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8月7日
登場人物一覧
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連日続いていた雨が嘘のように晴れ、見上げれば、雲ひとつ無いと言える空が広がっている。
その分、余分な程の陽気で濡れたアスファルトが照らされ、朝からむわりとした気温が感じられる、そんな休日。
チケットは用意していると言う割に、開園の二時間前には集合と聞かされている。何か別の用件でもあるのだろうかと首を傾げていたが、成程、これを見れば納得だ。
見渡す限りの、ヒト、ヒト、ヒト。
降り続いた雨のせいもあってか、入場ゲート前には既に人集りができており、数えるのも億劫なほどの列が出来上がっている。
二時間前でも遅いくらいではなかったろうか。かと言って、この炎天下の屋外でじっと待つというのも辛い話で、何より、それを彼女にさせるというのも気が引ける話であった。
「あ、サイズさーん! こっちこっち!!!」
熱気による気疲れなど感じさせない、むしろ夏真っ盛りに騒がなくてどうすると言わんばかりの元気ぶりを見せつけて、ハッピー・クラッカーという幽霊がこちらにぶんぶんと手を振っている。
それに手を上げて応じれば、彼女はこちらに近づくと、両手に持ったペットボトルの内の片方をこちらに押し付けてきた。
「はい、経口補水液!! 今日はもう並ぶ時間の方が多いからね、いっぱい用意してあるんだぜ!!!」
水分補給の準備まで。幽霊と鎌にそんなものが必要なのだろうかと思いつつも、夏の熱を舐めてかかった例はサイズもよく耳にしている。気をつけるに越したことはないだろう。
内心でため息をつく。何から何まで用意させてしまったことに、でもあるが、それよりも、返事を先延ばしにしたまま季節が過ぎていることに関してだ。
彼女から告白をされた。口づけもされた。しかし未だに、その答えを返せずに居る。
保留。保留だ。自分などと恋に落ちても、彼女に迷惑をかけるかも知れない。弱いところも、脆いところも多い存在だ。そんな自分のことを知って、彼女は失望したりしないだろうか。そもそも、恋ってなんだろうか。好きってなんだろうか。そういうことを考えてしまって、しかし自分だけで答えが見つかるはずもなく、胸の内でぐるぐると葛藤だけが回っている。
どちらでもないという回答はありえない。しかし彼女の行為に否定の気持ちは無い。じゃあ好きなのかと言われれば、どういうことが好きなのかわからない。
自分にはそんな資格が、なんて考え始めたあたりで、自己意識に過ぎると考えを霧散させる。
そんなこんなでワンシーズン過ぎてしまった。過ぎてしもうたよ。これには頭を抱えるしか無い。くそう、世のカップルはいったいどうやってんだ。
思わず外にでかけたため息を引っ込めると、腕に感触。見れば、ハッピーが自分のそれに彼女の腕を絡ませていた。
「えっと、その……?」
不意打ちの行動に何を言ったものかとまごつかせると、彼女はぱっちりとウインクをしてみせた。思わず顔を逸らせてしまった自身の真意はわからない。少し顔が熱い気がするのは、この日照りのせいだろうか。
「さ、サイズさん、開園だって! GO! GO!! GO!!!ミ☆」
腕を強く引かれて、行列に沿い進み出す。
そういえば、去年もこんな感じに始まった気がすると思い出しながら、改めて視線を上げ、それを見る。
ここは遊園地。様々なアトラクションが建てられた、娯楽のためのテーマパーク。
園内BGMが聞こえ始め、少しだけの緊張を持って、とりあえずは、この日一日を彼女と二人で費やそうか。
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いやね、気まずーい空気は感じ取っていましたとも。
そりゃね、こっちだってやきもきする気持ちがないわけじゃない。
告白したのは四月のことで、今やなんと八月である。八月て。
サイズと顔を合わせると、一瞬表情が動くので忘れたわけではない。面と向かって断られたわけではないし、こうやってしがみついても離そうとしたり避けようとする素振りはないので、嫌われてるわけじゃないと思ってる。たぶん、いやきっと。
サイズが何かで悩んでいるのはわかっている。それはきっと自分のことだろうし、それを含めた、大きな大きな問題なのだろう。
力になりたいし、相談もしてほしい。でも、自分から言い出すことではなく、ぐいぐいと押し切るものでもなく、いつか、サイズから話してくれるのを待つものだ。
だから急かさないし、傍を離れない。一番近くにいて、一番身を寄せあえるところにいる。逃げ出そうとしたら引っ付いていって、頼られたら全力で包み込むのだ。任せろ、幽霊はそういうの得意なんだぞ。
そういうわけで、今日のこれに催促のつもりはない。自分は近くにいて、同じ様に君を誘い、同じ様に手を引いて笑うのだ。
目一杯楽しもう。思い悩むことを忘れる必要はないが、凝り固まった思考を晴らすには、別のことでいっぱいにするのが一番なのだから。
だから、じゃないんだけど。ここを、チョイスしてました、はい。
お化け屋敷。
アレに行こう。次はアレに行こう。次は―――楽しまねばと意気込みすぎたのかも知れない。
目につく限り指をさして列に並べば、なんとも自分たちには不釣り合いなところに来てしまっていた。
「なあ、どっちも……」
うん、言いたいことはわかるよ。
方や大鎌。方や幽霊。どっちも驚かされる側ではない。なんだろう。この本人登場感。
その実というのも、大概なものであった。
懸命に驚かそうとしてくれているのはわかる。しかし済まない、こちらは本物なんだ。
驚けなかったからと言って、流石に大声で「テンション上げて行こうぜ」と叫ぶわけにもいかず、なんだか微妙な空気のまま、アトラクションを終えることになってしまった。
特にひんやりともせず、日差しは燦々と輝いたまま。
ただ、示し合わせることもなく、二人同時に肩を落としてため息をついてしまったことだけは、思わず噴き出してしまった。
少し気疲れをしてしまったから。そんな理由で観覧車の列に並ぶ。ゆったりとしたアトラクションは人気がないのか、はたまた炎天下に並ぶには見合わないとされているのか、思いの外時間がかかることなく、ゴンドラに乗り込むことができた。
時間をかけて、高度をあげていくゴンドラ。自分で浮かぶ、ゆったりとした景色の変化に、気持ちが高ぶっていく。
小さくなっていくヒト、建物。そういえば、近くに海があったはずだ。頭頂にもなれば、水平線も見えるのだろうか。
「見てみて、サイズさん!! ほら、あんなにちっちゃ……く?」
声をかけようとして、肩にかかった違和感に気づく。
見やれば、サイズが自分のそれに頭を預けてきていた。
「お、お、おう……?」
なんだ、二人きりになると急に甘えてくれるやつか。それともどこかでそんな雰囲気が作られていたか。お化け屋敷か、お化け屋敷がうまくいったのか。グッジョブだぞ偽ゴースト。
しかしどうやらそうではないようで、反応のないサイズの顔を覗き込むと、目を瞑り、静かな寝息をたてていた。
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「ありゃ、疲れちゃったかな……?」
寝ているサイズを起こさぬように声を潜め、それから姿勢を合わせてずり落ちないようにしてやる。
サイズの行為は無自覚によるものだろうが、そっと寄り添いあえる時間は、噛み締めたいものだった。
騒がしいところも、はしゃいで遊ぶというのも、本来ならば、苦手だろうに。
それでも、合わせてくれる。一緒にいてくれる。自分とそういうところに行くことに、女の子とそういうところに行くことに、嫌な顔のひとつも見せない。
最初は引っ張られる形だったかも知れないが、今では恒例のようになってきている。
近づけているようで、縮まっているようで、それはとても嬉しいことだ。
ゴンドラが昇っていくことなど、もうどうでもよかった。いいや、願わくば、今しばらくここで止まってはくれないかとすら思う。
この時間に、今はただ浸っていたいのだ。
肩に預けてきたサイズの頭に、重ねるようにして自分の頭を乗せる。髪の感覚が柔らかくて、暖かくて、心地よかった。
「今日も一緒にいてくれて、ありがとう。優しくて一生懸命なサイズさん。とってもとっても、大好きだよ……」
嬉しくて、愛おしくて。その頭に、口づけをしようとした、その時だ。
「恋を受け入れて、それを失うのが怖い」
びくりと、体を震わせる。
起きていたのだろうか。しかし待ってみても反応はない。寝息の音が続き聞こえてくるばかりだ。ならば今のは寝言なのだろう。
受け入れた恋を、失うのが恐ろしい。
それは単に、人生観を嘆くものではないはずだ。いつか失われるなら一人でいようだとか、そういった精神の達観ではないはずだ。
きっとサイズが誰にも語らず、隠し悩んでいることに連なっているのだろう。
それが何かなんてわからない。想像することでもできない。この世界は万別だ。世界の境目すら超えて、ここにいる。それでも、それでもだ。
「大丈夫……大丈夫だよ。死んでも消えなかった私だもの、ちょっとやそっとで消えるものですか。サイズさんが望んでくれる限り、ずっとずっと一緒に居るよ」
腕を回して、優しく抱きしめて、その頭を撫でた。
ヒトは出会っては分かれるものだ。生涯を共にしてすら、命という壁に阻まれてしまう。
しかしこの身を御覧じろ。とうに生命など失われ、脚もないままこの地に住まう、本家本元の幽霊だ。
恋は激熱で、愛は激烈で出来ている。魂が燃え続ければ、死すら二人を別てまい。
震えているようにも見えるその体を、ぎゅっと、ぎゅうっと抱きしめる。そうすれば、怖いものなど何もないというように。二人ならきっと、どんなものでも乗り越えていけるというように。
いつしか日は沈みかけ、時は夕刻。二人を乗せたゴンドラは登頂に達し、窓の外には、海の切れ端が見えていた。
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ここを知っている。
この場所を知っている。
赤い血のような部屋。ここ一年で、何度も訪れた場所。いや、何度もというには語弊があるかも知れない。指で数え切れるほどでしか無いのだから。
それでも、またかと思えるほどには、この場所に慣れている。親しんではいないが、慣れている。
また赤い海の中を落ちて、落ちて―――。
「……あれ?」
落ちない。いつも感じる浮遊感がない。大体は深淵の底に落ちていくような感覚と共に、下へ、下へ。その先にいるものなのだが。
ここは、何かが違っていた。
沈むことがないため、横たわっていた身を起こす。ただの夢であれば、何も言うことはないのだが。
暗い。
赤い部屋だということはわかるのだが、視界がうまく通らない。ほんの少し先にさえ、何があるのかわからない。
なにか灯りになるものを。そう思い、ランタンを取り出したのだが。
「これは……?」
それはいつもと、炎の色が異なっていた。
いつもはもっと、暗い色をしていたはずだ。血のように赤い、もしくは闇のように深い、そんな色をしていたはずだ。
それがどうだろう。眩いばかりに輝きを放つ、銀色のそれになっている。
「…………ハッピーさん?」
その炎を見て、どうしてそのヒトを思い浮かべたのだろう。どうしてその炎は、彼女に拠るものだと確信したのだろう。
その時だ。
視界の通らぬ暗さは晴れていき、部屋の赤い色すら失われ、あたりは真っ白なそれになった。
それらもやがては色づき、緑が広がり、太陽が顔を見せ、空は青々と続いている。
真夏のようであるのに、まるで暑くはない。風が強く吹き抜けても、まるで寒くはない。誰かに抱きしめられているような、身を委ねてしまいたくなるような心地よさだけを感じている。
誰かが自分の頭を撫でた気がした。
振り返ってもそこには誰もいなかったが、白い白い花が地平線の奥まで咲き誇っていた。
そこにいたいと思ったのは、どうしてだろう。この花と共に居たいと感じていたのはどうしてだろう。
手をのばす。花に向かって手をのばす。触れて壊れやしまいか。散ってしまいやしないかとビクつきながら。しかし花は手折れず、寧ろ激烈を持って自分を包んでくれる。
いつの間にか、花畑の真ん中で寝転んでいた。空は遠く遠く、しかし雲ひとつ無く広がっている。
そろそろだと、誰かが言った。
誰が言ったのかを確認する必要はなかった。
時間が来たのだ。二周目は許されない。次の人が待っているから、降りなくては。
そうして沈んでいく。いつもの覚醒のように、水の中を沈んでいく。しかしそれはいつもの赤い色ではなく、透き通った、本当の海のような色だった。
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「サイズさん、起きて。おーきーてー! ヘイ、グモニン! グモーニン!! ハウ、アー、ユー!!」
その声で、自分が眠ってしまっていたことに気づいた。
ハウアーユーは何か違う気がすると思いながら、寝ぼけ眼を擦り、身を起こす―――起こす?
自分は一体どこに横になって。隣に居るのはハッピー・クラッカー。つまりは、先程まで彼女の膝に。
思わず硬直する。何を言っていいものかわからない。
ありがとうであっているのだろうか。良い太ももだった、は変質者のようだろう。またして欲しい、も違う気がする。いや、本心としてはあっているのか、どっちだ?
「ささ、もうじき到着だよ! 降りなきゃね!! 二周コースは禁忌ですぜ!!」
ゴンドラの扉が開き、降車を促される。ハッピーが自然と自分の手を引くものだから、何を言うべきということもなく、霧散してしまった。
彼女はどうやら気にしていないらしいので、それでいいのだろう。顔が赤かったように感じたのは、夕日に照らされたせいだろうか。
「さあ、次は何をしよっか。もう良い時間だし、ご飯かな? それともお土産かな? もしくはこの時間から園内再周回の猛者になるのかな!!」
「も、猛者……?」
炎天下、呆れるほどのヒトの列に並んだ昼間のことを思い出す。どのアトラクションもいっぱいで、ただただ長蛇の列に並んだあの時間。
あれをもう一度。考えるだけで身が硬直してしまう。
それがおかしかったのか、ハッピーはからからと太陽のように笑って言った。
「うそうそ、ご飯にしようね! どこがいいかな。幽霊調査員のリサーチによれば、ここのお肉はいい感じらしいよ!!」
手を引かれ、彼女についていく。強引さも、元気の良さも、すべてが心地よく。
「……ありがとう」
「え、なにか言った?」
さあ、何だっけな。
とにかく今は、店を探そうか。
混んでなければ、良いのだけれど。