PandoraPartyProject

幕間

契約の魔性

関連キャラクター:セレマ オード クロウリー

●クロウリーの肖像。或いは、バジルという画家…。
●ある画家の終焉
 ある寒い日のことだ。
「あんた! 頼む、あんたの絵を描かせてくれ! 謝礼なら払う! 払うよ、幾らでも! なぁ、ゲルニカの奴を超えるには、あんたみたいな被写体がいるんだ!」
 幻想のとある地方都市。
 往来を行くセレマへ、切羽つまった様子で縋りついたのは絵具塗れの女性であった。瞳孔の開き切った目は血走り、笑みとも慟哭ともつかぬ形に開いた口の端からは、唾液が零れ落ちている。
「なんだ君は? 悪いが先を急ぐんだ。絵のモデルなら他を当たってくれ」
 不審な女だ。
 おそらく画家だろうが、それにしたって様子がおかしい。
 女の申し出を断って、セレマは急ぎその場を去った。
『あーあぁ。絵のモデルぐらいやってあげればいいじゃないか?』
 脳裏に響く、絵画の悪魔"画伯"オフラハティの声をセレマは無視して歩き去る。

 それから暫く。
 夏も近づいたある日のこと、セレマは件の画家と再会するに至った。
 依頼の内容は“バジルの救済”。
 セレマが呼ばれた理由は、画家の部屋に入った瞬間に分かった。
「……なんだこれは? なんのつもりだ?」
 絵具塗れの部屋の真ん中。
 床に座ったままバジルは放心しているようだ。
 部屋一面には、100を超える無数の絵画。そのどれもが、セレマを描いたものである。
 美しいセレマ。
 老いたセレマ。
 血に塗れたセレマ。
 醜悪な怪物へと変じるセレマ。
 どの絵もよく描けている。それだけに、悍ましい。
『うん。いい“色”になったじゃないか』
 セレマの脳裏でオフラハティが囁いた。
「……貴様の仕業か、オフラハティ」
『彼女の意思さ。彼女は君の“美しさ”に心を焼かれたんだろう。そして、あぁ……美しいモノが朽ち果てる瞬間こそが、終焉を迎える瞬間こそが、きっと何より美しい!』
 いずれお前もそうなるのだ。
 言外の意図を察したセレマは、そのまま部屋を後にした。
 バジルの魂は、きっとすでにオフラハティの元にある。
 1人の画家が、終焉を迎えた。
 彼女はきっと幸せだった。
「だが、僕はそうならない」
 オフラハティも、心身を縛る他の悪魔も。
 いずれはすべて打倒する。
 例え何を犠牲にしても。
執筆:病み月
テオフィールの観劇。或いは、ある恋人たちの心中…。
●ある恋人たち
 ある春の日のことだ。
 2人の人間……或いは、1組の男女と呼ぶべきか……がこの世を去った。
 酷い世界だ。他害にせよ、自害にせよ、若くして命を落とす者は存外に多い。此度の事件で命を落とした男女たちは後者であった。
 2人は互いの左手小指を赤い糸で繋ぎ、右手で持ったナイフを互いの喉に押し当て、裂いた。月夜の晩、赤い花の咲く草原の真ん中で、向かい合って抱き合うように、互いの口と喉から溢れた血が混じり、2人の身体を朱色に濡らす、そんな風な死に様だったと聞いている。
 見る者が見れば、それは恋人同士のある種、美しささえ感じる儚き心中の果てにも思えたことだろう。
「だが、不可思議だ。この2人が恋人同士だとか、夫婦だとか、そんな事実は無いのだから」
 血の痕が残る草原で、花の香りが混じる風を浴びながら蒼き美少年は言う。美少年の名はセレマ オード クロウリー。地面に残る血の痕を見下ろし、感情を乗せない声で。
「事実なんてどうだっていいじゃない。恋人たちが、恋路の果てに共に生きて、儚く死んだ。それだけのことだわ」
 セレマの背後で声がした。
 血色のドレス、青白き肌。妖しく淫靡な女性である。
 名をサン・テオフィール・ド・アムールヘィン。
 または、"求血鬼"テオフィールと呼ばれる存在だ。
「“恋人たち”では無かったと、そう言っているんだ。お前、何をした?」
 背後に視線を向けないままにセレマは問うた。
 その声に動揺の色は浮かんでいない。だが、セレマとてこんなところで妖しきテオフィールと逢うなど思ってもみなかったのだから、内心では多少の驚愕はあっただろう。
 セレマの虚勢に気付いたのか、それともセレマの問いに興味を持ったか。とにかく、背後でテオフィールが笑う気配がした。
 笑う。
 或いは、嗤うというべきかもしれない。
「いつも通りよ。いつも通りのことをしただけ。“時よ止まれ、貴女は美しい”」
 とん、とセレマの肩にテオフィールが手を置いた。
 セレマはまるで汚らわしいものでも払うように、テオフィールの手を押しやると小さな舌打ちを零す。
「彼女……名前は忘れてしまったけれど、私は彼女の願いを聞いて、応援をしてあげただけ」
 くすくすと嗤う。
 その笑い声が耳朶を擽る。
 セレマの背筋に怖気が走った。蛆虫が1匹、ひっそりと背骨を這いあがるかのような不快感に、奥歯を強く噛み締める。
「彼をずっと見ていたんですって。見ていることしかできなかったんですって。でも、それでも……彼女は、彼を誰にも渡したくはなかったんですって! あぁ、なんていじらしいのかしら」
「……それは、ストーカーということか?」
「ストーカー? いいえ、それは純愛よ。人間の使う陳腐な言葉で、彼女の無垢で純粋な思いを汚さないで。彼女は彼を愛していたの。誰よりも強く、深く」
 そして、彼女は「彼を誰にも渡したくは無い」と願った。
 テオフィールに願ってしまった。
 願われたから、願いを叶える手助けをしただけ。
 少しだけ力を“貸して”、願いを叶えるための方法を教えただけ。
 テオフィールはそう嘯いた。
「セレマ。哀れなセレマ。貴方はまだ舞台に上がる気はないの? 私は貴方が舞台に上がる日を、今か今かと待っているのに。観客をいつまでも待たせるものではなくってよ? さもないと、ほら、マティーニを飲み干してしまうじゃない」
 なんて。
 再び、セレマの頬にテオフィールの手が触れる。
 冷たく、滑らかな指先がセレマの白い頬を撫でた。
 セレマは拳を背後へ振るう。
 だが、なんの手応えもない。セレマの拳は闇の中を空ぶっただけだ。
「なぁに? そんなに機嫌を損ねるようなことを私は言ったかしら?」
 くすり、と。
 嗤う。
「さぁ、早く舞台へ上がって」
 そんな言葉を言い残し、テオフィールの気配が消えた。
 気配は消えて、姿は見えない。
 けれど、彼女はきっと今も、これからも、どこかでセレマを見ているのだろう。
 そんな事実が、セレマの脳髄を搔き乱す。
 不愉快極まる。
 ポツリと零したセレマの声が届いたのか。
 夜闇の中に、くすりと女の嗤う声が聞こえた気がした。
執筆:病み月
テオフィールの賞賛。或いは、次の舞台で会いましょう…。
●夜の湖畔
 湖の傍に、青白い女が立っている。
 血の色をした豪奢なドレスを纏う女だ。そこにいるだけで誰もが目を奪われて、それと同時に心の臓に悪寒が走る。そんな不吉で、退廃的な雰囲気を纏う彼女の名はテオフィール。
 人ならざる"求血鬼" サン・テオフィール・ド・アムールヘィン。
 風が吹いた。
 テオフィールが、ゆっくりと背後を振り返る。
 どこか憂いと、狂おしいほどの情熱を秘めた瞳が何かを捉えた。
 只人であれば、テオフィールの瞳を目にした瞬間に脳髄の奥が痺れただろう。それが情欲によるものか、それとも恐怖によるものかも理解できずに、呆けたように動きを止めたはずだろう。
 だが、彼は違う。
 セレマ オード クロウリー(p3p007790)はそうじゃない。
 つまらなそうに鼻を鳴らして、顔の前で手を振った。視認できない甘い薔薇の香りを手で振り払ったセレマは、十数メートルの距離を空けたままテオフィールを睨んだ。
 敵意と憎悪と軽蔑の入り混じった眼差しを、テオフィールは愉快そうに受け止める。
 そして、テオフィールは笑った。
 堪えきれないといった様子で、テオフィールはくすりと嗤った。
「何がおかしい? 貴様にとって、今日の舞台は決して望む結果に至らなかったはずだが?」
 胸の前で腕を組んで、セレマは口角を吊り上げた。
 だが、テオフィールは笑っている。
 腹を抱えて、口元を手で覆い隠して、愉快で愉快で仕方が無いという風に嗤っている。
「嘲笑するのはボクだ。嘲笑されるのが貴様だ。会話をしろ。さもなくば、ここから去れ」
 ギリ、と軋む音がした。
 セレマが奥歯を噛み締めたのだ。
「えぇ、えぇ。そうね。そうだわ。たしかに貴方の言う通り」
 目尻に浮かんだ涙を拭い、テオフィールは答えを返した。
 それから、するりと細く白い指を夜闇に走らせる。
 刹那、セレマの背筋に悪寒が走った。
 その首筋に何かが触れる。
 どろりとして、生温かい……それは鮮血だ。
 手の平の形をした血液が、セレマの喉に添えられた。
「貴方は舞台に上がったけれど、その結末は“観客”の望むものではなかった」
「……言葉は正しく使え。“貴様という、招待されていない観客”の望むものではなかった、だ」
「まぁ、それはあまりにひどい言い草ね。そんなのじゃ、女の子にモテないわ」
「どこまでも人を馬鹿にした奴だな。心臓が息の根を止めていなければ、脳の血管が切れているところだ」
 新郎に対して「モテない」とは、実に空気の読めない台詞だ。
 きっと、意図的にテオフィールはそう言う言い回しをしたのだろう。
「でも、許してあげる」
 パチン、と指を鳴らす音がした。
 それと同時に、セレマの首から血が離れた。
「惨劇を回避しようと、最悪の結末から逃れようと、必死にもがく貴方やお友達の姿は愉快だったわ。それを思えば、多少の期待外れぐらいは許してあげてもいいかしら」
「……」
 舌打ちを零す。
 これだから、テオフィールやその他の魔性と会話をするのは疲れる。
 魔性たちに話は通じない。
 魔性たちの感性は独特で、例えば風が冷たかったからという程度の理由で村の1つぐらいはあっさりと消滅させるし、花が綺麗だったから、と哀れな捨て子に生きる糧を与えもする。
 土台、理解しようと思う方がどうかしているのだ。
「でも、いつも期待外れでは面白くないわね。次は望む結末を見せて?」
「いいや。残念だが、次も、その次も、貴様が観たい結末には至らない」
 セレマがそう言い返せば、テオフィールはにぃと笑みを深くした。
 唇の隙間から、唾液に濡れた犬歯が覗く。
「いいえ。いいえ。今でなくとも、次でなくとも、いずれ貴方は破滅する。その日が来るのを、ずっと待っていてあげる。だから、ねぇ……最前列のいい席は、いつだって空けておきなさい」
 なんて。
 そう言い残して、テオフィールは姿を消した。
 最初からそこには誰もいなかったかのように。
 ただ1つだけ。
 テオフィールのいた辺りには、血のように古いワインのボトルが転がっている。
「祝いの品のつもりか? ……随分な値打ちものを寄越すじゃないか」
 古いワインの瓶を見つめて、セレマはそう呟いた。
執筆:病み月

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