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エルスのドキ☆ドキ☆クッキング!
登場人物一覧
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古今東西、人は誰しも恋をする。特に女性が恋焦がれる姿をこう称することがある――「恋する乙女」と。
意中の相手に振り向いてもらうべく、彼女たちはいつか来るであろう日を夢見て影に日向に努力を重ねている。料理、選択、掃除、美容にオシャレ……。その努力は多岐にわたり、目に見えないことも多い。
今、キッチンに立つエルス・ティーネもまたそうした乙女の一人であり、意中の相手の傍に立つための努力に勤しんでいる。もっとも、『萌え萌えキュン』とか家事に関係ないものもどこからか覚えてきてしまうあたり、ちょっと空回りすることもあるけれど。
それでも大半の家事については修行の成果もあってめきめきと腕を上げている。その一方で、料理——個人の好みや文化でどうしても差異が出てしまう――についてはエルス自身課題を感じていた。勿論以前タルトを手渡した時より腕は上がっているけれど、
「ダメね、まだまだ……。 頑張らないと」
本人は決して満足していない。だからこそ今日はキッチンに立っている。
真っ赤なエプロンに身を包んで準備万端、必要なものも全て揃えてある。
「よし……!」
気合も十分。
さあ、今日のトレーニング《花嫁修業》を始めよう!
傍らの料理本こそ参考にしつつも、彼女の手捌きは初心者を完全に卒業していた。
ボウルにひき肉、卵、みじん切りにした玉ねぎ、つなぎのパン粉と臭い消しのオールスパイスを多めに入れ、手慣れた手つきで捏ねていく。出来上がったタネを一口大の球状に整形し、粉をまぶしてトレイに並べていく。
「……ふう」
全てのタネをトレイに並べて一息つく。トレイに並んだミートボールは明らかに3人分はありそうだが、エルスにとってはそれも計画の内、何ら問題はない。
「綺麗にできたんじゃないかしら?」
折角あの方に食べてもらうのだから見た目にだって拘りたい。そんな思いを満たす出来に自画自賛の言葉が飛び出す。
けれど料理は味が第一。見た目が綺麗でも味が不味ければ「あの方」はきっと喜んでくれない。もしかしたら嘘でも「美味い」と言ってくれるのかもしれないけど。
――それはダメ。 心からおいしいって言って貰わないと。
そんないじらしい或いは微笑ましい想いを胸に抱きつつ、エルスの手が再び動き出す。
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油が熱くなるのを待つ間に、トマトと水を鍋にいれ、火にかける。煮立ったところで調味料で味を調え、隠し味に少しだけクリームを足す。そうこうする間に油が熱くなってきたのでミートボールを投入する。
じゅわっという音が響く。待っている間にトマトソースの味見をし、足りない味を足していく――同時並行的に作業を熟すエルスの動きは無駄が少なく、練習の成果が如何なく発揮されていると言えよう。
味付けが完成したところで、肉団子がきつね色に染まる。掬い上げて、一個だけ割ってみる。中まで火が通っているか確認するのも忘れない。
「……大丈夫ね」
満足気に頷いてから次のミートボールを投入する。再びあがる、食欲をそそる音と香り。
(……あの方は、どんな表情をするのかしら)
料理に没頭していたエルスの脳裏に、ふと別空間の景色が像を結ぶ――
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ミートボールを刺したフォークが口元に運ばれる。何も言わないまま、一噛み、二噛み。飲み込んだかと思うと、何も言わずにまた同じ動作を繰り返す。
味の感想が聞きたい、でも聞けないエルスはどきどきしながらその挙動を見守るしかない。いや、彼の挙動から目が離せないと言った方が正しい。
やがてミートボールと付け合わせのパンを平らげた彼はいつもの――肉食獣のような獰猛さと、でも何故かとても安心する笑顔を浮かべてこう言った。
――悪くねえ、いやむしろ最高だ。
幸せと焦げ臭い臭いが一杯に広が……ん?
空想の世界が途切れ、エルスの目の前にはさっきまで立っていたキッチン。焦げ臭さは油の中から。
「しまった!」
慌てて取り出すも時既に遅し。ミートボールは黒焦げになり、最早食べ物ではなくなってしまった。
やってしまった、という思いが口を衝く。食材はまだあるけれど、修行という目で見るとやはり失敗は失敗。
(集中しないと……!)
これ以上の失敗は許されない。換気をしてからエルスは再び油と相対する。
結局その後集中力を切らすことなく、エルスはミートボールのトマトソース煮を完成させた。完成品の一部を皿に移し、残りは蓋つきの容器に入れて保存する。
近いうちに――できれば明日にでもあの方の所へ持って行こう。作り過ぎたと言えば受け取ってくれるだろうか。美味しいと、言ってくれるだろうか。
不安はあるけど会えることは楽しみでもあり、忙しく跳ねる感情の波に翻弄されてばかり。
忙しい感情の揺れ動きは、けれどエルスにとって不快なものではなかった。
さあ、明日はどんな服を着てあの方に会いに行こうかしら?
そう考えるだけで心が躍るのだから。