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シラスがまだ家族と暮らしていた頃のお話です。

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傘を打つ雨音に物悲しい気持ちが胸に溢れた。
溜息を吐いてしまう。

橋を渡り、隣の地区までやってきた。
家の側に居なかっただけ、ここまで来ればきっと。
そう考えて、色んな人にお父さんのことを聞いてみたのに。
誰も最後には皆、胡散臭げに僕を見て遠ざかっていった。

そうして戻ってきた橋の上にも夕暮れの気配がゆっくりと充ちていく。
シラスは影の位置が変わっていくのをぼんやり眺めていた。

もう帰ろう、お兄ちゃん怒ってるだろうな。
すると不意に粘つく声に呼び止められた。
耳に虫を入れられたように気持ちの悪い声だった。

「よぉ……坊主じゃねえか、こんな所で何してんだ」

振り向けば開襟シャツから首飾りを覗かせた男と目が合った。
僕はこの男を知っている、嫌いだった。
こいつが来た後はいつもお母さんが辛そうにしていたから。
目を逸らすと、それが癇に障ったのか、聞こえよがしに舌打ちをして肩を掴んできた。

「おいおい無視かよ、てめえら兄弟はマジでどういう躾されてんだぁ?」
「……お父さんを見つけに来たんだ、直ぐに見つけて帰るから放っといてよ」

心底面倒だったので適当にやり過ごすつもりだった。
しかし、男はポカンとしたかと思えば、その表情を目元から崩し始める。
それは直ぐに顔中に広がり、弾けたように笑い出した。

「アハハ! 何を探してるってお前! ウワハハ!」
「何だよ! 笑うな、笑うなよぅ……」
「こんなの明日死ぬって時でも笑うよ! そりゃ、お前の母ちゃんが相手は大勢いるもんな、日が暮れるだろうさ。俺だったりしてなあ、ヒャハハ!」

何が可笑しいのか分からなかった。
ただ、お母さんのことを悪く言ってるのは間違いない。
それが悔しくて、男の腕に力いっぱい爪を立てる。

「痛ってえな、よーしよし。父さんが教育してやるよ、ほれっ!」

男は三日月のように目を細めながら拳骨を振り上げて━━

ゴッ!

鈍い音が響く、続いて何か重たい物が倒れるズシンとした音。
痛みは無かった、シラスは反射的に閉じていた目を恐る恐る開く。

「お兄ちゃん!」

走って来たのだろう、肩で息をしていた。
伸びてしまった男を背にこちらを睨んでくる。

「お兄ちゃん、僕……」

謝ろう。
そう思ったけれど、頭を抱えられ、ぎゅうっと胸に押し付けられる。

「悪かった」

お兄ちゃんはそれきり黙ってしまった、ただ震えていて。
見上げると、頬を打つ雨粒に温かなものが混じる。
それは陽が沈みきるまでの僅かな間。

永遠を、感じた。

(終り)

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