SS詳細
鶍の嘴、雲雀に鳴子
登場人物一覧
静かな夜だった。草木も風も帳の中に眠り、闇に生きる者達とて夢に遊ぶ。そんな時分に蝋燭灯りがゆらゆらと奇妙なふたつの影を浮かび上がらせる。
そこは忍集団『暦』の混沌世界に数ある隠れ家のひとつ、その母屋から離れて建つ厩の中。馬一頭、鷹一羽、それから——馬の寝床として敷かれた藁の上、寝床を仕切る柵に止まった鷹の視線の先に丸くなっているそれは——黒い着物を纏った黒髪の少女、彼らの主人が寝息を立てていた。
「流星もまぁ人恋しいんだろうな、すっかりこうでなきゃ眠れない癖がついちまって。ずっとそれに付き合ってきた俺にも非はあるんだが」
「なんだかんだと貴方は甘いんですから……」
「此奴の兄貴分なもんでね」
それは普通の人間には鷹と馬の鳴き声にしか聞こえない応酬。流星と呼ばれた少女であればギフトや疎通スキルでもって通訳してくれたかもしれないが、残念ながら夢の中である。
「そういえば玄、貴方と流星さんの馴れ初めをきちんと聞いたことがありませんでしたね?」
「あぁ。長くなる上に根深い話になるからな、聞かせてやってもいいが他言無用だ。勿論、流星にもだ」
「……貴方がどこまで知っているのかは計り兼ねますが、私も勝の名を戴いた身です。主人の、相棒の、そして同僚のことで、無知を理由に駆け付けられぬような日が来ては切腹ものですよ」
獲物を見据えるような鋭い瞳を向ける『玄』と呼ばれた赤みを帯びた黒色の鷹。応えた暗い藍色をした『勝』と名乗る馬もまた、敵地を駆ける覚悟を秘めた強い瞳をしていた。
それを了承と受け取った玄は再び視線を流星に戻し、ゆっくりと語り出す。混沌ではないどこかで起きた、恋と不運が生んだ悲劇の物語を。
昔々、とある商家の跡取り息子が外国へと留学に出た。
彼の祖国は神威神楽の文化に近く、もう少しだけ発展した国だった。完全に交流を絶ってはいないが、外の国のものがまだまだ珍しがられる程度には閉鎖的な性質も似通っていた。
そんな情勢でわざわざ息子を留学に出すくらいには彼の実家が裕福で、先を読んで外へ商機を探す商人らしい家だということもわかる。
しかし、まさか彼がその遠く離れた地で神隠しに遭うなどとは予想もしていなかっただろう。正確には、自ら異国の神域に足を踏み入れたのだ。まるで運命に誘われるように。
深い霧の烟る人ならざるものの森の中。そうとは知らずに彷徨う男は美女に出逢う。その正体は神の遣い。人の姿を真似て迷い人に手を差し伸べようとした神鳥の鷹だ。
そこまでは良かった。古くから神秘と共存してきた国であれば、迷い込んだ者がそこに棲む存在に遭遇するという話は数多く伝わっていた。
問題はその後。彼らは惹かれ合い、短くない時間を共にし、遂には子を成したことでこの物語は悲劇へと転じるのである。
我に返ったのは神鳥だった。
自らの領域を持つ神ならいざ知らず、たかが遣いの鳥が人を拐かすなど許されない。ましてや子までもうけて、この先どうしようというのだ。
きっと彼はここにいては長生きできない。半分は人である子とて影響を受けることだろう。愚かな鳥の身勝手な思いで囲い込んではいけないのだ。彼を、我が子を、人の世へ帰してやらなければ。
そうして、愛するが故に決別を選んだ。
「子供を連れて、家族のもとへ帰りなさい。私は共に外では生きられないけれど、どうか忘れないで」
なかなか頷かない愛しい男の腕に眠る幼子を託すと、大きく美しい鷹に変じて飛び立った。大事に大事に狭間まで送り届け、再び翼を広げて舞い上がった後はもう振り向くことはなかった。
無事に現地民に発見された時にはそれなりの騒動になった。内外の時の流れの違いから行方不明は2ヶ月程度だが、神隠しに遭った男が謎の赤子を抱えて戻ったのだ。本人の証言を信じるなら『命の恩人との子供』だ。どう考えても日数が合わない。
黒い鷹の羽根をその柔らかい手でぎゅっと握り締めて離さない男児は、しかしその面立ちが男性にそっくりで、瞳だけは青く燃える星のような透き通った青色をしていた。
連れ立って帰国した彼らを待っていたのは、報せを受けた実家の面々からの怒号だった。
大事な跡取りが異国で素性も知れない女に産ませた子だ。嫡子とするには難があるし、とにかくどう扱っても外聞が良くない。商家にとって不利益にしかならない存在だった。
親族一同が出した答えは彼に正式な嫁取りをさせ、赤子は山の上の寺に入れること。どれだけ似ていても赤の他人、ただの可哀想な拾い子だと押し切って、それなりの寄付と共に放り投げたのだ。流石に気が咎めたのか、直接にも間接にも命を奪うようなことはしなかったが、迎えに行こうとする彼には『無事に嫡男が産まれたら』と嘯いた。
暫くののち、別の商家の娘と婚礼の儀を執り行った日に、男児は山寺から姿を消す。それを数ヶ月も経ってから知った男性は絶望して海に身を投げた。嫁は既に彼との子供を身篭っていたおかげで血は続いたものの、以後この商家では禁忌として『異国のものを家に入れてはならない』と語り継いでいくこととなるのだった。
「……なんでこんな話をしたかって?そりゃあ、その消えた男児こそが俺だからさ」
そこまで語った玄は言う。
「この通り、鷹として山で生きてきたさ。母さんの庇護下からは出ちまってるから帰れもしない。それならこっちの方がよっぽど楽ってもんだ」
「ただの幼い人の子がひとりで生きていけるような世界も、そうは無いでしょうからね……」
勝は藁に眠る少女を見下ろし、睫毛に瞳を隠す。
「神鳥の力も無いことは無い。だから父さんの最期も、母さんが随分と悲しんでたことも知ってる。でもどうしようもなかった」
所詮は合いの子。人としても神鳥としても非力で、吹けば飛ぶような弱い存在だった。力は、と問われれば「混沌肯定とやらで消えちまったよ、今じゃ立派にただの鷹だ」と笑うような声。
「まぁ俺は恨んじゃいねえよ。人だろうとなんだろうと思考する以上、思い違いも行き違いも当然起こるもんだ。相手を思ってのことだってんなら、笑ってやるのが何を言うより慰めになんだろ」
俺のことはこのくらいで、と話を切った玄も視線を流星へ落とす。
「ここまで言えばわかってくるだろ、彼奴がどうして親元にいないのか」
勝の真っ黒な瞳が玄を見据える。静かな夜に息を飲むような沈黙がひとつ、ふたつ。
「その異様に『異国』を嫌うようになっちまった家ってのが流星の生家だ」
「では貴方は」
「血の繋がりのない親戚くらいの間柄ってことだ。まぁ明かすつもりは無い」
俺はただの兄貴分で十分だ。その時、告げる彼の視線に込められた感情を、常から向ける優しげなそれの意味を、勝は理解したのだった。
微睡む瞼の奥の色を見るように、少女の寝顔を眺める一羽と一頭。
「あの青い瞳を疎まれて家族に売っぱらわれたんだとさ」
「けれど、この子には流れていないのでしょう? 貴方や母上の血は」
「染み付いてた残り香みたいなもんが強く出ちまっただけだ。ご丁寧に鷹の羽根まで握ってきちまったんだからどっちにとっても不運な話さ」
神鳥の子を粗末にした罰か、絶望に沈んだ先祖の怨念か。まるで語られてきた『禁忌の由縁』そのものな流星を見て周囲がどう思ったかなど想像に難くない。
それでも全ては過去だ。玄は器用に肩を竦めるような仕草をしてみせながら続ける。
「売られた先の貴族の趣味が悪かったのも不運か。異国の色を好んで毎日ドレスを着せては愛でて、まるで着せ替え人形。すっかり異国のもんが嫌になっちまった訳だ、自分も含めてな」
生家では腫れ物扱いだった彼女は自分を閉じて感情を鈍らせるのにも慣れっこだった。それでも、幼い心は柔くて脆い。すぐ目の前にはいつでも限界が見えていた。
「突然聞こえたんだ。ぶつんと何かが千切れる音が」
それは小さな少女の心の音、悲鳴、慟哭。
「名残が濃いってことは、多少なりとも繋がりがある。俺に聞こえたんだ、海を越えて届いたんだだろ」
次に響いたのは声だったという。
「愛しい子らにどうか安らげる居場所を……何年振りだかも忘れた、母さんの声さ」
一瞬であれ、強く感じた繋がりを頼りに玄は飛び立った。そこで出逢ったのが、夜の闇に消えそうなほど弱々しい黒鷹だ。
「それが流星さんだと?」
「与えられた願いの影響で俺らに近しいものになってたんだが、ほんの短い時間だけ、本人に至って心身共にぼろぼろだったから今も夢か幻覚だと思ってる」
そこからは二羽寄り添うように、人里離れた森の中まで飛んでいった。
「そこで此奴が力尽きてな。人に戻ってピクリともしない。とにかく誰かに見つけてもらわにゃと、まぁ鷹に出来んのは鳴いて上を旋回するくらいだが」
「そうして暦の方々に助けていただいたのですね」
「運良く、いや母さんの願いに導かれて、か。隠れ家の近くまで辿り着いてたおかげで、ナナシと水無月が気付いた」
「玄。恩人であり、現在は上司でもある方を呼び捨てにするのは礼儀に反する行いです」
小言を聞き流して玄は話を締め括る。
「その時の後遺症をこっちの世界じゃギフトって呼ぶらしいな。鷹と同等の視力を得られて俺とも意思疎通が楽になる、名付けるならそうさな……『beorc』ってとこか」
その意味を問いかけた勝の足下で黒い少女がころりと身動ぐ。その唇が形作る小さな幸せの形に一頭と一羽は頷き合った。そうだ、これこそが誰もが求めた結末なのだ、と。
母の手助け。新たなはじまり。あの日、彼女は正しく生まれ落ちた。
厩で紡がれるふたりの誕生秘話もこれにて閉幕。