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シナリオ詳細

ひと狩りいこうぜ。或いは、実る畑に奴らが来る…。

完了

参加者 : 6 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●奴らが来る
 鹿。
 鯨偶蹄目シカ科に属する哺乳類の総称である。
 しなやかな脚を備え、特に雄の鹿の場合は幾重にも枝別れた角を有していることが特徴だ。
 さらには高たんぱく質、低脂質。 また鉄分を多く含み、その量はなんと牛の2倍。加えて、アミノ酸やミネラルバランスにも優れ、ビタミンAも豊富であることは、きっと誰でも知っていることかと思われる。
「しかし、人が鹿を喰うように、鹿もまた人の食い物を狙って山を降りて来るんだよ」
 人と鹿は分かり合えない。
 眉間に深い皺を寄せ、エントマ・ヴィーヴィー(p3n000255)はそう語る。
 鹿は、畑を荒らすのだ。
 雉も鳴かずば撃たれまい、と言う言葉が豊穣にはあるが、鹿もそれは同じであった。いくら栄養価が高いとはいえ、野生の獣だ。狩猟には相応に危険や労力が伴うため、ほとんどの場合、人は鹿より飼育しやすい牛や豚の肉を食う。
 では、なぜ鹿の栄養価について知られているかといえば、まぁそれは“時々”ではあるが、鹿を喰らう機会も存在するからだ。
 先にも述べたように、ほとんどの場合、人は鹿を狩らない。
 しかし、何事にも例外があり、例えば“耕作地”を襲う鹿などを人は狩るし、喰らうのであった。
 広大な麦畑を背に、エントマは語る。
 叫ぶように、こう告げる。
「奴らが……来る!」
 鹿が麦を喰いに来る。
 エントマはそう言っているのだ。
 季節は秋。実りの季節。
 そして、短い秋が終われば冬が来る。野山はしんと静まり返り、食糧なんてちっとも取れない冬が来る。
 冬が来れば、鹿は食い物に困る。鹿だけじゃない、猪も、熊も、リスもだ。
 だから、秋のうちに腹いっぱい食べておくのだ。食って、喰って、脂肪に変えて過酷な冬を乗り切るためのエネルギーを貯めるのだ。
 食えなかった鹿に未来は無い。
 過酷な冬を乗り切れず、悲しくも命を落とすことになる。
 可哀そうだ。
 哀れであろう。
「でも、仕方ない」
 それが自然の掟だからだ。
 食えないものから死んでいくのだ。
 そして、死なないために人の畑を襲うのだ。
「仕方ない」
 今日を生き抜いたものにしか、明日はやって来ないのだ。
 だから、仕方ない。
 畑を襲って来るのだから、撃たれて死ぬのも仕方ない。
 畑を荒らされると困るのだから、鹿を撃つのも仕方ない。
 そして、せめて撃たれた鹿を、この手で殺めた命を無駄にしないために喰らうのだ。
 自然の掟で生きて、死んだ尊い命に敬意を評して喰らうのだ。
 それが、ただ一つの冴えた弔い方なのだから。

「でも、今年の鹿は一味違う……奴が来るの。奴が率いる群れがこの近くにやって来ている」
 エントマの顔色が悪くなる。
 彼女が“奴”と呼んでいるのは、ある巨大な1匹の鹿だ。
 名を“王角”。
 その名の通り、王冠のように立派な角を備えた1匹の牡鹿である。
 王角は、腹心の配下である“金角”、“銀角”と、さらに20匹の群れを従えて豊穣の各地を旅しているのだと言う。
 王角は賢く、そして強い。
 これまで豊穣の各地で、幾つもの畑が被害にあった。
「この畑はね、私が農家さんから借りているものなの。耕作の様子を動画にして配信するとね……チャンネル登録者数が増えるから」
 さらに、実った作物も食える。
 一石二鳥である。
 エントマは暇を見つけては豊穣を訪れ、せっせと畑の世話をした。慣れない耕作に何度もしんどい想いをしたし、畑を貸してくれている農家の方の世話にもなった。
 農家の方からは、団子の差し入れも貰った。
 美味しかった。
 大変だったけれど、良い日々であったように思う。
 そんな苦労が報われる。
 全てが報われるのだ。
 全てが変わるのだ。
 全てが始まるのだ。
 そのはずだ。そのはずなのに、王角が来る。エントマの畑を襲いに来る。
 汗水垂らして作った麦を、王角とその配下の群れがすべて喰い尽くそうとしている。
「そんなことが許せるか!」
 エントマは吠えた。
 血を吐くようにして吠えた。
「否、断じて否! 許せるはずがない! 私の! 私の努力の結晶を、鹿なんかに喰わせてなるものか!」
 怒りである。
 それは怒りの発露であった。
 抑えきれない憤怒の感情に顔を真っ赤に染めたエントマは、空に向かって高く拳を突き上げた。
 怒れる女の姿があった。
「皆で! 私の畑を守りましょう!」

GMコメント

●ミッション
エントマの麦畑を守り通せ

●ターゲット
・王角
鹿の群れを率いる王。
非常に賢く、そして強い。
一般的な鹿よりはるかに巨大な身体を持ち、王冠のような角を備える。
大きさとしては、だいたいヘラジカと同じぐらい。

・金角、銀角
王角に付き従う2匹の鹿。
王角に次ぐ体躯を持つ。

・王の軍勢×20
王角に付き従う鹿の群れ。
これまで多くの田畑を襲い駄目にして来た人類の怨敵。

●フィールド
豊穣。
エントマの借りている麦畑。
畑の西側には山が、東側には森が、北川には川が存在している。
南側には小屋と、人里へ通じる道がある。


動機
当シナリオにおけるキャラクターの動機や意気込みを、以下のうち近いものからお選び下さい。

【1】エントマに呼ばれた
エントマに雇われました。麦畑を守るために頑張ります。

【2】伝説のマタギに師事している
伝説のマタギに師事して狩猟を教わっています。修行の一環として王角を追っています。

【3】野生に目覚めた
王角とは旅の途中で顔を合わせました。王角たちと競うようにして麦畑を襲撃します。


決戦の時は来る
深夜遅くに王角たちが現れました。呼応し、対処しましょう。

【1】鹿たちを撃退する
鹿を撃退します。場合によっては、狩ることも視野に入るでしょう。当然、鹿の方も必至で抗ってきます。オフェンスです。

【2】麦畑を守る
麦畑の守護を主として行動します。1匹たりとも麦畑には入れないつもりで頑張りましょう。ディフェンスです。

【3】麦を強奪する
ひゃっはー! 麦だ! 見渡す限りの金色だ! 麦を強奪するために行動します。獅子身中の虫とはお前のことだ。

  • ひと狩りいこうぜ。或いは、実る畑に奴らが来る…。完了
  • GM名病み月
  • 種別 通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2023年10月06日 22時05分
  • 参加人数6/7人
  • 相談0日
  • 参加費100RC

参加者 : 6 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(6人)

紫電・弍式・アレンツァー(p3p005453)
真打
アクア・フィーリス(p3p006784)
妖怪奈落落とし
天目 錬(p3p008364)
陰陽鍛冶師
ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
闇と月光の祝福
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
カナデ・ラディオドンタ(p3p011240)
リスの王

リプレイ

●伝説のマタギ、下平 兵
 白髪に、細かな皺と傷が多く刻まれた厳めしい顔つき。
 細いが、しっかりと筋肉の付いた“野山を歩く”ことに特化した体躯。獣の皮で作った衣服を身に纏い、背には古い猟銃が1丁。
「……近いな」
 その男性、名を下平 兵という豊穣でも名うてのマタギ……つまりは、野山に潜りて野生の獣を狩る猟師である。
 しゃがみ込んだ兵が、地面の土に手を触れる。
「師匠……?」
 そっと兵の手元を覗き込み、『羽化』ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)が不安そうな顔をした。兵の触れた地面には、20を超える蹄の痕跡がある。
「まだ新しい足跡だ。ジョシュア君、覚悟を決めろ。矢と弓を確認しろ。決戦の時は近いぞ」
 低く唸るような声で、兵は告げる。
 その口元には、うっすらとした笑みが浮いていた。ジョシュアが兵に師事し始めてから、今日でおよそ二週間ほど。兵の笑顔を見たのは、思えばこれが初めてだった。
「……はい。ですが、師匠……師匠は」
 生唾を飲み込んだジョシュアが、弓を握る手に強く力を込めた。それから、不安そうな顔をして兵の背負う猟銃に目を向ける。
 兵の猟銃は古い。1度に装填できる弾丸は2発まで。
 20を超える鹿の群れを相手取るには、あまりにも弾数が心もとない。
「ジョシュア君。君は鹿を……獣を、何で撃つと思う?」
「何って……それは」
 ジョシュアは自分の手元を見やる。ジョシュアの得物は弓だ。獣を射るというなら、それはもちろん“矢で”ということになる。
 そして、兵の場合は猟銃から撃ち出す“鉛弾で”に決まっている。
「ふっ」
 だが、兵は笑った。ジョシュアの解答を「まだ若い」と笑った。
「獣を狩る真の得物は……心だ」
 真の猟師は心で獣を射貫くのだ。
「っ……師匠!」
「心に火を灯せ。覚悟決めて、心を鋭く研ぎ澄ませば、運がよければ生き残れるさ……さぁ、死地へ赴こう」
 猟師と獣が相対すれば、そこはすなわち決戦の地だ。お互いが、お互いの命を賭けて、命をとり合う死地である。
「はい!」
 威勢の良いジョシュアの返事。
 だが、ジョシュアは気が付いていない。弾丸が足りていないのにどうやって鹿とやり合うのかという質問に、兵は何も答えていない。

●激闘! 王角の軍勢
 何かが来る。
 エントマや、エントマの集めた護衛部隊の面々は林の方へ視線を向けた。
 地ならしのような足音。肌がピリピリとするような威圧感。
「来たか……麦畑の平和は俺が守る!」
 『陰陽鍛冶師』天目 錬(p3p008364)が拳を握る。
 黄金色の麦畑の周辺には、練が手づから幾つもの罠を仕掛けていた。普通の獣が相手なら、これだけの対策を用意していれば問題無いのだ。連の罠を突破できる獣など、この豊穣にもそう多くはいないだろう。
 だが、不安があった。
 練は、自分の罠を突破される未来を幻視した。
「来たね。来たよ……本当に」
 怯えたような顔をして、エントマが数歩、後ろに下がる。
林より迫る異様な気配に気圧されたのだ。
 紅葉に染まる林より現れたのは、20を超える鹿の群れ。その先頭には、全高4メートルを超えるひと際巨大な鹿がいた。
 長く雄々しい2本の角は、まっすぐ天に向いている。
 間違いない、あれが“王角”だ。
「頑張って作った麦畑、襲わせたりしない、の」
 盾を構えた『憎悪の澱』アクア・フィーリス(p3p006784)が前に出る。
 アクアの虚ろな瞳に真っすぐ射貫かれながら、けれど鹿たちは足を止めない。一心不乱に、足並みを揃えて行軍を続ける。
 行軍だ。野生の獣の群れとは思えぬ、一糸乱れぬ行軍だ。

 麦畑からおよそ50メートルほど離れた場所で、鹿の群れは進軍を止めた。
 その数はおよそ20。先頭に立つ王角が首を横に振ると、20の軍勢はあっという間に2つの部隊へと別れる。
 部隊を率いるのは、金角、銀角と呼ばれる王角の副官である。それぞれが約10頭の鹿を率いて、突撃を敢行するつもりであることは明白だった。
 王角、そして金角と銀角は言うに及ばず、どの鹿も立派な体躯を有している。並みの人間では、彼らの突撃を止められない。踏みつけられ、角で抉られ、蹂躙されるのがオチだ。
「エントマさんが頑張った畑、守らないとな」
 エントマを後方へ下がらせながら、『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)は静かに腰の剣を抜く。
 それが武器だと理解しているはずなのに、鹿の群れは一切、怯んだ様子を見せない。
 肝の据わった鹿たちだ。剣を持った人間を前にすれば、例え騎士や兵士であっても多少の警戒や動揺を露にするものなのだが、鹿の群れにはそれが無かった。
 常在戦場の心持ち……流石は野生の獣とでもいうべきか。鹿たちの中に、死を恐れるものは1匹もいないのである。誰もが今日、この場で命を落としてもいいと、そんな覚悟を決めているのだ。
 それが野生の、大自然の流儀だから。
「鹿肉、それは高タンパクで低脂肪なジビエの定番」
 当然、そのような鹿を相手にするイレギュラーズにも相応の覚悟は求められる。例えば、『真打』紫電・弍式・アレンツァー(p3p005453)などは、20を超える鹿の群れを駆逐して、1匹残らずジビエ料理にして喰いあげるつもりであった。
「ましてや王や金銀といった特殊個体となると蓄えた栄養は凄まじいだろう。仕留めた鹿の調理なら任せておけ、こう見えて腕に覚えはある」
 戦う前から、負けた後の心配をする奴はいない。
 紫電が語る未来予想は、誰1人の犠牲も無く鹿を狩り尽くした後を想定したものだ。
 ピリピリとした緊張感が辺りに満ちる。
 統制の取れた百戦錬磨の鹿の群れ。王角という絶対強者に率いられた野生の軍勢。そこらの盗賊風情とは比べものにならないほどの威圧感に肌が泡立つ。
 だが、戦うしかないのだ。
 覚悟を決めるしかないのだ。
 決戦の時は、すぐそこにまで迫っているから。

 王角の名を聞いた時、『リスの王』カナデ・ラディオドンタ(p3p011240)の闘志に火が着いた。
 それは野生の目覚めであった。
 この世に王は2匹もいらない。何が“鹿の王”だ。それなら私は「リスの王」である。
「王と言いましたか? 言いましたね?」
 川から這い上がったカナデの全身は濡れていた。
 だが、カナデの身体を濡らす水はあっという間に蒸発し、辺りに蒸気を立ち上げた。
 カナデの心が燃えているからだ。心の熱が、その身を濡らす水分をあっという間に蒸発させているのである。
「よろしい、ならば戦争です。誰が王者かをわからせる必要があります。心火を燃やしてぶっ潰してやりましょう」
 その日、豊穣の地に1匹の猛る獣が生まれた。

 まず動いたのは右翼の軍勢。
 銀角が嘶くと共に、一斉に突進を開始した。中でも2頭、はたらと脚の速い鹿がロケットか弾丸のような速度で麦畑へと迫って来ていた。
 尖った角を前方へ突き出し、2頭の鹿はイズマの胸や喉を狙って突っ込んだ。咄嗟に剣を横に構え直すことで、イズマは角による攻撃を防御。
「……もしやこの鹿達、香角や飛角もいるのか?」
 後方へ向かって飛ぶことで、激突の衝撃を和らげる。
 方向転換に戸惑う2頭の頭上を取って、その角に向け手を伸ばす。
「背中に乗られちゃ、もうどうしようもないだろう?」
 イズマが鹿の背に跨った。角を片手で握ることで手綱代わりとし、細剣を振るう。
 まずは1本。
 鹿の角を斬り落とす。
 イズマの手に衝撃が伝った。思ったよりも、角が硬かったのだ。
 角を落とせば、鹿たちも怯んで撤退するかと思ったが、どうやらそう上手くはいかないらしい。仲間の角が落とされたことで、鹿の群れの闘志は増した。
 怒っているのだ。
 鹿の誇りにして武器である角を落とされたのだ。鹿に取ってそれは侮辱だ。鹿の誇りを傷つけられたのだ。
 傷つけられた誇りは、報復によってしか癒せない。
「っ……リオン!」
 鹿の群れがイズマを狙う。1頭、2頭、3頭……次々と襲い掛かって来る鹿をいなしながら、イズマはワイバーンの名を呼んだ。
 鹿の背を蹴って高くへ跳ぶ。
 天に向かって伸ばした鋼の腕をワイバーンの爪が掴んだ。空高くへと退避するイズマを、銀角が睨みつけている。
 
 左翼の軍勢。
 その魁を担う数頭の鹿が、もんどりうって地面を転がる。空気の焦げるような臭い。
 感電したのだ。
 鹿たちは、練の張り巡らせた陰陽式電気柵によって進軍を阻まれたのである。
 痙攣しながら、地面を転がる3頭の鹿。
 しばらくはまともに動けないだろう。だが、鹿たちは役目を果たした。
「そこでじっとしててくれよ。その角を素材にしてやるからよ……!」
 鹿に向かってそう言って、練は電気柵に取りついた。
 その手には式符で形成した鎚と斧が握られている。錬の作った電気柵は頑丈だが、鹿の突進を受けた以上、まったくの無傷では終わらない。
「王角とその取り巻きが来ても問題ない……と、言いたいが」
 歪んだ電気柵の支柱を見て、錬の頬に冷や汗が伝った。
 歪んでいるのだ。しっかり地面に埋め込んでいた柱の根元が緩んでいる。鹿の突進を1度、受け止めただけでこの様だ。
 あと2回か3回ほど突進を受ければ、電気柵は突破されてしまうだろう。
 もっとも、そうならないよう錬がこうして走り回っているのだが。
「補強する! 少し持ちこたえてくれ!」
 練が叫ぶ。
 と、同時に電気柵を跳び越えて赤い影が疾走を開始。
「うん。鹿を倒したら、お肉にできる、よね?」
 アクアだ。
「みんなが、楽しみに、してるから……」
 身体の前に盾を掲げて、大地を両の脚で踏みつけた。その瞳が見据える先には、猛スピードで突進して来る1匹の大鹿。
 金角だ。
 アクアの構えた大盾に衝撃が走る。
 空気を震わす大音声。
 アクアの身体が、まるで木っ端か何かのように吹き飛んだ。

「あわわわ! まるで人が木の葉みたいに……っ!」
 悲鳴をあげたエントマが、数歩、後ろへと下がる。エントマの視線の先では、アクアが宙を舞っていた。
 鹿の群れに、角で跳ね上げられているのだ。
「鹿の怒りが前衛たちに向いているのが、不幸中の幸いだな」
 エントマの隣で紫電が呟く。
「最初にイズマが角を落としたのが効いている。効いているが……王角がフリーだ」
 鹿の飛び交う戦場を、悠々とした足取りで進む巨躯の鹿。
 王角と呼ばれる賢く強い鹿の王をまっすぐに見据え、紫電はごくりと唾を飲む。その頬には、冷や汗が一筋、伝っていた。

 何度目だろうか。
 鹿に轢かれて、地面を転がされ、全身に幾つもの裂傷と打撲を負っている。身を守る盾も、とっくの昔にどこかにいってしまっていた。
 傷だらけ、泥だらけ。
 だが、負けていない。
 意識はある。闘志はまだ折れていない。
 鹿が鹿の誇りのために、生きるために戦うと言うのなら、アクアはアクアの誇りのために戦うだけだ。
「鹿の分際で調子に乗るな! 全部まとめてジビエにして食ってやる!!」
 身を起こす。
 その右腕が黒に染まった。
 空気が唸る。漆黒の炎が右腕を包む。
 アクアの怒声に怯えたように、鹿たちが思わず身を竦めた。そんな中、憎悪の炎が灯る瞳にほんの僅かもたじろぐことなく前へ出たのは金角だった。
 1対1(タイマン)を張るつもりなのだ。
「かかって来い!」
 アクアが吠えた。
 金角が地面を蹴って駆け出した。

 王の歩みは何者にも止められない。
 なぜなら、王であるからだ。王は誰よりも前を歩く。家臣は、兵は、民はその背についていく。そういうものであるからだ。
 けれど、もし。
 もしも、王の歩みを止められる者がいるとするなら。
「はじめまして、鹿の王。私、『リスの王』カナデ・ラディオドンタと申します」
 王の歩みを止められるのは王だけだ。
 リスの王……カナデである。アノマロカリスの海種だが、カナデは“リスの王”なのだ。

「あれは……カナデさん? 良かった、無事だったんですね」
 ジョシュアが安堵の声を零した。
 少し前、豊穣のとある山で別れて以降、行方が知れず心配していたのである。だが、どうやら無事なようで良かった。
 カナデはどうやら、あの日から今日まで豊穣の野山を渡り歩いていたようだった。以前に逢った時よりも、少しワイルドな気配を漂わせている。
 きっと、リスと共に野山を駆け回り、リスと共に身体を鍛え、リスと寝食を共にし、野生を磨いていたのだろう。
 今すぐに駆け出していきたい。
 だが、ジョシュアの肩を兵が掴んだ。
「息を潜めろ。狩りの好機が、そう何度も巡って来るものと思うな」
 絶対的な“狩り”の鉄則。
 それを忘れた猟師から、獣に敗れて命を落とす。
「師匠……えぇ、はい」
 王角と相対するカナデを、今は見守ることしか出来ない。
 1本の矢を弓に番えて、弦をきりりと引き絞る。
 ジョシュアは強く唇を噛んだ。

●軍勢の敗北
 まるでハリケーンに飲まれたようだ。
 王角の角に叩きあげられ、宙を舞うカナデの感想がそれだ。
 もう何度、カナデは角で叩かれ、弾かれ、地面を転がったことだろうか。だが、その度に、傷つくたびに、倒れる度に、カナデの野生は強くなる。
 なかなか倒れないカナデに業を煮やしたのか、王角はカナデの身体を角で挟んだ。そのまま首を巡らせて、カナデの身体を振り回す。
「これは、地獄の……っ!?」
 カナデの身体を地面に叩きつけるつもりなのだろう。そんなことをされれば、カナデの細い首なんて、ぽっきりとへし折れてしまうかもしれない。
 だが、そうはならなかった。
 王角の姿勢が崩れる。カナデの仕掛けた、空気の塊……罠を踏んだのだ。
 姿勢の崩れた王角の首に腕を回す。
「喰らいなさい。キング・チップマンより授かりし48の必殺技が1つ……ロックバスター」
 頭から、王角の頭部を地面へと叩きつけた。
 地面が揺れる。
 ロックバスターは岩の礫を撃ち出す技だし、カナデのそれは別にキング・チップマンとかいうトンチキな名のリスから授かった技ではない。
 どうやら野生生活のおかげか、一部の記憶に改竄の痕跡が見られた。
 だが、威力は本物だ。

 直撃を受けた王角も、これで一巻の終わり……遠目よりカナデと王角の激闘を見守っていたイズマはそう確信した。
 それはつまり、鹿との闘争の終わりを意味する。電気柵を修理する手を止め、練は安堵の溜め息を零した。
 けれど、しかし……。
「嘘だろう……立ち上がるのか」
「アイツは電気柵じゃ止められないぞ」
 イズマが、練が、思わずといった様子で声を零した。あろうことか、王角が立ち上がったからだ。脚は震えているし、頭部からはだくだくと血を流している。
 けれど、その目は死んでいない。
 闘志が燃える。「さぁ、お遊びはここまでだ」と、その瞳が告げている。
 対してカナデは満身創痍。
 技の反動か、地面に膝を突いたまま荒い呼吸を繰り返している。
 1歩ずつ、王角がカナデへと迫る。
 
 風を切り裂く音がした。
 1本の矢が、王角の左目に突き刺さる。
 激痛に、王角が悲鳴を上げた。よろけた王角の視線が背後へ向いた。
「もう勝ち目はありません。引いてください。これ以上……犠牲が出る前に!」
 ジョシュアだ。
 下平 兵の言う通り、この一撃のためにこれまで彼は息を潜めていたのだ。

 仕留めた鹿は全部で5頭。
 王角たちは、生き残った群れを率いて山の方へと帰って行った。王角は野生の獣だ。けれど、確かに“王”だった。
 王の瞳には確かな知性の色がある。王はこれ以上の戦いを“無駄なもの”であると理解したのだろう。
「さて……どうするかな」
 鹿の血抜きは済ませてある。
 皮は剥いで、角は奇麗に斬り落とした。
 イズマなどは、鹿の角を使って楽器を作るつもりだ。
 鹿肉を切り分けながら、紫電は頬を緩ませる。肉を切るのは慣れているのだ。鹿の肉は少し硬いが、繊維に沿って刃を動かせば、大した力を入れなくっても切断できる。
 断面が潰れることもないし、刃が肉の脂で曇ることもない。
「コース料理がいいか。これだけあれば、全員が腹いっぱいに喰えるぞ」
 まずは刺身。
 それから、竜田揚げに、ハンバーグ。
 焼いて、軽く塩を振って食べるのもいい。
「まったく、腕が鳴るじゃないか」
 持ち込んだガスコンロに鍋をかけ、天然素材の油を煮たてる。
 火と油、鍋と鉄板があればだいたいのものは料理できる。
「ついでに……麦も少し使うか?」
 そう言って、紫電は視線を背後へ向ける。
 きらきらと輝く黄金の穂原が視界一杯に広がっていた。
 

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

お疲れ様です。
無事に鹿は撃退され、エントマの畑は守られました。
依頼は成功となります。

この度は、ご参加いただきありがとうございました。
縁があればまた別の依頼でお会いしましょう。

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