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蔵書『Charlotte di dama』
登場人物一覧
――それから、あの時の白紙を一緒に埋めましょう。
貴女だけが生きてきた、貴女だけの物語を……ビスコッティさんのお話も、セイラさんのお話も、貴女に伸ばされた手も、貴女に向けられた憎しみも、全て『シャルロット・ディ・ダーマ』の物語として記すんです。
最後にサインをお忘れ無く。私達の中の流行なんですよ? 綴りは分かりますか?――
ページをめくろう。
あの日、あの時、あの場所で――噎せ返るほどの花の香りの中で『ともだち』と共に綴った物語を。
●
シャルロット・ディ・ダーマは海洋王国の片隅に生まれた商家の娘であった。
双子の姉として生を受け、まもなく妹が出生した。
ビスコッティと言う名前の妹は気が強く、前をぐんぐんと走って行く。シャルロットは常にその背中を追いかけていた。
よく「ビスコがお姉ちゃんみたいね」と揶揄われることがある。その度に妹は「シャルは優しくって、私の我儘を聞いてくれるのよ」と拗ねていた。
美しい陽の色を透かしたブロンドの髪におそろいの夜色の瞳。背丈は同じ、顔立ちだって同じだった。唯一違うのが髪の色。父と母は二人とも金の髪を持ち、陽の色の髪を継いだビスコッティは本当に可愛かったらしい。黒い瞳は父から受け継いだもの――しかし、同じ顔をしていても両親にない色彩を持ったシャルロットに対して、両親は畏れるように視線を逸らした。
夜、眠れずにキッチンへ向かったシャルロットの耳に届いたのは「どうしてあの子の髪の色は私達と違うのかしら」という母の泣き声であった。その色彩の違いで、余所の娘だと揶揄われることも母の不貞を疑われることだって有った。父は母に限ってその様な疑わしき事は無く、紛れもない二人の子だと、いつかの祖先がシャルロットの髪にその加護を与えてくれたのだと慰めの言葉を掛けていた。
シャルロットとて、思って居た。分かっていた。知っていた。
自身が両親の持つ色彩を受け継ぐことなく黒き髪に生まれたことで余所の娘だと疑われることも、ビスコッティと同じ顔立ちをしている事で黒髪の男と母が関係を持ったのではないかと疑われていることも――周囲から奇異の目で見られていることだって。
「ママ、パパ、どうして私の髪の毛って黒いの……?」
シャルロットが問い掛けた時、母は何も言わずに彼女を抱き締めた。髪の色が例え違ったって親子だからと言う様に強く強くぎゅうぎゅうと抱き締めてくれた。父は髪の色が違ったって大事な娘だと微笑んでくれた。それでも、それでも――シャルロットは受け入れることが出来なかった。周囲の眸に、同じかんばせで有るというのに両親と同じ陽の色の髪で微笑むビスコッティに、胸の内に滾った苛立ちは隠せなかった。
「愛しい愛しい宵の子」
何時の日にか父と母はそう呼ぶようになった。その色は遠い遠い血の繋がりなのよと微笑んで、愛おしいと抱き締めた。まるでソレが周囲から隠されるかのような大きな愛情で――シャルロットは受け止めきることが出来なかった。
どうして、と言う疑問が擡げたのは陽の子と呼ばれて抱き締められる自由奔放なビスコッティを見たときだった。周囲からは奇異な目で見られ、友人も出来ない儘に卑屈になっていくシャルロットと対照的に誰とでも微笑みあうビスコッティは何処までも自分にはないものを持っているようで、酷く焦がれた、酷く妬ましかった、酷く――酷く、嫉妬した。
「……ねえ、シャル。私達二人で一つだから。大丈夫よ、シャルがお友達がいないって悲しくなったって私が居るじゃない」
嗚呼、ビスコ――けれど、あなたは。
「シャル。私の大好きなシャル。悪戯っ子しましょう。髪の色を変えてしまえば私とシャルの区別は付かないわ」
ビスコはそう言ってから自分の金色の髪に黒い粉を振りかけた。真っ黒の私と同じ髪の色。私には魔法の塗料なのよ、と小さく微笑んでお日様の色の髪を一時ばかり与えてくれる。
手を繋いでかけ出した。黒いワンピースの貴方と、真白いワンピースの私。正反対の姿になって、走り出せば私を待っていたのはビスコの友人達だった。
「ビスコ、待ってたよー。今日は何処へいく?」「あ、ビスコ、ママ達が呼んでたよ」
景色と世界が違っていた。有り得ないほどに世界が色彩を変えた。闇色の世界に居た私はぽん、と陽だまりの中へと飛び込めば誰もが手を引き微笑んでくれる見た事の無い景色が揺れている。ビスコ、と呼ばれた言葉に『私が本当にビスコッティになった気がして』私はにんまりと微笑んだ。
「ママの所に行ってくるね」
「気をつけてねー! 後で遊びに行こうね」
「うんっ」
走る足先に力を籠める。「ママ」と呼び掛ければ普段は悲しげに目を細めるだけだった母は楽しげな声音で「ビスコ」と私を呼んでくれる。
「ビスコ、シャルを呼んでいらっしゃい。おやつにしましょう。あ、そうだわ。ビスコが前に街でお友達とおそろいにしたいって言っていた靴も買ってきたの」
「……シャルには?」
「シャルは――また、聞いてみましょうね。ビスコと一緒なら良いというかも知れないけれど」
ビスコが友達とおそろいのものを選んでいることを初めて知った。時々母が、ビスコとおそろいのものを用意してくれる理由が『彼女の我儘を聞いた結果』だという事も初めて知った――私は、与えられるばかりで欲しがることさえしなかったのに。姉妹だと言うのに、同じ顔なのに、髪の色が違うだけでこんなにも――
部屋に、ビスコッティを呼びに向かえば本棚に並んだ絵本を眺めて居た彼女は「どうだった?」と楽しげに笑う。悪戯がばれていてもばれなくても、きっと彼女は楽しい想い出に昇華するつもりなのだろう。
「……ううん」
首を振った。その時から
「そろそろおやつの時間だよね。
「そうね、そうだわ。……ねえ
どうしたの、と振り向く彼女の胸に果物ナイフを突き立てた。何度も、何度も。まるで人魚姫が王子様を殺すように。そんな淡い幻想を、彼女がさっきまで読んでいた絵本のストーリーから逸脱するように。
――あなたがいるから、あなたがいるから、あなたがいるから――!!!
は、は、と何度も何度も息が上がった。「シャルは寝ちゃっていたみたい。私もお昼寝をするね」と母へは声だけで告げた。布団の中で眠り続ける様に息絶えた彼女の体を其の儘に、私は一人で丘を駆け出した。
逃げるように、逃げるように。快活なビスコッティの振りをすれば遊びに行くと嘘を吐けば何処へだっていけたから。
ねえ、
貴方が眠るように死んでいるのを見て、恐ろしかったの。
まるで鏡のように同じ顔。私の顔。それが死んでいるのに――思えば、貴方って、私のことをいつも真似してくれたのに。
私は、私が出来ない貴女の出来ることに酷く、酷く、酷く嫉妬してしまった。
見ないで良かった世界を――……見てしまったから。
唄が聞こえる。
海に身を投げたときに、聞こえた声音にゆっくりと目を開ければ、手を差し伸べる女の人がそこには立っていた。
「苦しいのですか?」
「だぁれ?」
「悲しいのですか?
大丈夫ですよ、大丈夫。此れからは何も畏れることはありません。ねえ、リーデル?」
白から黒に変わる美しい鳥の翼。穏やかに微笑んだ中性的なかんばせにそう、と手を伸ばしたのは美しい人魚。
金の――ビスコッティと同じ色彩の髪を揺らして、うつろに微笑んだ彼女は「此処ならば、何も喪わないわ」と首を傾いだ。
「貴女が寂しいのならば私と、リーデルは貴女と共にありましょう。
この海は永劫に時を止める。凪ぐ事も無く、絶望に蝕まれ、何時か海と一つになるときまで」
狂った指先が頬を撫でる。其の儘、白い掌が肩まで落ちてゆっくりと
全てを吐き出すように名も知らないセイレーンへと
―――――
―――
この海に、イレギュラーズがやってきた。
セイラは酷く苛立っていて。私は彼女が苦々しく吐き出す苛立ちを少しでも和らげたいと、そう思った。
映し鏡の性質を持つ私が、誰かを映して自分を失わないようにとセイラは優しく私を保護してくれていた。
それでも――この海の一大事だと、誰の目で見ても明らかであったから。
「私、セイラの力になりたいわ」
「いけませんよ。ミロワール」
――ミロワール。それが今の
「貴女はここでのんびりと過ごすのです。リーデルと、私と……いつかこの病がこの体を溶かすまで。
共にありましょう。怖くはありませんよ。大丈夫……私が、ミロワールを護ります。可愛い可愛い、ミロワール」
まるで母のように抱き締めてくれるセイラの腕が私は大好きだった。それでも、彼女が愛する人を喪って苦悩していることを私は知っていた。私だって、片割れを喪った。互いに心の隙間を埋めるように、共にあったのに。
「……ねえ、セイラ。魔法の鏡になってあげる。なんでも答えてあげるわ。
一等幸せにしてあげる。どうやってって? ずうっと、わたしが居るわ。――ねえ、セイラ。あなたの事を、しあわせにしたかったの。だから、行かせて」
「……ミロワール。それで、貴女が彼等に影響をされて共に、と願わなくなったならば。
私は、リーデルはどうすれば良いのでしょう。きっと、貴女は私を映して絶望に染まった私を殺さねばならないと、そう思いますよ」
私は、曖昧に笑うことしか出来なかった。苦しみ続ける彼女のその心を断ち切って、幸福に導けるのならば――と、そう思ってしまったから。
「セイラ。私を抱き締めて」
「……おいで、ミロワール」
「ねえ、セイラ。だいすき。すきよ。ママみたいにぎゅっと抱き締めてくれるから。リーデルも、すき」
「ミロワール。かがみよ、かがみ。ねえ、この世で一番幸せなのってだれかしら」
「ふふ、セイラよ。だって、あなたの大好きなミロワールがいっしょにいるのだから!」
抱き締める腕に力が籠められた。きっと、彼女は何かに気付いている。……気付いていて、私を送り出してくれたのだ。彼女は――セイラは、酷く優しかった。そして、酷く、自分に価値がない女だと思っていた。
自信の性別が違えば、自身にもっと権力があれば。そうすれば誰も死なず誰も喪わず、誰もが幸せになれたと馬鹿らしく思って居た。その時、私はもう『誰かに感化されていた』のだと思う。
――――
――
彼女が死んだ、私を蝕む毒となって、彼女は死んだ。
頭の中に巡るのはセイラが私を恨んでいるという恐怖だけだった。あれ程に私を愛してくれたのに。
唇か溢れ出した言葉を飲み込んで、滅海竜と共に戦うその中で、
生きていたいと望むことは間違いではないとそう笑ってくれた彼等に生きていて欲しいと、そう願った。
私のためと命を賭けて、私のためと泣いてくれる人たちに。
私のためと抱き締めて、私のためと怒ってくれる人たちに。
私のためと微笑んで、セイラのためにと手を差し伸べてくれたあなた達に――私は、生きて欲しかった。
それで、この体が、鏡が壊れてしまっても。
……やっと、誰かの力になれたと、そう思えることが何よりも嬉しかったから。
「シャルロットと一緒に居たい」?
けれどね、わたしは鏡。わたしのことをこんな風にしたのはあなたたちなのよ!
そうやって何かを欲することが、まるで
コンプレックスのように、憧れた
――シャルロット、と。ビスコッティではない私を呼んでくれることがこれほどに嬉しいとは思わなかった。
「シャルロット、一緒に、頑張りましょう。癒す事も、物語の加護も貴女には与えられない。
けれど……私達は少しでも早く、この戦いを終わらせます。だから――その時まで、これは預けておきますね」
リンディスのその言葉にシャルロットはどうして、白紙を、と唇を揺れ動かした。
あなたが見てくれなければ私の物語なんて……と、心に落ちた暗き闇を払うようにイレギュラーズが手を差し伸べる。
これ以上、誰も死なないと。もう一度会えると信じるかのように預けてくれたそれをぎゅうと抱き締めた。
●
海の絶望が止まったら。私は魔種だという事を受け止めなくてはいけなかった。
イレギュラーズの振りをして、イレギュラーズの顔をして生きていく事を夢に見なかったわけではなかった。
私は――
私は、それでも自分のこの体を恨んだことはない。
「約束、したでしょう? 花を一輪、ビスコッティに。
……それから、わたしのことを、彼女の許に送ってほしいの。
他ならぬあなた達だから、お願いするわ。……どうか、殺してほしい」
――おやすみなさい、また、いつか。
イレギュラーズに影響を受けたから、だからこんな事を思うのかも知れない。
……馬鹿だって、リンディスは笑うかしら。けれど、こっそりと此処に私が書いておくわ。
ねえ、リンディス。それから、アカツキ。
また会えたねって笑ってくれてありがとう。
物語を綴って、私を残そうと提案してくれてありがとう。
一緒に居たいと思ってくれたのでしょう。友達だって。
たくさん、たくさん、ありがとう。
けれどね、わたしは魔種だったから。
わたしがミロワールだったから。
皆を護れたの。
だから、魔種としてのわたしはこれでおしまいなのよ。
やっと、わたしは、何かを出来た。
それって、とっても、とっても誇らしいでしょう?
どうか、たくさんたくさん、辛いことがあっても、頑張って、生きていて。
わたしの物語をあなたが続けて欲しいの。
もしも、もう一度会うことがあったなら、その時は思いっきりだきしめて。
それから、おかえりって笑って欲しいの。
だいすきよ。私の大切なおともだち。
●
本を閉じてからリンディスはふと、思い出したように最後のページに視線を落とす。
僅かに滲んだインクに震えたように描かれたサインはぶきっちょで碌に文字も書かぬ友人に教えた最初で最後の彼女のサイン。
Charlotte di dama――
その名前を指先で手繰ってリンディスはゆっくりと目を伏せた。
「おやすみなさい」