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拾い上げた夏の欠片
登場人物一覧
●壊れたのは"それ"か、或いは。
あぁ、くそ。舌打ちしたくなるほど天気がいい。
ここがさざ波聞こえる海辺のリゾートホテルで、これから泳ぎに行くのだとか、
ラサ周囲のオアシスで、木陰の下で涼をとるところだとか。
そういう真夏を楽しむ準備をしきったタイミングでの快晴なら、まだ許せる。
「カンちゃん、リモコンの電池は変え終わった?」
「うん。表示もちゃんと出てるから、電源ボタン押してみてるんだけど……」
無辜なる混沌は破天荒なファンタジーがごっちゃり詰まっている癖に、こういう時だけいやに現実的だ。
暑い日は外より気温が上がり、寒い日は外より底冷えるボロアパートの一室。
頬から顎を伝う汗を首にかけた手ぬぐいで拭い、『海の女王のバンディエラ』秋宮・史之(p3p002233)は目の前のエアコンに向かってフィルターをセットした。ガチャン、と接続部が噛み合う音が部屋に響くと、蓋を閉じて踏み台代わりの椅子から降りる。
「駆動音どころか電源が入る音もしないね」
「こんなときにエアコンが壊れるなんてタイミングが悪すぎる……」
汗だくのまま愕然とする史之に対して、隣でリモコンを弄っていた『今は休ませて』冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)は至って平静だ。無駄だと分かればあっさりと諦めて、窓際にでんと陣取る扇風機のスイッチを入れ、吹き始めた風で長い髪を遊ばせる。
銀色から墨色へ。移ろうように綺麗なグラデーションのそれが靡く様を、史之はしばらくじっと見つめ――すぐに集中力を途切れさせた。
「はあ……今年の夏は暑すぎるよ。毎年言ってる気がするけれど」
「毎年どころか昨日も聞いたよしーちゃん」
「……記憶にないな」
少しむっとしたような口調で答える史之は拗ねた子供のようで愛らしい。ふふ、と睦月が肩を揺らして笑う。
「暑さでぼんやりしてるんじゃない?」
「エアコンが直るまでの辛抱だよ」
「直るまで……って、大分時間がかかるよね。これ確か、練達で買ったやつでしょ?
お店まで持って行くのは大変そうだけど、業者さん呼べばいいのかな」
保証をつけた記憶もなく、下手をすれば新しい物に買い替えた方が修理代より安いかもしれない。
そんな事を考える睦月の耳へ、チンッという鞘から鍔を弾く音が飛び込んでくる。音の方へ視線をやると、そこには『煌輝』をエアコンに向かって振り上げる史之の姿が――。
「って、待ってよしーちゃん! それは確実に壊れるって!」
「直ったんだ、練達では。あれはテレビだったけど」
プラズマテレビとか、4Kテレビとか。暴走するテレビを叩いて直す――そんな珍依頼があったのだと睦月は史之から聞いていたが、それにしたって目の前で行われようとしている事は"叩く"ではないし、壊れる以外の未来が見えない。
「ひなたやちひろが帰って来たらびっくりするよ! もう、こんなボケ倒しのしーちゃん珍しすぎて僕でも手に負えな――」
最後まで言葉を口にする前に、ぴた……と睦月が動きを止める。
「しーちゃん、ようは涼しければいいんだよね?」
「そんな事はない」
問いかけに秒で返す史之。二人の間の静寂をジージーとセミの鳴き声が騒がしく埋めていく。
「何で即答しちゃうの!?」
「何でも何も……」
睦月と史之。二人の縁は無辜なる混沌に飛ばされるよりも前まで遡る。幼馴染として長く太く付き合っていると、なんとなくだが分かる事があるのだ。例えば、こういう時に目をキラッキラさせて問う睦月は――少なくとも、史之の数ある記憶の中では――ロクな事を考えていない。
「どうせ抱き着いて冷やそうとか、そんな感じでしょう」
「さすがしーちゃん、大正解だよ! ご褒美にハグをあげちゃおう」
そして当然の如く史之に拒否権はない。
伸ばされる手から逃れるようにジリジリと後退し、彼は眼鏡の奥の瞳を半眼にしながら呻いた。
「いらないよ。もう子供じゃないんだから」
「……またそれだ」
「"また"だと思うならいい加減諦めたりとかさぁ」
「嫌だよ。そうやって毎回、子供じゃないってツレなくて。大人だってハグくらいする!
避けるのは年月のせいじゃなくて、もっと他にあるんでしょう?」
真っすぐ、赤い瞳が史之を捕らえた。強い眼差しに動揺した隙に――大きく流転する世界。
ドサ、と音がしてようやく史之は、自分が押し倒されたという事に気付いた。
今日の睦月は本気だ。中途半端な返事では躱せない。
流れる汗を拭う事もなく、そのまま見つめ合う二人。
情熱の炎が揺らめくように、窓の外で電信柱がゆらりと陽炎に揺れた。
●欠片を拾い集めて。
「カンちゃん、重いよ」
「しーちゃんが答えてくれるまで退かない」
「くっついたってカンちゃんが暑いだけでしょう」
「暑さなんかより、今はもっと重要な事があるもん」
戦勝を祈願する冬宮神社。その直系である睦月は、武家である秋宮の史之にとって守るべき存在なのだろう。
けれどそれは"前の世界なら"の話だ。この無辜なる混沌で史之がフランクに接したところで、それを咎める者はいない。階級とは周りの目があって初めて成立する物なのだから。
頑固な所のある史之が、生き方をすぐに変えられないのは分かってる。それでも、と睦月は唇を噛んだ。
「もっと分かり合いたいよ。普通の幼馴染らしく」
「カンちゃん……」
「僕としーちゃんの立場が関係を壊したって言うんなら、もう一度やり直そう」
「カンちゃんってば」
「壊れて砕けてしまっても、欠片を拾い集めたら――」
「睦月!!」
切羽詰まったように名前を呼ばれて固まる睦月。その隙に、ぐいと腕を掴まれ胸元へと引き寄せられて――視界の端に映った史之の左手。薬指にはめられた指輪が強い赤の光を帯びる。
――ドンッ!!
真横で大きな音が鳴り、部屋全体が大きく揺れた。プラズマがパチリと爆ぜて消え、史之がふぅと息をつく。
「びっくりした。何があったの?」
「後ろを見れば分かるだろ」
「えー。しーちゃんが折角ハグしてくれてるのに、離れるのは嫌だなぁ」
「これはただ、危なかったから……」
抱き寄せたのは不可抗力で――と腕を離そうとしたところでお返しのハグが史之を包む。低体温気味の睦月の腕はほど良くひんやりとしていて、どうしようもないくらい心地いい。
「あぁ……もう、分かったよ。次は押しのけたりしないから一旦どいて。この体制、結構きついんだ」
「本当に? 約束したからね!」
ぱぁ、と睦月が花のように柔らかく笑う。安心して退いた後、何気なく後ろへ振り向いて――眼前に広がる光景に思わず動きを止めた。だろうな、とその後ろで起き上がりながら溜息をつく史之。
視界に飛び込んで来たのは水色の塊だ。ゲル状のスライムがプスプスと煙を上げて畳の上に横たわっている。
「ちょっと待って、こんなの何処から出てきたの!?」
「エアコンから。故障の原因はコイツだな」
「えぇ……。どこから紛れ込んで来たんだろ」
半眼になりながらエアコンの送風口を覗き込もうとする睦月を、史之が素早く片手で制す。
「カンちゃんは後ろにさがっていて。まだ潜んでるかもしれない」
「しーちゃんは過保護すぎだよ。僕だって一緒に戦えるくらい強くなったんだから!」
「ちょっ、カンちゃん! 今くっつかないで――」
確かに"次は押しのけたりしないから"とは言ったが……誰が予想出来ただろうか。その約束が史之の隙を生むなんて。
誰が気づけただろうか。エアコンの通風口に詰まったスライムがもう一匹いて――まるで二人がくっつくタイミングを見計らったかのように、ぼとっと落ちて来るなんて。
「ひゃあっ!?」
「だから言ったじゃないかーーー!!」
●それが歪な形でも。
かくして睦月におイタをしたスライムは、史之の手により元の姿が想像できない程に黒焦げにされたのだった。
「ちょっとやり過ぎじゃない?」
「カンちゃんに不埒を働くなんて万死に値するよ」
事件の後片付けが済んだ後、ゲルまみれの身体を洗い流そうと湯を沸かし、一緒に入るか否かで揉めてすったもんだしたりもしつつ。ほっと一息つけるようになる頃には、すっかり日が沈んでしまっていた。
空は群青色に染まり、夏の夜風が労わるように頬を撫でて吹き抜ける。
「結局あれだけ奮闘したのに、エアコンが直らないなんて……」
しかも風呂に入った事で、エアコンを直し始めた時以上に身は内側からポカポカだ。
日が陰れば気温が下がる……なんて都合のいい事はない。まだまだ部屋は蒸し暑く、送風しかない扇風機より睦月の体温が心地いい。
「おかげで僕はカンちゃんに堂々とくっつく理由が出来て、悪い気分はしないけどね?」
扇風機の風を分け合うように肩を寄せ合い横並びに座った睦月は、えへへとご機嫌そうな様子で笑った。
「……」
「どうしたの、しーちゃん?」
「さっきさ、スライムが襲って来たせいで返事を返しそびれたなって。……あ、もしかしてこれ失言だったかな」
「ううん、全っ然失言じゃないよ! それで、何て言うつもりだったの?」
問われた時点で墓穴を掘ったと史之は深く溜息をついた。
"僕としーちゃんの立場が関係を壊したって言うんなら、もう一度やり直そう"
( そんなの絶対お断りだ。カンちゃんとやり直すなんて。今まで積み上げてきた思い出を無しになんて出来ないよ。
ただ――家柄以前に我慢ならないんだ。カンちゃんが傷ついたり、怪我をしてしまうのは)
それは睦月が弱いからじゃない。本当に弱いのは、万が一があった時に折れそうな自分の――。
「……絶対言わない」
「えーっ! ずるいよ、ここまで思い出させておいて!
決めた。もう今日は梃でもしーちゃんの傍からテコでも動かないからね!」
「せめてトイレくらいは単独で行かせてね……」
いつかこの何気ない日常も思い出のアルバムに刻まれて、戻れない日を想う時が来るかもしれない。
それでも今は、夏の風に二人、癒されて――。