シナリオ詳細
スプリング・ハズ・ノット・カム
オープニング
●山麗の離れ里
「ふむ……これは一体、どうした事か」
寒気に息を白く染めながら、老齢の里長が困惑を吐き出した。彼の目の前に広がるのは、綺麗に切り揃えられた石の敷き詰められた温泉だ。しかし、普段であればもうもうと立つ湯気も無く、今は乾いた石肌を曝け出しているだけ。これは由々しき事態である。
険しい山麗の中腹にあるこの里では農耕もままならず、畜産物も大手の取引が出来る程の収穫は無い。里の男衆で林業を営んでこそいるが、しかしそれだけで里の財源をすべて賄えるかと問われれば否である。足りない分は、他の手段で補うしかない。幸いにして山には源泉が有った。里長の祖先は山に分け入り村へと湯を引く事でこれを温泉とし、観光資源へと変えた。当初の経営は細々としたものであったが、地道な宣伝も有ってか、里長が物心つく頃にはもう、この里は温泉地として月に数十人程度の客を迎える程になっていた。その時から今日この日まで枯れることなく里を潤し続けた生命の湯が、途絶えてしまったのである。
このままではこの里は干上がってしまう。里長は樵の幾人かに源泉への様子を伺ってくるよう命じた。彼らであれば山の様子に詳しい、と判断しての事だ。命じられた樵たちも里の危機に表情を硬くし、意を決して雪を掻き分けながら白く染まった山へと分け入って行くのであった。
日も暮れかけ、辺りを薄闇に覆われた頃。調査を命じられた樵たちが帰還する。誰もが皆息を荒くし、顔面を蒼白にしながら震えあがっていた。ただ事ではない、と感じた里長の額からも、冷や汗が一筋流れ落ちる。それを拭いもせず、里長は樵の一人に薬湯を薦めながら、様子を尋ねる。樵は薬湯を一息に煽ると、顔面蒼白のまま、里長に事の次第を打ち明けた。
「大変だ、里長……! ましらが……! でっけえましらが源泉に棲みついてやがった……!!」
報告によれば、家畜小屋程も有る巨大な猿が源泉に棲みつき、大岩で湯を堰き止めてしまっていたのだという。それを見つけた所までは良かったが、大猿からも樵たちの姿を見つけられ、命からがら逃げかえってきた、と。更に聞けば、その膂力は片手で大岩を放る程だという。尋常ならざる怪力だ。里の男衆では荷が重いだろう。
仕方あるまい、と里長が言う。日々の節制と商売への弛まぬ努力の為、村には緊急時の蓄えが有った。温泉と共に父祖から代々受け継がれて来たこの財に、手を付ける時が来たのだ。里長はそう判断し、男衆の一人に財の詰まった革袋を握らせると、王都へと馬を走らせるよう命じた。正確には、イレギュラーズの集うギルド・ローレットに、だ――
●ローレット・エントランス
「……と、言う訳で。今回の依頼は温泉を止めた悪いおさるさんの討伐なのです」
温泉にモンキー。よくある光景なのです、とユリーカは続ける。確かに小猿が数匹、湯を楽しんでいるのは良く有る光景で、心和むものなのかもしれないが、しかし今回は別だ。正しくスケールが違う。
「話によると源泉は林道を抜けた先、小高い丘の奥にあるそうなのです。険しい山々ですがそこだけは盆地で、戦闘中も傾斜や木々などの遮蔽も考慮しないで良いみたいです」
ただ、目的地に辿り着くにはやはり山道を越えていかねばならないので、そこだけは注意が必要なのです。そう粛々と依頼内容を読み上げていたユリーカだったが、言い終わると同時に円卓の上に突っ伏した。
「温泉……良いですよね……ボクもゆっくり体を癒したいのです……」
溜息は深いが、語る顔に淀んだ色は無い。日々の激務も笑顔で熟すユリーカだ、羨望は有っても逃避願望は無いだろう。きっと。口から洩れるのも「……温泉……温泉まんじゅう……美味しいお料理……」と言ったもので、恐らく温泉がどうこうよりは完全に食い気が勝っているようだ。
兎も角。
「依頼人からは依頼の達成後、お湯を使う許可も得ているのです。依頼の斡旋も始まったばかりで、体力の漲る皆さんでしょうけど……これから激務続きで休む暇もないかもしれないのですし、ここはひとつ、英気を養う意味でもこちらの依頼、どうでしょうか?」
- スプリング・ハズ・ノット・カム完了
- GM名へびいちご(休止中)
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2018年02月06日 21時25分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●春知らぬ、銀嶺の合間にて
盆地の外れで自然物か人工物か、定かならぬ積み石の隙間から滾々と湯が沸き出している。しかし湯が里へと運ばれる事は無く、今はただ、乱雑に掘り返された穴の中に落ちるばかりだ。配管を塞がれ、溢れ出した湯が大地を濡らし、泥濘を作る。元より源泉より発される熱気で周囲に比べ雪の積もりにくい場所では有ったが、本来なら雪で覆われ美しい景観を見せているであろう盆地は、今や足を踏み入れる事すら躊躇われるような湿地帯と化していた。
湯に浸かる大猿がぴくりと耳を震わせる。厳格な自然の中を生き抜く感覚が、迫る脅威を感じ取ったのだ。果たして大猿の巡らせる視線の先に、イレギュラーズの姿が有った。
「あれが件の大猿か……ただの動物では有るが、依頼だからな。人を守るのが第一だ」
「喋るものを相手にするより気が楽です。頑張っていきましょう」
大猿の視線を受けて、しかしさして緊張した風も無く『勇士』ロイ・ベイロード(p3p001240)と『見た目は鯛焼き中身は魚類』ベーク・シー・ドリーム(p3p000209)の二人が言葉を交わす。
対照的に、口元を引き攣らせたのが『QZ』クィニー・ザルファー(p3p001779)だった。召喚される以前の彼女で有れば、近付こうとは――まして討伐に出向こうなどとは考えなかった筈だ。恐怖を感じてないと言えば嘘になる。しかし、QZは口元をマフラーで隠し、感じた恐怖を飲み込んだ。
「猿ばっかり、温泉入って、ずるい」
「猿も温まりたいのかねえ。まぁ、そのままだと里もピンチだし、何とかするか」
『孤兎』コゼット(p3p002755)が半眼で呟いた言葉に対し、『暇人』銀城 黒羽(p3p000505)が返す。彼はじっと湯に浸かる大猿を見つめると「しかし動かねぇな」と零した。既に発見されているにも関わらず、大猿が身を動かす気配はない。
「……何か理由が有るかもしれません。けれど」
里の人達の為にも温泉を楽しみにしていた人たちの為にもやらねばならない、と『探求者』冬葵 D 悠凪(p3p000885)が告げるが、黒羽は晴れない表情のままだ。疲労を感じている訳では無い。『夢見る狐子』ヒィロ=エヒト(p3p002503)が先んじて源泉までの道のりを歩いた樵たちに話を聞いていたのが功を奏したのだ。かんじきを借り、小休止の取れそうな洞穴の場所を聞き、それら全てを差配した働きは決して小さなものでは無い。
「こちらの準備は出来てます! いつでも行けますよ!」
木製の案山子を抱え直し、『Artifacter』ユーリエ・シュトラール(p3p001160)が快活に言う。イレギュラーズは視線を交わすと、誰ともなく一歩を踏み出した。彼らの向かう先、湯気立つ源泉からのそりと大猿が身を起こし、ぎらりと目を光らせた。
●泥中に活求め
結論から言えば、それは失策だったのかもしれない、とユーリエは眼前に迫る大岩を眺めながら考える。彼女は案山子を囮とするべく真っ先に罠を設置しにかかった。そして目論見通り、案山子に向けて大岩は投げられた――ただし、設置直後に、だ。大猿は自身に向かう他のイレギュラーズより、自分から視線を切ったただ一人に狙いを定めて大岩を投擲したのだ。戦の心得など無いような大猿だが、しかし数を減らさねばならない事は良く分かっていた。
大岩が轟音を上げて着弾し、泥濘を派手に跳ね上げる。硬い物がひしゃげて折れる乾いた音が響き、案山子がその身を砕かれ弾け飛ぶ。自身に起こった事が理解出来ないまま、ユーリエはじわりと涙を浮かべた……五体は揃っている。怪我一つ無く。
「無事!?」
全身に脂汗を浮かべたヒィロが、ユーリエの襟首を掴んだまま叫ぶ。跳ねる心臓を抑え、無事だと告げようと開いた口の動きが止まる。ヒィロの肩口に木片が突き刺さり、鮮血が溢れ出していた。
「ッだ――――」
「うおおおおおおおおおおおッ!!」
大丈夫、との叫びは黒羽の鬨の声に掻き消された。悠凪の奏でる勇壮のマーチに乗せ、これが自分の名乗り口上だ、と言わんばかりに張り上げられた勇ましい声に、大猿の意識が完全に黒羽を向く。
「――さっさと終わらせようか」
そう不敵に笑うQZの体が、ふわりと浮かび上がった。大猿の目が黒羽に向いている事を確認し、引鉄を引く。放たれた弾丸は大猿の上腕に吸い込まれるように着弾。体毛を僅かに散らし、宙にぱっと赤が咲く。
苛立たしげに呻いた大猿が、ぐっと身を沈めた。跳躍。衝撃で出来た小さな波濤がイレギュラーズの足で砕け、同時と言って良いタイミングで大猿が降下。硬く握られた拳が、落下の勢いそのままに黒羽へと振り下ろされる。
「――!」
声にならない声が口から洩れ、先程よりも大きい泥濘の波濤に身を崩される。直撃ではない。拳は眼前の大地を打っていた。にも拘わらず、衝撃は腹の底を揺らす程に、重い。
「猿と言うか最早ゴリラですねこれ!」
「どっち、も、変わらない」
嘯きながらベークががら空きになった胴に拳を捻じ込み、呆れ半分に追随するコゼットはベークの肩に手をかけて跳躍。鞭のようにしなる脚が頭部を掠め、頬から耳までを深く斬り裂いた。溜まらずに絶叫する大猿の肩を蹴り、同じく距離を置いたベークの肩にそっと止まる。
「え、僕が足場の役なんですか……?!」
「がんばれ」
「っていう!!」
足指で挟んだナイフをゆらゆらと揺らしながら事も無げに放たれた言葉に、ベークも溜まらず奇矯な悲鳴を上げる。泥濘に足を取られない為、とは言えあんまりでは無いのか。素知らぬ顔のコゼットに内心泣き言を言う。
好機、とばかりに逆側ではロイが胴を薙いでいた。皮膚を裂き、肉に食い込む刃は、しかし致命傷には至らない。硬い筋肉で鎧われた肉体は、そう易々と突破出来る物では無さそうだ。そのまま斬り抜けるように背後に回り、ロイは剣を構え直す。
「お持たせ、出遅れたっ!」
ユーリエのSPDで治療を終えたヒィロが、大猿の間合いに滑り込んだ。反射的に振るわれる腕を掻い潜り、向こう脛目掛けて剣を振るう。斬撃の効果が上がらなかったのは直前に見えていた。ならば、通らない事を前提に剣を振れば良い。力任せの一撃が骨を打つ、凄まじい衝撃が手に返る。手応えは有った。天を衝く大猿の咆哮が答えだ。
「うわっと、と、と!」
体を滑らせながら強引に捻じ込んだ影響か、ヒィロは半ば宙返りをする形で大地へと倒れ込んでいた。泥濘に背中をどっぷりと浸け、青天を見上げるヒィロの視界に、大猿の拳が写り込む。しまった、と思うがもう遅い。五体を放り投げた状態では、回避行動には移れない。だが、
「俺を忘れるんじゃねぇよ……!」
拳を受け止めたのはヒィロではなく、黒羽だった。衝撃に交差させた両の腕の骨を砕かれ、足を泥濘に深く減り込ませながらも、しっかりと立っている。闘志の消えない黒羽に逆上した大猿が、再び高々と拳を振り上げた。腕を砕かれた黒羽は最早、その身で拳を受けるしかない。
「忘れるなと言えば」
「こっちもだ!!」
それを妨げるように飛来した銃弾が、大猿の拳の肉を穿つ。銃を構えた悠凪とQZが狙い撃ったのだ。もう一発、とばかりに引鉄を引く。再度放たれた弾丸は先程と同じように拳へと突き刺さった。大猿が痛みに呻き、その隙にヒィロが黒羽を抱えてユーリエの下へと後退する。
「おい、俺はまだ――」
「良いから! 下がる!」
戦意は有る。イレギュラーズに許された、最後の手段だって残っている。しかしそれでも、最後の手段は、最後に使うからこその最後の手段だ。彼らの運命は目減りする。目の前の戦場を切り抜ける事が出来ても、いつしか巡り巡って破滅を呼び込むかもしれない――ならばやはり、可能な限り避けるべきではあるのだ。幸いにして、SPDによる回復はまだ可能だ。リカバリは効く。
「味方が居るなら頼れば良いの! 一人だけが背負うべき戦場なんて何処にも無い!」
誰かの為の独り善がりが、より一層災禍を招き入れる事だって有るのだ――それを知ってか知らずか、自分の吐いた言葉にはっとした表情を浮かべると、後はお願い、と一言残し、手早く治療の準備をするユーリエに背を向けて、再度ヒィロは大猿の下へと駆け出した。
それを視線だけで確認する前線の面子から、ふとこんな言葉が漏れる。
「盾役の銀城さんが後退しましたけど、この場合代わりって」
「がんばれ」
「っていう!!」
ベークに直撃する拳を、足場(ベーク)を利用して回避したコゼットが空中で身を捻る。陽光に煌めくナイフが弧を描いて大猿のこめかみへと吸い込まれ、眼球を裏側から抉り抜いた。激痛、等と言う生易しい物ではない筈だ。空気を震わせ咆哮する大猿の、背後からロイが剣を振り被り、
「悪く思うな。これも人類の為だ」
大上段から背中へと振り下ろす。渾身の一撃は大猿の背に深い断裂を作り、鮮血が激しく噴き出した。振り向きざまに放つ裏拳にも力が籠っていないように見える。拳に弾き飛ばされながらも、ロイはすぐさま起き上がった。と言うよりも、拳で殴られた衝撃では無かったような――
「ふふふ」
首を捻るロイだったが、疑問は直ぐに氷解した。拳にベークが張り付いたままだ。拳に勢いが無かったせいも有るだろう、攻撃が当たる直前に、彼がロイの体を押したのだ。ベークは口から盛大に血を吐きつつ、声も高らかに勝ち誇る。
「最後に頼るべきはやっぱり体力、そして再生力ですね……!」
口内でがばがばと血液を泡立てつつ言う言葉に、説得力など備わっていなかった。惜しむらくは彼にその類のスキルが無かった事だろう。有ったとしても何の意味も無い事は火を見るよりも明らかだが。
「見てくださいこれ! 血、血ですよ! 餡子では無いです! 餡子じゃないんです!!」
「どうでも、いい……」
「なんであんなに元気なの……」
「痛みと失血性ショックでテンション上がってるんじゃないでしょうか」
「アドレナリンの過剰分泌か」
「それはかなり不味い状態なのでは?」
黒羽の治療を終えたユーリエが、彼をお願いします、と黒羽の背中をぽんと押した。見れば、生命の最後の輝きとでも言うのだろうか、ベークはそのまま大猿の体を這い上がっていた。込み上げる乾いた笑いを押し殺し、黒羽はユーリエの顔を見る。
「なあ、」
「言いたい事が有るなら本人にどうぞ」
「……」
面倒臭がらずに頑張ってください、と笑うユーリエから視線を外し、黒羽はひとつ嘆息を零した。拳を開閉し、腕の調子を確認する。問題はない。行ける、と泥濘を跳ね除けながら、黒羽は前線へと駆け出した。悠凪が銃撃を行い、大猿の動きを牽制する。ベークは既に大猿の頭に辿り着いていた。大猿の首へと足を絡め、どうやら締め落とそうと試みているらしい。最早盾役としてすべき事は無いかもしれない。しかし、行かねばならないのだ。
「あ、これ駄目だ丸太みたいで折ったり締め落とすとか到底無理――」
「そのまま、動かない」
ごぽり、と血を零すベークに、コゼットが冷たく言い放つ。何をする気か、と彼が訪ねるより前に、コゼットの脚がするりとベークの体に絡み付いた。
「成程!」
「これでトドメと言う訳か」
足元で剣を振り続けていたヒィロとロイの二人もコゼットの意に応じ、大猿の背後へと回り込む。腰を捻るようにして貯めを作ると、両手で剣を構え、思い切り振り抜いた。同時に、コゼットが全体重をかけてベークの体を引き寄せる。大地に向けて叩き付けるようなコースだ。反り返るベークの視界に、ヒィロとロイの一撃が、大猿の足を同時に捉える様が見える――見えたのはそこまでだった。ぐるりとさらに視界が回転し、ベークは自身を見失う。彼には大猿の巨体が投げ飛ばされ宙を舞った、とは認識出来なかった。誰が呼んだか、連結式逆巻フランケンシュタイナー。大地に顔面から叩き付けられた大猿の体が泥濘を飛沫と散らし、弾けるような快音がイレギュラーズの耳朶を打つ。
「でえりゃあああああああああ!!!!」
裂帛の気合と共に空から飛来したQZが、大地へと投げ出された大猿を槍で貫く。背部の断裂に肉体の守りは無く、突き立てられる槍は素直に心臓まで導かれると、脈動するそれを過たずに破壊した。
源泉を占拠していた大猿の命は、ここで途絶えたのだ。
●ホットスプリング・ハズ・カム
「ふぃい~……つっかれたねぇー」
温泉にどっぷりと身を沈めたQZが、魂の抜け出たような声を出す。既に体と表情は弛緩しきっており、湯面に体を浮かせるがままになっていた。見上げる先には暮れなずむ空の茜色が広がっており、それがまた心を溶き解して行く様な錯覚を覚えさせる。
「温泉は良いねぇ。日々のお風呂はめんどくさいけど、温泉は大好きだよ……」
そう独り言ち、完全にぐーたらモードに入る。しばらくは梃子でも動かない様子だ。後で源泉の方にも行ってみようかなぁ、と呟くが、それを耳に留める者は居ない。
「ごくらく、てんごく……」
コゼットもQZに倣う様に、湯に身を浸していた。手早いもので、浮かべた湯桶に皿替わりの葉を敷き、その上に蒸し器から頂戴して来た温泉饅頭を確保している。幸せそうに頬張っていたコゼットだったが、最後の一個へと伸ばしかけた手をふと止めた。
「ユリーカ、食べたいって言ってた。お土産、持ってってあげよう……」
今もギルドで仕事に追われているであろう少女の姿を思い起こし、ふふりと口を緩める。きっと喜ぶに違いない。
温泉を楽しむ二人とは対照的に、渋面を作るユーリエが温泉の中で身を投げ出す。ギルドへの報告の為、とペンを執ったまでは良かった。が、その為に見てしまったのだ。大猿の背部、新しい傷と交差するように刻まれた、塞がったばかりの古傷を。
「恐らくは縄張りを追われて逃げて来たのでしょう。あそこに居たのは身を癒す為。彼はまだ、故郷の土を踏むのを諦めてなかったのかもしれません」
ユーリエの傍で行儀良く入浴していた悠凪が、遠くを見たままそう零す。原因を探るべく助力を申し出た彼女もまた、ユーリエと同じ物を目撃していた。思う所は有る。しかし。
「とは言え、過ぎた事です。あまり思い詰めないように。折角の温泉ですから、楽しみましょう。ね?」
沈んだ顔のユーリエに向けて、ウィンクさえしてみせる。懊悩は一瞬だった。愚痴も悩みも後回し、だ。後悔は、後になってからしてしまえば良い。ざばりと勢い良く立ち上がると、ユーリエは高らかに宣言する。
「では、皆で女子力比べと行きましょう! まずは手先の器用さから――」
そんな姦しげな女湯に対して、こちら男湯の様子。
「あー……」
「……」
「おああ……」
正しく死屍累々、と言った光景が展開されていた。治療こそ施されたものの、重症一歩手前まで追い込まれた黒羽とベークの二人である。疲労度ならば段違いだ。ロイが然程饒舌でないのも相俟って、呻き声だけが響く何とも言い難い空間が形成されていた。
「ご飯……出来れば魚以外が良いですね……共食いはちょっと……」
「安心して良い。酪農品を主とした料理が饗されるようだ。山菜類は季節柄保存の効くものばかりのようだが」
最早変化を維持する気力も無いのか、たい焼きそのものの姿のベークが呟く。腕を組んで目を閉じ、座禅を組むが如く湯に浸かっていたロイが、ふと片目を開けてベークを見た。
「……小麦は共食いにあたらんのか」
「あたりませんよ……」
脱力した様子でベークが言う。彼はたい焼きではない、鯛である。小麦が主原料の菓子ではない。
ざばり、と音を立て、黒羽が湯から上がり、出口へ向かう。残された二人から表情は見えず、首(?)を傾げるベークに、しかしロイは口元を緩めてみせるだけだ。
「フッ……青いな」
「貴方の装備ほどじゃありませんよ多分」
「皮肉か」
「え、事実ですよね?」
●甘さを伴う苦みなら
「あ」
「げ」
脱衣場の暖簾を潜った黒羽が見たのは、浴場近くのベンチに腰掛けたヒィロの姿だった。何故か大き目の椀を抱えている。一度横を通り過ぎ、ご自由に、との張り紙の下にあるコーヒーポットに手を伸ばし、カップにコーヒーを注いだ。特産品らしいミルクを折角だからと混ぜ、ヒィロの隣に腰を下ろす。そうするだけの理由は有る。一連の動作中、何も言わなかったヒィロに水を向ける為、彼女の持つ椀の中に視線を落とした。
「……何食ってんだそれ」
「カルボナーラとんこつうどん」
「カルボ……何だって?」
「カルボナーラとんこつうどん」
名物だって、と薦められるソレを黒羽は辞退した。美味しいのに、と麺を啜るヒィロの姿に軽い頭痛を覚えつつ、どう切り出したものか思案する。が、妙案など思い付く筈もない。結局何処となく気まずい空気の中、「悪ぃ」と絞り出すのが精一杯だった。ヒィロはそれに応えない。椀の中に残る温泉卵を潰して麺に絡めると、残ったスープごと一息に飲み干す。椀を置いて勢い良く立ち上がり、勢い余って二、三歩進む。振り返った表情は、笑顔だ。
「うん、ご馳走様っ! でもって、ありがとっ!」
「有難うって、何が」
「助けてもらったお礼! まだ言ってなかったからね!」
快活に笑い、黒羽に向けてピースサインを向ける。そのままくるりと向きを変えると、「そろそろご飯の時間だから、先に行ってるね!」と言い残して走り去って行った。黒羽は複雑な表情のままカップを煽り、ゆっくりと立ち上がる。
口の中にはまだ、甘さと苦さが残っていた。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
大岩は犠牲になりました。へびいちごです。ご参加、有難うございました。
恐らく完全に望んだ結果にはならなかったと思いますが、さて、シナリオは生ものですので、「こんなこともあるさ」と生暖かく受け取って頂ければ幸いです。書いた物全てがその通りになる訳では無い、と言うのは勿論ご存知の上でしょうが、そこに有るのは人と人との交わり合いですので。投げた石がぶつかり合ってどんな方向に進むのか、それはGMにも最後のエンターキーを押すまで分からない事です。まあ、描写に趣味が含まれている事は否定しませんが。
さて、あまり長々と言葉を連ねて余韻を壊しすぎるのもなんなので、この辺りで失礼させて頂きますが、リプレイが皆様のお気に召す物であったなら幸いです。また機会が有れば、皆様のキャラクターにお付き合いさせて頂ければな、と思っております。重ね重ね、ご参加有難う御座いました。
GMコメント
こんにちは。へびいちごです。妖怪ネタ被りの気配がする。
今回はシンプルな害獣退治です。敵の脅威度は高めですが、単体ですので連携しながら戦えばそう苦戦もしないでしょう。逆に1対1の状況に持ち込まれた場合、これを打破するのは困難です。
オープニング本文にも出ていますが、状況を説明いたしますと、
・目的地に辿り着くには雪の積もった山道を抜けていく必要がある。途中には木々の密集した林、小高い丘などが有る。
・戦場は山間の盆地。傾斜や遮蔽は存在しない。ただし、温泉の熱気で雪が溶け、地面がぬかるんでいる。
・配管は大岩で塞がれており、里へと湯を通すにはこれを除去する必要がある。
・討伐対象は全高3メートル程の大猿。未識別エネミーです。大岩を片手で投げる程の膂力を持ち、源泉付近に湯を溜める為に配管を塞いだのもこの大猿の仕業だと考えられます。以上の事から、怪力、弾数制限付きの射撃攻撃などが予測されますが、それ以上の情報は有りません。
尚討伐終了後にはお湯を使う事が許可されているので、温泉に浸かる事が出来ます。源泉付近で景色を楽しみながら入るのも良し、里の温泉宿で充実の設備と共にのんびり楽しむも良し。どちらが良いかは皆様で決めて良いですが、どちらか片方のみ、として下さい。意見が割れている場合は多い方に突っ込みます。ちなみに源泉側は混浴です。里の温泉宿は男女別にきっちり分かれてます。そのあたりを理解した上で、相談してお決めになって下さい。
あ、PPPは全年齢向けのゲームなので、えっちなのは良くないですよ!
節度を守って楽しい混沌ライフを。では、リプレイでまたお会いしましょう。
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