PandoraPartyProject

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流転

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彼岸会 空観(p3p007169)

 人で非ず。
 鬼で非ず。
 その何方であるかなど、無量は気に止める事はしなかった。ゴッホの描く花の如く込められた意味合いにて様々な側面を持っていようとも構いやしない。それは己が内に存在するはずの記憶が記憶階層ごとごそりと喪われていようとも、だ。自身の心臓が脈打てば、自身が動く道は存在する。我とは何か。そう問いかける事を行わなかったのは心の臓に血潮を巡らせる様に沸き立つ妄執が存在したからだ。想いは忘れども記憶媒体に刻み付けられた存在意義が如く『斬る』という妄執は女の体を突き動かした。
 己の使命は『悩める衆生を救う事』であった。『救う』と云ふ言葉に込めた意味合いが普遍的な人々と大きく違えていた事は知っている。倫理の上で自身の思考そのものを否定する者が居るのも承知の上だ。承知した上で、命を奪い彼岸へと魂を送ることでしか達成できないのだと強く、強く信じていたからだ。それ故に救いの刃を振り続けた。
 それも――召喚を経て、混沌世界へとその身を置き、齎される儘にローレットの仕事を熟し海洋王国の大号令を受けて、あの絶望の名を冠する海へと出るまでだ。

 ――こうごうへと堕つる世界を『視』せられた。

「ふふ、ふふ―――救ってよ。私がこの病を背負っているから。
 貴女はこの業を全て奪いに来てよ……待っているわ。待っているから」
 その声が。
 その存在が。
 自身に有り得しない心を震わせたのだ。

 すべて、分かってしまった。
 全てである。鏡の魔種『ミロワール』。彼女による投影が彼岸会 無量という女を取り戻させた。
 鏡は自身を映す。それ故に、妄執という鎖が綻んだのだ。鬼である自身は、その向こう側に立っていた『人』の姿を真にまなこに映したのだ。
 人を救う為に刀を手に取った。
 両親を、妹をこの手に掛けたときに誓った――筈だったのだ。
 此岸には救いはないと悟った。此岸より彼岸に渡る事こそが救済であると彼女は血濡れの獄道を歩んだ。
 救済が為、救済が為、数多を葬る。
 救済が為、溢れる血を見続けたその胸は戀が如く高鳴り、歪み、捻じれ、生殺与奪の理由すらそこにはなくなった頃、その額より角が生えた。
『苦しむ者を、もう、苦しまずに済むように救う』と。それは飢餓に、疫病に晒される民草の苦しみを絶つが為の一太刀であったのだ。
 怨嗟を吐かれようともこれが救済である。憎悪されようともこれが救済である。畏れ慄かれようともこれが救済なのである。
 ――最早未来も潰えた者達へのせめてもの供養にと経を唱え、苦しむべからずとその命を斬り伏せた。

「なのに、何故……」

 疑問が首を擡げた。その場には彼岸会 無量という女しか存在しない。
 唇より漏れ出でた疑問は今まで存在していなかった感情で動作しているかのように酷く鈍い音をさせた。錆び付いた言葉に畏れるように感情が流れ込んでいく。
 いつから。いつから――私は『斬る事が目的となっていた』?
 妹、無量の名を騙り人を斬った。歳を取らぬようになったのは永劫の美貌を手に入れたのではない、枷が如く己を今世に縫い止める。人を斬り、その血を啜り飲んだ。その様子を民草は悪鬼と、朱呑童子と呼び畏れた。
 ――いつから私は、自分が鬼に身を窶したとしても己の行いは正しいのだと、思い込んでいた……!?
 背筋を走った恐怖心は悍ましさの形をして雫と化した。指先が震えた。足先の感覚を失ったかと思えた。
 この体には垢のように無数の業が張り付いている。亡者の怨念が如く伸ばされた手が肢体には雁字搦めとなり、背負うにも余りに重い。鬼より掬い上げた『人の心』はその重みに耐えかねた。耐えかねて叫ばんとした喉奥より絞り出された結論は。『鏡の魔種』と、そう名乗った彼女を――ミロワールという名の乙女を殺すことであった。


 その根源となったのは怒りという感情であった。鬼の抱いた憤怒の如く、自我を保つために他者の命を犠牲にしなくてはならない。重荷であったそれを、振り上げた拳を降ろす方法が一人の『殺さなくてはならない宿命と因果の相手』の命を以て為さんと考えたのだ。そうしなくては彼岸会 無量と言う女は壊れてしまう。無残にもその姿を遺すことなく潰えてしまう。誤った道程は戻ることさえ出来ない。最早、人へと救いを与えることなど出来なかった。救わんとして振るっていた筈の刀は血を吸い、喜びを覚えている。快楽にも似た度しがたき感情でその手を血で濡らし生き血を啜る悪鬼となるしかないのかと絶望した。
 絶望。絶句。そうして――彼女を殺すことで、『本当の私』を無かったことにしたかった。彼女が映した紛れもない『本当の私』という存在が、彼女という鏡を喪えば二度とは見ることはないと。そう、思っていたから。

「ありがとう、無量。『また』今度、目が覚めたらお茶をしましょうね」

 そっと、抱きしめる腕のなんと温かい事か。小さな背丈で、白い指先で、魔種のその身が無量に体温を分けようとする。涙雨が降っている、と囁けば、彼女は「雨って止むらしいわ」と耳朶へと零した。止まなければ、彼女の最期を見ることが出来ない。鏡を割り、無かったことにしたかったというのに――どうしてだろうか、彼女が最期の眠りにつく刹那、感情は濁らず、言葉は溢れず、唇は震えていた。刀を振るう事を畏れる等、まるで人ではあるまいか。自身は鬼であったのに。畏れるは我が身に宿った心だとでも、そう言うか。
 妹を殺し、魔種となり、業を背負い続けた鏡の魔種。自身の情を汲んだ愛しい人を殺すが為に手を貸して、その怨嗟に飲まれて神に縋った。目覚める様に『命』を賭して――その最期がイレギュラーズに囲まれ、微笑みと悲しみの涙の中で淑やかな葬送を送ったのだとすれば。走り抜けるように、花畑で愛を謳った。胡乱な言葉を沢山掻き集めて、約束の花束を抱えて、感謝と眠りの挨拶を口遊んだ。それは、幼い子供の我儘のようで、彼岸会 無量にとって新しい感情を与える為の短くも長い時間であったのだろう。
 気付いた。気付いてしまった。気付きたくなかった。気付きたかった。感情が揺らぐ、揺らいで、自己の心を作り出す。いや、元から存在したのかも知れない。それが自身の感情であったのかも知れない。箪笥の中に仕舞い込むように固く蓋をし続けたのだろう。
 誰かを救いたかったのではない。誰かに救われたかった。
 病を伏す者達を介錯していれば、自分も何れは同じ病となるだろう。
 飢餓に苦しむ者を叩き斬れば、その業で自身も因果に地へと伏せるだろう。
 そうして『次の誰かが私を助けてくれる』筈だと。そう、願っていた、願ってしまった。気付いた、気付いてしまった。

「無量」と呼ぶ。淡い声。まるで実態さえ眩むような深海の色彩をその身に宿した娘。深き海を映した彼女。
 セイラ・フレーズ・バニーユに救われるように海の底で二人きり。彼女と秘密の話ささめきごとを繰り返す。
 イレギュラーズに救われるように映し込んだ海の上。皆の手を取り微笑んで、踊るように命を賭した。
 花畑で眠る前まで――誰かを救い、誰かに救われた。それが、彼女。鏡の魔種――シャルロット・ディ・ダーマ。

 ならば。
 嗚呼、もしそうならば――

 私のような者でも今からでも、遅くはないのだろうか。
 彼女が背負った重荷を下ろせた様に。振り上げた拳をゆっくりと下ろしたように。
 誰かに救いを求めても、誰かに救いを与えても、良いのだろうか。

 ――開いてはいけませんよ。

 小さな約束。そんな行為こころを彼女へ送る。深い海色の眸はどこか詰まらなさそうに瞬いて、次の言葉を待っている。

 ――……いけませんよ。
 何時の日か、目覚めた時にはお茶をしましょう。ビスコッティさんと、此処にいる方達皆で。

 鬼が、笑わせるではないか。こんな、人のような言葉を今更に向けて約束の希望と奇跡を乗せて。
 指切りげんまん。嘘吐いたら針千本飲ます。児戯の如くその仕草を好ましく思った小指の先は繋ぐ場所もなくとも、手渡した約束は忘れられぬ事無くその胸に抱かれた。
 同じね、と笑った『鏡』に惑いを告げれば彼女は何と言うであろうか。
 屹度、彼女であれば「馬鹿ね」と笑うのだろう。その手を伸ばして抱きしめて、イレギュラーズを映した魔種は誰よりも無害な女の顔をして。
「あなたは立派に人よ」なんて、嘯くように唇が奏でるのだろうか。あの青空の下、似合わぬ深海の色から徐々に空色に染まるように。
 人に非ず。鬼にも非ず。だが、紛れもなく感情は彼女が見つけてくれた。道は彼女が示してくれた。
 縋る縁を喪ったわけではない。導があれば辿って行ける。
 立ち止まらぬ様に。震えた足に力を込めた。稚児のように歩み方を知らぬこの身であろうとも――

 光明見えぬ道であろうとも――私は背負った業と共に、生き続けねばならない。

  • 流転完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2020年08月08日
  • ・彼岸会 空観(p3p007169

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