赤な掌で彼女の手を引くことも出来ない儘、薄雪の上を歩いたその日の事がどうしても後ろ髪を引いた。未だ、宿雪の如く根強く溶け切らない儘の雪は自身とアレクシアの事を別ち季節ごと置き去りにしたかのように感じられた。

 ――でも私、イヤなんだ……
 シラス君がこれ以上手を汚すのも、それに慣れていってしまうのも……
 このままいけば、いつか手も握ってくれなくなるような、そんな気がして……――

 手を握って。傍に居て。その体温が、何よりも君と共に存在する時間を証明してくれるのに。
 アレクシアの不安がその頭を擡げた。血に濡れた掌でその白磁の指先を掴む事を厭わせるのは確かだ。

 ――アレクシアのことが好き……一番の友達だよ。

 ――……大丈夫、心配しなくても何も逃げやしない。私も、ここにいるよ。

 思い返す。鈍くなる歩みに、無理矢理にでも足に信号を送り動かした。踏み締めた石畳はやけに固く、足を押し返してくるようにも感じられた。
 二人で決めた行動方針はシラスにとっては本来のやり方には程遠い。もしも此れがローレットを通した依頼でなかったならば、シラスは領主の元へと誘拐犯を引き連れ、『見せしめ』でも何にでもすればいいとその命を投げ売っただろう。領主は貴族で、誘拐犯は平民だ。民草が貴族に害を為したならば死罪と言う道を逃れることは出来ない。
(それを捕まえて引き渡すだけだ。何ら胸は痛まないし、その命の重さも感じる事はない。
 領主は満足して、俺にまた仕事を寄越す――寄越すはずだったんだ。けど――)
 シラスはアレクシアの凛とした横顔を眺めた。真白の頬は僅かに色彩を褪めさせた。緊張しているかのように固く唇を閉ざした彼女から視線を逸らしてからシラスは「さあ、行こう。間に合わなくなるぜ」と彼女を促した。


 世界は、希望と愛に満ち溢れてる。沢山の愛と希望を蝋燭に詰め込んで優しさの焔を揺らして、その命は燃え盛る。そんな物語を読んだことがある。幼い頃に見た可愛らしい古びた絵本だ。蝋が溶ければ命は失われてしまうという漠然とした恐怖に泣いた日、初めて死という逃れられぬ未来を理解する。アレクシアにとって――シラスは大切なひとだ。傍に居る事で、心が落ち着いた。然し、あの日に、幼き罪人の赤い血を綿雪で覆い隠す様に立っていた彼が『怖かった』のだ。
 心拍数が上昇し、寒々しい空の下、頬の赤さが引いていく。彩の抜け落ちたかんばせに、心配するように掛けられた言葉は余りに上辺をなぞるだけの気休めであった事をアレクシアは憶えて居る。
 けれど――彼は『シラス君』は心配してくれてた。彼が優しい人である事を疑う訳がない。あの日は、総てを彼に任せてしまったのだ。雪が覆い隠す様に罪が流れて往くのを黙っていた。彼が嚥下し、『消化』した罪に恐れたのは自分勝手なだけなのだから。

 ――……私はもうウソは付かない。ちゃんと向き合うよ。

「……誘拐犯は『逃がす』。逃した先がどうなるかはわからない。
 結局また同じことが繰り返されるだけかもしれない。分かってるよ。原因が消えてなくなった訳じゃない」
 アレクシアは独り言ちた。前往くシラスと『決めた』時に、どうしても彼に『境界線』を超えて欲しくなかった。美しい月の照らしたその場所から、薄い雲に覆われた隠れたその領域に、進んで欲しくなかったのだ。
「……ここで生命を断ってしまえば、未来は存在すらし得ない。
 僅かでも可能性があるのなら、私は常にそれを信じていきたい……その可能性に向かって手を伸ばし続けていきたい」
 唇を噛んだ。「アレクシア」とシラスが振り返る。影に隠されて、そのかんばせに浮かんだ表情は良くも分からない。
「俺はさ、『あんな奴ら』を救いたいっていう君の事が分からなかった。
 君の言う通りだ。どうせ、此処で逃がしたって同じことをする。次は寵妃を殺すかもしれないぜ?
 人間なんて、追い詰められたら何をしでかすかすら分からないんだ」
 闇の中で、シラスはそう言った。その唇から紡がれる声音は何時もよりも冷やかで、アレクシアはあの日に感じた『怖い』と言う感覚が足元からにじり寄ってくる気配を感じる。
「……けど、君が救いたいって言うんだ。納得できなかった理由を何度も何度も考えたよ。考えてみたらね、俺は恨んでるんだ」
「恨んでいる?」
「そう。あのスリの兄妹を人殺しにまで追い込んだ村人の冷たさ。
 そこに俺が子供の頃に接した大人達を重ねてる。無関心どころか酷く意識してたよ。
 ……冷静じゃないって今は自分で分かる。けどさ、『君だって分かってると思っていたよ』」
 酷く、落胆したような声音だった。「分かってよ」とぶっきらぼうに、投げつけたその声は縋るかのような響きを孕んでいる。シラスと言う少年が、アレクシアという少女に救いを求める様に。
「……分かってる――分かってるよ。
 自分の手を汚したくないわけじゃない。ううん、むしろ必要ならば汚す覚悟はできているつもり。
 それが未来を拓くためなら、護るためなら、私はいくらでも、なんだってやってみせるよ――けどっ!」
 アレクシアは、声を荒げた。影の向こうからシラスの手が見える。未だ何にも汚れぬ白い手が、ぶらんと降ろされた儘、行き場を失くした惑う様な掌が。
「でも今回は違う。元を糺せば領主さんが悪いという気持ちもあるけれど……何より誰かの未来を、可能性を閉ざすことに私は手は貸せない!
 私は――私は『分かってる』よ。分かってるから、だからこそ私は君を放っておくわけにはいかないの! 黙ってみてられないの!」
 君が、遠くなってしまう事を、見過ごして居られない。叫んだ。腹奥から絞り出す様に、彼の歩みを止める様に。その掌を、繋ぎとめる様に――


「だけど、今のままを続けた先にあるのはきっとまた別の澱なんだ!
 私は――私が『感じた恐怖』を、他の人に伝えたくない。シラス君と向き合える人が減るのが、怖いんだ!」
「先にあるのは澱なんかじゃあない! もっと高くて澄んだ場所なんだ!
 今話してる俺のちっぽけで情けない恨み言もきっと消えて無くなる!」
 二人は澱に過ごす。世界から見捨てられた様に。神様は、残酷な時間を与えた。
 地を這い蹲り、惧れを飲み干し手を汚した少年。物語に漂って、ベッドで外界を見続ける少女。
 その澱より逃れても――行き着く先が澱だと言われたならば。
「今のままがダメだっていうなら、他にどうしろって言うのさ!
 ――俺なんかじゃキミのように強くはなれない!」
 俺は――
「私はいなくならない。どうなっても最後まで君と向き合う。
 手を離そうというのなら、無理矢理にでも掴みに行く。
 私はもう『仕方がない』なんて見捨てたくはないし、自分の気持ちにウソもつきたくないから」
 影の中のシラスの掌を、アレクシアは掴んだ。話さないよと、その骨張った指先に絡めて、ぎゅ、と握りしめる。石畳の上、アレクシアは進んだ。
「……アレクシア」
 あの日、言いたかった言葉が、そこにはあった。『これ以上は駄目』とも言えない儘に見送り続けたその背中が、酷く重たい荷物を背負っているように思えて。
(ああ、そうだね――そうなんだ
 私はきっと、シラス君が本当に『何でもやる』事に向き合ってこなかったんだ)
 もう、誰かの代わりに誰かの未来を閉ざすようなことをしてほしくない。
 命を奪うことは――きっと、恐怖を振りまくことになるから。未来を閉ざしてしまうから。
「殺さないで」
 ダメ、と君を繋ぎとめる鎖の様に、アレクシアの言葉は重たくシラスへと絡みついた。


 誘拐犯が過ごすという廃屋に向かいながら、シラスは繋がったままのアレクシアの掌を茫と見下ろした。
 海洋での戦いの前に、彼女と二人になった日を思い出す。今日が最後かもしれないと揺れる蛍を眺めていたその時に、言葉にしたかった。彼女に『シラス』の心を渡して汲んでほしかった。
 その唇が「シラス君」と呼ぶ喜びに、その瞳が「大丈夫」と笑う安堵に、その掌が「一緒に」と分けてくれる体温に。
 ――好きだよ、と。言えなかった。自分を省みれば汚らわしくて、『きれい』な彼女を汚すことが出来なかった。思えば、掌が垢汚れ、人殺しという拭え切れない罪がこびり付いている。
 そうして居る内に自分はアレクシアを遠ざけるのだろう。きっと、彼女と手を繋ぐ資格がないと遠ざける。彼女が、どれだけこの手を取ってくれても、止めてくれと払い落としてしまう様に。
(――そんなの嫌だ)
 子供の様に駄々を捏ねた。やっとここまで来た。清濁併せ吞み、やっとこさ上り詰めた『今』。
 誰かの賛美を受けながら、シラスと言う存在を無視させない。あの日、『冷たい大人』の冷めた視線を受けたそんな悍ましい世界に、二度と戻りたくない。
(きっとこの先に進めば報われる。自分が生まれた意味を確かめられる。
 その歩みを緩めるなんて俺は許せるのか? ――『彼女に従って』良いのか?)
 掌に力を込めれば、握り返してくる柔らかな掌は暖かい。大丈夫、と告げる様な仄かな体温が、生暖かい気配に揺らいでいる。

 分からない。

 分からない。

「シラス君……行こうか」
「……そう、だね」
 廃屋へと、辿り着いたならば後は早い。思えば、この場所まで辿り着くまでに短くも長い旅をしてきた様な気さえした。繋いでいた掌が離れる。
 扉を蹴破る様にその身を躍らせたシラスの瞳が誘拐犯を捕らえた。その審美眼は持ち得たものだ。相手が強者であるかなど明らか。他愛もない程に地へと転がり落ちていく其れ等を、今までは意識さえ失わせ混濁した記憶に自身の顔が刻み付けられようとも気にする事はなかった。だと、言うのに。今はどうしても彼らにそのかんばせを見られることを厭うた。名すら呼べない儘、アレクシアに一瞥投げれば美しき瓣は魔力の如く周囲を覆い尽くした。
「まあ」
 感嘆の息を漏らしたのは拐かされた寵妃であったか。随分と暢気なものだ、とシラスは感じたものだ。今まさに自身の生命を脅かされたとて、何ら可笑しくはないのだ。彼らは領主が要求を呑まなかったならば、無論、彼女に危害を加えた事であろう。アレクシアは月明りの下、その顔を隠すことも無く堂々と晒す。
「こんばんは、彼女を返して貰おうと思ってきました。私たちは貴方達に必要以上の危害を加えるつもりはない。
 それに、何かあったらこんなことをせずに私たちを頼ってほしいんだ。……何か伝えたいことがあるなら彼女に言ってくれてもいいよ。私たちは彼女を領主の館まで送り届けるから」
 凛と、その声は響いた。寵妃は「お迎えが来たのね」と朗らかに笑みを浮かべている。彼女の無事を確認していたシラスは『何も知らない無垢な子供』のような彼女に内心苛立ちを感じたが、それをうまく喉奥へと押し込んだ。
(――お前のようなやつがいるから、『俺』が出来るんだ)
 そうは言わなかった。依頼人の意思に従うならば、彼女にそう言った言葉を掛ける事も望まれない事だろう。彗星に願いを掛けるかのように、叶う訳がないと諦めてしまいそうなな言葉をアレクシアは惜しげも無く――綺麗事だ! 意味がない! そんなことしたって! シラスがそう断じてきた言葉を――掛け続ける。
「貴女が、領主様の言うお姫様? ……どうして、攫われたか、なんて今は私から説明はしないよ。
 けど、考えて欲しいんだ。どうしてなのか。此れがいい転機になって欲しい。
 外の世界の事を、たくさん知って欲しい――この地が変わる手助けは、いくらでもするから」
「わたしが攫われた理由が、なにかあるのね?
 ああ、けれど、旦那様は何も教えて下さらないわ。俗世の事なんて私は知らなくていいのよ、って」
 夢見るオパールの瞳が細められる。美しい。只、それだけを塗り固めた甘ったるい砂糖の様な少女。そっと、彼女の背を撫でて、逃げ往く誘拐犯の背中を見送っていたアレクシアはにっこりと微笑んだ。
「シラス君、有難う」
 それ以上は――言わない。信じていたから、これ以上の言葉はいらないのだとでもいう様に。
 アレクシアの穏やかな笑みを受け止めてから、シラスは「ん」と小さく答えた。

 ――答えは見つからない。晦冥の中、只管に走り続ける。

 此の儘、進むべきなのかさえ、分からない。道など、どこにもないような気がして。
 シラスはぐっと息を飲んだ。くるくると踊る様に無垢なる姫君が立ち上がって月を褒め称える声を聞く。
 雲に隠された月は柔らかな輪郭で二人を見下ろしてくる。
「アレクシア、行こうか」
 分からない。

 分からない――けれど、握りしめた彼女の掌は、暖かかった。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 この度はリクエスト誠にありがとうございました。
 お二人にとって、天秤は大いに揺らいだのでしょう。
 煌々と照らす月に隠されていたその気持ちが、屹度互いに伝わりますように。

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