シナリオ詳細
<信なる凱旋>雨空に泣く。或いは、赤騎士と後悔する男…。
オープニング
●ある男の悔恨
聖都フォン・ルーベルグ近郊。
しとしとと雨の降りしきる中、1人の男が立っている。
人の作った道から幾らか離れた林の奥深く。誰もいない、静かで暗い開けた土地に男が1人で立っている。
見たところ、男は旅人のようだ。身に纏う衣服は色褪せており、その皮膚は太陽の光に焼けて黒くなっていた。無骨な手には、細かな傷が多くついている。
長く、旅をして来たのだろう。
「あぁ、そうか。もう誰もいないのか」
雨空を見上げ、男はそう呟いた。
長い間、旅を続けて来たのだろう。その両の脚で大地を踏み締め、歩き続けて来たのだろう。
ぽとり、と男の手から何かが零れた。
それは小さな薬瓶だった。雨に濡れた地面に落ちた薬瓶が泥に塗れる。男は薬瓶を一瞥さえせず、その場に力なく膝を着いた。
その目から、滂沱と涙が溢れている。
声をあげることもなく、男は静かに泣いているのだ。
「3年……3年も経ったら、そりゃなぁ」
地面に手を突き、そう言った。
男の手元に転がっているのは、焼け焦げた木材だ。その形状から、おそらく焼け落ちた家屋の残骸であろうことが分かる。
「あーあぁ。頑張ったのになぁ。やっと病気を治す方法が見つかったのになぁ」
死に物狂いで駆けずり回った3年間は無駄だったのだ。
そんな想いが、男を苛む。
と、その時だ。
涙を流す男の手に火が灯る。ごう、と燃える赤い炎が、男の手から腕を通じて、肩を、首を……やがて全身を包み込んだ。
やがて、男の身体は“人”として輪郭を失う。
そして、後には血涙を流す1匹の黒い熊だけが残った。
●赤騎士と熊
「白き騎士は勝利をもたらし、赤き騎士は人々を焔へと変え戦を引き起す。黒き騎士は地に芽吹いた命を神の国へ誘い、蒼き騎士は選ばれぬものを根絶やしにする」
天義教皇シェアキムが耳にした『神託』である。
神託に煽られるように、遂行者たちは各地で行動を開始した。まるで、何かに焦っているかのようにも思えた。
ともすると、これまでの度重なる“失敗”を取り戻そうとしている風にも見えただろうか。
「人が『終焉獣まがい』になるという奇妙な現象が各地で相次いでいるっす」
そう言ってイフタフ・ヤー・シムシム(p3n000231)は1枚の写真を壁へと張った。写真に映っているのは、血涙を流す黒い熊だ。身の丈は3メートルほど。その全身から、毒々しいまでに黒い瘴気を垂れ流している。
「さて……この黒い熊が件の『終焉獣まがい』っす。つまりは、元・人間なんっすよ」
何らかの事象により、1人の男が黒い熊へと姿を変えた。きっと、元の人格もほとんど残っていないだろう。
代わりに与えられたものと言えば【飛】【ブレイク】【必殺】の追加効果を与える太い腕と爪。それから【BS無効】の効果を備える黒いの体毛。
感情の昂りに呼応し、その黒い体毛は赤熱し、炎を放つのだ。
「同情しないわけでも無いっすけど……まぁ、もうどうしようもないっすね。せめて、人に危害を加える前に倒してしまうのが一番っす」
紛いものとはいえ『終焉獣』だ。
倒してしまうのがいい。
そして、問題はもう1つ。
「彼を『終焉獣まがい』にした赤騎士が、近くにいるはずなんっすよ。そいつも倒して来てほしいっす」
赤騎士。
焔をその身に纏った赤い騎士である。
人を炎の獣に……終焉獣まがいに変える能力を持つことが確認されている。
なるほど、シェアキムの耳にした神託の通りだ。
「赤騎士は【紅焔】【滂沱】を伴う攻撃を行うそうっす。近くにいるはずなんで、逃がさないでほしいっすね」
今回の任務の目的は2つ。
そう言って、イフタフは2本の指を立てて見せる。
『終焉獣まがい』の黒熊を倒す。
それと同時に、赤騎士を探し出して討つ。
「どっちも、今後の行動が読めないっすからね。あまり時間的な余裕は無いと思ってほしいっす」
- <信なる凱旋>雨空に泣く。或いは、赤騎士と後悔する男…。完了
- GM名病み月
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2023年09月19日 22時05分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(8人)
リプレイ
●雨の降る森の中で
焼けた地面の真ん中で、黒い熊が泣いている。
その眼窩から零れているのは血の涙。鋭い牙の並んだ口腔からは、悲鳴にも似た咆哮が零れている。
その足元には砕けた薬瓶。
零れた薬は地面の染みと化していた。
黒い熊は空へと吠える。
雨の降る暗い空へと吠える。
その瞳から流れる涙は止まらない。咆哮に、感情の昂りに連鎖するかのようにして、熊の身体から焔が溢れた。
そうしてみると、黒い身体はまるで燃え尽きた炭のようにも見えるだろうか。
「間に合わなかった。わかってたのに、間に合わなかったんだな。お前」
『特異運命座標』マッチョ ☆ プリン(p3p008503)がそう言った。熊を、焼け焦げた地面を、そして砕けた薬の瓶を順に見やって、視線を伏せる。
黒熊がプリンに……プリンと供に現れた、幾つかの人影に視線を向けた。
「焼け落ちた家屋の跡……疫病の流行った村……3年も世界を巡り、確実な治療法を得て戻った者……」
やるせないわね。
ロレイン(p3p006293)が言葉を零す。黒熊……元は人であった彼の事情は、現場を見ればおよそ理解できる。
理解は出来るが、それだけだ。
焼けた家屋も、失われた命も、二度と元には戻らない。終焉獣の紛い物と化した男も、二度と人には戻れない。
黒い熊が、大地に両の前脚を降ろした。姿勢を低くし、四肢で濡れた大地を掴む。眉間に皺を寄せて唸り声を上げる様は、もはや完全なる獣。
それも、人に対して恨みや怒りを抱く類の狂暴な獣である。
「ごめん……悲しいのに……痛くするの……怖くさせるの」
地面についた熊の前脚に、細い裂傷が刻まれた。
『玉響』レイン・レイン(p3p010586)が周囲に張り巡らせた気糸が、その皮膚を斬り裂いたのだ。
「君は……悪くないのにね……」
黒熊に罪は無い。
誰かのために3年間も各地を旅して、やっとの思いで薬を手に入れた。その行いが、罪であろうはずがない。
失意と絶望のうちに終焉獣の紛い物と化した彼だが、少なくとも現時点では誰かに危害を加えるようなこともしていない。
今は……だが。
いずれ、黒熊は人に危害を加えるだろう。
「人間に戻れない以上は、一思いに解放してやるしかないな」
強引に、黒熊が気糸を引き千切った。
多少のダメージにはなっただろうが、その巨体からすればかすり傷にも等しい。『Star[K]night』ファニー(p3p010255)は姿勢を低くして、まっすぐに熊を睨むのだった。
その命を奪う他に術はないから。
せめて最後の瞬間まで、彼が生きた姿を焼きつけるために。
雨の降る暗い森の中、赤く燃える炎があった。
全身に炎を纏った騎士である。その手には戦斧と大きな盾。兜に包まれたその表情は窺えないが、少なくとも“赤騎士”が正義の騎士では無いことだけは確かであった。
遠くの方から聞こえる熊の咆哮なんて気にも留めずに、赤騎士は悠々とした足取りで森の奥へと向かっている。
だが、何かに気が付いたのか。赤騎士は足を止めて、視線を空の方へと向けた。雨空に数羽の鴉が飛んでいる。
高い位置から赤騎士を見下ろし、カァカァと鳴き喚いている。
鴉の縄張りにでも踏み込んだのか。それとも、気づかないうちに烏の巣でも壊してしまったか。どちらにせよ、赤騎士には関係の無いことだ。
任務の前に、大義の前に、鴉程度にかかずらっている時間は無い。
けれど、しかし……。
「…………」
直観的に赤騎士は盾を身体の側面に掲げる。
刹那、赤騎士の腕に衝撃が走った。
暗い森の木々の間を縫うようにして、1発の弾丸が赤騎士へ撃ち込まれたのである。
呼吸を1つ。
『永炎勇狼』ウェール=ナイトボート(p3p000561)は、覗き込んでいたスコープから目を離す。ライフルは、解けるようにして数枚のカードへと変わった。
「頑張って大切な人の為に薬を持ってきた誰かの結末が、化け物……か」
舞い散るカードを手で集めながら、ウェールはそう呟いた。
赤騎士が銃弾を盾で受け止めたのと、その背後で風を斬る音がしたのはほぼ同時。
赤騎士は、右手の斧を後ろへ突き出し、大きく重厚な刃でもって“何か”を弾く。夜闇の中に火花が散った。
赤騎士の弾いた“何か”は刀である。
「黙示録の四騎士気取りか……全く以って気に食わんな」
猫のように機敏に。
白い影が赤騎士の足元を駆け抜けた。盾の向こうへ身を潜め、赤騎士の死角に潜り込む。『陰陽式』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)の軌跡を追いかけ、赤騎士は首をぐるりと回した。
兜の欠点だが、視界が酷く悪いのだ。
戦闘行動中に顔や目を守るためには仕方がないことではあるが、素早い動きをする相手などは特に見失いやすい。
それゆえ、赤騎士はその一撃を受けた。
「人の無念を悪用する悪しき輩め、俺が必ず祓ってやる!!」
衝撃が、背中から胸へと突き抜ける。
拳を構えた1人の男が……『無限ライダー2号』鵜来巣 冥夜(p3p008218)が、赤騎士の背後に立っていた。
盾で汰磨羈を弾き飛ばして、燃える肩の鎧で冥夜の顔面を打つ。
2人がよろけた隙を突いて、赤騎士は数歩、後ろへ下がった。その動きは鈍い。その攻撃には、十分な重さが乗っていない。
足場と視界の悪さ、そして周囲の樹々が邪魔になっていることが原因であると『巨星の娘』紅花 牡丹(p3p010983)は看破した。
「この場所は苦手か? 逃げようたってそうはいかねえ」
そう呟いて、牡丹は指先に火を灯す。
「てめぇの位置はよく見えるぜ! おい! ここを狙え!」
森の中へと牡丹が叫ぶ。
刹那、2度目の銃声が響いた。
●誰も知らない誰かの末路
熊というのは危険な生物である。
例えば、黒熊の本性が人であったとしてもそれは変わらない。その腕力は容易に人の肉を引き裂き、骨を叩き折る。加えて、嗅覚にも優れ、移動速度も速い。
更には車などと衝突しても、多少であれば平気でいられるほどのタフネスまで兼ね備えているとなれば、なるほど4人で黒熊を囲むというイレギュラーズの戦法は決して過剰なものとは言えない。
「……来い。絶対に、止めてやる」
気糸を引き千切りながら、黒い熊が疾駆する。
真正面から熊の突進を受け止めたのはプリンであった。鋭い爪の一撃が、プリンの喉に突き刺さる。
本来であれば、その一撃でプリンの首はへし折れるおったか、或いは、首から上が千切れ跳んでいたかもしれない。だが、プリンの本性は鋼の鎧だ。
1度や2度、爪に裂かれた程度でへし折れるほどに脆くはない。
「全力をぶつけてみろ。お前のもってる気持ち、今全部! ここで吐き出してこい!」
傷を負う。
傷が治癒する。
その繰り返し。どれほどダメージを負おうと、プリンは1歩も後退しない。両の脚をぬかるんだ地面に突きさして、ただ一心不乱に黒熊の斬撃を受け止め続けた。
黒熊が吠えた。
慟哭のようだ。血のような涙を流し、がむちゃらに両の爪を振るう。
地面を抉り、木の幹を抉り、近づく者の肉を削ぎ、暴れ回る1匹の熊。その姿は、まるで癇癪を起して泣き喚く子供のようにも見えた。
体長3メートルを超える巨体が暴れているのだ。
巨躯に弾かれ、レインは泥の中を転がる。荒い息を吐きながら、レインの元へと熊が迫った。その頭を踏みつぶすか、噛み砕くか。
どちらにせよ、熊に襲われた者の末路にそう多くのバリエーションは存在しない。息絶えるか、深い傷を負いながらも辛うじて生き延びるかだ。
だが、今回は違う。
「待って!」
熊の爪を受け止めたのは、十字架の意匠が刻まれた銀の剣だった。
レインと熊の間に割り込んだロレインは、荒ぶる熊へと問いを投げた。
「あなたは誰? ここは何で、どういう事情があったの?」
熊は答えない。
脚にしがみ付くプリンを引き摺りながら、ただ視界に映る誰かへ目掛けて爪を振り下ろす。怒り狂った獣そのものである。怒りに呼応するように、全身に纏う炎がごうと燃え盛る。
「あなたの巡った足跡は、あとの者たちが言い伝える。希望を残すつもりは、ないかしら?」
怒り狂った熊とはいえ、元は人間だったのだ。
ならば、言葉も通じるはず。
ロレインは、熊の爪を受け流しながら、問いを重ねた。
だが、当然のことではあるが、黒熊からの返事はない。
舌打ちを零し、一閃。
ロレインの剣が熊の胸部を引き裂いた。
それと同時に、熊の爪がロレインの肩を掠めた。肉が抉れ、血が噴き出した。鋭い裂傷の中に、肩の骨が覗いている。
「出来るだけ当たらないようにしろ! 流石に【必殺】を喰らったらどうしようもない!」
ファニーが叫ぶ。
ファニーによって助け起こされたレインが、広げた右手を虚空へ翳した。
幾つかの光が瞬くと共に、暗闇の中に無数の魔法陣が展開される。1つひとつは規模の小さな魔法陣。その配置の中央には、暴れる黒熊がいる。
レインが強く、開いた5指を握り込む。
瞬間、魔法陣が激しく明滅。
放たれた魔力の弾丸が、四方八方から熊の前身を撃ち抜いた。
肉の焼ける匂いがした。
痛みか、怒りか、それとも別の感情に起因するものか。空へ向かって熊が吠えた。空気が震え、降りしきる雨粒さえも一瞬、停止したかのように思えた。
「なんだか……胸の中が灰色みたいな……何も無いみたいな」
絶叫がレインの脳を揺さぶった。
脳を、心を、激しく揺らす。感情を直接、音の波に変えたみたいな大音声に、思わずレインは泣いてしまいそうな顔をした。
「……でも、苦しくて……擦り切れるみたいな。不思議な……気持ち」
ポツリと零したレインの声が聴こえただろうか。
涙を流す真っ赤な瞳を、黒熊はレインの方へと向けた。
鴉の視界や、牡丹の指示を頼りとし、ウェールは何度も赤騎士を撃った。
時には鎧が、時には盾が、時には手にた戦斧がウェールの弾丸を弾く。勘がいいのか、戦いの経験値が多いのか、赤騎士はウェールの弾丸を1度たりともまともに受けることはない。
「そっちを気にしてるぞ! 位置を探ってる!」
牡丹からの注意喚起。
低空飛行で森の中を駆け回りながら、ウェールは射撃を続けているのだ。赤騎士の戦闘勘がいかに優れているのだとしても、そう簡単に居場所を突き止められることはないはずだ。
そのはずなのに、牡丹の背筋に悪寒が走る。
嫌な予感が拭えない。
「塹壕に隠れろ! 赤騎士が移動し始めた!」
偶然か。
それとも、赤騎士はウェールの居場所を補足したのか。草むらに伏せた牡丹を無視し、汰磨羈と冥夜を噴き出す炎で押し退けて、赤騎士は姿勢を低くし駆け出した。
鎧を纏っているとは思えないほどに速い。
その行先は、ウェールとは反対の方向だ。逃げるつもりか。だが、嫌な予感がする。赤騎士の意識が、ウェールの方を向いているような気配がある。
例えば、音や、首を傾ける僅かな仕草から、それが分かった。
「いいや、駄目だ。赤騎士は絶対に仕留める。頑張った誰かが安らかに眠れるよう、全力でぶち抜く」
赤騎士を逃がしてなるものか。
木々の間を擦り抜けながら、ウェールが飛んだ。加速した。
「絶対に逃さん!」
そして、銃声。
銃弾は、確かに赤騎士の脇腹を射貫いた。
だが、その直後にウェールの身体を衝撃が撃ち抜く。
「ぐぁ……っ!?」
言葉にならない。
代わりに、喉の奥から血が溢れ出す。
見れば、ウェールの腹部には戦斧の柄が突き刺さっていた。
腹部を射貫いた戦斧によって、ウェールの身体は樹の幹に貼り付けられていた。
霧を纏った赤騎士が迫る。身に纏う炎が、降りしきる雨を蒸発させているのだ。
赤騎士がウェールの腹から戦斧を引き抜いた。血が溢れて、体温が下がる。
トドメを刺す間を惜しんだのか。そのまま、踵を返し森の奥へと向かおうとして……。
「だから、逃がさねぇって」
その眼前に、牡丹が滑りこんで来た。
すれ違いざまに、翼で騎士の手首を叩く。
降り抜かれた戦斧が、牡丹の肩を引き裂いた。血と羽根が舞い散って、牡丹の頬を赤に濡らした。
「涙も、後悔もそいつのもんだ。てめえが奪っていいわけねえんだよ!」
「……?」
何のことだ、とでも言いたげな様子であった。
よろけた牡丹を盾で打つ。
泥だらけの地面を、牡丹が転がる。
立ち去ろうと踵を返した騎士の足首を、牡丹が掴んだ。
逃がすつもりはないと、そんな強い意思を感じる。
だが、足を振るだけで牡丹の拘束はあっさりと解かれた。稼げた時間は、せいぜいが数十秒程度。
それで十分だった。
「これ以上、時間を掛けるつもりは無い。迅速に打ち倒させて貰う!」
斬撃が赤騎士の纏う炎を斬った。
泥に塗れた汰磨羈の姿が、赤騎士のすぐ足元にある。
低い位置から、空へ向かって打ち出すような鋭い刺突。赤騎士がいかに重厚な鎧を纏っていようと、手首や関節部分の装甲だけは厚くできない。
刀が手首を貫いた。
腱を切断したのだろう。握力を失った手から、盾が零れる。
「終いだ。疾く、潰えるがいい!」
汰磨羈が刀を横に薙ぐ。
筋繊維、皮膚、血管をまとめて斬った。左の手首が半分ほど断ち切られ、どうと黒い血が零れた。
汰磨羈の顔面に、戦斧の柄尻が叩きつけられる。
頬の肉が削げ、汰磨羈の鼻から血が吹いた。
白い髪も、衣服も、何もかもが泥に塗れる。地面を転がる。けれど、汰磨羈は刀を手放さない。その鋭い眼光は、まっすぐ赤騎士の一挙手一投足に注がれている。
ほんの一瞬。
一瞬だけの隙があればいい。
と、その時だ。
衝撃が、赤騎士の炎を揺らした。
否、それは森を揺らすほど咆哮。
咆哮に気を惹かれたのか、赤騎士は視線を空へと向けた。
その刹那。
一閃。
汰磨羈の刀が、赤騎士の膝を斬り裂いた。
●雨の日
雨の日に良い思い出は無い。
雨は決まって、痛みの記憶を呼び覚ます。
「魔種に堕ちた兄上を救えず、後悔ばかりが積もったあの日を」
冥夜は言葉を吐き出した。
身に纏うのは、時計の意匠が目立つヒーロースーツ。泥に塗れ、炎に焼け焦げ、流れた血に赤黒く汚れたスーツのベルトへ手を触れる。
いつだって、この世界には多くの無念が満ちていた。
幾つもの悲劇が溢れかえって、失意と絶望に溺れて喘ぐ者は耐えない。
かつて、そんな辛い現実にたった1人で立ち向かおうとしたヒーローが存在していたことを冥夜は知っている。
志半ばで息絶えた、1人の男を知っている。
「俺は忘れない!」
眠っている暇はない。
脚を止めている暇はない。
走る。
樹々を掻き分け、泥を蹴散らし、一心不乱に冥夜が走る。
走って、走って、走り続けて。
あっという間に赤騎士の背後へと辿り着く。
拳を握った。
魔力がごうと渦を巻く。
魔力の輝きは集束し、光は途絶えたかに見えた。
だが、違う。
魔力は、冥夜の拳の内に閉じ込められた。今にも溢れかえりそうなほどに、拳の内で暴れているのだ。
で、あれば。
それを解き放った際の衝撃は、果たしていかほどのものか。
「弄んだ想いの重さを知るがいい!」
踏み込みと同時に、一撃。
渾身の殴打が、溢れる魔力が、赤騎士の胸部を撃ち抜いた。
「ごめんなさい」
悲しそうな声だった。
ロレインの剣が、黒熊の足首を抉る。
筋肉を断ち切られた黒熊は、自分の体重を支えきれない。よろける黒熊の身体を、レインはそっと受け止めた。
「少しでも……大切な人の所に向かえるように……思い出して」
ほんの一瞬。
黒熊の瞳から、狂気と怒りの色が失せた。
一瞬だけだ。
炎が勢いを増し、レインの腕や首を焼く。
「わりぃな。こんなことしかしてやれねぇ」
するり、と。
ファニーの指が夜闇をなぞった。
流星の軌道を描くように。
夜闇の中に、1つの線を引くように。
黒熊の動きが止まる。
瞳から血の涙を流し、黒熊は吠えた。
森全体を震わせるほどの咆哮をあげた。
後悔、怒り、悲しみ、絶望、あらゆる感情が入り混じったかのような、心を掻き毟る絶叫だった。
けれど、咆哮はピタリと止まる。
黒熊の首から、ごぼりと赤黒い血が溢れた。
それに伴い、黒熊の纏う炎が勢いを減らし、やがて消えた。
ずるり、と。
黒熊の首がズレる。
重力に引かれ、その首は泥の中へと落ちる。
そうして、黒熊は死んだ。
後に残された体が、灰となって崩れていく。
1人の男が息絶えた。
望みを叶えることも出来ず、誰にも知られないままに、1匹の怪物として命を落とした。
「神託だか歴史修正だか知らんが、犠牲を厭わないやり方には反吐が出る」
雨の中に舞い散る灰を手で掴み。
灰に残る炎の熱に手を焼かれながら、ファニーは奥歯を噛み締めた。
焼け跡に小さな穴を掘った。
穴に埋めるものは無い。せいぜいが、どうにか集めたほんの少しの灰ぐらいだ。
それから、小さな種を1つ、穴の中に一緒に埋めた。
墓標は無い。薬瓶と、石を1つ、置いただけの簡素な墓だ。
「死んだら、終わりじゃなくて。魂ってものがあるって知ってる」
せめて、安らかであるように。
雨の降る中、マッチョ☆プリンはそう呟いた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様です。
赤騎士および黒熊の討伐が完了しました。
誰にも知られることの無いまま、1人の男がこの世を去りました。
依頼は成功です。
この度はご参加、ありがとうございました。
縁があれば、また別の依頼でお会いしましょう。
GMコメント
●ミッション
黒熊および赤騎士の撃破
●ターゲット
・黒熊(終焉獣まがい)×1
雨の降る中、1人泣いていた男……の成れの果て。
3メートルほどの巨体を誇る血涙を流す黒い熊。
感情が高ぶると、その全身は炎に包まれるようだ。
また、体毛には【BS無効】の効果が備わっている。
巨椀による渾身の殴打には【飛】【ブレイク】【必殺】が付与されている。
・赤騎士×1
泣いていた男を終焉獣まがいに変えた存在。
焔を纏う赤い騎士。
おそらく、まだ近くにいるだろう。
逃がしても碌なことにならない。そのためイフタフからは、黒熊の討伐と同時進行で赤騎士の捜索と討伐も進めることをオーダーされた。
【紅焔】【滂沱】を伴う攻撃手段を持つようだ。
●フィールド
天義。聖都フォン・ルーベルグ近郊。
道から離れた林の奥および林周辺が今回の戦場となる。
林の奥にある開けた空間(かつては家屋が建っていたようだ)には黒熊がいる。
一方、赤騎士の居場所は不明。近くにいることに間違いは無いだろう。
雨が降っており、足場がぬかるんでいる。
また、林であるため視界が通りづらい。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
Tweet