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ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)
戦輝刃
ベネディクト=レベンディス=マナガルムの関係者
→ イラスト


「セレネヴァーユ王国を、必ず守ろう」
 それはベネディクト=レベンディス=マナガルムを始め、常々口にしていた三人の誓約の言葉。
 数々の騎士の卵たちが通い、共に同じ釜の飯を食い、日々切磋琢磨し腕を磨いてきた。少し軽薄そうな赤髪の男は、ベネディクトに対して冗談を投げかけ、その人柄を揶揄いながらも垣間見える信頼は背を任せるに足りた。深海にも似た藍を持つ男は、ぶっきらぼうながらも優しい一面を持ち、肩を並べて戦うには十分すぎるほどの力量を持つ。
 士官学校の中でも噂に高い生徒たちは、出身や生まれ、その経歴や身分を越えて、来る日も来る日も訓練に明け暮れた。いつか来るかもしれない、母国の戦いの為に。守るべき者がいるこの国の為に。


 銀閃が空気を裂いて人間の急所を狙っていく。長物の得物は懐に入られては致命的だ。かつての師の教えもあるが、ベネディクトは好んで正攻法を選んでいた。
 狙いは寸分違わず胴を狙う。その最奥にある心の臓を貫けば、いかなる戦法が張り巡らされようと終戦への第一歩となるだろう。
 しかしそれを容易く許容する相手ではない。
「相変わらず真正面からだね」
 狙いがわかりやすい攻撃は、得てして防御もしやすいものだ。それも急所を狙う一撃など、騎士の数ほど戦術が練られていることだろう。
 研ぎ澄まされた刃は、幅広の剣によって軌道を逸らされる。例え正確無比に振るわれた刃とて、少し導いてやれば簡単に受け流す事はできた。
 いや、簡単に、とはいかないか。
 そう見えるのはルナだからこそだ。彼女の洗練された動きは無駄がなく、余計な動作が削ぎ落とされている為に簡単そうに見えるだけだ。
 ルナ=ラーズクリフ。
 ベネディクトらが通う士官学校の教師を務めている。年齢はそう変わらず、二、三、早く生まれたぐらいだ。その若さにして教官という立場に任命され、彼女もまた、その名に恥じぬ戦い方を披露し教鞭を揮っている。
 強さとは美しさであり、また己の力量に際してまだ先があると鍛錬を続ける姿は惹かれるものがあっただろう。完成された美というのはいつの時代も存在し、ルナの剣捌きは追随を許さぬ領域に達していた。実際、その強さあるいは美しさに目を止め、釘付けになる者も多い。
 そんな彼女に直接師事するベネディクトが、恋心とも憧れともつかない感情を抱くのは当然とも言えた。
 二本目の槍が閃く。対して使われたのは剣の鞘だ。咄嗟に鞘へ手が伸びる者など多くはないだろう。ルナは確かに剣の使い手ではあったが、同時に多様に戦術を張り巡らせ、いかなる手段が効果的であるかを割り出し使う。今で言う効果的とは、教師として口にしたことを裏付ける見本に対してだ。
 正攻法で行くならば、返す剣で二本目も受け流し、あるいは身体を捻り交わすのが良策だろう。この場が戦場であればルナも迷わずその手段を取った。
 しかし今は、真正面から立ち向かう以外の方法があるのだと教示すべきシーンだ。
 最適ではあるが最良とは言えない手段をあえて選んだのは、搦手とも言える戦法が有効に使われることもあるのだと示す為。
 僅かな時間で行われた命のやりとりは、鞘を使う事でコンマ以下数秒早くフリーになった剣をベネディクトの喉元へ躍らせる事で終止符を打たれた。
 喉仏が上下する。飲み込んだ唾は、訓練とは言え感じられた死の気配を脳に叩きつけられたからだろうか。カラカラに乾いた口内は、この間数分に渡って繰り広げられた剣戟の緊張を示していた。
 は、と短い息が漏れる。ルナの剣先が地面へと向けられれば、ベネディクトもようやく生きた心地で力を抜いた。
「もう少し技術に頼る戦い方をしても良いと思うよ、ベネディクト」
「そうは言っても先生、子供の頃から槍の師に叩き込まれた戦い方です。そう易々と変えられませんよ」
 どかりと地面に腰を下ろすに合わせて、ルナはベネディクトの正面でしゃがむ。どこか悪戯っ子のような無邪気な顔をしてクスクス笑うのは、言い訳を述べるベネディクトに対して心を許していることの証明でもあった。一部では高嶺の花と噂され、静かな振る舞いに刺があるなどと敬遠されている。その反面、親しくなった者にはこうして軽口や、あまつさえ冗句を言うこともあった。
 青空の下での反省会で、ベネディクトはルナに色々な事を教わった。いつも通りの指摘から、今日初めて出てきたクセの話まで、身にならない事は一切ない。生まれに数年の差があれど、知識量の差はその差を遥かに超えるだろうとベネディクトは感じていた。
「先生は色んな事をご存知ですね。俺たちと三つくらいしか違わないのに」
 思わず口に出たのはそんなこと。不貞腐れている訳でもなく、ただ単純に思ったことが言葉になった。
 対してルナは軽く肩を竦める。彼女には彼女なりの歴史があり、その中で出来なかったことも多いのだろう。それを明かす日は当分来ない。
「知っていても、何でも出来る訳ではないよ。私は出来る人たちに手助けをして貰っただけだから」
 思い返すのはヤウダザリオ帝国での日々だろうか。その詳細をベネディクトが知る由もない。
 何かしら言おうと口を開けた時、ベネディクトはルナがじっとりと睨みつけるようにも見える視線を送っていることに気がついた。
「それにしても君、女性に年齢を示唆するのは失礼だよ」
「……すみません」
 怒られた子犬は身を縮めた。


 区画に分けられた訓練場の一角を整備し、待機中の面々と場所を交代する。その間に武器の手入れやら装備の修繕を終わらせて、再び訓練場に入るのがここの習わしだ。一度訓練に入ったならば、幾度か打ち合いをこなし終了する。断続的に戦うことの多い戦場を意識した訓練システムになっていた。勿論、例外もある。
 端に並べられたベンチに腰掛け、互いに得物の手入れをする。真剣での訓練は危険を伴うが、優れた者同士の行いでは許容されていた。
 無心に槍を磨くベネディクトの横で、ルナはぼうと訓練生達を見る。ベネディクトを通じて見知りになった生徒の姿もそこにはあった。彼もまた槍の使い手で、ベネディクトとは違って柔軟な戦い方をしている。足して二で割れば丁度いいのではと確かに思った。
 対する男は剣を持つ。あれがダーンブレイヴの宝剣というやつだろうか。その荘厳な剣をいとも容易く操り俊敏に動く姿は、敵にしたら厄介であろうことは同じ剣の使い手であるルナにも感じられた。
 槍と剣。同じ得物を使い手合わせをしたルナは、二人の姿を見たまま吐息を溢す。
「……ねえ、ベネディクト」
 投影するのは自身だろうか。律儀に返事をするベネディクトの声を聞きながらも、ルナはただ真っ直ぐに前を見つめていた。
 そんなルナを見やり、ベネディクトはややに首を傾げる。敬愛する師の横顔を存分に眺められる機会ではあるが、言葉の続きが待っても来ないことに口を開きかけた。
 その時だ。
「二人で何処か遠くに行かない?」
 ルナの唇が動きそんな言葉を投げかける。ようやく視線が交差して、ベネディクトは少し身を固くした。
「争いの無い所が良いな。君は戦いには向いていないと思うんだ」
 ルナの瞳は真っ直ぐベネディクトを貫いた。アメジストのような色を湛えた瞳から、ベネディクトは逃れられない。
 一体どういう意味なのか。
 投げ掛けられた言葉を脳内で反芻し、言葉にしないまま口内で転がし、自分なりの解釈に落ち着けようと試みる。しかし、言葉遊びでは無いことは、それ以上でもそれ以下でもない意味しか示さぬ言葉群が物語っていた。
 何処か遠くへ。争いの無い、戦いの無い、場所へ。
 言葉に詰まる。つい先程まで聞こえてきていた剣戟の音が遠ざかっていくように感じられた。世界が狭まり、ベネディクトは自問自答を繰り返す。何と答えるべきが正解なのか、輪廻する思考が結論を弾き出せずにいた。
 ただ、はいと、肯く訳にはいかなかった。
 息を吸い、吐いて、ベネディクトは常通りの声を保ち返答を決める。思考回路の速さの分、そう長くは時間もかからなかった。
「揶揄わないでくださいよ、先生」
 その表情には困惑が強く現れていたかもしれない。あるいは、蓋をしたままの情動が滲み出ていたかもしれない。
 それを知るのはただ唯一ルナだけだ。
 複雑に感情が入り乱れたまま、ベネディクトは言葉を続ける。まず前提として、なぜこの学校にいるのか、それを改めて思い出していた。
「此処数十年は大きな戦争もありませんし――何より、俺は、母さんや皆が居る国を守りたいから此処に居るんですよ」
 戦いの無い場所を探さずとも、この国で過ごせば良い。ベネディクトの言葉の通り、彼が生まれてからのセレネヴァーユ王国は比較的平和であった。あえて遠くの地へと旅立つ理由はない。加えて、ベネディクトの根本には愛国心の他、母親への慕情があった。母の愛するこの国と、母を守るための槍。それがベネディクトだ。
 至極真っ当で、真正面から切り込むベネディクトらしい回答だった。
 ルナはその言葉を噛みしめるように間を置くと、緩やかに唇が笑みの形を作る。どこか感情の見えなかった瞳はいたずらに灯った。
「ふふ、流石に揶揄ったのが解ったかな?」
 ベネディクトの心を揺さぶっておいて、ルナはそんな言いようだ。本心を探ろうとしても、ルナの方が一枚上手でひらりと言葉で躱される。
 いつも通りのルナの調子にベネディクトはやはりまた揶揄われたのだと思う。真剣に悩んでぶつかり、なんとか言葉を見つけたあの時間はなんだったのだろうか。もしやこれすら、先の訓練の続きだろうか。真正面から行きすぎるな、回り道も覚えろと。
 神妙な顔になるベネディクトの横で、さっさと手入れを終えて鞘に仕舞った剣の柄を指先で叩くルナが言う。やや唇を尖らせているのは、友人の不貞腐れている時の顔に似ていた。
「でも少し心外だな。こう見えて男性に声を掛けられる事だってあるんだ。もう少し悩んでくれても良かったんじゃないかな?」
 ルナの言葉に対して、ベネディクトは二度瞬く。あとか、いやとか、文にならない文言だけが口をついて出た。魅力的に見えていない訳ではないが、それをそのまま伝えるのは如何せん難しい。
 目を白黒させるとはその通りで、ルナはそんなベネディクトの様子を見てひっそりと笑みを深めていた。
「さ、もうすぐ次が空くみたいだ。準備は出来ているかな?」
 さんざ場を掻き乱したルナは、ベネディクトの気持ちを置いてさっさと立ち上がる。手入れ道具を備品箱に仕舞い込み、取手を引っ掴めば終わりそうな訓練場の一区画へと歩き出した。
 得物がルナの倍あるベネディクトはと言えば、布を握り締めたまま手が止まってしまっていたようで二本目がまだ途中である。槍とルナを交互に見やり、呆れともつかない溜息と共に手入れを中断した。
 研磨剤を同じように箱に詰め、二段階留め具がある蓋も仮留めにして、ベネディクトはルナの後を追う。途中目があった訓練終わりの友人達には軽く手を挙げた。
 追いついてまず、一言。
「ずるい人ですね、先生は」
「これも戦略と言ってくれないかな」
 この人に言葉で勝つ日は当分来ないだろうなと、ベネディクトはまた溜息を吐いた。
 先の言葉の真意は、未だ測りきれぬまま。あるいはもう少し堅物でなければ、なにかの答えを得られたのかもしれない。
 日常の一幕に溶けた今日の事は、日々研鑽する中で綻んでいった。ルナと繰り返す鍛錬の日々。友人達と交わす戦術論。覚えるべきことが増え、鍛錬に変化がありはしたが、変わらぬ日々が続くのだろうと思えるほどの満ち足りた平和が此処にはあった。
 ベネディクト=レベンディス=マナガルムは選んだ。この国を守り、進むことを。そしてもう、後には戻れぬ道を。


 ――あるいは、あの時頷いていれば。
「総員、気を抜くな! まだ来るぞ!」
 かつて背を叩いてくれた声は、真正面から聞こえて来る。血濡れた槍は戦場に染まり、これが夢ではないのだと示すように重たい。
 あの時のことを思い出したのは、確かにあれが選択の時であったのだと思えたからだ。過去の選択は現在に、そして未来に降りかかって来る。
 双方向の感情は、必ずしもぶつかり合うとは限らない。すれ違い、そして振り返った時、もう取り戻せない距離と時間が過ぎているのが世の常だ。
 ああ、でも、ひとつだけ言えることはある。あの日々は確かに掛け替えの無いものだった。
「……セレネヴァーユ王国を、守るために」
 もう支えのない誓いの言葉が戦場の音に呑まれて消えた。

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