PandoraPartyProject

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ひとりぼっちのお魚屋さん

登場人物一覧

アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯

 町に光が灯り始めた――宵。
 塩気を含んだ凱風が、背をそっと押してくる。
 石畳を叩く高い踵の音色と比して、足取りそのものは決して軽くない。
 大通りから一度だけ曲がると、バー『エル・ニーニャ』の看板が見えてくる。
 背の低い扉――キャラベル船に備え付けてあったものだと云う――に、手を掛ければ重い。

「アーリア・スピリッツさん?」
「ええ、そうよ」
「わっ、綺麗な人。会えてよかったー、あたしはヴィオラ」
 アーリアは促されるまま、カウンター席へと腰掛ける。
「お飲み物は如何いたしましょう」
 酒場で飲まぬのも失礼ではあろうが、なにぶんアーリアとしたことが飲む気になれない。
 相手はどうする気なのかと、横目でちらりと伺ったが。
「あたしはモスコミュールで! 今日は飲みましょ!」
「スプモーニをいただくわ」
 だって、あまりにあっけらかんとした笑顔で云うものだから。

 モスコミュールを一息で呷った女の名をヴィオラと云う。
 海洋王国軍ビスクワイア艦隊所属の砲手ジェイムズ・ブラウンの妻女だ。
 歳は若く、子供は居ない。
「えー、結構飲む人って噂なのに、遠慮してたり? あ、モスコくださーい、あとカプレーゼ!」
 愛嬌のある表情をころころと変えながらメニューに視線を走らせるヴィオラは、まるで目的なんて忘れているようで。
 アーリアは切り出すタイミングを掴みかねていた。
 とは言え頬を赤く染め始めたヴィオラの様子を見れば、早いに越したことはなかろう。
 だからアーリアはスプモーニで唇を湿らせると、小さな木箱をバーカウンターへ乗せた。
「酔う前に渡しておきたいのよ」
 中身はジェイムズのドッグタグである。

 第二十二回海洋王国大号令――海洋王国の悲願が成就する、ほんの少し前のことだ。
 イレギュラーズと海洋王国が、大海原に立ち塞がった滅海竜リヴァイアサンと交戦した際に、ジェイムズは戦死したのである。
 何の因果か遺留品を拾ったアーリアは、戦後すぐに遺族へと手紙を綴った。
 そうしたところ、ここに呼び出されたという訳である。
「あ、これ美味しい。あとトリッパにミートパイも下さい! ほら食べて食べて!」
 つまみが次々に並んでいるが、アーリアはと云えば、未だ一口も飲んでいなかった。
 勧められた上等なモッツァレラは、砂を噛んでいるように感じられる。
 木箱に視線を落としたまま、ふいにヴィオラが口を開いた。
「ねえ、アーリアさん。あの人――ジェイムズはどうだった?」

 どう答えたものか。アーリアが目にしたのはその散り際だけなのだ。
 ジェイムズは竜に砲撃を続け、竜の放つ光線に飲まれて消えてしまった。
 ありのままに答えて、殊更にショックを与えたくはない。
「ちゃんと戦えていた? 皆の足を引っ張ったりしなかった?」
「――」
「優しくて、ちょっとびびりで、海軍に入るなんて聞いた時にはびっくりしちゃって」
 ヴィオラは語り出す。
「でも海洋王国大号令だもん。あたし泣いちゃって、でも彼、イレギュラーズが居るからって」
 透明な雫が、ぽつりぽつりとアサメラ材のカウンターを濡らす。
 しゃくりあげるヴィオラの背に、アーリアはそっと手のひらをあてた。
 冷たい細い背中が震えている。
「ごえ、ごめ、ごめん、なさい。あたし急に……」

 こんな時に、なんと云えば良いのか。
 例えば『泣いていいのよぉ』と、優しく撫でればいいのか。
 例えば『大丈夫よぉ』と、抱きしめてやればいいのか。
 なら、どうすればいい。
 この少女をやめたばかりの女に。
 愛する人を喪った、未だ気持ちの整理がついていない、この明るく健気な未亡人に。
 そうであろうと懸命に振る舞おうとしている、若すぎる大人に。
 アーリア・スピリッツおねえさんは何をしてやれるのか。
「――」
 目元にハンカチをあてたまま、ヴィオラは嗚咽している。
 アーリアは何を聞かれても答えるつもりでいた。
 責められるなら受け止めるつもりでいた。
 相手の望むままに、何をされても構わないとさえ思っていた。
 けれどアーリアは理解した。
 ヴィオラはのだ。
 何もかも、心にわだかまる全てを吐き出してしまいたいのだ。
 だからアーリアは、沈黙を選んだ。

 時計の秒針が幾度か回った頃、ヴィオラはハンカチを離してジントニックを呷った。
「はぁー……もういっぱい! ちょっとー、アーリアさん飲んでないじゃないのもー」
「あらぁ、ばれちゃったかしら」
 そんな風に頬を膨らませるものだから、合わせて笑ってやる。
 仕方がない、そろそろ覚悟を決めよう。
 氷の溶けきったスプモーニは、ひどく薄くて、微かな苦みだけが残っていた。
「ラムを頂けるかしらぁ?」
「銘柄は如何いたしましょう?」
「そうねぇ、ドレイクの渇望をミストでいただきましょ」
「かしこまりました」
 テキパキとした仕草で、バーテンダーが琥珀色のラム酒をミストに仕立てる。
 仄かに甘い香りがようやく感じられた。
「あれ!? その瓶。あたしも同じの!」
 当たりだ。
 あの船に乗っていた酒なら知っている。
「え、ちょっとまって。それあの人が良く飲んでた気がする!」
「船にもあったわよぉ」
「えー、知らなかったー! お酒の瓶なんて、みんなおんなじに見えるもん」
 目を腫らしたヴィオラが、グラスに口を付ける。
「からっ、あれ、あまっ、あの人こんなの飲んでたんだ」
 かなり甘い酒だが、強い酒に飲み慣れていないのだろう。
 それにしてはずいぶんと吸い込むペースが早い気がする。
「あの人ってね……」

 小さな漁村に生まれたジェイムズは、この町で食材の商いを営むヴィオラと恋に落ちた。
 きっかけはなんということもない。仕入れの付き合いだ。
 市場で話すようになった二人はすぐに友人となり、恋人となり、プロポーズを受けた。
 当初二人の問題は、どこで暮らすかという所にあったらしい。
 漁村で暮らすには、ヴィオラは垢抜けすぎている。
 二人で商いを営むには、ジェイムズは素朴過ぎる。
 一念発起したジェイムズは、海軍に入隊したのだ。折しも海洋王国は大号令に沸いていた。
 あれよあれよと話は進み、新婚のジェイムズは遠い海の向こうへ旅立っていった。
 熱烈に愛し合ったヴィオラは一時期体調を崩したが、期待の新しい家族は増えなかった。
 彼女はまたひとりぼっちのお魚屋さんに戻ったのである。

「はー、やんなっちゃう。引き摺るなって言われるんだもん、さすがに無神経すぎるって思わない?」
「そうよねぇ」
 店を出たヴィオラは、ドッグタグを星空にかざした。
「ね、ね! 次の店行こうよ! もうちょっと賑やかな所がいい!」
 足元がふらついているヴィオラは飲み過ぎだ。家まで送り届けようとも思ったが。
「じゃあー、とっておきの店があるのよぉ」
「えー、どこどこ!?」
「毎日週末亭って言うんだけどぉ」
 ちっとも染まっていない髪のまま、口ぶりだけはおどけてやる。
「あー、知ってる! けど入ったことないの! 一人じゃ入りにくくって!」
 ふらつくヴィオラに寄り添い、手を取って歩き出す。
「あ、食べ物はどんなのがあるの? てゆうかさっきの店、少なくない?」
 今日はヴィオラが潰れるまで、とことん付き合ってやることに決めたのだから。

  • ひとりぼっちのお魚屋さん完了
  • GM名pipi
  • 種別SS
  • 納品日2020年09月05日
  • ・アーリア・スピリッツ(p3p004400

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