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切れない絆
登場人物一覧
最初の印象はもうすぐ死ぬのだろう――と。
消えてしまうのだろうと、儚いものだと思ったものだ。
自分自身とて一抹の灯火となって消えてしまう運命だったけれど。
この平凡な『器』を選んで育ててみるのも悪く無いと思ったのだ。
切れかけの電灯がチカチカと視界に入ってくる。
ポツンとベンチに座った小さな女の子が居た。
邪魔な夜妖を倒し、金森真心に憑いた夜妖に掛ける言葉が生暖かいものだけじゃ意味が無い。
「けド、次にさっきみてぇな事があったラ、きっとアンタはコイツを守れなイ。身に沁みて分かったロ?」
きちんと現実を教えてやらないと、真心花もイレギュラーズを信用出来ないのだ。
きっと大地はこの時、ひやりとしたのだろう。
自分の口から別の思考が勝手に出てくるのは心臓に悪い。
真心を学園に送り届けた後に吐いた、盛大な溜息は赤羽の言葉が原因なのだろう。
それでも直接文句を言ってこないのは、赤羽の掛けた言葉が真心花にとって信頼たり得るものだったから。
赤羽は心の中でくつくつと笑う。
いつも通りに振る舞う大地を、誰よりも近くで見てきた赤羽だから分かる。
「何、落ち込んでるのカ」
「うるせえ」
真心の身に降りかかった顛末を思えば、気持ちが落ち込むのも無理は無い。
あの小さな身体に残った痣や煙草の痕は痛ましいものだった。
彼女がどんな風に生きて、絶望したのかを思えば、善良な大地は胸を締め付けられるのだ。
「慰めてやろうカ」
「お前がそんな風に言うなんて珍しい。雨でも降るんじゃねえか?」
そんなたわいも無い会話を繰り返して、気持ちを浮上させていく。
これが二人の在り方だった。
大地という男は赤羽にとって運命共同体である。
殺人鬼に襲われ、首を切られて生死の境を彷徨っていた大地に赤羽は手を差し伸べた。
純粋な善意だった訳では無い。自分自身も消えかけていたのだから初めは利用しようとしたのだ。
大地の傷を塞ぎ、恩を売って。あわよくば身体を乗っ取り成り代わろうとさえ思った。
――友人でも恋人でも無い、運命共同体。
器としての相性は悪くないのだ。魔術師の素質も充分にあるし、これからどんどん伸びていくだろう。
しかし、人間としての大地に目を向ければどうだろうか。
良く言えば、物静かで穏やかな青年となる。よく言えば。
悪く言えば、薄暗い場所で本ばかり読んでいる陰キャだ。
魔術師たるもの、同じ場所でじっと修練に耐えるという行為は必要に違いない。
けれど、大地の場合は食べる事を忘れて本に没頭してしまうのだ。
いくらじっとして研究に打ち込む精神が重要な魔術師といど、身体を壊してしまっては意味が無い。
身体は資本なのだ。
赤羽が使役するより前に不摂生で倒れられては元も子もない。
依頼に真摯に取り組むのは真面目な大地の良い所だろう。
本から手に入れた知識が役に立った事も多い。
その点については文句は一切ないのだ。知識を手に入れると言うことは魔術師の本能とも言える。
しかし、想定外の恐怖には弱く、パニックに陥りがちなのだ。
いくら知識を頭に叩き込もうとも、身に纏わり付く恐怖は体験できないからだろう。
本を読むだけでは得られない経験を大地には踏んで欲しい。
まあ、そういう不測の事態に陥った時に、自分を頼ってくるのは悪い気がしない。
口では悪態を吐きながらも、赤羽の実力を信頼している証拠だ。
そもそも、命の恩人なのだから逆らえるはずもなかった。
扱いやすいと言えば、そうなのだろう。
だが、これはきっと本能的なものも大きいはずだ。
金森真心が親を憎んだりしていなかったように。
大地もまた、赤羽という保護者を好きになることで自分の居場所を無意識に確保している。
文字通りの運命共同体。引き剥がせない楔といったところだろう。
赤羽としても、大地を失うのは惜しいのだ。
器としての相性、魔術師の素質。
より自分が扱いやすいように、大地の身体を変えてやりたいと思う。
顔立ちも悪く無い、磨けば光るものがあると赤羽は見ていた。
これを磨けば、男女問わず惹きつける良い『餌』になりそうだとも思う。
だが、今のままのモヤシのような姿では到底そこにはたどり着かないだろう。
体力だって全くといっていい程無いし、猫背だし。本ばかり読んでいるし。目つきだって悪い。
子供の悪い部分を語る親のような言い回しで赤羽は大地に文句をつける。
ああ、でも『死にたくない』と必死に藻掻いている姿はそそる物があった。
あの日、あの場所で。首からドロドロと赤い血を流していたのだ。
奇しくも『消えたくない』と願った赤羽と同じ決意。
魂の叫びは蜂蜜のように甘くて、赤羽と大地は深く深く結びついた。
消えない首の傷跡は『赤羽』と『大地』を繋ぎ止める絆の証左である。
大地を磨き。有力者を籠絡できるように仕立てることが出来れば、自分自身も有意な立場に立てるようになるだろう。
相手の好きそうな言葉を選び、会話を弾ませ懐に入り込む。
少しずつ距離を詰めて、魅了するのだ。
時には猫のように冷たくあしらってみるのもいいだろう。
頃合いを見て懐に飛び込んで甘えてやれば、誰だって手中に収める事ができるはずだ。
しかし。そこにたどり着くまでには問題は山ほど積まれている。
まず、身なりの平凡さ。今は若さで補えるかもしれないが、磨かねば廃れていくのみ。
これでは、土台に上がることさえ出来ないに違いない。
次に、恋愛や駆け引きに感心がなさ過ぎる点だ。
本を読んでいれば良いという訳では無い。有力者を籠絡するには、それなりのコミュニケーション能力が必要不可欠だろう。
今の大地を見れば、それが絶望的に足りていない事がよく分かる。
ここは一番頭の痛いところだ。
そもそも、奥手過ぎて浮ついた話を聞いたことが無い。おそらく彼女さえ居たこともないのだろう。
ここは強引に指導してやるべきかと赤羽は考え込んだ。
「おい、何黙ってるんだ?」
「……ン、ああ、考え事ダ」
思考の中に囚われてた赤羽は大地の呼びかけに気付く。
自分の中に居る赤羽の反応をこうして時々大地は確かめた。
それは、寝入っている親の呼吸を確認するような仕草に似ている。
死んではいないか。消えてはいないか。
あやふやで不確かな存在だからこそ、確かめずにはいられないのだろう。
こういう所も愛着が湧く一つの要因だ。
出て行けとも出て行くとも言わない。そんな時間が勿体ないのだと赤羽は苦笑する。
もう少しだけこんな日々を楽しむのも悪く無い。
先の長い人生。離れぬ事が出来ない運命共同体なのだから。
ポツリとアスファルトの上に雨粒が落ちた。
次第にむせ返るような雨の匂いが辺りを包み込む。
「お前が黙ってるから、雨が降ってきたじゃねえか」
「ウルサイ、さっさと帰るぞ」
大地の髪に雨が落ちて流れていった。
こんな日は早く帰りたい。
声も忘れてしまった『彼女』が何処かに潜んでいそうで。
ストロベリーの香りがして来そうな気がするから。
「……」
首の傷が熱を持ち出す。
焦燥感が首をもたげ、電灯の影に少女の影が在るような気がしてくる。
じくじくと痛み出す首元の傷を抑えながら、赤羽・大地は雨の中を走っていった。
切れる事の無い絆を抱えて――