PandoraPartyProject
160.33ミリグラムの嘘
世界はいつも血を流している。
天義の聖騎士団長レオパル・ド・ティゲールにとっても、それは例外ではない。
かつて冠位魔種ベアトリーチェの蹂躙によって壊滅寸前へと追い込まれた聖教国ネメシス。歴史と国家に刻まれた深い深い疵痕は、今も赤い血を流したまま横たわっていた。
今こうして、聖都フォン・ルーベルグの一角にある教会を歩いている最中にさえ、どこかで誰かが疵痕に泣いているのだろう。
だがそれでも、レオパルはその整然とした歩みを止めることはなかった。
扉に手をかけ、力強く開く。
開かれた窓。差し込む光。遠くから聞こえる聖歌隊の声。
薄暗い部屋にほんのわずかにういたホコリの先に、探偵サントノーレ・パンデピスは机によりかかる形で立っていた。
「よう、煙草いいか」
「教会内は禁煙である」
「相変わらずお堅いな、騎士サマってやつは」
口に火のついていない煙草をくわえジッポライターを開いたところで、サントノーレは手を止める。カチンとライターの閉じる音が部屋に反響した。
「そんなこったから、『アストリアの悲劇』なんて起きるのか?」
「…………」
まるで挑発するようなサントノーレの問いかけに、しかしレオパルは黙っていた。
テーブルまで歩み寄り、サントノーレの口から煙草をひっこぬく。
「多くの騎士と民が死んだ」
手の中で煙草を強く握りしめるレオパルの、その遠い青空のような目を見て、サントノーレは窓の方へと目をそらした。
「悪かったよ。ったく……」
帽子をぬいで頭をかいて、窓辺へと歩いて行く。
聖歌の音がやみ、今度は教会の鐘が鳴った。
遠くで老婆と子供が手を合わせて祈りを捧げている。
一度は壊れたこの街も、祈りと歌が彼ら市民の心に寄り添うことで少しずつだが再建や復興が行われていた。
そのために、レオパルをはじめ天義の教会、そして騎士達がどれほど走り回ったことか……。
サントノーレは帽子を被り直し、懐から蝋印のおされた封筒を取り出した。
「例の仕事……独立都市アドラステイアの調査は済んだぜ。調査報告書はこっち、でもって捜索願への返答はこっちだ」
封筒を扇状に二通、スライドして開く。
そのふたつを、レオパルへと歩み寄って突き出した。
「これで仕事は終わりか? 違うよな」
「……」
「同伴したあの子供を見たか? 背中に一生消えない刻印を押されたってのに、涙一つ流しやしない。俺たち大の大人がこうして顎付き合わせてるってのに、『泣かせてやることすら』できやしないんだぞ」
「分かっている」
レオパルの胸に封筒を押しつけ、すれ違うように部屋の外へと歩いて行くサントノーレ。
背を向けたまま、レオパルは封筒を強く掴んだ。
「都市や地方の復興の人手が不足している中だ。未だ人員は割けない。だが、資金は出す」
「ああ、そうしてくれよ。俺も金が儲かってハッピーだ」
手を振りながら部屋を出て行くサントノーレに、レオパルはゆっくりと振り返った。
「それは嘘だな。サントノーレ」
――独立都市アドラステイアの調査結果がでました。
――引き続き、天義本国より諸問題の解決依頼がローレットへ寄せられるようです……。