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別邸『イハ=ントレイ』

【フェルディン・T・レオンハート 】われはコン=モスカ

 愛されぬことこそが愛であると、少女は幼いながらに知っていた。
 でなければどうして耐えられよう?

 貴族の社会とは、近現代以降の地球に相当する文化圏が想像するものとは違う。
 貴族とは官僚や軍人など国家の運営に関わるものとして要職を担いながら、しかし同時に所領に於いては実質上の支配者に当たる総合的な”文化の担い手”でもあった。
 そしてそういう話で言えばコン=モスカの社会は、女性が優位にあると言ってもいい。
 なぜがそれが判ったか?
 問うまでもなく廊下を歩きながら感じる――それはもう、ひしひしと感じられるのだ。

『あら、殿方よ』
『畏れ多くも祭司長様にご意見なさったらしいのよ』
『わあこわい、やっぱり陸の男は野蛮ですわね』
『ぜんたいどうしてクレマァダ様はあのような者をお招きになったの?』

 そういう囁きが、先程からずっと聞こえる。
 たまりかねてちらと視線を送れば、それとは逆の方からひそひそちらちらとまた、好奇と軽侮の入り混じった軽口が聞こえるので、これはもうたまらない。
 たまらないがさりとて足を止める気もなく、彼は導かれるままにその一室へとたどり着く。
 もはやその部屋へ入れば、あとは彼女と対面するのみだろう。
 そこで向き合う重たくてどろどろしたものに比べれば、侍女の放言など本当に何ほどのものでもなかった。

 その部屋は、彼女の執務室であった。
 人ひとりが一日過ごすには快適すぎる空間と、丁度、それに椅子。大きなカンバスに豆粒のような人を描くような物足りなさ。それが彼女の今の日常である。執務卓に紙切れは数え切れず、しかし誇りは露ほども溜まっておらず、それらが昨今喉も乾かぬうちに溜まったものであることがわかる。
 そのなかで、その執務卓から前に6、7歩ほど前に歩いた場所に、彼女のプライベートスペースが僅かにあった。
 彼女はすっと立ち上がると、あなたに挨拶をする。
 客間に通すのは人の目が気になるが、本当にプライベートな部屋もまた人目に付く。そういう距離感にはきっとうってつけだろう。
 マホガニーの机を背に、傍にある来客対応用のソファは彼女のぬくもりを吸い、しかしそれを伝えることはない。
 冷たくて哀れで、けれどもふれるとしっとりと濡れたように暖かい。
 つまりそれが、クレマァダ=コン=モスカだったのだ。

「……よう来てくださった。
 茶はいかがじゃ? 海洋は、茶が美味い。それを飲んだら――
 何の用向きか、話すと良い」

 そういうと彼女は、貴方の側の椅子を掌で指し示した。
 あくまでホストを気取るつもりで、それを当然と思っている。
 憐れなれど、それが全てなのだった

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 クレマァダは、あなたに言いたいことなど何もありません。
 クレマァダは、救いを求めてなどいません。
 しかし彼女は、他人の言葉を無視などしません。

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活力……か。
我はモスカじゃ。なれば……いや。

(言葉を切ったところで、侍女が茶と茶菓子を運んで来た。
海洋といえば温暖湿潤な気候で、茶葉は当然優れている。澄んだ紅色のお茶は豊かな香気を蓄え揺らめくので、それを逃さぬうちに一口目を飲むのは当然のことである。
ティーカップに口をつけ、鼻から少し香りを逃がし、それを楽しむ。
こういうのは、果たして人生の豊かさと言えるのだろうか。
繕った外見から良いものも生まれると、彼女は思っていた。
……だが、今求められている答えはそれではないと知っていた)

…………どうしてじゃろうな。本当に。
我は…………
当然、責務である。
民を見捨てておけぬという気持ちもある。
今更他の道なぞないという諦念もある……

……じゃが、本当にそれだけなのじゃろうか。

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