PandoraPartyProject

SS詳細

泡沫

登場人物一覧

夢見 ルル家(p3p000016)
夢見大名
夢見 ルル家の関係者
→ イラスト

 暗い昏い闇の中。
 水に揺蕩う彼女が見るは、泡沫の如き夢。

…………
……


「これは君の心を守る為の手術だ」
 冷たい目をした丸刈りの男は、何の感情も籠っていない声でに告げた。
 


 憧れて、奮起して、努力して。その果てに、正義を担う一員となれた。
 誇らしかった。父に母に鼻高々と自慢した。卸したての制服に袖を通し胸を張った。
 宇宙の正義を守る一人宇宙警察として精一杯頑張ろうと──そう思っていた。

 暗部に配属されて少し経った今でも、その気持ちは変わらない。



 初めての任務で失敗をした。
 否、正確には成功こそしたものの──ターゲットの生死を見分けることもできずに音を響かせ無駄な弾を使い、苦しめながら死に至らしめ、挙句吐き気に任せて現場を汚した。
 評価は当然下の下。暗殺に成功したのは周囲のお膳立ての結果であって、少女自身の力ではなかった。

 失態はその後も続いた。
 主な任務はずっと変わらず暗殺だというのに、いつまで経っても嫌悪感が付き纏う。
 こみ上げる吐き気を堪え、沸き上がる罪悪感に蓋をして、なるべく苦しめないように。一撃で、一撃で、一撃で。

 嗚呼、違う。私が手に掛けた人達は、悪人で、わるいひとで。
 だから、苦しめないようになんて、そんなことを思っちゃいけないんだ。
 一撃で殺すのは痕跡を残さないためで。苦しめないためなんかじゃだめなんだ。
 私が手に掛けた、私が殺した人達は、わるいひとなんだから。
 わるいひとを殺すのが私の仕事で、正義で。
 そうだ、私が殺したのだ。正義の名のもとに。
 死んでしまったのだ。あのひと達は。
 私が殺したから。
 もうわるいことはできないんだ。
 私が殺したから。
 私がその人生を終わらせたから。
 私が、私が、私が。
 嗚呼。
 ああ。
 あぁ────



 真っ暗闇の中、べとりとしたなにかが足に触れる。
 掴まれた足首は下へ下へと引きずり下ろされる。
 足を掴むなにかへと咄嗟に撃った筈の銃弾は何故か自身の胸を背後から貫いて。馬乗りになった誰かに首を絞められた。
 息ができない、苦しい、くるしい。
 必死に身に着けた体術も、トリガーと連動して飛び出た弾も、全て己を痛めつける。
 痛くて、苦しくて、もがいて、もがいて。
 
 ようやく見えた誰かの顔は、己が殺した「わるいひと」だった。
 お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ!

 頭に鳴り響くその声に、今度こそ、息が止まった。



 そんな夢を見て毎晩のように飛び起きる。
 目を覚ますとまだ夜中で、けれどもう寝付けそうになくて、日が昇るまで夜を明かす。
 気を紛らわそうと武器の手入れを始めれば、瞳に映った手に誰かの血糊が滲んだ。振り払おうと音楽を響かせれば怨嗟の声が耳に響く。せめて美味しいものをと食事をすれば、口に入れたものは殺した誰かの体に見えた。
 日々の生活を、殺した筈の誰かが蝕んでいく。

 快活だった普通の少女はあっという間に憔悴していった。
 人を殺すための技術が磨かていくのと反比例するかのように細くなっていく体。誰がどう見ても限界だろうと思われるやつれ具合。
 上司から精神強化の施術を提案されたのはそんな時だった。
 曰く、心を強くするための施術なのだと。曰く、負の感情を感じにくくなるのだと。
 曰く、怒りや悲しみを──嫌悪感を抱きにくくなるのだと。
 
 そうして、詳しい説明は専門家から聞けと白衣を纏った丸刈りの男を紹介された。



 男はDr.アーカムと名乗った。宇宙警察に所属する研究者兼神学者と称する男を、確かにいつだか署内で見かけた覚えがあった。
「君の上司の説明は、正確には違う」
 感情の籠らない声で前置きをした男は、眼鏡をかけ直すと淡々と説明を始めた。
「技術を説明しても理解出来ないだろうから省略する。結論から言うと、この施術を受ける事で君の心は負の方向に対する耐久度が飛躍的に上がる。負の感情を感じなくなるのではない。言わば、それらに対する許容量が増えるのだ」
 説明する男の視線は手に持ったクリップボードに落ちている。
「人格そのものが大きく変質することはないだろう。多少なりとも影響は受けるが、洗脳の類ではないと考えてくれて構わない」
 少女自身に興味はないとばかりに。
「人体との調和が大切な施術だ。人体の一部を欠損するような出来事があれば破れやすくなるが、ここ宇宙警察ならば生体ユニットで代替品を用意出来る。維持は容易だ」
 男にとってはあくまでビジネスなのだと。
「これは上層部からの命令ではない。君には拒否が可能だ。しかし、今の君の仕事ぶりを見れば、施術を拒否した場合どうなるかは想像に難くないだろう。私はどちらでも構わんが」
 君が一番分かっているだろうと摩耗した心身を指摘する。
「言うなればこれは、君の心を守るための施術だ。選択権は君にある」
 男が顔を上げる。
「どうするかね、夢見ルル家君」
 感情の籠らない目が、を貫いた。



 返事は今すぐでなくとも構わないと猶予を貰った。
 その日の任務が終わり空っぽの自室へと戻る。少女は宇宙警察に入った日から秘密保持のために寮に一人で暮らしていた。
 飾り気のない部屋。最初は色々と小物を置いていたのに。任務が終わり部屋へ帰る度に、少しずつ姿を消して。今ではすっかり殺風景な部屋になってしまった。可愛らしい模様のカーテンだけが唯一の少女らしさだった。
 少しずつ消えていく可愛らしい小物が自分の罪を表すようで。空っぽの部屋が悲鳴をあげて襲い掛かってくるようで。耐えるようにカーテンを握り締めた。
 今日もまた、わるいひとを殺してしまった。

 人を殺すのは悪いことだ。じゃあそれは、誰にとっての悪いことなんだ。
 人を殺すのは悪いことだ。じゃあそれは、何故悪いことなんだ。
 人を殺すのは悪いことだ。親にも誰にも言えない仕事が、良いことな訳がないんだ。
 けれど、ならば、法で裁けない悪人を放置することは良いことなの?
 そんな訳がない。そんなことがあって良い筈がない。
 彼らに傷付けられた人がいる。人生を奪われた人がいる。彼らを殺すことで殺されずに済む人がいる。
 だから彼らを殺すのは、良いことである筈なんだ。
 だから私は良いことをした筈なんだ。
 なのに、なのに、なのに!

 どうしてこんなに、こころがくるしいの。

 嗚呼、ああ、あぁ。
 声が聞こえる。お前のせいだと責める声。
 首が絞まる。殺した筈の誰かの影が首を絞める。
 やめて、やめて、やめて!
 黒い影の腕を掴む。そうして力の限り暴れて、首を絞める手を剥いで。
 ビリ、と何かが裂ける音がした。

 掴んだものは誰かの腕ではなく。手元には裂かれたカーテン。首に巻き付いて、絞めあげて、破かれて。
 壊れてしまった。私の中の最後の女の子。お気に入りの花柄のカーテン。もう使えない。
 虚ろな目で空っぽの部屋を見渡す。
 ベッドの上には大きなクマの抱き枕が置いてあった筈だった。ベッドカバーは可愛らしい桃色をしていた筈だった。床にはふかふかのクッションが置いてあった筈だった。クリーム色のラグを敷いていた筈だった。家族が映った写真立ても、旅行の思い出がつまったお土産も、ずっと一緒だったぶさ可愛いぬいぐるみも、もうどこにも見当たらない。
 全部全部、私が持っていた筈のもの。
 全部全部、私が壊してしまったもの。
 普通の女の子が少しずつ死んでいって、もうどこにも残ってない。
 いい加減認めなくちゃ。
 私にこの仕事は向いてない。

 施術を受ければ苦しくなくなるの?
 もうこんな思いをしなくて済むの?
 良いことを、ただ良いと信じるままにこなせるの?
 この気持ちを忘れた私、この気持ちを感じなくなった私。
 わるいひとを殺すことを正義だと疑わない私。
 その私は、本当に私と言えるの?
 怖い。私が私でなくなるのが。
 怖い。罪の意識が消えるのが。
 怖い。だってそれは、まるで人ではないみたい。

 でも、もう、耐えられない。
 カーテンを取り除いた部屋は、今度こそなんにもなくなってしまった。



 施術を受けると言った私に、Dr.アーカムはただ「そうか」と頷いた。
 手術台に寝転がり光る照明を見上げる。
 響く声幻聴を聞きたくないからと、もう耳を塞がなくて良いのかな。首を絞める手幻覚に、もう怯えなくて良いのかな。天井の光、隅の影悪い夢に、もう襲われずに済むのかな。
 私が私でなくなるのが怖い。人を殺すことへの躊躇を、恐怖を、罪を忘れてしまうのが怖い。まるで殺人鬼に成り果ててしまうかのような幻想に捕らわれる。
 本当は嫌だった。こんな施術、本当は受けたくない。こんな苦しい仕事も辞めて、普通の生活をして、普通に友達を作って、普通に可愛いものに囲まれて。そういう普通の女の子になりたかった。
 でもそれは宇宙警察正義の一員になった自分を裏切ることで。精一杯頑張ろうと、そう思った気持ちに背を向けることで。こんなに痛くて、苦しくて、嫌で、嫌で。それでも辞めるという選択肢は、どうしても選べなかった。それにきっと、辞めるにはもう遅い。短い期間と言えど、きっと辞めるには知りすぎた・・・・・
 どれだけ悩んでも葛藤は止まらない。止められない。悩む間にも任務は次々と割り振られ、私の手は気持ちと裏腹にひとを殺す。幻覚は昼夜問わず襲いかかり、常に悪夢に追われているかのよう。このままでは、いつ周りに迷惑をかけるかも分からない──否、きっともうかけている。
 そして、それよりも、何よりも。もう限界だった。悩むのに、苦しむのに、疲れてしまった。早く解放されたかった。
 もう、楽になりたかった。

「では、施術を開始する」
 淡々とした声で男は告げた。
 そうして私は、諦めと共に普通の女の子であることを手放した。



 今日も任務を終えて帰路につく。
 ターゲットが酷く暴れて疲れちゃったけどそこはそれ。帰りに可愛い雑貨屋さんに立ち寄ることにしたから、自分の中ではフィフティー・フィフティーってことにすよう。
 悪あがきが酷くって、ホルスターにつけていたお気に入りのキーホルダーが汚れてしまったから。良いものがあれば買って取り替えるんだ。
 空っぽだった部屋に少しずつ買い揃えた小物達。可愛いカーテン。クリーム色のラグ。まぁるい壁掛け時計。大きな大きな抱き枕。バッグにつけたしゃらしゃらのストラップ。このキーホルダーも、そんな小物の一つだった。
 あぁ、動いたらお腹が空いてきちゃったな。今夜は何を食べようか。
 ハンバーガー?オムライス?パスタにグラタン?甘いクレープに冷たいアイス、きらきらのケーキだって見逃せない!
 可愛い女の子は、カロリーなんて気にしないのだ。だって運動すれば任務をこなせばノーカンなんだから!
 美味しいものを食べたらふかふかのお布団でぐっすり眠りましょう。きっと今日も良い夢が待ってるの。だからちょっとの寝坊は許してね。
 仕事柄友達は作れないけど、ようやく元の自分を取り戻したの。
 女の子もして、任務も頑張って。可愛さも忘れないで、悪人を殺して。そうして毎日楽しく正義を成すんだ。だって拙者・・宇宙警察忍者正義の一員なんだから!
 ああ、施術を受けて、本当に良かった!


……
…………

 夢を見た。
 泡沫に一瞬浮かんでは弾け溶けゆく昔の記憶。
 「特訓」を積む前、普通の少女だった頃。もうずっと昔のことのようだった。
 白衣の男の声が甦る。繰り返し繰り返し、耳元に響く。
『人体との調和が大切な施術だ』
『人体の一部を欠損するような出来事があれば破れやすくなる』

 がらんどうの右目の奥で、何かが蠢いた気がした。


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