シナリオ詳細
<クレール・ドゥ・リュヌ>鈍色の背中
オープニング
●
――ああ、神よ。どうして私にこの様な試練をお与えになるのでしょう。
私はこの仕打を屈辱を受け入れなければならないのでしょうか。
少女の嘆きは薄暗い部屋の中に掻き消える。
白い肌には血が滲み、屈託のない笑顔は何処にもない。
暗い瞳に浮かぶ涙はとうに枯れ果てた。
助けを呼ぶ声も掠れて久しい。
少女の世界は何の曇りもない日常だった。陽は等しく昇り、夜は静かにやってきた。
優しい人々に囲まれ、慎ましくも過ごし。幸せを神に祈る生活。
朝は晴れやかにやってくる。
けれど。それが叶わぬ夢となったのは、いつかの夜のことだ。
小さな村は山賊に襲われたのだ。為す術もなく男は皆殺しにされ女子供は連れ去られた。
陰惨な仕打ち。言葉にすることなど憚られる行為を刻みつけられ泣き叫んだ。
――どうして。どうして。
なんで。なんでなんで。
痛い。苦しい。
死にたくない。死にたくない。
苦しい。苦しい。痛い。
殺して。殺して。
もう、殺して。
「ころして……」
――――
――
「お嬢さん、こんな夜更けにどうしたの?」
穏やかで優しそうな老婆が一人立ち尽くす少女を心配そうに見つめた。
「どこから来たの? そんなにボロボロの服で……うちに来るかい?」
心配そうな瞳で少女の顔を覗き込む老婆。
少女の顔は絶望と虚無の間の枯れ果てた表情を浮かべていた。
きっと大変なことがあったのだろう。老婆は少女の肩をそっと抱いて家に誘う。
「……して」
「え? 何だって?」
少女の掠れた声に耳を傾ける老婆。
「ころして」
ぽつりと少女は告げた。ぽろりと瞳から涙が溢れる。
「こ、殺してって。あんたどういう事だい? 何かあったのかい? 大丈夫。大丈夫だよ。このババアがついてるからね」
老婆はボロボロの少女を抱きしめて背中を擦った。
「……そう、そうさ。このババアがついている。ついてるからさ。あんたは心配しなくても、いいんだよ。あんたは綺麗で若いんだから、このババアと一緒に居れば。居れば。大丈夫なのさ」
老婆はこの可哀想な少女を守ってやらねばならないと強く思った。普段の穏やかな老婆からは発露しない強い意思。この少女と一緒に居た時間などほんの数分なのにも関わらず、彼女の心は湧き上がる情動に突き動かされていた。
「私があんたの何もかもを守ってやるよ」
これを母性と呼ぶのだろうか。老婆にも三人の子供が居た。その子らよりもこの眼の前の少女は庇護欲を掻き立てられる。毒に冒されるように。老婆の思考が塗り替えられていく。
「全部。全部。守ってあげる。ねぇ、お爺さんもそうおもうだろう?」
「婆さん、どうしちまったんだ?」
老婆が帰ってこない事を心配した老爺が姿を表した。自分の妻がまるで別人みたいに強い意欲に燃えているのを目の当たりにし、恐る恐る問いかける。
少女と老婆に近づいていくに連れて、老爺の耳元で囁くような声が聞こえ始めた。
それは、狂気へと誘う悪魔の呼び声。
――肯定する。思うままに。欲し奪い。雄叫びを上げるが良い。
「ひ、ひぃ! 神よ。神よ! この老いぼれに加護を。お守り下さい。我と我妻をお守り下さい。お守り下さい。守って…………自分の妻を守るのは他の誰でもない。自分自身。ああ。そうだ。ワシが守らねば。全部ぜんぶ全部まもってやる。ワシがまもってやる」
みしり。みしりと毒が回る。
篝火の作り出す影が薄灰色のレンガに揺らめく。空には群青が広がり金色の星が煌めいていた。
日中の暖かい日差しが嘘のように、肌を切る風は冷気を帯びている。
何処かで土を蹴る音がした。
ぞろり、ぞろりと幾人もの足音がレンガに反響して霧散する。
●
「ああ、遠路遥々ようこそおいでくださいました。ローレットの皆さん」
月の明かりが白い法衣を映し出す。白亜の杖を揺らし『司祭』リゴール・モルトンは柔和な笑顔をイレギュラーズに見せた。これから戦場に赴くには些か不相応な程に穏やかな微笑み。
リゴールは聖職者である。高い治癒能力を有しているとはいえ、彼の戦闘能力は皆無と言っていい。そんな彼までもが現場に駆り出され陣頭指揮を取らねばならない状況に、イレギュラーズは気を引き締めた。
「件の黄泉返り事件のことはご存知だと思います」
このところ、天義首都フォン・ルーベルグでは黄泉返った死者に関連する事件が多発していた。親しい誰かが在りし日の姿で戻ってくる。天義において禁忌とされる死者蘇生。紛い物とはいえど愛しき人が帰ってきたとなれば、束の間であろうとこれを維持したいと思うのは道理。調査は難航し白羽の矢が立ったのがローレットであった。
「ローレットの皆さんが居なければ今頃この国はどうなっていたかも分かりません」
レギュラーズが尽力しなければ、全てが後手に回りフォン・ルーベルグは阿鼻叫喚の地獄と化していたかもしれない。
「今回、皆さんにお願いしたい依頼は黄泉帰った死者と取り巻く魔物を退治するというものです」
「ってことはまだ何の解決もしてねぇ、ってことか」
リゴールはイレギュラーズの言葉に頷く。
確かに黄泉返りの死者は倒され、泥になって消えた。
しかし、ここにきてそれらと同調するように、魔種や暴動などが発生するに至っている。
フォン・ルーベルグの市民は非常に規律正しい人物が多く、そういった暴動は通常ならば起きうるはずがない。
事態はかつて<嘘吐きサーカス>が居た頃のメフ・メフィートでの事件を思わせるものだ。
レオンがざんげに確認した所によれば、<滅びのアーク>の急激な高まりもあの時を思い出させるものだという。狂気に侵された市民達は『原罪の呼び声(クリミナル・オファー)』の影響にあると見て間違いないだろう。
だがサーカス公演のように、に分かり易く人を集め、感染を拡大する旗印が表に出ている訳ではない。
これに対しローレットのマスターであるレオンは一つの仮説を立てていた。
――立て続けに起きた二つの事件が無関係とは考えにくい。
フォン・ルーベルグの異常性の連続性から考えて戻ってきた誰かが『アンテナ』なのさ。
俺は魔種の能力は知らん。よって、これも推測に過ぎないがね。
自分にとって全く関わりの無い赤の他人と、自分にとって大切な誰か――より感情を揺さぶるのがどちらかなんて、魔種がどうこう以前に分かり切ってる。
嗚呼、ただ……きっと誰にとっても不幸なのはな。
オマエ達の調査によれば、『黄泉返り』が別段敵対的、悪意的じゃなく、生前の記憶や記録、或いは時に人間性や知性を残していると推測されている事か――もし、連中が操り人形なら、それは尚更『冷たい』話さ。
奴等はそれをそうと知りながら、大切な誰かを狂気に落とさなけりゃならないんだから――
ともかくイレギュラーズはリゴールに従って現場へと急行するのだった。
●
それは――どこか異様だった。
一人の少女を囲む影。
人、人。
人――人人人。
間違いなくターゲットだ。
イレギュラーズはリゴールに目配せしようと振り返るが。
突如、彼は肩をぶつけながら三歩ほど進む。
「カティ……?」
眼前の少女は、彼が知るカテリーナとは似ても似つかない。
黒髪の線が細い少女というだけの、赤の他人だ。
だがリゴールの中にくすぶる何かが、わずか一瞬だけ見当違いをさせた。
――何故、今此処にカティは居ない。
死者の魂が蘇るというならば、私達二人の前に彼女が表れないはずがない。
リゴールはロザリオを握りしめる
――本当にカティは死んだのか。その死をお前は見たのか。アラン!
『もしも彼女が戻ってきたならば』
その胸に去来する刹那の想いが、瞳を曇らせる。
きっと何かの呼び声から耳を閉ざすように。
きっと何かにすがるように。
彼はイレギュラーズへと振り返る。
ほぼ同時だったろうか。人々の瞳がイレギュラーズ達へと一斉に向けられた。
- <クレール・ドゥ・リュヌ>鈍色の背中完了
- GM名もみじ
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2019年05月27日 21時00分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
――死者が帰らぬと誰が決めた。
魔種は不倶戴天だと誰が決めた。
真理は我等と共に奪い去ろう。
カティを取り戻せ。
リゴールを連れて行け。
「……こいつが、呼び声ってやつか。こりゃあ確かに、甘い囁きだぜ」
頭の中で響く声に男は薄ら笑いを浮かべる。
――――
――
何故、この世は理不尽に溢れているのか。
何故、人は苦しまねばいけないのか。
カーマインの瞳が戦場を仰ぐ。口元に微笑みを浮かべ彼女を包む骨の手がカラリと軋んだ。
苦しみが生まれる過程に答えなどありはしない。そこにあるのは物語の一頁。
情動に突き動かされ、何を想い、何をするのか。苦悩と涙に彩られた御伽噺は、きっとどんなお菓子より甘くて濃密な味がするのだろう。『カーマインの抱擁』鶫 四音(p3p000375)は楽しげに赤い唇を細める。
「黄泉帰りに魔物退治ね……しかし原罪の呼び声って本当に厄介ね」
涼し気な瞳を流す『浄謐たるセルリアン・ブルー』如月 ユウ(p3p000205)は小さくため息を吐いた。
眼の前の戦場の奥。魔物共と市民に守られるように佇む少女に眉を寄せる。
絶望と死の狭間。ユウ自身も僅かに覚えがある。他人から与えられる屈辱に為す術もなく心が壊れていく感覚はもう二度と味わいたく無いものだろう。
「……いいわ。これ以上辛い思いはしたくにわよね……なら私達が終わらせてあげる」
許しなど乞うつもりもない。この手で一瞬にして葬り去ること。それがユウに出来るせめてもの手向けだった。自身の守るべき人達の安寧の為に。あるべき姿へ返すのだと胸元で指を握り込んだ。
「ふぅん?」
小さな羽音と共に腰に手を当てた『蒼ノ翼』ルーキス・グリムゲルデ(p3p002535)は至極冷静な心で戦場を見据えていた。彼女にとっては何時も通りのなんてことの無い仕事。相手が無力で無害であろうと、その存在自体が世界の悪であるならば滅ぼすのみ。死者は地上に居てはならない。最も当たり前で覆らない真実をルーキスは違えない。
三七式魔導銃を構え前線に駆けるルーキス。最奥のナタリーナに照準を合わせ、サファイヤの弾倉を解き放つ。青き氷の残滓が尾を引き闇夜に光が弾けた。
その光弾と共に最前線に躍り出てきたのは薄桜を纏う『藍玉雫の守り刀』シキ(p3p001037)の黒髪。
澄んだ青を讃えた大太刀が白蛇の前に閃く。
死んでしまった、今はもう居ない誰かに会いたい。それは武器であるシキの中には無い感情だ。自分に出来る事は折れぬ事がないよう、置いていかれることのないよう。主の為に斬り続けるのみ。
星空の下で約束をした日から。その想いはシキの中で強くなるばかりだった。
白蛇への一閃。大狼との分断を狙ったその刃に蛇の身が翻る。
ペールグリーンの風にシキの桜が舞った。『調香師』ジルーシャ・グレイ(p3p002246)が放った風の刃はシキの背に迫っていた魔狼の爪を腕ごと吹き飛ばす。ジルーシャのウィンクにシキが小さく頷いた。
ジルーシャは大狼とその奥に見える月光人形を一瞥する。
ボロボロの服に絶望に揺れる虚ろな瞳と枯れ果てた涙のあと。『黄泉返り』に巻き込まれた少女の姿。
不幸な最期を迎え、それを無理やり続けさせられている可哀想な子供。誰に罪があるわけでもない。それでも、もう一度殺す事でしか救えないのなら。手にした楽器で奏でる哀愁の音色。精霊がジルーシャの頬を心配そうに撫でていく。
「……ホント、誰の仕業だか知らないけど、吐きそうなくらい「いい趣味」してるじゃない」
ジルーシャはこの国に厄災を齎す何処ぞの悪魔を罵った。
「俺は極悪人だからなァ」
反吐が出るほどに胸糞悪い舞台だと『死を呼ぶドクター』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)は煙管を吹かす。――愛とは時に人を狂わせる、か。全く持って悪趣味だと彼女は瞳を伏せた。
レイチェルの黒いマントの下に見える肌が赤く揺れる。右半身を覆う復讐の緋色は魔力を帯び、彼女の周囲の魔素を呪いの形へと変容させていった。広がる神の呪いは黒い奔流となり大狼に爪を立てる。
「……なんとかなるさ」
白蛇と大狼を避け敵の側面から戦場へ切り込んでいったのは『撃鉄の』ヤナギ(p3p006253)だった。
狙うは少女を守るようにヤナギの前へ出てきた市民たち。
「ほおら、こっちだ! その子を守りたいんだろ!? 俺なんかを好きにさせていいのか!?」
ヤナギの名乗り口上に煽られて鬼の形相で彼を追いかける市民たち。
怪物退治に月光人形の討伐。呼び声によって操られた人々は何の罪もない天義の住民だ。だからこそ、殺してはならない。いつもどおりに冷静に。不殺を誓う。
自分に迫りくる民衆の手を、ギリギリまで引きつけて。ヤナギは鉄槌を振りかぶった。
「死なないだけマシだと思ってくれよ――!」
ヤナギの攻撃では致命傷足り得ない。しかし、ダメージ自体は負うのだ。骨を折り血を滲ませた人々は次々と意識を手放して行く。
作戦目標には市民の制圧も含まれる。制圧とは討伐ではない。生きて返す。このまま此処に転がしておけば戦闘に巻き込まれるかもしれない。月光人形の盾となり命を落とすかもしれない。
そんな呆気ない終わり方なんて悲しすぎる。ヤナギは気絶した民衆を引っ張る。
戦場は移ろう。今この場所が次の瞬間には最前線になる。
時間の余裕はない。けれど、ギリギリのラインを安全圏だと思いたくない。
「悪い、少し合流が遅れる!」
「任せた!」
多少痛いかもしれないが二人を一度に引きずって戦場の外へ出ていくヤナギ。
目指すは絶対に攻撃の届かない場所。
「生きてもらう為に戦ってるんだ俺は――!」
闇夜にヤナギの熱い叫びが木霊する。
●
「目ェ逸らせ、耳を塞げッ! あいつ──お前を『呼んで』るぞ!」
リゴールの肩を揺さぶる『山賊』グドルフ・ボイデル(p3p000694)の声が戦場に響いた。
その背を追い、希望のひとつだった彼を失くす訳には行かないとグドルフはリゴールを殴りつける。
「下がれ、リゴール」
殴られ地面に転がったリゴールはグドルフの背を見た。
あの頃とはまるで違う。雄々しくも傷だらけの背中。百戦錬磨。苦しい戦いを生き延びたものだけが持つ哀愁と決意が刻まれた背中。
カシャンとロザリオがリゴールの手から滑り落ちた。
嗚呼──でも。
やっと、お前の背に追い付けたよ。
――――
――
戦場は海練を持って蠢いていた。
ユウの雪華が青い煌めきを見せれば、ぐるりと魔術式が彼女の周りを回りだす。
「舞えよ、舞え。この手が統べるは氷の時間。青と白の狭間に永遠に眠れ――アブソリュートゼロ!」
冷たい耳鳴りが戦場を裂き大狼の硬い毛皮を絶対零度の魔術で凍らせた。
痛みに雄叫びを上げる大狼はユウとその隣に居たレイチェルを迅雷で貫く。レイチェルには電撃は無効だがダメージ自体がなくなるわけではない。
「……っ!」
小さく悲鳴を上げたユウはじっとりと滑る腹部の傷に手を当てた。
ヤナギが市民を優先し戦場を離れている今、大狼の前に立ちはだかる者は無く。敵は縦横無尽に戦場を駆け回っているのだ。これが意味する事は即ち、市民がこの場所に居ればもっと被害は大きくなっていたと言うことに他ならない。イレギュラーズは苦戦を強いられる。しかし、その対価は人の命そのもの。
選択は最良であった。
「皆さんを命を助け、十全に戦えるよう頑張らせて頂きますので、安心して戦ってくださいね?」
ユウの白い肌をダークヴァイオレットの影が撫でる。
人の手の形をした魔術式は四音が齎す癒やしの抱擁。ユウの身体をゆったりと優しく包み込んだ。
(話を聞くに、ナタリーナさんは私に似た存在のようですね)
四音はカーマインの瞳で戦場の奥、呆けている少女を見つめる。
使っている身体は泥に帰る人形。行動の自由も無く生前の記憶が少しあるだけの木偶の坊。
「中々に興味深いですね」
例え記憶を移植されただけの人形であったとしても、心を見出すことが出来たのは、素晴らしいことだと四音は微笑む。倒される事しか出来ない操り人形を屠ることは。悲劇的で涙が溢れてしまいそう。
「本当に、残念です……ふふふ」
ああ、可哀想な人形さん。貴女は何を今思っているのですか、と四音は笑みを浮かべた。
幾度かの剣戟を経てシキは肩で息をしていた。
刀であるシキに毒は意味を成さない。さりとて白蛇の牙はシキの身体へ深く食い込む。
「ぐ……っ」
巻き付いた尾はギリギリとシキの身体を締め上げた。太ももの傷口から流れ出た緋色の血が膝を伝い地面へぽたりと落ちる。骨が折れる音がする。命が擦り切れる音が聞こえる。
「僕は……」
シキの持つ大太刀がガーネットとアクアマリンの炎に揺らいだ。可能性の箱は光を放つ。
「おら! 生きてるか!」
グドルフの斧が白蛇の薄皮を狙い振り下ろされた。奇声を上げてシキの締め付けを解く白蛇。
素早い動きで間合いを取ったシキは口の中に滲んだ血を吐いて。藍玉を讃える刀身を水平に構え腰を落とした。紅玉の瞳が揺らめく。
こんな所で折れてたまるものか。
「僕は……邪魔なものを、斬って、裂いて、壊すしか……できない」
刀は斬るために存在する。手加減をしてもすぐに壊れてしまう人間を相手するより強敵を斬っている方が性にあっているのだと、ぽつりとシキは呟いた。
その言葉を耳にしたグドルフは不器用な刀を案ずる。事実を述べているのだろうその言葉。
けれど、何処かそれが後悔しているように聞こえるのは気の所為なのだろうか。
「行けるか?」
「はい」
グドルフが先陣を拓く。白蛇の牙を頑丈な山刀で受け止め胴を叩きつけた。その男の背をシキが蹴る。
白蛇の視界を外れ上空に飛び上がったシキは霊刀「禍津式・藍雫」を振り下ろした。
頭と胴が引き裂かれ血を撒き散らす蛇の心臓に刀を突き立てたシキ。
月明かりに照らされた大太刀は赤く濡れていた。
●
「リゴール! あんたが何を抱えてるかは分からないけどな! それは手放しちゃいけない、大切な気持ちなんじゃないのか!?」
惑わす声に耳を傾けるなと戦場へと帰ってきたヤナギが大声を上げた。
「それに向き合えなくなる事の方が恐怖じゃないのか!」
月光人形を倒さない限りこの戦場に原罪の呼び声は木霊する。必死に抗うリゴールの心は疲弊しているのが誰の目に見ても明らかだった。
「呼び声に耳を傾けるものではないよ」
ルーキスはリゴールを一瞥した後、月光人形との間に入るように立ち位置を変える。
「気を強く持ちなさい、直視しただけでも毒になる類だ」
呼び声は脳内に響く声に近いだろう。視線が合う合わないは関係無い。けれど、人間の感覚器官は視覚が一番発達している。呼び声に視覚は関係ないといえど、印象付けられてしまうのも事実だろう。
ルーキスはそれを危惧したのだ。
大狼の迅雷がルーキスの身体を走る。
「毒に雷、残念ね……その辺りは私には効かないんだ」
ニヒルな笑いを讃え、ルーキスは幽艶なるイグニスを持ち上げた。『境界』を揺蕩う妖精の友を冠した時からチャーチグリムはルーキスの声に応じる。
「この血の契約の元、月夜に舞う蒼き翼が命ずる。野蛮で醜悪な獣を駆逐せよ――」
ルーキスの影から這い出た黒い塊が戦場を駆ける。それは次第に犬の形を成し大狼の喉元に噛み付いた。ルーキスは携えた銃を降ろさない。
「まだ、行けるだろ?」
主の声に身体を震わせたブラックドッグは赤い目を見開き、後ろ足で敵の喉の傷跡を抉った。首に食らいつく黒犬を振り回し怒りを露わにする大狼。
手負いの大狼の周りを魔狼達が庇うように取り囲む。
側に控えたブラックドッグをジルーシャは一撫でして、アクバールの瞳で群れを捉えた。
「ディーちゃん出番よ」
ぴちゃんと爽やかな水音が跳ねて水精ウンディーネがジルーシャの肩に乗る。
腕を魔狼の群れの方向へ差し出し、ゆっくりとした動作で意識を精霊と同化させていくジルーシャ。
「水の音を聞け。柔らかく流れ、時に激しく荒ぶる水を讃え、母なる海の声を奏でる音を――聞け」
呪いを帯びた絶望の海を歌う声が魔狼の耳を揺さぶった。
人間より何十倍もの聴力を有する狼の耳はジルーシャの放った攻撃で、仲間の位置が的確に分からなくなったのだろう。近くに近くに居る魔狼同士で身体を傷つけ合う。
――――
――
「出来りゃ早めにナタリーナは対処したい」
そう言っていたのはレイチェルだった。長引けば長引く程、アンテナからの呼び声はグドルフとリゴールを蝕んでいく。二人を蝕むのは自分には踏み込めない領域の話なのだろう。だからこそ、レイチェルは武力を持って仲間を守ろうとした。
一歩、また一歩と戦場の奥へ進むレイチェルの背を、ユウは見つめる。
汚れ役を引き受けると言った優しい仲間。もし、彼女が名乗りを挙げなければ自分がその役を担っただろうとユウはセルリアン・ブルーの瞳で憂いた。きっとレイチェルは自分と同じ様な不器用さがあるのだと。
だから、もしもの時は彼女の代わりを務めるとユウは心に誓う。
「一人だけで背負うこと無いのよ」
その痛みは、此処にいる全員が負うものなのだから。
「……俺がお前を殺しに来た死神だ」
月華葬送を背に仕舞い、ナタリーナへと近づくレイチェル。少女は見た。月光を背負ってやってくる美しき吸血鬼の姿を。きっと、この人に自分は殺されるのだろうと予感を感じながら少女は手を伸ばす。
「ころして」
「ああ。大丈夫だ」
月光人形とはいえ、人間性も知性も残している。レイチェルはそう確信した。
何故自分が甦ったかも分からぬまま。もしかしたら死んでいる事すら認識していないのかもしれない。
ただ、悪夢の続きを見るだけならば。速やかに一撃で。
「もうこれ以上苦しまなくていい」
レイチェルは少女を抱きしめ、頭をそっと撫でた。
きっと何の慰めにもならないけれど。
ジルーシャの指がヴァイオリンの音色を奏でる。鎮めのLavandulaから香るラベンダーは優しく戦場を漂った。
「それでも、それでも二度目の死が――どうか、最初のものより穏やかであるように」
小さく呟かれたジルーシャの声は少女の耳に届いただろう。
優しい香りは少女の心に癒やしを与え。ジルーシャの想いはきっと彼女に届いていた。
だから、その音色は間違いなんかじゃなかった。
レイチェルは仲間に目配せした。一撃で終わらせる為。少女を穿てと。
痛みを感じぬように。一斉に。
四音は骨腕を広げダークヴァイオレットの術式を組み上げる。
普段その手は癒やしを施す事が多い彼女だが。しかし、この時、この瞬間は救いの為攻撃の手を取った。
「繰る来る回れ。頁を捲れ。答えのない問答。けれど、苦悩は無駄ではない。物語は動く動く――」
闇夜に赤く光る目があった。
それは四音の、シキの瞳の色。狂気と凶器の二重奏。
藍雫の薄刃が月影に閃く。星屑の残滓を煌めかせる流星の如き速さでシキは戦場を駆けた。
負った傷など、どうでも良い。血飛沫が吹き上がっても凶刃は止まりはしない。
「いまはただ、斬るだけ……」
「悪いけど見た目で手を抜くほど甘くないよ?」
少女だろうが。人形であろうが。ルーキスには関係の無い事。
そんな悲劇散々見てきたから。積み重ねて、屍を超えて。
手を伸ばした先に、彼が居ればそれでいいから。ルーキスは大切なものを違えない。
けれど、無駄に痛みを与えるのも時間の無駄だから。
「一瞬で終わらせる」
「ああ! 痛みなんて感じないように!」
ルーキスの声にヤナギが鉄槌を振りかぶる。
もう苦しまなくていいから。眠っていいから。
ヤナギは鉄槌の柄を強く、強く握りしめた。
心優しい人達の腕の中で終わりにすることが出来る。
最期の記憶が辛いものではなくなる。イレギュラーズの手で塗り替えられていく。
「ありがとう」
見つけてくれて。終わらせてくれて。
レイチェルは全身全霊の魔力を込める。仲間の攻撃が一点に集中する。
ナタリーナの身体を力の奔流が一瞬で押しつぶした。
痛みも無く。苦痛も無く。
ただ、レイチェルの腕の中で微笑みながら、月光人形は泥になって消えた。
何故だ。
グドルフは手で頭を覆う。
アンテナは消えた。
それなのに。なぜ。俺の頭の中の呼び声は響いたままなんだ。
――――
――
また、三人でと願うなら。
想いも、仲間も。
すべて、全て、総て。
己が物とせよ。
望むがまま己が手におさめてみせろ!
その背に負う全てを、いま――
「世界か、神か、そんなの知ったこっちゃねえよ。死者は帰って来ない」
ギリリと歯を食いしばるグドルフ。額には大粒の汗が浮かび目は血走っている。
「てめえになんぞ言われなくても、俺は一人で手にいれて見せる!
――――何もかも、全てをだ!!!」
頭の中で響く声に抗うように叫ぶグドルフ。
眼の前で儚く泥になった少女を妹の代用品に仕立て上げた誰かに憤りを感じる男。
死後の安寧を奪い弄び此処へ仕向けた声の向こうへ。
「覚えとけ。俺を引きずりこみたきゃ、『本物』のカティを、今此処に連れてきやがれってんだ! クソッタレ野郎がッ!!」
背負った全ての重みを噛み締めてグドルフ・ボイデルという男は、原罪の呼び声に鈍色の背中を向けた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。如何だったでしょうか。
少しでも皆さんの物語に彩りを添えられていたら嬉しいです。
MVPはユウさんへ。
呼び声を撒き散らす月光人形の早期撃破という目標に対し実現への道を切り開いたため。
称号獲得
グドルフ・ボイデル(p3p000694):鈍色の背中
ジルーシャ・グレイ(p3p002246):ヘリオトロープの黄昏
ルーキス・グリムゲルデ(p3p002535):月夜の蒼
ヤナギ(p3p006253):コバルト・グリーンの意思
※以下運営より補足します。
本シナリオでは『原罪の呼び声』判定が発生しています。
内容は下記となります。
死者が帰らないと誰が決めたんだ?
神か、世界か。
それが真理だと言うならば、我等が奪い去ろう。
魔種は不倶戴天だと誰が決めたんだ?
神か、世界か。
それが真理だと言うならば、我等と共に奪い去ろう。
また、三人でと願うなら。
カティを取り戻せ。
リゴールを連れて行け。
想いも、仲間も。
すべて、全て、総て。
己が物とせよ。
望むがまま己が手におさめてみせろ!
その背に負う全てを、いま――
GMコメント
●目的
・黄泉返りの少女、魔物の討伐
・市民の制圧
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
●ロケーション
天義首都フォン・ルーベルグの外れ。明かりが灯されているので戦闘に支障はありません。
イレギュラーズが敵と遭遇した所からスタートです。
最奥に黄泉返りの少女。その前に魔物とおかしくなった市民が居ます。
●敵
黄泉返りの少女と魔物。
敵とは言えないのですが原罪の呼び声を受けつつある市民が数名います。
○黄泉返りの少女「ナタリーナ」
黒髪で優しげで素朴な村娘でした。16歳程。
今は絶望に涙すら枯れ果て「殺して」とつぶやいています。
生前の記憶から、見た目が荒くれ者に近しい人物に対し怯え逃げようとします。
・殴る(物至単:ダメージ極小)
・アンテナ(P):自分の意思に関わらず対峙したものに『原罪の呼び声(クリミナル・オファー)』を掛けます。
○大狼
巨大な狼の魔物。雷を操り俊敏です。
・迅雷(神遠範:ダメージ大、BS【感電】)
・牙顎(物至単:ダメージ特大、必殺、BS【流血、失血】)
・刺撃(物遠貫:ダメージ特大)
○白蛇
巨大な蛇の魔物。硬い鱗に覆われタフです。
・蛇目(神遠域:ダメージ大、BS【停滞】)
・蜷局(物至単:ダメージ特大、BS【苦鳴、懊悩】)
・毒霧(物中範:ダメージ特大、BS【猛毒、致死毒】)
○魔狼×10体
狼の魔物。戦闘能力はそこそこ。
大狼の命令で動きます。
○おかしくなった市民×5名
呼び声の影響で狂気に染まりかけています。
戦闘能力は皆無ですがマーク、ブロック等の妨害を行います。
●味方
○『司祭』リゴール・モルトン
スペックは回復特化です。戦いは不得手。
今彼は。何かに抗っています。
そんな彼に皆さんは――
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