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晴人の欠片
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- ハロルドの関係者
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地獄などという世界は幾度も経験した。
血飛沫が地を満たし。
苦痛の叫びは天を穿ち。
幾つも幾つも乗り越えた。
だが――
「どうした晴人ォ!! この程度でかような叫び声を挙げるとは、鈍ったかァ!!」
やはり『この』地獄だけは何度経験しても慣れるモノではない。
鉄帝の山中。叫び声を挙げるのはハロルドだ。
原因は眼前の人物。自らの恩師にして同じ世界より至りし者。
「騎士団時代を思い出せェ! このような訓練など幾度も行ってきただろうが――!」
「だ・か・ら・だ・よッ! あの頃を思い返しちまってるからだろうが――!!」
――アレクサンダー。
彼もまたこの世界へと召喚された旅人だ。かつての世界では『聖都』という地において神殿騎士団の団長を務めていた人物で、ハロルドとも実に……ええ、うん。実に交流があった訳だが……
今行っているのは交流と言うには生易しい、むしろ拷問の『地獄の24時間耐久組手』である。
神殿騎士団名物耐久組手はその名通り一日ぶっ通しで行う。倒れようが関係ない。
限界なら治癒魔術を施そう。そうして意識を取り戻させて続行――
逃がさない倒れさせない眠らせない。
時間は一体幾ら経った? うっかり鉄帝を歩いていたハロルドが突如背後より襲来したアレクサンダーに拉致され――であれば同じ時間を共に経験している筈なのだが。
このハゲの体力は無尽蔵か。そう思わざるを得ない程に意気揚々。
――口からまた叫びの声が漏れた。
耳に届かない。喉が揺れているのは感じるのに、ああこれはそうだ。体力の限界か。
懐かしい。神殿騎士団で幾度も行ったこの組手……あの頃から容赦を知らないアレクサンダーには魔族を殺す為の総てを注ぎ込まれる。
その度に――ああ――
『彼女』が心配してきて――
「――よし。休憩だ」
瞬間、意識が覚醒する。
またトんでいたのか。時間は一体どれ程? いやというか今。
「あ、ん、ぁあ? 休憩?」
とんでもない単語が聞こえてきたような。
まだ脳内の混乱が残っているのか? そんな理性ある言葉が出てくるなど……
「晴人」
瞬間。
己が目の前に差し出されたのは――一つのペンダント。
いわゆる『ロケットペンダント』と称されるタイプのものだ。見覚えが、ある。それは。
「貴様がかつて置いていったこれを返す」
「……なんでそれをこの世界でまで持ってんだよ」
かつて、ハロルドが聖都の世界に居た折。ハロルドは『とある理由』から騎士団所属のペンダントを返却したのだ――が、それこそ今アレクサンダーが持っているものだった。
見間違う筈もない。しかし。
「それは返したもんだ。今更いらねーよ」
受け取る訳にはいかない。
「そして。おれは『晴人』じゃない――『ハロルド』だ」
それは名と共に捨てた物だ。
……そもそも『ハロルド』とは彼の本名ではない。正確には結城 晴人。
それこそが彼の本名である。彼は――そもそも世界を跨いだのはこの混沌の地が初めてではない。元は地球。その中でも大阪と呼ばれる地に住んでいた青年であって、聖都にはそれこそ『召喚』された身なのだ。
当時対立していた魔族との戦いの為。魔王を倒す事を期待されていた、が。
戦いとは程遠い日本の地出身の晴人には一つの信条があった。
それは『人殺しはしない』というもの。
如何なる理由があろうと決して成してはならぬモノ。
或いは魔族達が暴虐の限りを尽くす化物であれば話は別だったかもしれないが、彼らは人を家畜と見なしている以外はほぼ人と変わらぬ種族であった。傲慢にして他者を下等に視るその心は如何かと思うが……しかしそんな程度は、人にもいるのだ。
ならば何故彼らを殺すのは許される?
少なくとも己が己を許していい筈がない――が。
「……やはりな。お前はまだリーゼロットの事を」
それはある日破られた。
……始まりとなったのはリーゼロットという少女だ。
それはハロルドが片時も離さぬ聖剣――『それそのもの』
「よいか晴人。あの世界で魔王討伐の過程における責は、私にあるのだ」
「――アンタの娘が命を捧げた事もか?」
見る。美しき刀剣として存在している、その聖剣を。
刃こぼれ一つ存在せぬ。
鍔の位置に存在せし紅き石は光に反射し輝いて――まるで生きているかのようだ。
これは聖剣リーゼロット。
たった一人の少女の魂が詰まった至高の一振り。
決して欲しくなかった、彼女の全て。
「いいか。例えば――アンタに責任があったとしても、だ。
そうだとしても俺は『晴人』じゃねぇ。あの日――リーゼロットが、魂を捧げた日。
俺は決めたんだ」
『日本人』を捨てると。
リーゼロットは――彼女には、未来が無かった。寿命の限度を悟った彼女は、ならば後は晴人の為にと、自らを捧げて一つの聖剣を造り上げた。
それは魔族を打倒するモノ。晴人の力になる意思の結晶。
――皮肉にもそれが晴人としての過去を捨てさせる事に繋がるのだが。
「俺が……俺がもっと早く。もっと早く魔族共を殺すと決めてれば生きていたんだ」
リーゼロットは。
激化する魔族とのこれからの未来――その中で晴人が傷付く事を案じて。
先の総てを捧げた。
だがそれは逆を言うなら……あの時点で魔族が滅んでいたのなら『そんな事はなかった』のだ。
魔族が滅んでいたのなら。勇者として召喚された晴人が。
それを『日本人だから』と躊躇していなければ。
彼女は。
一人の少女は。
――きっともう少しだけ笑顔でいれたんだ。
「全部俺が自分で決めたんだ」
あの日。全てを知った時に『晴人』は『ハロルド』へと変貌し。
そこからは殺戮の世界へと身を投じた。
勇者は修羅へと落ちて魔族を殺した。兵も魔王も、女も子供も老人も全部全部。
決して後ろを見なかった。頭の中には魔族の殲滅の他にはなく。
……だから騎士団を離れた。
殺すことしか出来ない人間には『勇者』などという称号は相応しくないからと。
勝手に勇者の称号を返上し、止める声も全てを振り払ってただ前へと進んだ。
ペンダントは――その時のものだ。
俺は、あの時から一時も変わっていない。
俺は、晴人ではなく。
「ハロルドだ」
だからそれを返してもらう必要などないし資格もない。
そもそも生きる理由すらもうなかった――ただ、彼女との約束だけが胸に在り。
「そいつは――捨てておいてくれ」
「そういう訳にはいかんな。これはお前が置いていったものだ、が。騎士団所属の者は所属の証としてこれを持っていなければならん。知っているだろう」
「……はっ?」
何を言っている? だから騎士団を辞める際にそれを――
「お前は団長であった私の命に逆らい、一人での独自行動を開始した……
これは立派な騎士団の規律違反であり――責められるべき事はそれだけだ」
まさか。
許す、と言うのか? 殺戮の限りを尽くした者を。ただただ憤怒していた己を。
全ての諫言を無視し魔族を焦土とした己を。
「――やった事は決して褒められる事ではなかったのかもしれん。『やりすぎ』だという輩もいるだろう。だがそんなものは外野の言よ! お前は、確かに救ったのだ世界を。人の世を」
お前がしなければ後何人死んでいたか。
お前はしなければ後どれ程続いていたか。
私も皆も感謝している。お前に背負わせた事だけが……
「悪かった」
本来ならアレクサンダーが為すべき事だったのだ。
なぜなら――彼もまた地球から聖都に召喚された『先代』であったのだから。
しかし彼には力がなかった。魔王の下へとは辿り着けず、苦渋の果てに後進を育て。
それが晴人であり、そして聖都の地で授かった娘と恋仲となった……
息子の様に感じていた、たった一人の男だった。
晴人。
皆がお前を待っている。
誰もお前を拒みはしない。
いつか――リーゼロットと共に。
「騎士団に帰ってこい」
『二人』揃って。必ず。
だからこれは返す。ああ、どうしてもお前は『晴人』でないというのなら。
「今後はハロルドと呼んでやろう――だから受け取れ。これはお前の過去だ」
捨ててはならぬ、お前の欠片。
それを私が持っているのならお前は『晴人』なのだからと。
「……ったく。あれこれと煩い人だ」
渋々と。苦笑気味にて。
それでもどこか悪い気はせぬ様に――ペンダントを、その手へと。
久しい感触がそこにあった。ああ、一切変わりない……
「――しかし中の神像を外してまでリーゼロットの写真を入れているとはな。
その写真、どこで撮ったのだ? まさか隠し撮りか何かではないだろうな?」
思わず態勢を崩した。
ロケットペンダントの改造――やったが、な、中を見たのか!!
「い、いやいや待て待て!! 違う、これは――」
「はっはっは! 別に咎めはせん、仲良き事であれば幸いではないか!」
うるせぇ! と言を返しながらも再び苦笑を。
ああ――昔からこの人はこうだ。やはりどこまで行っても頭が上がらず。
……この人には一生、敵わねぇなぁ。
ああ、この世は地獄だ。
誰も彼も俺を光の在る所へ連れ戻そうとしてくる。死も本望である、己を。
ペンダントの中を見れば、ただ一つの輝かしく――
愛しい全てが詰まっていて。
ああ……
「――さて。だがそれはそれとして騎士団の規律違反は裁かんとなぁ?」
瞬間、背筋に悪寒が走った。
急速に意識が現実へと戻って来る。え、ちょっと、なんて?
「……はっ? いや、ちょっと待……ここはもう聖都の世界じゃ……!」
「愚か者め! 確かにこの世に神殿騎士団はなく、聖都の法はない。
がッ!! 世界を跨いだ程度で免罪になる訳がなかろうが!! さあ今から――組手第二部だ!!」
山中に再び絶叫が混じる。
血飛沫が地を満たし。
苦痛の叫びは天を穿ち。
それでも彼は今日も生きている。
結城 晴人。いや――
聖女を愛したたった一人の男は。