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Childhood's end
登場人物一覧
●無限廻廊
夕暮れ。
遊んでいた子ども達が家へ帰り始める。
女の子は迎えに来た母親と手を繋ぎ、男の子は肩に担いだバットにグラブをぶら下げて。
バイバイ、また明日。
バイバイ、また今度。
別れるたびに交わす言葉は子どもが成長するにつれ、明日の約束はただの社交辞令に変わり、彼だけが夕陽の向こうに行けずに取り残される。
そして朝を迎えるとまた別の子ども達と遊び始めるのだ。
夕方なんてこなければいいのにと思いながら。
●りょーじとオレ
「コータにーちゃんはすげぇなぁ。なんでキャッチャーなのにホームランも出せんだよ。フルタみてぇだな!」
子どもから尊敬の眼差しを向けられ、『理想のにーちゃん』清水 洸汰(p3p000845)が胸を張る。
小学生に見えるが彼は歴とした大人。
何時の頃からか洸汰の時は止まり、永遠に子ども時代が続いている。
「りょーじも毎日やってたらこれくらいにはなるって」
「マジか?」
「マジ」
洸汰はいつもどおり子ども達の前では「にーちゃん」として振る舞う。
外見は小学生のままでも中身の方は少しばかり大人だから。
りょーじとはすぐに友達になった。
野球が好きで、プロ野球の話は尽きず、キャッチボールをしても飽きない。
りょーじの学校が終わって公園に来るのを、洸汰は楽しみに待っていた。
「母さんが帰って来るからそろそろ行くな。じゃあなコータにーちゃん、また明日!」
りょーじが見えなくなるまで洸汰は手を振った。
また明日と言われると少しだけホッとする。
まだ向こうには遊ぶ気があるのだと思えるから──
夕陽が落ちると一人夜に取り残される。
壁当てして跳ね返ってくるボールは自分に似ていた。
●中学という境界
「中学に上がったら部活に入るつもりだけど、母さんが塾に行けってさ……」
部活に制服。テストに塾通い。
りょーじの興味はこれから迎える中学生活に傾いている。
「コータのところは学ラン?」
「オレのところは私服」
「えっ!? もしかしてもう中学行ってたりする?」
「秘密。それより続きしようぜ」
にーちゃんと呼んでいた頃のりょーじは洸汰より背が低かった。
何時の間にか同じく背丈になり、コータと呼び捨てるようになった。
そして何時までも変わらぬ洸汰の秘密に気付き始める。
中学はいつも綻びの始まりだった。
「コータも同じ中学だったら良かったのに。そしたら一緒に野球部入ってさ、大会にも出れるしさ」
「りょーじは試合に出たい訳?」
「そりゃあ野球やるなら甲子園出たいだろ。高校は同じとこ行ってバッテリー組もうぜ!」
洸汰には手が届かぬ高校という世界。
甲子園で活躍することを夢見る明日。
「んじゃ帰る。またな。これから塾の見学なんだってよ。行きたくねー!」
明日という言葉が消えても洸汰は変わらずにりょーじを見送る。
背はもう洸汰を追い越しているかもしれない。
洸汰はりょーじがいなくなった方角に向けてボールを投げる。
球は返りもせず空しく道路に転がった。
●約束の代わりに
「りょー……」
久しぶりに見かけたりょーじは学ランを着て、肩掛けの鞄を斜めがけにしていた。
聞こえる会話は期末テストのこと、それから文化祭のこと。
野球の話も聞こえてくるけれど、それは他の中学との練習試合のこと。
声を掛けようとしても掛けられなかった。
りょーじもあっちに行ってしまったのかと思うと切なさと懐かしさが込み上げる。
「コータ!」
視線に気付いたりょーじが洸汰に手を上げて見せる。
だけど決してこちらに来ようとはしなかった。
公園の中か外か、たったそれだけなのに、歩道は越えられぬ境界線のように思えた。
知り合いかと連れに尋ねられて、知り合いと答える。
子どもの頃は見得なんて張る必要もないけれど、中学に上がると大人ぶりたくなるもの。
友達の手前ならなおさら。
思春期というやつはそういうものだ。
洸汰もりょーじに手を振り返して見せる。
「りょーじ! 元気でやれよ」
掛ける言葉に「またな」はない。
今度は顔も忘れられ、挨拶すらないだろう。
家から離れた高校に行けばここは通学路ではなくなり、大学に行けばこの街を離れるから。
「ちぇっ、ホント再現してくれるよな……」
《無辜なる混沌》の国家の一つ、探求都市国家アデプト。通称《練達》。
その中に再現された洸汰が元いた「ニホン」によく似た1999年の東京。
似ているがゆえに感傷的になる。
似ているがゆえ今まで通りだと。
もうりょーじに『童心の伝道師』と名付けた子どもを誘うギフトは効かない。
それは彼が子どもではなくなったという証。
また明日が聞けなくなったら代わりを求める。
これまでそうしてきたように、これからもそうするだけだ。
●夜の公園
いつものように友達を見送ると、一人遊びするうちに夜になる。
ボールとミットを持って帰ろうとしたとき、若いサラリーマンとすれ違った。
スーツの男にはりょーじの面影。
「にーちゃん、夜に公園で何してんだよ?」
大人のくせにブランコに腰を下ろした男に声を掛けると、『現実逃避』という言葉が返ってくる。
「サラリーマンって大変そうだもんな」
「そうそう。うちはパワハラがひどくて……って子どもに語ることじゃないけどな」
「別に構わねぇぜ。話してみろよ。話せばすっきりする的な」
隣のブランコに腰を下ろし、大人になったりょーじを洸汰の方がにーちゃんと呼んで愚痴を聞く。
不満、挫折、憤り、そして孤独。
大人の世界のことは洸汰には分からなかったが、りょーじが苦しくて社会から逃げ出してきたことだけは分かった。
「野球やろうぜ? 野球好きだろ。野球やって嫌なことは忘れようぜ!」
「野球か……。昔よくここでやったよなぁ」
りょーじが立ち上がると洸汰と二人、夜の公園でキャッチボールを始める。
りょーじは素手でボールを掴むと、洸汰に向かい加減して投げた。
「球投げるの、久しぶりだ」
「そっか。楽しいだろ?」
「楽しいと言うより懐かしい、かな」
りょーじは洸汰だと気付かないけれど、洸汰と過ごした毎日は思い出したようだった。
「ガキの頃、コータって親友がいてさ、遅くまで毎日球投げ合ってたなぁ。鍵っ子で親が家にいなかったり、帰っても構って貰えなくても、明日になればそいつと遊べるから寂しくなかった」
りょーじの言葉に息が止まりそうになる。
りょーじは洸汰を思い出しても本人だと気付かない。
もし洸汰だと気付いてくれたなら子どもの頃に戻れるのに。
だけど大人になったりょーじは、洸汰と一緒だった時間が一等幸せで、最も輝いていたと語った。
「コータはずっと公園に残っていたけど、もし俺が帰らずに夜も公園にいたら、やっぱりこんな風にキャッチボールしたんだろうなぁ」
「今してるじゃん」
夕方には去って行くりょーじと、夕方が来ても残り続ける洸汰があの頃出来なかったこと。
程々続けた後でりょーじが去って行く。
「またな」ではなく、「ありがとう」を残して。
「元気出せ。苦しくなったらまた来いよ。結婚して子ども出来たら子どもも連れて来い。オレはいつだってここにいるし、いつまでもりょーじの友達だ」
洸汰は微笑んでかつて子どもだった大人を見送る。
今も、これまでも、これからも、洸汰の中で夕方は繰り返される。
それでもまた会えることを願って、共に投げ合ったボールを握った。