PandoraPartyProject

シナリオ詳細

たとえきみがいなくても

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●見えなくてもそこにあった
 ――時間にして、ほんの数十秒。
 不思議なことが起きたんだ。
 突然意識が切り替わって、どこだかわからない場所にいて。
 そこに、君がいた。
 どれほど呼んでも、どれほど追いかけても届かなかった、白い服の君が。
 その服を赤と黒に染めた、君だけが。

 言いたいこと、伝えたいこと、たくさんあったはずなんだよ。
 どこにいるの? とか。私が行けない場所なの? とか。
 帰ってこれるの? とか。
 まだ怖いことしてるの? 続けなきゃいけないの?
 私は――。
『……そんなこったろうと思った』
 君の腕が伸びてきて、距離が近付く。近すぎて、君の顔が見えないよ。
 君がこんな風に呼吸するのも、こんな風に鼓動するのも、初めて知ったのに。この温度も、この音も、ずっと昔から知ってた気もして。
 ずっと――探してたんだよ、君を。
『やっぱり……オレは、『お前の心臓』だったんだな』
「サク……?」
 君の顔が見えないまま、君の姿が透けていく。元の景色が戻ってくる。
 待って。消えないで。置いていかないで。
 これが夢なら、二度と覚めなくていいから――!
「サク、やだ! 行かないで! サク!!」
 君の姿が完全に消えた、すぐ後。酷い痛みがあった。
 心臓、が。握り潰されたような。息も、できなくなって。

 今まで、何となく感じてたんだ。
 サクと初めて会った時も、何だか気になる方向に進んでみたら彼がいて。
 それからも、あの白い服になってからも、それがあったから君を追いかけてこれたんだけど。
 ……それが、なんにも、感じられなくなって。

「ぁ、」
 声が、出ない。肺まで持っていかれたのかな。
 喉も、からからで。目は開いてるのに、真っ暗で。
「ぁあ――――」

 きみが、いないんだ。

●貴方は、生きて
 冠位傲慢撃破がなった後。
 『万愛器』チャンドラ・カトリ(p3n000142)は、これまでに戦った遂行者達が残した痕跡についてイレギュラーズに報告していた。
「まずは、短く済みそうな方から。
 遂行者ロード……並びに、その核となった聖遺物『聖樹アインゾファーの枝』について。聖樹があった場所は古い文献にその記述がありましたので、足を運んでみたのですが……」
 そこは、ロードによって焼き払われてから百年以上経つというのに未だ草もろくに生えないのだという。聖職者による浄化は一時試みられてはいたが、復讐の炎は大地をも深く焼き尽くし、もはや呪いとして『根』を張っているらしいとのこと。浄化して再び住むより、厳重に封印して領域ごと放棄してしまう方が現実的であるとして、そのように扱われているようだ。
「復讐とは、強いアイ(執着)ですから。愛憎は表裏一体と申しますが、彼は強く愛せるからこそ強く憎んだのでしょう……我(わたし)はそのように感じました」
 ロードについての報告をそのように締め括ると、彼はやや重めな口振りで次の報告へ移る。
「愛、と言えば……遂行者サクの人格の元となった『人間サク』について。かなり苦労しましたが、居所がわかりましたよ。判明した理由が、あまり喜ばしいものではありませんが……」
 その報告に、眉間に皺を刻む『消えない泥』マッダラー=マッド=マッダラー(p3p008376)。彼の手と胸の裡には、未だ消えない罪悪感が生々しく残っている。
「彼はどこにいるんだい。喜ばしくないというと、何か罪でも犯したのか」
 『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)の問いには、首を横に振るチャンドラ。
「罪どころか、見知らぬ人間を助ける善性の持ち主のようですよ。その見知らぬ人間が、今回は少女トキなのですが」
「人間のサクが……トキを助けたことが……喜ばしく、ない……? トキが……見知らぬ人間って……?」
 浮かび上がる疑問のままに『玉響』レイン・レイン(p3p010586)が口にしていると、チャンドラが順に説明していく。

 ――遂行者サクが撃破されて後。
 少女トキは、豊穣で待つ子供達の元へ戻らないまま行方を眩ましていた。再び姿を表したのは、天義と幻想の国境付近の小さな街で倒れていたところを少年に助けられたからだ。
 その少年こそが、今は幻想の老夫婦の元で暮らしている『人間』のサクだったのだ。
「老夫婦は国境近くに暮らす羊飼いでして。『人間サク』……どうにも引っ掛かりますね、『羊飼いサク』としましょうか。彼はトキを全く知らなかったのですが、心身ともに弱っていた彼女を連れ帰って老夫婦と共に看病を続けているようです」
「トキは……そんなに悪いのか」
「……これは、憶測ですが……遂行者サクを追い続けた疲労と喪失に加え、『サクであってサクでない人間』に看病を続けられれば……気が休まることはないのでは、と」
 マッダラーへ答えるチャンドラ。
 看病生活の詳細まで観察したわけではないが、トキは未だ動けない状態にありながら命の恩人である羊飼いサクと話したがらないらしい。
「彼の善性が、今のトキには辛いのではないでしょうか」
「僕も、トキの力になりたい……でも……サクのこと、倒すって決めたのは……僕達だから……」
「ええ、恨み言を言われる可能性もありますね。しかし、恨むにも気力が必要です。恨むために幾ばくかでも回復できるなら、それもありだと我は思いますよ」
 もちろん、恨まれずに慰められるならそれがいい――と、レインへ答えたチャンドラ。そこへ、イズマが「よし」と手を叩く。
「サクさんがどんな答えを出しても、俺は認めると決めていたからな。でも、トキさんがサクさんの後を追うことを彼が望んでるとは思えない。彼には願いがあったはずだ」
 『ただ普通に、飯が食えて、寒くない場所で寝てくれたら』。そう願っていた彼が、今のトキの姿を望むことはないだろう。
「彼女の喪失は計り知れない。それでも、何もせず見送ってしまったら後悔するだろうから」
「そう……だね……。何か、できること……したい……」
「恨み言なら甘んじて受けよう。それが彼女の生きる糧になるなら」
 イズマ、レイン、マッダラー。3人の他にもイレギュラーズ達が協力を申し出ると、一行は幻想の国境近くへと向かうのだった。
 目指すは羊飼いの老夫婦の家。そこで今も横たわる少女と、その傍らにある少年の元へ。

●きみが、いない
 老夫婦は、秋の終わりから羊と共に山の小屋を離れ、雪解けまでは麓の家で過ごすらしい。彼女が運ばれたのは、そんな冬住まいだった。
 一時は命の危機にあったトキだが、暖かい部屋で看病されたことで一命を取り留め、意識も取り戻していた。
 ただ、食事をほとんど受け付けない。回復しようとする気力は失われたままだ。
「困ったもんだな……あれぐらいの年頃の娘ならもっと食わんと。ミルク粥はどうだ婆さん」
「そうねえ……ミルク多めで作ってみましょうか。サクや、あの子を見ていてくれますか。歳が近い子の方が、きっと話しやすいでしょうから」
「ん」
 薪を割ってくるという老人と、粥を作る老婆を見送り、少年は部屋で寝ている少女の元へ向かう。
 少年が部屋ですることは、言ってしまえば彼女を眺めるだけだ。彼が何を話しても彼女はほとんど答えないし、微かな声で「話さないで」とまで言われては何も言えない。ただ、熱が出ていれば額のタオルの交換くらいは面倒を見る。あとは、暇潰しに最近覚えた編み物をするくらい。それだけだ。
「……ごめん」
 少年が毛糸に指を潜らせた時、彼女が久し振りに口を開いた。相変わらずの乾いて掠れた声だ。
「君は、悪くないの。おじいさんも、おばあさんも。誰も、悪くないんだよ。でも……」
「……あんた、死にたいのか」
 少年の声に、少女が震える。彼が話すたび、彼女は怯えるように耳を塞ぐのだ。
「……悪い」
「……ッ」
 声に怯える彼女に、筆談を試みたこともある。しかしそれも、何を書いても泣き出してしまって会話にならなかったのだ。
 結局、少年は今日も彼女を眺めるだけ――。
「なあ。これだけ聞きてえんだけど」
「……な、に」
「オレと同じ名前の奴、誰かいんのか? うなされてよく呼んでるけど、多分オレじゃないだろ?」
「…………。うん」
「そ」
 少年はそれ以上問わず手元の作業に戻り、少女も静かに天井を見上げる。

 窓の外からは、シャイネンナハトの家や店の明かりが漏れていた。

GMコメント

旭吉です。
置いていかれたままの彼女の話です。

●目標
 少女トキが何らかの形で結論を出す。

●状況
 幻想と天義の国境付近。幻想側の山の麓にある小さな街に数日間逗留。
 羊飼いの老夫婦の冬住まいになります。
 (街にいるなら、老夫婦の家ではない宿から通っても可)
 街にはシャイネンナハトの店が出ているため買い出しも可能です。
 料理を作る、工作をする、何かを見せたり聞かせたり、話したり……など、思い付く方法で自由にトキ達に接してみてください。

●情報
 おじいさん
  クラウス。70代の白ひげの爺さん。羊飼い。
  牧羊犬のアムド(おっきいもふもふ)も室内にいます。
  腰と膝がしんどいですが肉体労働を頑張ります。
  木工細工も得意。
  早くに一人息子を亡くした分サクに愛情を注ぐ。
  今はトキの回復を願う。

 おばあさん
  グレース。70代の婆さん。羊飼い。
  背中が曲がって杖をついてますが、主に家事を担当。
  よく子守唄のような鼻唄を歌います。
  亡くした息子のようにサクを愛してきました。
  よかれと思ってトキをサクに任せてます。  

 『朔月』サク
  10代後半の少年。外見や口調、性格は遂行者の『終天』サクと完全に同一。
  (聖遺物を核としている遂行者サクの、人格面のオリジナルがこちらの彼。人物としては完全に別人)
  世界に絶望していないこと、ルストを信仰しなかったこと、幻想の老夫婦とうまく付き合えたことから(比較的)前向きな思考です。目にハイライトがあるしクマもない。
  オンネリネンの子供達の出身ですが、トキと接点ができる前にアドラステイアから出されたため、トキの過去を知りません。『ティーチャー・オウル』なる白髪の大人に言われるまま出たそうですが……?
  羊の面倒も見る。最近グレースに教わって編み物を覚えた。
  自分が助けたトキのことは普通に心配しているものの、一挙手一投足に対して彼女が反応するため接し方を試行錯誤中。

 『望日』トキ
  サクと同年代の少女。オンネリネンの子供達の出身。
  遂行者となったサクを連れ戻すため追いかけ続け、その果てに失った。
  『終天』サクの正体が聖遺物であったことは知らない(遂行者であることは知ってます)
  同年代の友として、苦しい時の理解者として、それ以上の絆として彼を必要としていた。
  『朔月』サクがあまりにも『終天』サクと瓜二つで苦しい。
  『朔月』の全てに『終天』を見てしまう自分が苦しい。
  『助かってしまった』せいで感謝も言えない自分が苦しい。
  彼がいない世界が苦しい。終わらせてくれる彼は、どこにもいない。
  命と意識はありますが、現在1人で歩き回る元気はほぼないです。窓からの景色は見えます。
  料理等に好き嫌いはありませんが、現在はほとんど受け付けません。
  筆談で泣いてしまったのは筆跡まで同じだったため。

(参考)
 『終天』サク
  遂行者。長く自身を人間と思い込んでいましたが、その正体は聖遺物『聖女トカニエの心臓(セイクリッドハート)』。
  アドラステイア解放後は天義の田舎に引き取られたものの馴染めず、戻ってきたところでトキと再会。馴染めない苦しさを抱えながらも一緒に頑張ってきましたが、絶望と信仰の果てにサクだけが遂行者として活動を始めてしまう。
  彼に『人間サク』の形を与えたのが白髪の遂行者ロード。
  天義での決戦に於いて撃破され消滅する。

●NPC
 チャンドラ
  お役に立てるかわかりませんが同行しております。
  何かあれば……。

  • たとえきみがいなくても完了
  • ――泣いてる場合じゃないだろ。
  • GM名旭吉
  • 種別通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2024年01月15日 22時25分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費100RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

シラス(p3p004421)
超える者
ソア(p3p007025)
愛しき雷陣
冬越 弾正(p3p007105)
終音
マッダラー=マッド=マッダラー(p3p008376)
涙を知る泥人形
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
星影 向日葵(p3p008750)
遠い約束
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
レイン・レイン(p3p010586)
玉響

サポートNPC一覧(1人)

チャンドラ・カトリ(p3n000142)
万愛器

リプレイ


 降り積もった雪が光る早朝の街には、シャイネンナハトでも朝市が立っていた。
 この時期ならではの食材や料理はもちろん、日用品やオーナメントまで出店の種類は多岐に渡る。
 夜が更けても光に彩られるこの街を歩いていたのは『竜剣』シラス(p3p004421)と『無尽虎爪』ソア(p3p007025)、そして。
「アンタが一緒に来るとはな。こっちはこっちで伝手もあるが」
「グレースさんが料理の材料を買うお店とかわかるかな?」
 二人が話しかけているのは、『朔月』サクだ。近頃足腰が不安な老夫婦に代わって、日常の買い出しは彼の仕事になっているらしい。
「あんたの目的は木材の問屋だったか。朝市からは離れてるけどいくつかあるぞ」
 シラスへ答えてから、サクはソアへ食材の店についても簡単に答えていた。鮮度も値段も朝市のものが一番だから、できるだけここで揃えていくそうだ。
「……今、オレはあんま家にいねえ方がいいらしいから。付き合える所は付き合うけど」
「ああ、そっか……」
 サクの言葉に、ソアはシラスと共に昨日のやり取りを思い出す。

 *

 イレギュラーズ達が老夫婦に挨拶をしたその日、トキと初対面だった二人は彼女の部屋にも挨拶へ向かったのだ。
「やあ、はじめまして。俺はシラスという、少しここに厄介になるよ」
「ボクはソア、よろしくね!」
「……、…………」
 ベッドのトキは起き上がろうとするが力が入らない。傍で見ていたサクが手伝おうとすれば、それに対しては本能のような反射力で身を引いて怯えていた。この環境が彼女にとって全く心穏やかでないのは誰の目にも明らかだ。
「あの……」
 遠慮がちながらもそれを口にしたのは、『玉響』レイン・レイン(p3p010586)だった。
「トキは……知り合いのサクのこと、大事だったから……そっくりなサクを見るのが辛いんだと思う……。だから……暫くの間は……おじいさんとおばあさんが見てくれるのがいいかなって……」
「俺達も、どうか手伝わせてほしい」
 強く言う『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)の言葉には、滲む後悔もあった。
 何やら事情を知っているらしい彼らの態度を見ると、サクは小さく承諾し老夫婦へと相談に向かった。

 *

 そして、この状況だ。
「あの部屋、窓の景色くらいしか変化が無かったからな。車椅子でも作ってやれば、今の彼女でも外に出られると思って」
「ボクも、今日はご飯と一緒に外のお話いっぱいしてあげるつもり!」
 シラスの提案にソアも自分の計画を明かすと、サクが少し悩んで答える。
「窓が少ねえのは、冬住まいだからだけど。外の話は、婆さん達は喜ぶと思う。あいつは……あんたらの話なら聞いてくれるといいけど」
 朝市の賑わいに白い息を散らしながら、三人は街を進んでいった。


 トキの部屋へは、イレギュラーズ達が交代で様子を見に来ていた。
 彼女から話を聞くのはまだ酷だろうと、ある時は『終音』冬越 弾正(p3p007105)が優しい歌を。ある時は『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)が歌のない穏やかなケマンチェの旋律を届けた。
 二人の音楽を、彼女が拒絶することはない。しかし、小さな「ありがとう」と「ごめんね」の反応しか出てこない。
『トキ……話すの、難しかったら……頭で、思うだけでいいよ……』
 レインもハイテレパスで伝えるが、彼が感じ取れたのは様々な言葉がぐちゃぐちゃに重なった結果強調された『私』『嫌い』『苦しい』『死にたい』という断片だった。
 彼女の感情の断片は、弾正も感想の言葉から朧に感じ取っていた。自分で自分を傷付ける感情が断片だけでも強すぎて、これでは何も届かない。
(無理もない……大切な人を亡くした傷を、完全に埋めてくれる物はない。俺だって、アーマデルという新しい希望に出会えなければ……)
 しかし、弾正にとってのアーマデルとなってくれそうな存在は、今の彼女には見るのも聞くのも辛いだけの存在なのだ。

「間違いじゃないんだよ」

 一言肯定したのは、『新たな一歩』隠岐奈 朝顔(p3p008750)だった。
「貴女が抱えた思いは、何も間違ってないよ」
 ベッド際に膝をついて、朝顔はゆっくりと言葉を並べる。
「命を救われたのに、感謝が言えないとか。彼は望まないと知ってるのに、生きて居たくないとか。それが、自分でも良くないって、間違いだって思ってて。でも、誰にも言えない……違うかな」
 だが、その思いは否定しなくていいのだと、朝顔は再び肯定する。
「私の話、聞いてくれるかな……私が助けたかった、遂行者の話」
「……助け、られなかった、の」
「…………うん」
 未だ癒えきらない心のまま頷けば、トキは朝顔へ顔を向けた。顔色からも、目からも気力が消え失せて、希望を受け止める余地がない――『約束』が無ければ、朝顔自身がこうなっていた想像は実に易かった。
「……あの人はね」
 目蓋の裏に描くのは『聖盾』の遂行者。弱音を吐けず、理解されず、壊れかけた心を繋ぎ止めるには遂行者となるしかなかったと聞いていた。
 決戦まで直接出会うことはなかったが、彼の命まで奪うのはあまりにも辛くて、生きて救われてほしかった。そう、心から願って――叶わなかった。
 ただ、その最期に今も朝顔を支える『約束』をした。『あの世か来世で初めましてをしよう』と。その時こそ、友になりたい――と。
「……それでも、胸は痛いんだよ」
 勝利の喜びに沸く天義。ローレット。
 幸せなシャイネンナハトの灯り。
 誰も彼も悪くない、当たり前の幸せの享受。
 ――其の『当たり前』になぜ、あの人がいないのか。
「私でさえこうだもん。貴女の喪失は……貴女の痛みは、私は絶対に否定しない」
 トキの頭をゆっくりと撫でる。あの人にもこう出来れば何か変わったのか――と、胸の裡を焦がす後悔がある。
「私も、貴女の知るサクさんの話を聞いてみたい。それで、できたら……お友達になってみたいです」
「……サク、は。……、サク……は、っ」
 再び泣いてしまったトキの頭を、朝顔は撫で続ける。
(トキ、朝顔の話で……少しだけ、楽になった……?)
 レインが感じたものを、弾正も声から感じる。トキが嗚咽の合間にサクについて語ろうとする声からは、少しだけ『苦しい』感情が和らいでいたからだ。
「願いは近く、胸に懐き。祈りは遠く、誰かの為に」
 詩の一節のように詠い、再びケマンチェを奏でるアーマデル。
「トキ殿にとって、『終天』のサク殿は『願い』なのだな。胸に抱いて心温めるひかりだ」
 その『願い』は、共にした時間と言葉が紡いだ縁の形。そして今は絶たれ、手当されぬままに痛む傷の形でもある。
 痛みが傷の存在を忘れさせず、忘れられないが故に痛みを感じ続ける傷。その傷もまた、望まず断ち切られた心の一部だとアーマデルは言う。
「……置いていかれた者の気持ちはわからなくもない。それは無理に捨てねばならないものではない、と思う」
 今は芽吹かぬ種であっても、いつか、雨が通り過ぎたあとには――そうして、ゆっくりと時間をかけて花開く種もあるのだから、と。
「アーマデル……これは何の曲だろうか」
「故郷の曲だ。灯火を咥えて旅人の足元をさやかに照らす、夜告鳥の調べだ」
 死出の旅路へ向かう死者の魂。試練の旅をゆく勇士。医神の葉を携えて往く医療者――そんな彼らを導く旋律を、トキも今度は確かに聴いていた。


 明くる日。
 滞在中に車椅子の完成を目指したいシラスを、彼の指示を受けながらサクも手伝っていた。問題解決のためトキを避けてはいるがやはり気になる様子のサクに、シラスは「仕方がないんだ」と言い聞かせる。
「俺だって、長い間家族との因縁に振り回されるばかりだった。一朝一夕には解決しないんだ、こういうのは」
「わかってるけど……」
 釘を打つ金槌とノコギリの音が響く作業場。そこへ、イズマと弾正がやってきた。
「サクさん、君がトキさんを助けて彼女を見ていてくれたんだね。ありがとう。俺達が来るまで……彼女はどんな様子だった?」
 イズマの問いに、サクは「結構危なかった」と深刻に答える。
「見つけた時は、顔色が悪くて熱もあって。意識も無かった。話せるようになったのはこの何日かだけど。……なあ」
 問い返すサクの声には迷いと、憤りのようなものがあった。
「あんたらは、あいつが呼んでる『サク』のこと、何か知ってんのか。一体何があったらあんなになっちまうんだよ、『サク』はあいつに何したんだ」
「『彼』は……『君の代わりに世界の苦しみを引き受けた人』……かな」
 形容する言葉に悩み、イズマはそう答えた。
 皮肉なものだ。
 遂行者となった聖遺物の『彼』は、トキの内にあるかもわからぬ『自分ではないサク』を恐れ。
 人間として過ごした彼は、トキの内に確かに遺された『自分ではないサク』に憤っているのだから。
「君も無関係ではない、知っておくべきだろう。君を逃がしたという、ティーチャー・オウル……その人は、恐らく遂行者ロードだろうから」
「弾正さんもそう思うかい? 本当に、正解は一つに決まらないな」
 あれほど激しく人間を憎悪しながら、ロードは結果としてサクやトキの命だけでなく、ここの羊飼い夫婦をも救っていたのだから。
 苦笑を向け合う弾正とイズマへサクが怪訝な目を向けていると、弾正は改めてサクに向き直る。
「君をオウルが遠ざけたのは、君が『終天』のサク殿以外に、トキ殿の心に寄り添える存在だからだろう」
 そして、彼らは『朔月』に伝える。
 イレギュラーズと、『終天』『望日』『至光』。その間で交わされた刃と言葉を、終わりまで全て。
 それは、アドラステイアを出てからは戦いと無縁な場所にいた少年にとって大きな衝撃だっただろう。
「……わ、るい。ちょっと、考える時間、欲しい」
 そう言ってふらふらとその場を離れようとしたサク。しかし、数歩進んだところで彼は止まった。
「…………ほとんどわかんねえ、けど。わかりそうな部分、ちょっとだけあるよ。『サク』のこと」
 腹が減って、眠れなくて、寒いのは。
 誰だって嫌に決まっているから。


 ソアは滞在中毎日早起きして、毎朝市に向かい、グレースの家事を手伝った。連日イレギュラーズ達に振る舞われたのも、彼女とグレースの手料理だ。
 凝った料理は作れないというソアだったが、グレースは優しい娘か孫ができたようだと喜んでいた。
「今日の味、どうかな? グレースさんのレシピに、ちょっとスパイスを足してみたんだけど……」
 ソアとしては、味も香りも見た目もグレースの料理を気に入っていたが、相手は食欲のないトキだ。少しでも消化がよく、食欲が沸くものを目指したかったのだ。
「ああ、美味しい……香りもいいわ。私もおかわりが欲しくなるわねえ」
「よかったー!」
 あとは、部屋の話が終わるのを待って配膳するだけだ。気合いを入れて可愛いメイド服にも着替えておこう。

 今日の話は、長くて重くて、辛くて。きっと皆お腹が空くだろうから。
 その間に、ずっと煮込み続けたスープはとろとろに蕩けているに違いないから。

 *

 どうしても、時間が必要だった。
 足を運ぶのも、顔を合わせるのも、口を開くのも。話す内容を考えるのも、どんな感情を抱けばいいのかも。
 そもそもあの時、本当はどうすればよかったのかも。
「マッダラー、さん」
 レインに支えられて、トキが上半身を起こす。
 『生きたくなる、前に』マッダラー=マッド=マッダラー(p3p008376)は、あまりにも多くの葛藤と共に彼女の前へ現れた。
「トキ……すまない。俺はサクを取り戻すことが出来なかった。道を踏み外させないとお前に誓ったのに、あいつを人として生きる道に引き戻せなかった。
 それどころか……サクを殺したのは、俺だ」
「……どう、して」
 乾いた声が問う。
「マッダラー殿は悪くないんだ、トキ殿! 『終天』のサク殿は、もはや倒さねばいけない存在だった。あの時、誰かがとどめを刺さなければならなかった……その役割を、一番深く心を通わせていたマッダラー殿に背負わせた責任が俺にはある」
「引き留められなかった、トキのせいじゃない……遂行者を選んだ、サクのせいでもない……それは、確実だから……」
 弾正とレインが、自責してしまいそうな二人を咄嗟に庇う。しかし、マッダラーは弾正の言葉に首を横に振った。
「それでも、俺が直接殺した事実は変わらない。トキにとって、俺はサクの仇だ。恨まれても文句は言えない」
「マッダラー殿……! 君の痛みは、俺の痛みでもあるんだ!」
「マッダラー、さん」
 食い下がろうとする弾正の傍でトキの声がすると、彼らは彼女の言葉に耳を傾けた。
「最後まで、サクの言葉。聞いてくれるって」
「ああ」
「何か、言ってた? どうして? やっぱり、生きてるから、死なないといけなかったの?」
「それは違う」
 マッダラーが断言して否定する。
「トキさん、俺からも話していいか。君が追えなかった場所……『神の国』での、彼の話を」
 イズマをはじめ、レインや弾正、アーマデル達もそこで見聞きしたものを話す。トキが知り合った彼の正体が聖遺物『聖女トカニエの心臓』であったことも、マッダラーが告げた。
「アイツは、お前が自分じゃないサク……今ここにいるあのサクを知っているかもしれないと、不安を抱えていた。だが、お前にとってのサクはアドラステイアのときから一緒に居て、そして遂行者になってしまったあのサクなんだろう」
「うん」
「子供たちに自分のコインを渡していたサクだよな」
「……うん」
「……そして、俺がこの手で殺した、あのサクだ」
 思い出すようにマッダラーが拳を握り締めるのを、トキは黙って見つめていた。
「トキさん。彼は世界に絶望したが、最後に小さな理想と願いを抱いたんだ。
 アドラステイアに似ているが、飢えも寒さも無い閉じた世界。そこで『ただ普通に、飯が食えて、寒くない場所で寝てくれたら』と願った」
 イズマが最後に見たサクの『理想郷』の話をすると、トキは力なく笑った。サクはそればっかりだと。
「子供達が家や世界から出ない限り、安心して眠れて……利用する大人は居なくて……広場に大きな、祈る所がある世界だったよ……」
「最後まで子供達のことを案じていたんだろう。トキ殿の姿もそこにあった」
 レインやアーマデルの言葉に、トキは目を閉じて彼の『理想郷』を夢見て――しかし、マッダラーの言葉に目を開く。
「アイツは『理想郷』のお前を見て、辛そうだった。たとえ作り物でも、お前を巻き込みたくなかったんだろう」
「戦いの中でも、最後までは戦わせなかった。聖堂の中に閉ざして……生きて欲しいと願ったんだろう。俺が、弾正にそう願うように」
 アーマデルの言葉も聞くと、トキは声を殺すように泣き出してしまった。
「サクの最後に、俺はひとつの奇跡を願った。お前とサクが最後の別れを出来るようにと」
 心当たりは無いかとマッダラーが問えば、トキは何度も頷く。
「アイツは最後までお前と一緒に生きることを求めていた。それを奪ったのは俺だ。サクとしてではなく、『聖女トカニエの心臓』として死ぬことを選ばせてしまった」
「……多分、違うよ。マッダラーさん」
 懺悔するようなマッダラーに、泣くばかりだったトキが自分の胸を押さえる。そして、あの奇跡の数十秒に起きたことを告げた。
 「オレは『お前の心臓』だった」と、顔が見えないくらいに抱き締められて。その後に、心臓を潰されるような痛みがあったと。
「あの時は、意味がわからなかった……でも、今はわかるよ。ずっと、ここにいたんだよ、サク。離れてても、一緒だったんだ」
 それが、元は『トカニエ』という一人だったからなのか、別の何かなのか、本当のところは彼女にもわからない。ただ、あの激痛と喪失がそれを教えてくれたのだと、イレギュラーズの話を聞いた今は思えた。
 そして、だからこそ。『心臓』の彼は、もうどこにもいないのだとわかる。
「トキ。俺が憎ければ、俺が恨めしければ、俺を殺しに来い。それが俺に出来る唯一の償いだ」
 このまま失意の内に衰弱してしまうより、復讐の対象を得て生きる意味を見出だしてくれる方がずっといい。マッダラーにとってもそれで罪を償えるなら、心が救われる思いがしたのだ。彼女以外の誰に殺されることも許さないと、強く思うことができた。
「……サクさんから、トキさんに言葉を預かってるよ。マッダラーさんに復讐するかどうかは、それを聞いてから決めてもいいんじゃないかな」
 イズマは、短い伝言を伝えた。ただ、『泣くな』と。
「僕も、サクから……『ごめん』……と……『泣いてる場合じゃない』……って……。忘れてくれていい……とも言ってたけど……大事なこと……忘れるなんて……出来ないよね……」
 自分がいなくなったらトキは絶対に泣くとも言っていたと、レインは付け足す。イズマも似たようなことを聞いていたようで、彼はよほどトキの涙を気に掛けていたのだろう。
「でもサクさんさ、無茶を言うよな。『泣くな』と言われて泣かないって無理じゃないか?」
 むしろ、思いっきり泣いてしまえば良いと言うイズマ。敢えて泣き尽くして、恨み言も感謝も言い尽くして。そんな『仕返し』もありだろうと。
「僕……サクと、約束したんだ……。どちらかが生きてたら……お互いに……『あたたかいところでちゃんと皆ご飯が食べられて、安心して眠れる場所が出来るように』……その世界を作るって……」
 その約束を守ることで、彼の理想を残すことができる。彼の想いまでは無かったことにならないと、レインはトキにも提案してみた。
 復讐。仕返し。理想。示された道の前に、彼女は。

「……ずるいよ、そんなの」

 ずるい。ずるい、ずるい、ずるい!
 イレギュラーズが滞在を始めて以来、初めて彼女は大声で泣いた。
「どうせ私はすぐ泣くよ! いつだって、一緒に泣いてくれたことなんて無かったよサクは! 泣くなってなに、自分は泣かないからって……」
「泣いていたさ。最期に」
 奇跡の後、泥人形だけが最期に聞いた声。
 ――消えたくなくなる。生きたくなる、前に。
 懇願していた声は震えて、恐らく泣いていたのだ。トキの前でも泣かなかった彼が。
「……なあトキ。俺はあいつのために涙も流せない存在だ。俺の代わりに泣いて、そして笑ってやってくれ。
 アイツのために、生きてくれ」
 それはもはや、エゴだ。マッダラーの願望だ。
 泣いていた命をこの手で潰し、がらんどうになってしまった意味と理由が必要だったのだ。
「……私、マッダラーさんを殺したいとは思わないよ。でも」

 ――ずるいって、思っていいかな。

 そんな小さな嫉妬が、彼女の『仕返し』だった。


 完成したシラスの車椅子にトキを乗せ、『朔月』のサクがそれを押す。
 シラスには彼女に掛けられる言葉はなかったが、来た時に比べればいくらかトキの表情は晴れているようだった。
「ちゃんと暖かくして、これからは外の空気も吸うんだぞ。できれば、こんなのに頼らず歩けたらいいんだが」
「でも、ご飯もちょっとずつ食べられるようになったよね! えらい!」
 ソアから頭を撫でられれば、トキは小さく笑う。
 最後にサクにトキを任せて、イレギュラーズは老夫婦の冬住まいを後にした――。

 ――その、少しだけ後。
「話聞いた。あんたがオレを『サク』って呼べないのは、別にいい。でも、爺さん達が呼ぶのは許してやってくれ」
「……うん」
「オレのことは、『サクゲツ』でいい。名前の意味は同じらしいし」
「……そうなんだ」
「星がよく見える、新月のことなんだと。ティーチャーが言ってた」
 車椅子を押す少年に、彼が編んだ赤いマフラーを巻いた少女は初めて笑った。

「……その話、サクもしてたよ。サクゲツ」

成否

成功

MVP

星影 向日葵(p3p008750)
遠い約束

状態異常

なし

あとがき

お待たせしてしまい申し訳ございません。
この度はご参加ありがとうございました。

皆さんの言葉とお世話もあり、トキはやがて回復していくでしょう。
『朔月』サク改め、『サクゲツ』とも少しずつうまくやれそうです。
回復した後に豊穣で待つ子供達の元へ帰るのか、違う人生を歩むのか、その後のことはわかりません。
ただ、今は。
蝕のように欠けたものを抱いたまま、『彼女が生きていていい世界』を生きていくことでしょう。
――いくつかの嫉妬を、小さな足掛かりに。

称号は、肯定してくれたお友達と、一番ずるい貴方へ。

最後に、異議があるらしいペンネーム「人間大嫌い妖樹」さんから伝言です。
「わたし、そこまで人間想いで殊勝な樹だと思われているのですか?
 これだから人間は……まあ、もはや関係のない話ですがね」

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