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Words are loaded pistols.

登場人物一覧

フィーネ・ヴィユノーク・シュネーブラウ(p3p006734)
薊の傍らに

 『世界は明日滅びる』と、そう云われたならあなたはどうするでしょうか。

 大切な家族と、温かい最後の御馳走だとか。
 愛しい恋人と、抱き合って寝台で深い睡りに着くだとか。
 そんな時、掛け替えのない者の首に手を掛けてやるのは大きな掌を持つ父の、男の、役目なのかしら。
 
 ――其れとも。
 
 此れ幸いとばかりに、強く握り締めた拳を憎き相手へと振り下ろすか。
 罪には問われまいと、自分より弱い者を嬲って、痛ぶって、嗜虐の限りを尽くすか。
 あいしていたのだと、そんな尤もらしい言葉を吐いて、犯して、殺すか。

 ――其れとも。

 絶望に咽び泣いて、唯、唯、泣いて、何も出来ずに終わるか。
 此れが一番、人間らしいと云えば、そうなのかも知れません。

●藍の錦も染めきれず、薄透き通れば青のしくじり
 ――と、或る所に、かみさまに愛された娘がいた。
 利発で闊達、活力に溢れ元気を擬人化したような、心身ともに健康優良で見目麗しい娘だ。
 彼女には夢がある、其れは『世界中の人々に笑顔を与える事』。全ての人々が心優しく手を取り合う世界を作る事。
 其の為なら何でもすると、心に決めていた。
 ほんの少し、昔の事。幼い頃の少女は大病を抱えていたが、医者をはじめ周囲の人々の尽力もあり今は完治している。
 痛みと苦しみから救ってくれた、諦めない気持ちと笑顔を取り戻させてくれた人々への恩。勿論かみさまへの祈願いのり感謝いやびだって忘れてはいない。
 そして、今度は自分が其れ等を悲しむ人々へ与えたいと、強く、強く、強く願って止まない様な。
 大であれ小であれ、何かしら後ろめたいものが有る人間に取ってみたら、虫唾が奔って思わず舌打ちをしたく為る程の善良な想いが娘の行動理念だった。
 子供の夢物語であると、一笑に付す者も多かった。所詮は子供だ、何も出来っこ無いと。其れは、娘だって到底自分ひとりで如何にか出来るものでは無いと、重々承知の上である。なので、娘は周りの大人の中でも殊更、何時も笑わないで自分の話を聴いてくれる優しくて大好きな母へ助けを求めたのだ。
 心底真面目に、そして真摯に努力する娘の力に為りたいのですと――母は、傾倒する神へと助言を乞う。
 娘が何の気無しにした様に、そして此の世に生ける大概の者がそうである様に、ふとした時に祈ったり、縋ったりする『かみさま』には明確な名前も姿形も無い。だが、母には確とした神のイメージを持って居る――もっと突き詰めて云うなれば、彼女は邪教の徒であった。
 其の様に清廉潔白で慈愛に満ちた娘であれば、神託を受ける巫女に相応しい。身に神を降ろす事だって――そう、とんとん拍子に話は進み、娘は祭り上げられた。
 ――神降ろしとは、人の身に我らが崇める神を憑依させること。
 ――神の力は、清く正しい人間にしか宿らない。だが、一度宿れば文字通り神の力を行使する事が出来る。
 ――貴女には、其れに足り得る素晴らしい素養を持ち合わせている。
 ――どうです、貴女の力で、世界に笑顔を咲かせたいとは思いませんか?
 其れは、娘にとって甘美過ぎる誘いであった。自分が選ばれた、特別な存在である事。人々を笑顔に出来る事が出来るだなんて! 夢が叶うというのなら、最早断る理由など無かった。嗚呼、嗚呼、かみさまは亦、わたしを助けてくれるのだ――そう、すっかり舞い上がって居た。
 美しい器に注がれるものが、打算と、狡獪。金儲けの為の穢れに塗れた大人達の思惑だと、燻んで行く一方だと、気付いた時には、もう、遅い。
 自死。哀れな傀儡が軀に張り巡らされた絲を断ち切って、罅割れてしまった意思で選んだのはそんな結末。余りに呆気ない死――然して、其れは教団幹部達によって隠匿される事と為る。此れ以上なく体の良い代用品が偶然にも、何とも都合良く『手に入った』ものだから。

 此の世には自分にそっくりな人間が三人は居るだなんて云うが――他人の空似、と片付けるには余りに似過ぎている目の前の物云わぬ娘の屍に、フィーネは背筋がぞっとして、厭な汗が軀中から吹き出る想いだった。
 銀あたたかに、波打つ柔らかな長い髪。悲嘆に暮れ、ずっと、ずっと、泣いて居たのか。泪の跡が残る腫れぼったい其れはもう開かれる事は無いけれど、屹度。自分と同じ色の、蒼き夕靄を内包した双眸であったのだろうと、何処か確信めいたものまで憶える程に。
「……私は、何をすれば良いんですか」
 大人が、十余り。中には武装をして居る者もあったが、フィーネ自身の捕縛は此処に来て直ぐに解かれていたし、況してや危害を企てようとしている風にも見受けられない。此れは経験則であるが、寧ろ丁重に、疵物にならない様に扱われている様にすら感じられる。今は、従順な姿勢を示しておくのが賢明と判断し問うた。『此れは、此れは話が早くて助かる』と、下卑た笑いがひやりとした地下室に谺する。
『其の娘の代わりにね、巫女として座って居て下さるだけで良いのですよ』
「巫女……?」
『ええ、偶に信者に神からのお告げだと聲を掛けて頂ければ、誰もがあなたを彼女と信じて疑わないでしょう』
「そんな事、私は、」
『無論、台本は此方で用意致しますからご心配なさらずとも結構。嗚呼、慣れぬ内は無理に喋らずとも。"今日は何も無かった"、そんな日が有っても宜しい』
「――っ、其れじゃあ、まるで」
『詐欺じゃないか、そう仰る? けれどね、お嬢さん。人は何かに縋ってないと生きられない、か弱い生き物なのですよ』

 頭を、何回も、何回も、何回も、酷く硬い物で殴られた様な気分だった。
 違いない――私だってそうだ、と。そう、思った。
 反論する事も出来ず、そして嫌気が差す程に、其の事を自覚して居る。
 こうして現に、抗う力も持たず、拐かされて来た様に。私は酷く無力だ。非力で、何時だって、何時だって、何時だって、手を繋いで居て貰わなきゃ前に進めない。迷ってしまって、道を見出す事すら出来ず。『支える』だなんて体の良い事を言っておいて、信条に掲げておいて、其の実、支えられていて、守られている。私が縛り付けて居なければ。屹度『お姉さま』は、あの杖を頼りに、ひとりで何処へだって行けるのだろう。
 自己憐憫をして、『そんな事ないよ』と言って貰えるのを待っている。相手を試す様な言動は、唯、相手の心臓にナイフを突き立てるだけと識って居るのに、判って居るのに、止められないのは偏に段違いの自己肯定を得られるからこそ。『良くない事だ』ときちんと叱ってくれる人だって心地良いものだ、だって、どうでもいい存在だったら見捨てれば良いんだもの、厭なら距離を取るだけで終わるだけの其れを、敢えて云ってくれるのは――『特別』だからに他ならない。
 私はそうやって、縋って生きている。自分を『しあわせ』にしてくれる事を。導いてくれる事を。尊重してくれる事を。そして、何より、応えてくれるイメージ通りの人間性の持ち主である事を勝手に期待している。
 強く為りたいと思わない事はない。けれど、其の強さの度合いは、圧倒的で強大な力を前に臆する事無く立ち向かって行ける極少数の人間が持ち合わせる強さではない。風が吹けば倒れてしまう程度の、甘やかされれば喉を鳴らす程度の、謂わば『強がり』が精々であった。
 腑に落ちた。結局の所、楽なのだと、思う。縋って、生きるのは。

●色濃く深く沈めば蒼紺
 『さあ、出来ましたよ』と云う聲に緩りと瞼を上げれば、其処には見知った貌では無い自分。化粧とは此処まで人を変えるのかと感心すらしてしまう。此れが『お姉さま』や、気の知れた友人達の前であれば年頃の娘らしく燥いで居たかも識れないが、置かれてる立場を思うと急に疎ましくてフィーネは眉を顰めた。
 体格すら寸分とて違わなかったのだろう、ドレスもヴェールも元はと云えば前の巫女の衣装だったであろうにヤケにしっくり来る――ひょっとして、最初から、自分は『代わり』などでは無く、彼女其の物だったのではと錯覚する位には肌馴染みも良い其れを纏って――そうして、巫女としての日々は始まる事となる。
 唯一の異和を述べるなら、只管に。肌に満遍なくはたかれた白粉も、脣を象る艶めいたルージュも、目元を彩る紅も、何もかもが、最後の日迄、ずっと。軀に薄い膜を張られた様で気持ちが悪くて、其れで笑顔を作って見せるのが、心底息苦しく思えて仕様がなくバリバリと掻き毟ってしまいたい思いだったと、彼女は後にそう記述した。

 人々は、塀で囲まれた此の場所を『楽園』と呼んだ。男達は地を耕し食物を育て家畜の世話をし、女達は布を織り食事を作り振舞う。其れだけ見れば長閑にも見えるだろうが、幼い子供達は大人とは違い塀の外には出られない。信者の子供であれば親元から離し、才を見出され孤児院から連れて来られた子供も含め、徹底した思想教育が施され、細かい規律の中で個の確立を奪い次世代を担う者達として育て上げられる。彼等が大人になった時こそが本領の発揮どころなのだと聞かされた時から、フィーネはまともに子供達と目を合わせるのが恐ろしくなった。カリキュラムにはご丁寧に重火器の扱い方まで組み込まれているのだから――云うまでも無い。
 決まった時間には、大広間に集い紛い物の神に祈りを捧げ、嘘で塗り固められた搾取する側に都合の良い様に書かれただけの聖典を敬って読み、中心に座る巫女の言葉に耳を傾ける。
 不平も不安も存在せず、類似する感情を吐露する者も居らず――そうすれば、当たり前の事だが諍いが起きる事も無く、皆が笑顔だった。多福感で満ちていて、喩えどんなに些細な成功や幸運でさえ全ては神のお陰だと、入信してから先、有難い事ばかりだと頻りにフィーネに報告するのだ。
 信仰とは、宗教とは、得手して何れも此れもそう云うものなのだろう。其れでも、薄気味が悪くて、逃げ出したい一心で。

 六日目の夜、こう、何の気は無しに告げた。
「明日の明け方、世界は滅びるでしょう」
 だなんて。勿論嘘だった、此れで何事も無く朝を迎えれば神を降ろした巫女の予言は当たらなかったとして御役御免になって、帰れるのでは無いかと踏んだ――皆が目を覚ましてくれるのではないかと淡い希望すらも抱いて。
 阿鼻叫喚の、地獄が其処に形成されていた。皆が明日を憂い、嘆き、涙を流した。そう云う事なら、子供に逢いたいと愬える者も多く、希望通りになった。『なんて事をしてくれたのだ』と幹部には詰られたが全ては後の祭りだった。良いじゃないか、嘘なのだから。恙無く明日は訪れるのだから、何の問題も無いと高を括って居た。
 神の、巫女様のお傍で眠りたいと云うせめてもの願いを了承し、大広間にはフィーネを中心に幾重もの円を描く様にして蒲団が敷かれ、張り詰めた物が漸く解けたフィーネの意識は、其処でとろりと蕩ける様に暗転する。

 軈て大人達は皆、毒を回して飲んだ。子供達には苦くない様に上質な砂糖と一緒に混ぜ込んだクッキーが配られて、咽び泣き、美味しいねと食べ、そうして。
 一口、鼓膜を破って種子が芽吹く。
 二口、其れは鼻腔から。
 三口、吐き出すより早く、舌を圧迫して幹が育つ。
 鋭い痛みが目蓋を抉って突き破る。ぱっぱっぱ。ぱっぱっぱ。静かに、辺り一面に絶望が花開く音がする。
 苦しみに聲を挙げる前に。支配されて行く意識の水底で、膝を折って、手を結んで、祈り乍ら瞼を閉じたなら――

「――嗚呼」
 七日目。
 大きな窓硝子から差し込む眩い朝焼けで、張り巡らせられた根元の真ん中に在るフィーネが目を覚ました頃には。
 遍し全てが、嗄れて、息絶えて居た。悪趣味なオブジェクトの様にも感じられる程に等間隔で整然と、己へと平伏し『死』は敷き詰められて居た。
「嘘の心算だったのに、」
 縺れ合い、絡み合い、まるで天の神へ救いを求め手を伸ばす様に大きく育った樹に背を向けて走り出す。塀を潜り、活気付く前の人が居ない市場を駆け抜けて、独り、路地裏で吐いて――嗚呼、嗚呼! 其れからの事は、余り、覚えて居ない。

 日常に戻って行く最中で、唯――最後の最後迄。実の母親ですら見抜く事が出来なかった、誰にも弔って貰えず、墓が建てられる訳でも無い、ひっそりと死んで行った、未だ彼の瓦解したちっぽけな楽園の地下室に在る筈の――もう一人の『私』の事だけが、気に掛かった。

  • Words are loaded pistols.完了
  • NM名しらね葵
  • 種別SS
  • 納品日2020年08月19日
  • ・フィーネ・ヴィユノーク・シュネーブラウ(p3p006734

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