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【いほこで!】異世界でキツネが弟子になった件
登場人物一覧
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ギルド『文化保存ギルド』。
そこは、自分達の知っている人や、文化、歴史などを記し、残すべく1人小柄な旅人女性が立ち上げた場所である。
あの日の昼下がり、ギルド内のテーブルを2人の女性が挟んでいた。
片方はこのギルドの設立者、ピンクの髪をツインテールにした司書、馬の骨、紫苑の君とも呼ばれる『天才になれなかった女』イーリン・ジョーンズ(p3p000854)である。
彼女はギルドの仕事を進めようと白紙の羊皮紙へと何やらインクで記していく。それはイーリン自らが見聞きした無辜なる混沌の記録だ。
執筆を進めるイーリンの向かい側では、銀髪オッドアイの狐の獣種、『策士』リアナル・マギサ・メーヴィン(p3p002906)が卓上に書物を広げて座学を行っている。
イーリンとリアナルは師弟の関係にある。普段から、イーリンはしっかりと弟子の面倒を見ており、このギルド内や近場のカフェなどでお茶会など開いたり、直接指導に当たったりしていた。
「師匠ー、午後も座学かい?」
少しうんざりした表情でリアナルが訴えかけると、イーリンは当然とばかりに頷いて。
「そうよ。練達の技術について知りたいのでしょう、リアナル?」
リアナルは血筋として習得していた魔術を捨て、恋焦がれて齧った巫女を辞め、現状は練達の技術に身を委ねている。
今のところ、彼女はその興味を失うことなく勉学に励んでいるようで、今回はイーリンも可能な範囲内でそれらの資料を調達できたらしく、リアナルへと提供……貸し出している状況らしい。
「外は暑そうだね」
「そーねえ」
2人はそれぞれ別の物事に進める間、時折言葉を交わし合う。
昼食後、昼下がりともなると窓の外から差し込んでくる夏の陽光はかなり強いが、部屋の中は魔術による冷風もあって心地良い。
「ん~、わからん。さっぱりわからん」
ペンを置いたリアナルは程よい満腹感もあって、少しばかり眠気も覚えてしまっていたようである。
それでも、目の前にあるのはイーリンが与えた課題らしく、リアナルはなんとかやり切ろうと書物とのにらめっこを再開する。
執筆の手を止めたイーリンはそんなリアナルをじっと見つめて。
(そういえば、弟子をとるなんて思わなかったわ)
イーリンは徐に物思いに耽り、少し昔へと思いを馳せる。
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リアナルの弟子入りについては、イーリンはややあやふやな部分もあり、どういう状況だったかまでは詳しく覚えていない。
ただ、すでに取っていたもう1人の弟子と同様に押しかけて来たことは覚えている。
それは町中での出来事だった。
幻想王都メフ・メフィートを中心として街角で顔を合わせるようになった彼女達だったが、ある日出会ったタイミングのこと。
「のう、師匠」
「師……何?」
何気なく、リアナルが師匠呼びしてきたことに、イーリンは少し驚いてしまう。
「いや、何。私、今日から師匠の弟子になろうと思うんだ」
リアナルのそんな主張に、イーリンは呆れてしまって。
「あのねぇ、押しかけ弟子はすでに一人居るのよ。貴方までどうして?」
すでに、ホタテの海種の女の子を弟子にとっていたイーリン。
それを知ってなお、リアナルは悪びれもせずに弟子入りの理由をこう返す。
「弟子をとるのに理由がいるかい?」
カッコいいことを言いつつも、お願いしている立場なのはリアナルである。
「いるわよ! はぁ……まぁ、いいけど」
「うむ、今日から厄介になる」
ツッコミつつも、イーリンはあっさりと弟子入りを承諾したのだった。
その後はもう1人の弟子と同じように、イーリンはリアナルと対する。
イーリンは弟子が求める知識や能力で必要な物を提供し、状況に応じて他の専門家を紹介するスタイル。
今もそうだが、イーリンは弟子が向上心を持って当たることには最大限のバックアップを行う。
必要であれば、他の専門家などを紹介する。知識はともかく、技術的要素など自分では賄いきれない部分を教えてもらうよう斡旋する。
そんなイーリンが唯一にして、最大の矜持として弟子達へと伝えているのは、『死ぬのだけは、死んでも避けろ』ということ。
気分屋であるリアナルは戦いが苦手と言っていたのをイーリンは思い出す。
強敵を前にし、リアナルはどう判断するのか。混沌における戦いは危険な状況に陥ることも少なくなり。リアナルは窮地でイーリンのこの教えをどう思い出し、行動するのだろうか。
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イレギュラーズとなったリアナルは、しばらく依頼へとこなしていたのだが、元々戦闘は苦手に感じながら活動をしていた。
とはいえ、ローレットに所属していれば、そうも言ってはいられない。
例えば、南北から『新生砂蠍』と鉄帝軍が侵攻し、幻想軍を追い込んだ<ジーニアス・ゲイム>。魔種ベアトリーチェが天義を落とそうと企てた<冥刻のエクリプス>……。それらは文字通り、国が揺らぐ規模の事件であった。
おそらく、リアナルの故郷である練達でさえも、いずれは例外でなくなるかもしれないという危機感が彼女にはあったのだ。
「今のうちに、多くを学んでおかないとな」
仮に故郷が危機に陥った場合に救うだけの力を身に着けるのなら、学ぶ場はどういう形であれ必須。だが、生憎とリアナルはさほど顔も広くなく、交友も深い人間で学ぶことのできる相手もいない。
「むう、どこかにいないかな」
顔が広くて、なおかつ自分と知り合いで、しかも何か頭教える手間をかけてくれる都合のいい女は……。
「……イーリン殿、か」
そこで、リアナルが思い浮かんだ候補の中に、イーリンがいた。
彼女とは当初、ほとんど同じ依頼を受けることがなかったし、たまたま一緒になったとしても同行者の1人といった程度の認識でしかなかった。
幻想での事件が多くなるにつれ、リアナルにとって苦手だった『戦闘を伴う依頼』に参加せねばならない雰囲気になった時、イーリンは彼女へと助言をくれた1人といった程度の関係だった。
依頼は数人の助言を受けて何とか成功し、もう1人助言をくれた人とどちらの門を叩くかとリアナルはしばし迷う。
その決定打となったのは、「たまたま」街角で遭遇し、「会話する機会」があったイーリンだった。
リアナルはその日、そのまま勢いで自らの思いを伝え、弟子にさせてもらった。
なお、イーリンが普段から言っている『死ぬのだけは、死んでも避けろ』という教えに対し、リアナルはくっくと笑って。
「師匠、死ぬのだけは死んでも避けろと弟子に言うなら、危ない目に逢いにいくのはどうかと思うぞ」
少なからず、皮肉を言える程度にはリアナルもイーリンの言葉を受け止めているようである。
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改めて、ギルド『文化保存ギルド』。
会話が途切れれば、部屋の中は時計の針が時を刻む音が響き、稀にイーリンが羊皮紙を捲る音が割り込んでくる。
座学に飽き飽きしながらも、冷えたドリンクを頻繁に口へと運ぶリアナル。
ずずずずず……。
敢えて音を出す当たり、テンションがかなり下がっていたようだ。
「あ~……」
「…………」
「っと、んじゃ、やりますかね」
しかし、イーリンの視線を気にしたリアナルはすぐ、再び座学へと勤しみ始める。
全くやる気がないというわけではないらしく、しっかりと勉学に励もうとする当たり、師匠としては好感を抱かせた。
(そういえば……)
昔を振り返っていたイーリンはもう1人の弟子と同じ疑問をリアナルにも抱き、質問する。
「そういえば貴方、どうして私に弟子入りなんて考えるようになったの?」
「うん? さあどうしてかね」
座学の手を止め、リアナルは楽しそうににやけて。
「師匠に惚れたからと答えれば、満足かい?」
くっくとドヤ顔で師匠を茶化すリアナルに対し、イーリンは僅かにムッとした顔をしてから再び羊皮紙に視線を落とす。
「……後で筋トレメニューに追加するから」
「おい?!」
荒ぶるようにペンを走らせ始めるイーリンに、リアナルがすかさずツッコミを入れる。
このクソ暑い中での筋肉トレーニングなど、地獄である。
「頼む、イーリン。考え直してくれ!」
「ダメよ。しっかり課題をこなしなさい、リアナル」
必死に師匠へと訴えかける弟子に対し、イーリンはすました顔をして知識の砦の作成を進めていくのだった。
(続く)