幕間
ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。
雲間にて
雲間にて
関連キャラクター:チック・シュテル
- 魅惑のイトラ、幕間
- ●
バザール内は香辛料の香りで満ち、アルニール商会の芳しい香りとはまた違う。ストールをぎゅうと握っていたチックは少しだけ顔を上向かせた。
「チック、口を開けて」
「……」
雨泽がバクラヴァを指で摘んでいる。もう少し上向かねば、蜜まみれになった指が口に入るかもしれない。
彼が嫌いな訳では無いが――それは今のチックには、恐ろしいことだ。
「……失敗して噛んでもいいのに」
言葉とは裏腹に、器用な指はチックの口に甘味を届けて離れていく。
脳が痺れそうな程に甘い蜂蜜とバターの香りが腔内を満たした。どうやら付属のピックが折れたらしいが、雨泽は指が蜜まみれになるのも構わず甘味を楽しむつもりらしい。
「僕に噛みつかないの?」
「どう……して」
その言葉で、チックは『知っているのだ』と理解した。
チックの瞳が丸くなる。哀しい事を言わないで。
雨泽の瞳も丸くなる。不思議そうに。
「君が言ったんだよ」
がおーって。あやかしの夜に。
「鬼は、噛みつくものなんでしょ」
「でもそれは……」
「今の君も、僕も、豊穣では鬼だよ」
「でも」
「あ。君が僕を噛んだら、僕も噛むし……すごく痛くする」
「……え」
「やられたらやり返す。当たり前でしょ?」
血が出たのなら、舐めるのは医療行為。そうでしょ?
だから深く考えないでと、雨泽はチックの口に甘味を放り込んだ。 - 執筆:壱花