幕間
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契約の魔性
契約の魔性
関連キャラクター:セレマ オード クロウリー
- テオフィールの観劇。或いは、ある恋人たちの心中…。
- ●ある恋人たち
ある春の日のことだ。
2人の人間……或いは、1組の男女と呼ぶべきか……がこの世を去った。
酷い世界だ。他害にせよ、自害にせよ、若くして命を落とす者は存外に多い。此度の事件で命を落とした男女たちは後者であった。
2人は互いの左手小指を赤い糸で繋ぎ、右手で持ったナイフを互いの喉に押し当て、裂いた。月夜の晩、赤い花の咲く草原の真ん中で、向かい合って抱き合うように、互いの口と喉から溢れた血が混じり、2人の身体を朱色に濡らす、そんな風な死に様だったと聞いている。
見る者が見れば、それは恋人同士のある種、美しささえ感じる儚き心中の果てにも思えたことだろう。
「だが、不可思議だ。この2人が恋人同士だとか、夫婦だとか、そんな事実は無いのだから」
血の痕が残る草原で、花の香りが混じる風を浴びながら蒼き美少年は言う。美少年の名はセレマ オード クロウリー。地面に残る血の痕を見下ろし、感情を乗せない声で。
「事実なんてどうだっていいじゃない。恋人たちが、恋路の果てに共に生きて、儚く死んだ。それだけのことだわ」
セレマの背後で声がした。
血色のドレス、青白き肌。妖しく淫靡な女性である。
名をサン・テオフィール・ド・アムールヘィン。
または、"求血鬼"テオフィールと呼ばれる存在だ。
「“恋人たち”では無かったと、そう言っているんだ。お前、何をした?」
背後に視線を向けないままにセレマは問うた。
その声に動揺の色は浮かんでいない。だが、セレマとてこんなところで妖しきテオフィールと逢うなど思ってもみなかったのだから、内心では多少の驚愕はあっただろう。
セレマの虚勢に気付いたのか、それともセレマの問いに興味を持ったか。とにかく、背後でテオフィールが笑う気配がした。
笑う。
或いは、嗤うというべきかもしれない。
「いつも通りよ。いつも通りのことをしただけ。“時よ止まれ、貴女は美しい”」
とん、とセレマの肩にテオフィールが手を置いた。
セレマはまるで汚らわしいものでも払うように、テオフィールの手を押しやると小さな舌打ちを零す。
「彼女……名前は忘れてしまったけれど、私は彼女の願いを聞いて、応援をしてあげただけ」
くすくすと嗤う。
その笑い声が耳朶を擽る。
セレマの背筋に怖気が走った。蛆虫が1匹、ひっそりと背骨を這いあがるかのような不快感に、奥歯を強く噛み締める。
「彼をずっと見ていたんですって。見ていることしかできなかったんですって。でも、それでも……彼女は、彼を誰にも渡したくはなかったんですって! あぁ、なんていじらしいのかしら」
「……それは、ストーカーということか?」
「ストーカー? いいえ、それは純愛よ。人間の使う陳腐な言葉で、彼女の無垢で純粋な思いを汚さないで。彼女は彼を愛していたの。誰よりも強く、深く」
そして、彼女は「彼を誰にも渡したくは無い」と願った。
テオフィールに願ってしまった。
願われたから、願いを叶える手助けをしただけ。
少しだけ力を“貸して”、願いを叶えるための方法を教えただけ。
テオフィールはそう嘯いた。
「セレマ。哀れなセレマ。貴方はまだ舞台に上がる気はないの? 私は貴方が舞台に上がる日を、今か今かと待っているのに。観客をいつまでも待たせるものではなくってよ? さもないと、ほら、マティーニを飲み干してしまうじゃない」
なんて。
再び、セレマの頬にテオフィールの手が触れる。
冷たく、滑らかな指先がセレマの白い頬を撫でた。
セレマは拳を背後へ振るう。
だが、なんの手応えもない。セレマの拳は闇の中を空ぶっただけだ。
「なぁに? そんなに機嫌を損ねるようなことを私は言ったかしら?」
くすり、と。
嗤う。
「さぁ、早く舞台へ上がって」
そんな言葉を言い残し、テオフィールの気配が消えた。
気配は消えて、姿は見えない。
けれど、彼女はきっと今も、これからも、どこかでセレマを見ているのだろう。
そんな事実が、セレマの脳髄を搔き乱す。
不愉快極まる。
ポツリと零したセレマの声が届いたのか。
夜闇の中に、くすりと女の嗤う声が聞こえた気がした。 - 執筆:病み月