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その乙女は楽園へは行けない
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かつん、と音を立てる。
狭い牢の中に押し込められたサンディがぜいぜいと肩で息をした。
その様子を眺めるのはメアリ・メアリ。美しい女怪盗だ。
ルージュの塗られた唇に、淡い笑みを携える。美しい肢体は黒一色のドレスに覆われていた。
編み上げた髪はそのままに、メアリ・メアリは看守として一夜を過ごすことを『怠惰』だと感じるように息を吐く。
「アンタ、よくもまぁ、抵抗したね」
彼女の言葉は呆れを含み、フギン・ムニンなどの前に居るときよりも尚砕けた調子であった。
サンディは、は、と小さく息を吐く。
「……メアリ・メアリ?」
「何さ」
「怪盗――って聞いたぜ。『本当』なのか、聞いても?」
確かめるように、ちら、と視線を上げたサンディにメアリ・メアリは「まあね」と小さく返す。
サンディ・カルタにとっての『怪盗』とは自由の象徴であった。
何物にも囚われることなく、自由を謳歌し、全てを奪う。それこそが『怪盗』なのだが――その怪盗がフギン・ムニンという男に従っているという理由がサンディには分からなかった。
彼女ではない、もう一人――忠義に篤いという『爪研ぎ鴉』クロックホルムであればフギン・ムニンがそうであるように何らかの『恩』があってのことなのだろうが……。
サンディから見たフギン・ムニンは只、キング・スコルピオに義を尽くし、無能は容赦なく切り捨てる男だという認識であった。
「わざわざ君みたいなレディが『フギン・ムニン』の下についてるなんて。
君は優秀な怪盗だろうけど、フギンにとって用無しになったら切り捨てられる危険性さえある」
「何が言いたいのさ」
「興味本位だよ。俺だって、こんなとこに縛り付けられてまともに動けないんだから一寸したフリートーク昏い付き合ってくれ、麗しのレディ」
ぱちり、とウィンクを飛ばしたサンディに曖昧な表情を見せたメアリ・メアリ。
牢の柵に凭れ掛かる様にしていた彼女は「はーあ」と深い息を吐いてから肩を落とした。
「ローレットの捕虜ってんだから、もうちょっと『ヤバいヤツ』だと思ってたら、案外、ザツなのねェ。
色男のお誘い、断る訳にもいかないし、ちょっとでいいならノってあげるさ」
『マァメイド』メアリ・メアリは夜が更けるまでさ、と小さくそう返した。
どうして、という言葉に対して、メアリはううんと小さく唸った。
「アタシは普通の怪盗さね、なんてことない小悪党って感じの。
勿論、アンタの言う様に『危険』な相手だと思うよ、フギン様はさ」
「なら、どうして――」
「ハッ! 弱味を握られてるわけでもないさ。逃げ出すのだって簡単だよ。
新生・砂蠍ってのはそういう人間が『なんかの理由でひっついて』るようなもんだからね。クロックホルムと違ってアタシは『楽しければいい』って思ってる自分勝手なオンナなのさ」
頬杖をついたまま、メアリはにぃと笑った。
マァメイドの呼び名の通り彼女は美しい女であった。嫋やかな指先に銃を握り、トリガーハッピーな部分を除けば十分淑女としてその名を通せる。
只、彼女は戦いに恋焦がれていた。それこそ、『危険を顧みず』こうした場所に居る位には。
「ほーんと、拍子抜け。
アンタさ、少し話し相手になってよ。此処から元気に出れたら何したいよ」
「はぁ?」
「此処にゃ、フギン様もイナイ訳。その辺の兵士もこっちにゃ興味ないの。
アタシはね、怪盗だもん。そりゃあ豪勢に幸せいっぱいに生きたいわよ」
それが怪盗というものだと聞けばサンディとて納得できた。自身の思い描く怪盗というのはそう言う生き物だからだ。
「アタシね、戦うのが好きなわけよ。でもお宝も大好き。
一人で生きていくにはあんまりな時代でしょ。そういう時にフギン様に拾われたんだわ」
「へえ……?」
「拾われたってのも、利害関係よ。アタシは新生・砂蠍の威を狩りて、フギン様はアタシの能力を使うだけ」
それが一番楽な生き方でしょ、とおんなはからからと笑った。
サンディもそれは知っている。スラムでスリをする彼にとっては盗賊となるべきだと認識するそれに後ろ盾があるだけで十分動きやすく女性にもモテる要素だと認識していた。
メアリ・メアリにとってもそうだ。彼女もスリを行うではなく盗賊と名を名乗り、新生・砂蠍の幹部であるだけで十分な名声を得られる事だろう。生活だって十分に安定するだろう。
「じゃあ、フギン・ムニンが与える『新生・砂蠍』っていう名前がメアリにとっては必要な事だったのか?」
「そうさね。じゃあ、アンタは? 見たトコ、アンタも同じ穴の狢だろ」
匂いがするというメアリにサンディは肩を竦めた。
共に盗賊。スリや盗みを働くだけと言えば一緒だ。只、違うのが所属する組織なだけで。
「まあ、ローレット……だからなあ」
「へえ」
「メアリ・メアリもローレットなら受け入れてくれるだろ?」
「いやだね! ローレットなんて、イイコちゃん!」
笑い飛ばす様にメアリ・メアリはサンディへと言った。
彼女は『小悪党』であることにプライドを持っているのだろうか。あくまでメアリ・メアリと言うおんなが『悪』側であるという矜持はサンディには痛いほど伝わった。
「盗みを働いて、日銭を稼いで、痛い目に合う前に新生・砂蠍の名を出してアンタの生き方だろ?」
「そうさね」
「それならローレットだって」
「アタシはね、ハイ・ルールなんていうオキマリのオヤクソクに振り回されたかないの。
組織だっても新生・砂蠍は『楽』よ。なーにしたっていんだから。アンタとこうして話してる時点で分かンでしょ」
もしも忠義の騎士ならばこんなところで話はしない。
もしも王族であれば全ての言葉に責任を取る。
もしも、彼女がローレットであれば――『悪人を裁く』立場になることもるのだろう。
「アタシは自由がいいの。アンタの看守をしてるのだってアタシの自由さ」
「看守してて楽しいのかよ」
「楽しいでしょ。フギン・ムニンとかいう男に振り回される事も無けりゃ、他のアホに指示する必要もない。
自由に遊んで自由にしてられんだから。ま、色男と話すってのも人生経験にはいいでしょ」
軽口を交えるメアリ・メアリはそうしていれば普通の女だった。
色男と言う言葉に悪い気はしないが彼女の言うそれは何の意味も持たぬ文字列なのだろう。
勿論、サンディも牢に繋がれていなければ麗しのレディーとの逢瀬を楽しんでいるのだろうが……。
現状で彼女は看守で、自身は捕虜だ。その関係性に代わりもない。
サンディが思い描くナンパを想像してみようではないか。
自身と共にと手を差し伸べても「この戦いが終わったらね」なんて雑な反応が返ってくるのは当たり前かと小さく笑う。
「何笑ってんのさ」
「……いや、メアリ・メアリにとっては自由が一番なんだろ?」
「まァね」
「じゃあさ、冗談でも交えて話してみないか?」
「いーわよ。どうせ暇さね。面白ければノったげるわ」
に、と笑ったメアリ・メアリにサンディもにやりと笑う。
例えばさあ、という言葉を交えてサンディはメアリを見上げる。
「俺と一緒に盗賊でもしないか? そのノウハウ、教えてくれよ。
レディに教わるなんて紳士の矜持に掛けるけどさ、素晴らしい能力だと思ってるんだ。どうだろう?」
ちら、と伺うサンディにメアリ・メアリはきょとりと目を丸くしてから大袈裟な程に笑った。
あははあははとその笑い声が牢に反響し続ける。
信頼を置かれてるわけでもなく、何かの弱みがある訳でもなく。
メアリ・メアリは自身に素直な女であり、只、彼女が『こういうおんなだから』こそこの場所の看守になって居るのが分かる。
「そりゃあいいね!」
「なら――」
「でも、アンタのオトモダチは許してくれないさね。
無理だわ、アンタのトモダチに『アタシも味方なの!』とか言わないし」
手を叩く。面白いとでも言う様に。
メアリ・メアリのその様子にサンディは「皆は許してくれるさ」と小さく返す。
「そりゃ、良い世界に育ってんだよ。アタシはローレットなんか抜けちまえって返すけどね。
言ったでしょ。アタシはローレットになんんて入りたかないのさ」
サンディを見たメアリ・メアリは言う。
「ローレットを退けて、アンタが只の一人になったら考えてあげるわ。そしたら、アンタも晴れて自由!
莫迦みたいなオトモダチなんてみんな捨て去って、アタシと二人になったなら一緒に行きましょうよ」
「どこに……?」
サンディががしゃりと鎖を音鳴らして問い掛けた。
女は笑う。あどけない、こどもの様な顔をしてサンディに『友人』に向ける様な声音で。
「楽園さ」
――
――そうして、夜が更ける。
決戦の時は近い。仲間を数人捕虜に取られたとローレットでは士気が向上しているというのはメアリ・メアリの耳にも届いていた。
喧騒がする。
囚われのお姫様を見下ろして、メアリ・メアリははあ、と小さく息を吐き出した。
「――アンタ、羨ましいね」
誰も来ない牢で、ただ、彼女はサンディを見遣った。
「何がだよ」
「オトモダチが沢山いて、囚われのお姫様でも助けてくれるヤツがいるんでしょ。
ヒーローにゃアンタはなれないだろけどさ、ま、今度なるのかもしれないけど」
メアリが小さく息を吐いた。何かを諦める様な――何かを悟っているかのような。
「お前、負けると思ってんのか?」
「――アタシも莫迦なのさ」
サンディは、もう一度、彼女に言った。
「メアリ。ここから逃げてさ、俺と怪盗でもしないか」
「敵にもそうやって声かけるんだねェ、特異運命座標ってのもつくづく莫迦ばっかじゃないか」
頬杖吐いたメアリはくすくすと笑った。彼女の赤いルージュがサンディの視界にはやけに映えて見える。
美しい女の美しい笑みだった。
「バカさ。けど、素敵なレディを護る漢は一番にカッコイイだろ?」
「違いないね。ま、アタシは『守られる女』じゃないわけだけど」
妖艶な女は編み込んだ髪を解き、乱雑に纏め上げる。
「アタシ、死ぬときはキレイな方がいいのよね」
「誰だってそうだろ」
浅くサンディが笑えば、メアリ・メアリは牢越しに彼を見遣ってにぃ、と笑った。
「ま、キレイに死ねるほど甘くはない世の中だけどねェ。
アタシがメアリ・メアリの儘、死ぬならきっとここだと思うさ」
「どういう――?」
「女だからって、襤褸の様に扱われてから死ぬんじゃない、ちゃァんと盗賊の一人として死ねるんだ。
それ程幸運なことはないさ! まあ、金持ちになって生きていたいってのが本音だろけど、そうもうまくは行かない訳だ」
女は、笑う。
彼女にとっての生死はあまりに軽いもので。
もしも、今日死んだとしても彼女には他に残るものがないのだろう。家族も恋人も、何もかも。
羨ましいと言ったのは淋しいという事か。
それでも、その話は御仕舞いだという様に女はゆっくり立ち上がる。
其処に情も感傷も必要ない。
「死んでも恨みやしないよ、色男」
「こちらこそ」
小さく告げた、その言葉にメアリ・メアリとサンディは小さく笑う。
きっと、その日はもう直ぐやってくる。
誰かの声がするだろう。
――攻めて来たぞ。
そこからは敵同士だ。酌み交わす情なんてものは存在しない。
生きるか死ぬか、只のそれしか此処にはないのだから。
「サンディ・カルタだっけ」
「……ああ」
「それじゃ、また『機会があれば』楽園でも行きましょうよ」
それは、小さな秘め事。もはや、忘れるべき只のひとつ。