シナリオ詳細
さよならのあわい
オープニング
●間
嘗ておとことおんながひとつであったように。
こころなど、其処に存在していなければ良かったのかもしれない。
雪融けの芽吹きは未だ遠く。蕾の儘、凋む事となる想いの片でも績げた為れば。
まほらに霞むあなたに愛していると伝えることができたのでしょうか。
わたくしは『わたくし』であることを望んではいません。
わたくしは、その手を取って今にでも走り去りたいと願って已まないのです。
民衆の願いと民衆の希望と民衆の欲で蝋の如く塗り固められたこの体。
あなたはそんなわたくしを見ても綺麗だと笑ってくださったのに。
わたくしは不甲斐なく、ひとりきりであったのです。
嘗てわたくしがひとりのおんなであったように。
嘗てあなたがただのおとこであったように。
嘗て――……
●
ぱちり、と薪の弾ける音を聞きながら『聖女の殻』エルピス(p3n000080)は頬を擽る金糸を僅かに指先弄り、文字の羅列を追い掛ける。
ちらちらと散る雪は当分止む事はないだろうと誰かが言っていた。
「確かに、あいしていたのかもしれません」
人はどうして、愛だの恋だのと口にするのだろう。エルピスの赤い唇がそう、紡ぐ。
「愛とは、神がわたしたちに与えた一つの奇跡であり、そして、不幸です。
神はわたしたちに人を愛することを教えると同時に、人を憎む事を教えたのだから」
こころというのは不便なものだ。だから、考えてしまうのだろう。
――どうして、と。
「……天義に、フォン・トネールと呼ばれる山間の、地域があるのです。
神託の聖女『アナベル』。彼女から、ローレットへの依頼……なのですが」
歯切れ悪く、エルピスは慣れぬ言葉を並べながら不安げに目を伏せる。
神託の聖女『アナベル』。人々の為に祈りを捧げ、飢えより救うに至ったとされる妙齢のおんな。
きっと、彼女が『完璧なる聖女』であったならばローレットに依頼することはなかっただろう。聖女と言えど、ただのひとりのおんなであったのだと、エルピスは睫を震わせそう言った。
「パトリスと、言う男性の殺害を――彼女は願いました」
私欲に満ちた殺害とひとは云うだろうか。あるいは、死を願うおんなを悪魔と罵るのだろうか。
だからこそ、『誰からの依頼』であるかは悟られてはならぬ。知られてはならぬ。彼女が聖女であるために、彼女が生きるために、彼女が――『アナベル』であるために。
「聖女が人殺しを望む?」
「はい」
「聖女が」
「アナベル様がおんなで、パトリス様がおとこであったからこそ」
エルピスは刹那気に瞳を揺らし、唇を震わせた。
パトリスはフォン・トネールの商家の三男坊であった。
誠実を絵に描いたような男で、敬虔なる神の徒であった――あったのだ。彼はある容疑をかけられ、聖騎士団へ連行され、断罪されるだろうとエルピスは云う。
フォン・トネールで起こった重罪。ある旅人一家が身包みや金品を盗まれ、山に捨てられていた。その被害者には幼いこどもが居た事で民衆は心を痛め、神の慈愛に背く大罪人を探したのだ。
その容疑者というのがパトリス・アルチュセールその人だ。
「『彼ではない』と、聖女は云います」
「聖女が言ったなら――」
「わたしも、きっと、彼ではないのだとアナベル様の話を聞いて思いました」
けれど、とエルピスは続ける。
「『我が国は疑わしき人に寛容ではありません』」
パトリスが犯人であるかないかはこの際は問題なく、聖騎士団は彼を連行し、犯人と断定するだろう。不憫な男であった、と天義を識る人ならば切なげに目を伏せて全てから目を背け終わる話だ。しかし、本件はそうはならなかった、『そうしない』人がいたからだ。
「聖女アナベル。彼女は聖堂で敬虔なる神の徒として祈りを捧げるパトリス様をひとりのおとことして愛していました。そうして彼も同様に聖女アナベルを愛していました」
おとことおんなとして。
「罪を着て処刑されることを知り、アナベル様はわたしたちに願いました。
『罪人ではなく、ひとりのおとことして死にたい』彼を、殺してほしい」
密やかな、誰も知ることのなかったふたりの愛のかたち。
聖女の嫋やかな指先はナイフの重みも、人の命を奪う感覚も知らぬのだろう。
けれど。
けれど、知らぬ場所で罪人として死ぬのではなく、ひとりのおとことして死にたい。
「……しかし、彼は罪人であり、聖騎士団に連行される事となる身です。
わたしたちが行うは悪しきこと。聖騎士団の監視を潜り、彼を殺さなくてはなりません」
聖騎士団は生きた彼を聖都へ連行することを使命としている。天義の聖騎士団とは『敵対』することになることは明確だ。
「どうか……ころして、ください」
●聖女
あなたを愛したことが罪なのだとしたら。
あなたが死することがわたくしへの罰なのでしょうか。
清廉なるあなたの手が血で汚れたと誹られるのは、
わたくしがあなたを愛してしまったからなのでしょうか。
神はわたくしがあなたを愛すべきでないと仰っているのでしょう。
だから、あなたが『罪人』として死する未来を与えたのでしょうか。
わたくしは、清廉なるあなたの願いを叶えたい。
聖女としてではなく、ひとりの、アナベルとして。
――生きて欲しかった――
泥を啜りながらでも、罪人としてでも。
けれど、神は御赦しにならず、断頭台が貴方の前にあるのでしょう。
為ればあなたの願いをわたくしは叶えたい。
ひとりのおとことして、あなたを殺すためのひとつの手段。
この手を汚す事なき狡いおんなとしてわたくしは神を裏切るのでしょう。
我がすべての神よりも、あなたを――愛してしまった莫迦なおんなとして。
- さよならのあわい完了
- GM名日下部あやめ
- 種別通常(悪)
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2019年01月21日 21時45分
- 参加人数8/8人
- 相談6日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
嘗ておとことおんながひとつであったように。愚かしいねがいなど、抱かねば良かったのに。
儘ならぬからこそ、生を実感しているというのでしょうか――聖なる、聖なる、聖なるかな。嗚呼、神よ。
●
冬の気配は微かならぬ、白い指先を悴ませるようで。『兄の影を纏う者』メルナ(p3p002292)は細い指を絡み合わせ息を吹きかける。色付く空気が指の合間を抜け、宙に溶けて消えていくのを見送りながら彼女はぐんぐんと村を歩む。
村より幾分か離れた場所にひっそりと姿を溶かす馬車の姿を確認し『旋律を知る者』リア・クォーツ(p3p004937)は祈り捧げる聖女の許へと足を運ぶ。聖女アナベル――信仰のかたち、神の寵愛を受けし奇蹟の娘。白のローブに身を包んでいた淑女は睫を震わせゆっくりと顔を上げる。
「……アナベルさん?」
リアの、確かめるような言葉に聖女は『彼女が何者であるかを悟った』様に悲し気に眉を下ろす。
「ごめんなさい。あたし達はこういう方法でしか道は切り開けないの」
すべて。今から起こるすべて。それを聞き聖女は何も言わなかった。何も。
本来の彼女ならば。ローレットへと依頼をした彼女であれば。きっと、言いたいこともあったのだろう。
聖女は『聖女』の顔をしてリアを見詰め、小さく頭を下げた。その様子にリアは目を伏せる。彼女は聖女、この村の『象徴』――救世主と呼ばれたおんな。
(……あたしは彼女のような聖女じゃないから)
――だから、選択肢は一つしか残ってはいなかった。
ざくざくと地面を踏み締め乍ら歩む『蒼の楔』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)は黒き外套に身を包む。宵に溶け込み死を纏うが如く、今日という日には似合いの物だとレイチェルは自嘲する。
「小屋、あれか」
静かに、『死を齎す黒刃』シュバルツ=リッケンハルト(p3p000837)はそう言った。首から下げた逆十字。聖遺物の如くひかりの気配を纏うそれを揺らすシュバルツの唇が三日月を描いた。視線に応えるように『信仰者』コーデリア・ハーグリーブス(p3p006255)は頷く。スカートに着いた泥を払う様な仕草を一つ、裏切り癖は『この時』に発揮されるのかと天義(くに)を想い口元にゆったり笑みを浮かべる。
「……『疑わしきは罰せよ』」
その言葉は、天義の人間であれば重々理解できるものだ。何時だって、この国はそうして来た。コーデリアとて、それは翌々理解している。
「我が故国の事ながら、言葉もありませんね。私の信ずる『神』はそれを望まれはしない」
立ち上がったコーデリアとシュバルツ。レイチェルは足元を気にする素振りの『女王忠節』秋宮・史之(p3p002233)を見かけずんずんと歩を進めていく。
顔を上げる。史之の瞳に浮かぶ困惑は『演技』の気配を帯びている。史之の傍らで怯えた様に「ひ」と喉を引きつらせた『『幻狼』夢幻の奇術師』夜乃 幻(p3p000824)が史之の背後へと隠れる。
これは村で起きる一つの『騒動』だ。悪党が罪なき一般人に『いちゃもん』を付け、聖騎士の視線を引くというもの。
幻が視線を背け、ふと、小屋を見遣る。小屋に拘束されたパトリス・アルチュセール。
『寄り添う風』ミルヴィ=カーソン(p3p005047)が息を潜め、その内部を探る『疑わしき男』の存在する小屋。
「――果たして、誰が」
幻の呟きに。至近距離に立っていたミルヴィが首を振る。
きっと、親しい人間が彼を犯人に仕立て上げたのだ。それは誰だって分かる。然し、聖女と聖女を愛したおとこは只、優し過ぎた――その先に待ち受けるものが死であると知っているからこそ。
「『罪人ではなく、ひとりのおとことして死にたい』――か」
愛するというのは、度し難い。
その愛のかたちが恋愛でも、親愛でも、其処に待ち受けるのは闇しかないというのに。
●
辞めろ――!
叫ぶ声が響く。史之の胸倉を掴み上げたシュバルツの胸元で逆十字がじゃらりと揺れた。
「偽りの神に縋る者共よ! 今ここでその生命を捧げよ!」
堂々なる一言共に発砲し、威嚇射撃を行うコーデリア。その背後でくつくつと笑ったレイチェルが『怯え』を見せたミルヴィへと詰め寄った。
「来たよ」
ミルヴィのささやきにレイチェルの視線がちろ、と背後へと向く。
小屋より離れ、走り寄る騎士たちの姿。演技を打つ幻が「騎士様」と彼らの助けに縋る様に声を上げればシュバルツがその手を掴み下ろす。
「お、騎士様のご登場じゃねぇか。天義の飼い犬どもたちめ。神への祈りは捧げなくて良いのか?」
「何ッ――!」
「騎士様、異教徒です。神を貶めんと……!」
幻の声音は震えている。隙をついた様に騎士の背後に回り込み、メルナが喰らわせた一撃が深く、その意識を刈り取っていく。
(……悪い人じゃないなら、殺したくなんてない……でも。お兄ちゃんでもきっと……こうしてた)
脳裏に過るは兄。本当ならここに居た筈の存在。自分でない何かになり切る様にメルナは騎士を相手取る。
「悪名高い反逆者だ! 助けてくれ! その装備はただの飾りなのか聖騎士よ!」
史之の早くという声を受け、レイチェルとシュバルツ、コーデリアに相対する聖騎士はメルナとミルヴィがその姿を晦ませたことには気付いていない。
守るべき市民として立つ幻(しゅくじょ)を庇う様に騎士としての職務を全うしている。――それが罠だと、疑う事無く彼らは騎士として振る舞うのだろう。
流れ出てくる騎士たちを出来る限り小屋から離し乍ら、構成に徹する彼らに史之は呆れたように肩を竦めた。
「なんだぬるい攻撃だなあ。聖騎士団ってのはたいしたことなさそうだね」
「なッ――」
騎士が顔を上げる。小屋の扉は当に開け放たれ、警備すべき騎士たちはそこには存在していない。
「罪深い罪人め! 聖剣の裁きを受けろ!」
ああ、と響く声がする。それがパトリスの声と気付いた騎士たちが何事かと『異教徒』たるシュバルツを睨み付けた。
「あの罪人を戴きに来たぜ。『クライアント』は早急に殺せだとよ」
吐き捨てたシュバルツ。ミルヴィとメルナが小屋の中からずるりと拘束されたパトリスを連れ出した。その顔面は紅に濡れ、呻く声だけが聞こえている。
「待て……!?」
走りださんとしたその背中へ守られる淑女の兇刃が届く。
「御免遊ばせ」
穏やかに笑った幻が地面を滑るように走りだす。地に臥せった騎士たちは一連の行動を見遣りながら異教徒め、と『傭兵として仕事をしているであろう彼ら』に毒吐いた。
「コイツの殺害が今回の依頼でなァ」
騎士を見下ろして拿捕されたままの姿勢で地面を転がされるパトリスを指さしたレイチェルが卑劣な笑みを浮かべる。
「……死体は殺した証拠に必要なンで貰って行くぜ?」
「ま、待て……!」
手を伸ばす騎士の掌を踏み躙る様にして「待てと言われて待つかよ?」とシュバルツが小さく笑う。
「それじゃ――また」
騎士の視界は昏く、霞んだ。
●
街のはずれの馬車で、街を離れる。只、遠くまで。がらがらと道を往く中で、パトリスはどういうことだといわんばかりに特異運命座標を見回した。
「依頼を受けたの」
リアの言葉にパトリスは首を傾ぐ。コーデリアは「貴方の聖女様より」と穏やかな調子で只、そう言った。
「……パトリス様、貴方を嵌めた人物が誰か分かってるのでないですか?」
幻の言葉に、パトリスがぎょっとした表情を見せる。
誰が罪を擦り付けたのか――それを彼は、彼と聖女は知っているのだろう。
「いや……」
「貴方がどうしても死にたいと仰るのであれば、
僕はその方を必ず探し出し、聖騎士に突き出させて頂きます。
それが嫌なら皆様のいうことを素直にお聞きになるんですね」
それが一種の脅しの色を孕むという事を幻は知っていた。
パトリスは特異運命座標を見回して、「僕を『死んだ』事とし、逃がしたとして、それがばれた時、彼女は」と声を震わせる。
「アナベルの本当の願いは……お前が生き延びる事だ」
レイチェルのその一言にパトリスが唇を震わせる。そんなこと分かっていた。
幻が言うように『誰がしたのか』も、レイチェルが言うように彼女の願いだって。
「此処で死を選べば、アナベルに最愛の人を間接的に殺したって罪を背負わせる事になる」
「『そうしてくれ』と頼んだのは彼女だろう……?」
レイチェルが奥歯を噛み締めた。ぎり、と音鳴らしたそれを聞きながらパトリスは泣き出しそうな空を眺めて白い息を吐く。
「僕は、どうすれば」
「貴方がこの先、生きてる事はあの人の救いになるの」
「嘘だ」
「嘘じゃない。あの人を救える『たったひとり』は貴方だから……。
この先一緒になれなくても、いつか、あの人が泣いてる時に救える貴方がいないと駄目なの。例えパトリスじゃなくなっても彼女にとっての貴方は変わらない」
ミルヴィが首を振る。どうして、彼は怯えているのだろうか。
特異運命座標が選んだのは『パトリス』という男の天義での死。走りだせば容易い事を、彼の脚は鈍く動くことはない。
「奴らの正義(りふじん)に屈するんじゃねぇよ。お前が諦めなきゃ、いつか聖女に再会出来る機会はきっとある」
「いや、きっと――」
シュバルツにパトリスは唇を噛み締めた。
「アナベルさんが貴方を愛した普通の女として生き続ける為に。
彼女の為に、どうか生きて。お願い」
リアが声を震わせる。パトリスの死を背負わせるのかと淡々と詰たレイチェルにパトリスは「生きていて欲しいと、彼女が」と声を震わせる。
「好いた男に死んでほしい女が居るか?」
シュバルツは呆れを孕んだ声音で、そう云う。
「死にたい訳じゃ、殺したい訳じゃないなら……諦めないで、本当に望んでいる道を選んで。
死んじゃったら……どう足掻いたって二度と会えない。それはきっと、アナベルさんを蝕む絶望になる……。
折角まだ生きてるのに。諦めて、自分達から全部捨てるなんて……ダメだよ……」
言葉を途切れさせる事無く、メルナは只、そう言った。今にも泣きだしそうな空は、その涙を拭う様に雲の流れを速めていく。
この国より逃げてしまいな。雲の流れに乗って。
そういう様な空に、パトリスはメルナへとぎこちない笑みを浮かべた。
「名を偽って生きるのは辛い。だが、生きていりゃいつか最愛の人を迎えに行けるかもしれん。……後は全部、お前次第だ」
俺も、亡くした妹(かのじょ)の名で生きているとレイチェルはパトリスにだけ聞こえるように囁いた。その言葉にパトリスは目を伏せる。罪深き自身が『迎えに行きたい』と願った最愛の人。
名を呼ぶ鈴鳴る様な声。白い頬にほっそりとした組み合わされた指先。愛おしい聖なる乙女――その宿命があるからこそ『ひとりのおんな』として生きられない只のおんな。
嘆くだけ歎き、只、歩き出せないおんな。
「……彼女とは二度と会えないさ」
哀し気にそう言った男は生きてと乞うたというそれだけで只、これからを過ごせると特異運命座標に頭を下げる。
何故、とは幻は聞けなかった。否、聞こえてしまったのだ。
――彼女は『聖女』だから。
嗚呼、聖なる聖なる、聖なるかな。我が国は。
恋も愛も、儘ならぬならおとことおんなになど、為らなければ良かったのに。
●
しん、と静まった聖堂に朧の月が零れる。ステンドグラス越しに照らされた聖女は壁画に描かれたかのように神聖な気配を纏わせた。
かたりと音立てて歩み寄ったミルヴィは聖女アナベルの横顔をじつと見つめる。
リアは「彼は、死んでないわ」と――事前に伝えた『筋立て』の成功を口にした。
「……」
一瞥し、目を伏せる。コーデリアは彼女の思惑に気付き目を伏せた。
「……あたし、貴方達の為に頑張るから! 戦うから!
きっと貴女を救うから! だから、貴女も負けないで」
「それは、どうするという事でございましょうか」
祈る様に組み合わせた指。アナベルを共に、と願ったメリナは『聖女』の怖いほどに整った横顔を見詰めていた。
「わたくしは、殺してください、とお願いいたしました」
ただの、おとことして。死んでほしくないと願えど――逃げ出した罪人に待ち受ける未来に怯えるように聖女は唇を震わせる。
「どうして」
「……貴女が、彼を愛していたから」
史之は、アナベルの表情を見て息を飲んだ。そこに居たのは能面の様な聖女。
おんなの柔らかな輪郭はもはやそこには存在していない。つるりとした恐怖を身に纏わせて「どうして」と再度彼女は繰り返す。
「いいや――『パトリス』って人は私が確かに殺した。
恨んでくれていい、それで貴方達が一人の人間になれるなら……私は貴方達の道がもう一度交わる日まで手伝うって約束する」
そうして交わる日が来たときにおんなは歓び、男を抱きしめるのだろうか。
出来過ぎたラブストーリーを描き乍らシュバルツは彼女が涙すら流さずに能面の様な貌をして見詰めている様子に『天義』らしさを感じ取る。
「誰かを救う人だけ救われないなんて私は許せない。
聖女じゃない、人としての貴女の本音が聞きたいの! 貴女はどうしたいの!?」
ミルヴィが声を荒げる。コーデリアはその国の在り方を理解しているからこそ、彼女の肩をぐ、と掴んだ。
「お引き取り下さいませ」
聖女は声を震わせる。どうして、とミルヴィの声は出なかった。
幻は聖女の感情を感じさせぬ表情を眺め、唇を噛み締める。
「確かに『死んだ』んだぜ、あの男は」
「ええ」
「……二人は別々の人間だったって終わりで、いいのか……?」
シュバルツの問いに続けたレイチェルにアナベルは指を組み合わせる。
嘗ておとことおんながひとつだったころ、そこにココロなど無く。
おんなとして生れ落ちて、民衆の願いと民衆の希望と民衆の欲で固められた体を動かすことは叶わず。
言葉では何とでも言えましょう。
『ひとりのおんな』としての言葉など、唇から繰り出すのは容易いこと。
「それでも」
おんなは云った。
「わたくしは――『聖女』なのです。
どうぞ、お引き取り下さいませ。わたくしは、『聖女アナベル』でなくてはならない」
「聖女様?」
裏より姿を現した牧師はどうしたのかという様に聖女アナベルを見遣った。
彼女は常の通りの人好きする笑みを浮かべ「いいえ、何もないのですよ」と笑った。
「只の、御伽噺を語らっていた――夢の様なお話でございました」
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
この度はご参加ありがとうございました。
天義の悪依頼です。『死の意味』によっては難易度が跳ね上がるとはその言葉の通りでございました。
何故。
彼女が聖女であるために。彼女が生きるために。
彼女が――『アナベル』であるために。彼女もまた、弱い只のおんななのです。
GMコメント
日下部です。それは、救いと呼べるのでしょうか。
●達成条件:『パトリス』の死亡
その『死亡』の意味はお任せいたします。天義で彼が死ねばいいのです。
意味によっては困難を極めるでしょう。
●注意事項
この依頼は『悪属性依頼』です。
成功した場合、『天義』における名声がマイナスされます。
又、失敗した場合の名声値の減少は0となります。
●フォン・トネール
聖都より離れた山間の地域。雪がちらつき、凍える様な寒さを感じさせます。
白雪よりも尚、白い聖堂には祈りで人々を救ったとされる神託の聖女『アナベル』が一人、祈りを捧げ続けています。その風土は田舎らしく、非常に鬱屈した村人が多いようです。
●パトリス・アルチュセール
フォン・トネールの商家『アルチュセール』の三男坊。誠実を絵に描いたような優し気な青年です。
フォン・トネールで起こった強盗殺人の重要容疑者として検挙され、断罪が待ち受けています。彼自身はフォン・トネールの聖堂近くにある小屋にて聖騎士団の監視のもと、聖都への輸送を待つ事となって居ます。
聖女アナベルを一人のおんなとして、愛し、想いを酌み交わし、『アナベルを愛した男』として死ぬことを彼自身は望んでいます。
●聖騎士団*10名
パトリスを聖都へと輸送する任を担っています。彼らの目的はパトリスが生存した状態での輸送であるため、彼を殺す為に現れる特異運命座標とは明確に敵対します。
また、大罪人であるために彼への面会は誰一人として許さず、小屋にはパトリスと見張り役の4名。他6名は小屋周辺の警備を行っているようです。
●聖女『アナベル』
祈りで人々を救った女。ファミリーネームは聖女となった日に神の所有物となる為に捨てました。ただ、虚であったこころを満たしたのは愛しいひとりのおとこ。
生きて欲しいと願い、彼の手を取り逃げてしまえばと考えど、己にはその力がないためにローレットに『彼の殺害』を依頼しました。
アナベルには聖堂にて会う事が出来ます。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
どうぞ、よろしくおねがいします。
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