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長屋『玉豊夢』

二周年記念SS《Ⅰ:旅路の最先》

 聊か季節外れな、涼しい風が肌を撫でる。
 風に揺れる前髪を鬱陶し気に撫で上げ、眼を細めて行く先を見やれば。
 眼前には荒涼とした土地が広がり、その先には洞穴が一つ。
 その穴の奥は今だに仄暗く、まるで生者を拒絶するかのような雰囲気が、圧を伴って溢れ出してくるかのように思えてくる。
 ここは死者の領域なのだ、穢れし罪人たちの世界なのだ、と。
 ――まるで、常世へと至る坂。黄泉比良坂だな。
 その地に立つ白猫の女は、誰へともなしにそう呟くと、おもむろに歩を進め始める。

 ――ここは、嘆きの谷。眼前に映る穴は、罪人の打ち捨て場たる共同地下墓地。
 かの決戦に於いて、死者共が溢れ出す地獄と化した場所である。

「いやはや。3週間近くも経てば、過剰な陰の気は流れ尽くすと思ったが」
 白猫の女こと汰磨羈は、閑散たる風景を軽く見渡しながら、肩を竦めて言葉を紡ぐ。
「まだ、微細だが嫌な空気が漂っている。どうやら、予想していた以上に“ばら撒かれた”ようだな」
 呆れるように告げ、更に数歩進み。目線をちらりと横へ走らせる。
 目の先には、幹が半ばで折れた大きな枯れ木。その影には、座り込んでいる男の影が一つ。
 歩き疲れでもしたのだろうか。地に腰を下ろし、足を投げ出すようにして休んでいた男は、汰磨羈の言葉に応じるように顔を向け、彼女と目線を合わせた。
「陰の気、ですか」
「そうだ。……ふむ。そういうのが気になって、という訳では無さそうだな?」
「はい。実の所、“そっち”の話は不得手なもので」
「それもそうか。御主は騎士の道、剣の道一筋だものな、リゲル」
 眼前に座る男の名を呼んでから、汰磨羈はその目線を彼方の洞穴へと戻す。
「ええ。それに、その手の話はポテトが何とかしてくれますから」
「ふむ。で、その肝心なポテトは見当たらないようだが……今日は別行動か?」
「ああ、それは」
 何気に口にされた問いかけに対し、リゲルは一時だけ口ごもった。
 何かを思い出したのか、頭を掻きながら困ったような顔をして。ふぅ、と一息だけついてから、立ちっぱなしの汰磨羈を見あげて答える
「今日は、ではなく。今日から、です」
「……何?」
 今度は、汰磨羈の言葉が一時だけ途切れる番だった。
 ぽかんとした表情を浮かべ。少しだけ口をぱくぱくさせ。顎に手を当てて考え込み。何度か言葉を選ぶような仕草を見せてから……。
「御主等、まさか……別れたのか?」
 ド直球に聞いて。
「違いますよ!?」
 速攻で否定された。

「あー……言い方が悪かった、ですね」
 ごほん、と咳払いをしてから。苦笑いを浮かべつつ、改めて汰磨羈の問いに答え始める。
「旅に出る事にしたんですよ。色々と、整理を付けたくて」
 改めてはっきりと伝えながら、その目はどこか遠くを見やる。
 心の内に強く残る何かに対して思いを馳せる者が見せる、特有の目。
 元の世界にて、そうした目を何度も何度も見てきた汰磨羈は、その目が何を見ているのかを自ずと察し、静かに目を閉じる。
「御父上の事か」
「はい。そして、天義の事も」
 頷いてから、深く息を吸い。内の籠った気持ちを込めた息を吐きだす。
 ――かの決戦に於ける、シリウスの死。
 眼前で、身を挺して自分の命を救い、そして言外に思いを告げながら散ったその姿。
 彼ほど生真面目で実直な人物にとって、それは果してどれほどのものであったか。
 ……残念ながら、汰磨羈にはそれが分からない。
 他者がその事態に直面するのを散々に見てきた事はあっても、自分が当事者となった事は無い。
 経験から察する事は出来るが、それは理解には程遠い。
 故に、彼女はリゲルに対して慰めの言葉を掛ける事はしなかった。激励の言葉を送る事もしなかった。
「という事はだ。その為の一人旅をしようとした所で、一緒についてこようとするポテトとひと悶着あった、といったところか。凡そ、そんな所だろう?」
 先程の困った顔はそれだな、と。
 話を逸らす事しか、出来なかった。
「凡そどころか、正にその通りですよ」
 それを知ってか知らずか。リゲルはまた、先程の様な困った顔をして見せる。
「お互いに頑固な所があるからなぁ。相当に難航しただろう」
「ええ、まぁ、それなりに」
「それなりに?」
「……すごく」
「正直でよろしい」
 先程までの雰囲気を払拭するかのように、にかっと笑ってみせると、少し前屈みになって座っているリゲルの顔を覗き込む。
「その様子だと、確りと話はついたようだが」
「はい。彼女は当面、母の下にいる事になりました」
「母の下とな」
 その言葉を聞いて、汰磨羈の笑みが更に深まる。
「御主。旅から帰る時は、相応の覚悟を決めておいた方がいいぞ?」
「はは……他の友人からもそう言われましたよ」
 その言葉に、リゲルはすっかりと困り果てた顔をしてから。そろそろ行かないと――と告げつつ、徐に腰を上げ、傍らに置いてあったザックを持ち上げた。
 相当に大きなザックだ。入っているのは、衣類や生活用品だけではないだろう。横にぶら下がっているランタンを見るに、野営用の道具も詰まっている筈。
 それだけで、かなり長期に及ぶ旅に出るつもりだという事が伝わってきた。

「まずは、どこに行くつもりだ?」
「練達に行ってみようかと思っています。あの国で、腰を据えた事は無いので」
「ほう、行先は私と同じか。なら、しばし同行させて貰おうか」
「ああ……いえ、しかし」
「一人旅なのに、というのだろう。なら聞くが」
 両手に腰を当て、立ち上がったリゲルを下から見上げながら、真剣な眼差しで問いかける。
「練達の交通機関などの使い方は分かるのか?」
「それは」
 言葉が詰まる。
 練達は、他の国とは毛色が違い過ぎる。文化、建築様式、そして技術に交通機関などなど。
 頭のてっぺんから足のつま先まで天義の騎士たる彼が、かの国に滞在するとして。誰の手助けも無しに順応するのは何時の日か。
「……アドバイザーが必要だろう? いるぞ、目の前に。タダで雇えるのが」
 ふふり、と不敵な笑みを浮かべる汰磨羈
「現地で誰かを頼るのもいいが。ここは堅実、且つ節約できる方法を推したい。私としてはな」
 どこか勝ち誇ったような顔すらしてみせる彼女に対し、リゲルは渋い顔を見せて。
 考え。空を見上げ。項垂れてから、顔を上げる。
「……お願い、します」
「んむ、任された」
「ポテトには内緒にして下さいよ!?」
「大丈夫だ。分かってるから安心しろ」
 啖呵を切って始めた一人旅。……にも拘わらず、よもや出だしで、こういう風に詰まるとは思いも寄らなかった。
 もし彼女にその事が知れたら、まずどんな顔をされる事やら。
「必要な事を一頻り教えたら、後は一人で行動するといい。――いい刺激になると思うぞ。御主にとって、あの国は」
 そんな彼の心中を察しているのかどうか。手の平をふりふりと振りながら、先導するように歩きだそうとした汰磨羈は、ふと何かを思い返して踵を返す。
「と、折角なので聞いておきたい」
「何をです?」
 大きなザックを背負い、ついて歩きだそうとしたリゲルが、きょとんとした顔になる。
「練達に向かうというのなら、“こっち”は逆方向になるだろう。なのに、何故にわざわざここへ?」
 私のように気の巡りが気になって立ち寄った訳ではあるまい、と。
「ああ」
 それはですね、と告げながら、リゲルの視線がそっと、遠くの洞穴――共同地下墓地の方へと向く。
「あの墓地で眠る人達は……今の、これからの天義を見て、どう思うのかなと」
 その言葉を耳にして、汰磨羈は倣うようにして墓地の方へと目を向ける。
 あそこは、とある大司教の反乱が発端となった内部粛清戦争の犠牲者達が眠る場所。
 罪人として打ち捨てられた彼等が見据えた未来は、果たしてこれからの天義の姿と重なるのだろうか。
 それとも。
「どうだろうな。その答えを聞く為に、彼等の眠りを覚ますわけにもいかないだろう?」
「……ですね」
 目を合わせ、同時に苦笑いを浮かべて肩を竦める。
「では、行こうか。御主の様な若者は、さっさと前を向いて突き進むに限るぞ」
「それを言うなら、汰磨羈さんもでしょう」
「私か? 老婆どころではないぞ、実年齢は」
「……本当ですか?」
「本当だとも。まぁ、その辺のことは道すがらに語ってやろう」
 長い話になるぞ、と付け加えながら歩きだす汰磨羈についていこうと、リゲルは一歩踏み出して。
「――」
 一瞬だけ。再度、墓地の方へと顔を向けた。
 彼等は、これからの天義をどう思うだろうか。それは、分からない。
 ならば。
(せめて、彼等に恥じないように)
 彼等に対して胸を張れるような騎士となって、これからの天義を支えていこう。
 その為にも、この旅で自分の心に整理を付け、更に己を鍛え上げよう。
 だから。
「行ってきます」
 誰へともなく……いや、思い浮かべてた全ての人達に対して、そう口にして。
 更なる一歩を、前へと踏み出した。

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