PandoraPartyProject

SS詳細

月は太陽の影となる

登場人物一覧

メルナ(p3p002292)
太陽は墜ちた


 それはあまりにも懐かしい記憶──あくむだった。

 母に用事を頼まれたメルナ(p3p002292)は大好きな兄の姿にぱっと表情を綻ばせる。お兄ちゃん、と呼べば自身とよく似た青の瞳がメルナを映した。
「お、来たか。お使いだろ? ついて行くよ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
 にっこりと笑顔を見せれば兄の顔も綻んで。家を出ると兄妹は並んで歩きだした。母に『村の外まで持って行って頂戴』と渡された荷物は気持ちも相まって重たく感じられたが、兄がいるのであればそんなものもどこへやら。軽くだって感じられる。
「メルナ、それ俺が持つか?」
「ううん、大丈夫。私が頼まれたものだし……」
 自分で持って行くよと告げれば兄は「頼もしいな?」と軽く片目を瞑ってみせて。けれどそこへ兄を呼ぶ第三者の声が飛び込み、メルナはビクッと肩を跳ねさせた。
「よう、クラン」
「ん? おう」
 軽く手を上げて挨拶する兄の背にさっと隠れたメルナは、そっとその肩越しに相手を見る。まだ村の中なのだから見かけたことがあって当然で、相手は兄の友人だったとも記憶している。
 けれども、メルナの友人ではないので。
「その背中に隠れてるのは……あ、メルナちゃん?」
「そう。ほら、メルナ」
 さっと兄の背に隠れたものの、挨拶は? と大好きな兄に言われてしまったものだから、メルナは兄の肩口からそっと顔を出した。嗚呼、慣れない視線。早く隠れたい。
「……こんにちは」
 そっと視線を外し、小さく早口で言うなり隠れたメルナ。兄はやれやれと肩を竦め、相手は気を悪くした風もなく笑う。
「メルナちゃん、小さい頃からクランが大好きだもんなぁ。今日も?」
「あ、いや。メルナのお使いに俺がついて行ってるんだ」
 兄が告げれば相手は空を見て、じゃあまた今度と手を振る。過ぎ去っていく相手をメルナがそっと見れば、それに気付いた相手はメルナにも小さく手を振ってくれた。
 悪い人ではないようだ。いや、兄の友人なのだから悪い人であるわけもないのだけれど。
「メルナ、そんなんじゃ俺がいない時が大変だぞ?」
 自らの背から出てきた妹に苦言を呈する兄も、その声音は軽いもので。だからまだ甘えられるとメルナは小さく口を尖らせる。
「私は、お兄ちゃんがいてくれれば……いいもん」
 これまで外で片時も離れたことなどないのだから、今後もそうであれば問題ない。元々内向的で進んで家の外へも出ないのだ。
 実際、兄が友人たちと遊んでいる時は家で本を読んだりしていた。兄が羨ましいと思う事はあれども、自分が同じ場所へ向かっていく勇気はまだない。
「まーたそう言う。しょうがないやつだなー……母さんも父さんも困っちまうぜ?」
 苦笑する兄は、けれど優しい視線を妹に向ける。母も父も困ってしまうと言ったけれど、兄は含まれていない。今後の彼女を心配こそすれど、きっと自分から突き放すことはないのだろう。
 のんびりしていれば日が暮れてしまうから、と2人はまた歩き始める。日帰りで村の外まで行くのだから、ぼやぼやしていたら帰りが夜になってしまうだろう。兄と2人なら怖いことなどない……と言いたいところだが、村から出たとあれば魔物も出る。村随一の剣士たる兄がいたとしても、お荷物のメルナがいては苦戦するだろう。
「ま、今日通る道はそんな話も聞かないけどな」
 だから大丈夫。そう告げる実力者にメルナは安心した笑みを見せた。
 村の外へ出れば、緩やかな曲り道や坂道が続く。木製の道標を通り過ぎて、坂を登りきって。少し伸びた草原には転々と野花が咲き、緑の絨毯に彩りを加えている。
 キラキラと目を輝かせながらそれを眺めるメルナに兄は思わず苦笑を浮かべた。ここで少しばかりのんびりしたい、と妹の瞳が雄弁に語っている。けれども頭の上で照らす太陽の位置とこれからの行程を考えればさほど猶予はない。
「帰りに時間があったら寄ろう。な?」
「む……わかった」
 早く向かって帰ってくれば、その分時間が余るだろう。そうすれば多少は楽しめるし、母に帰宅が遅くなって怒られることもない。
 メルナも子供ながら物事の理解が出来る年になってきた。不承不承ながらも頷く彼女の頭を撫で、兄は先の道へ視線を向けたのだった。

 メルナにとって外の世界は新鮮なもので満ち溢れ、同時に何があるか分からないものでもあった。木の枝を小動物がたたたっと駆けて行く、足元を柔らかい葉が撫でていく、その度にメルナはびっくりして兄に抱き着く。
「ほら、それじゃあ何時まで経っても辿り着けないぞ?」
 兄に宥められながら進むも、すっかりメルナは半泣きだ。兄とて大事な妹を泣かせたいなどとは到底思っていないのだが、ここで更に甘やかすとダメになる。
 けれど慣れぬメルナは疲れと共に荷物を持つ腕も震えてきて、小さく眉を寄せた。最初に自分で持つと言ったからには弱音も吐きづらい。なんとしても目的地までは頑張らねば。
 しかし、その荷物は不意に取り上げられた。
「え? ……あ」
「持つよ。疲れたんだろ?」
 軽々とそれを抱えた兄は「ここまで頑張ったな」と妹の頭を撫でる。じんわり温かくなる胸の内にメルナは小さく笑みを浮かべた。
 最後までは持てなかったけれど、大好きな兄に褒められたから。今日の自分は頑張ったのだと言っても良いだろう。
 森を抜け、目的地に着く頃にはすっかりメルナはへとへとで、もう少しだと兄に励まされながら目的地である1軒の店まで辿り着く。扉を前にしてメルナは兄を振り返った。妹の助けを求める視線に、しかし兄は「頑張れ」と応援する他ない。護衛目的で付いてきたのに、荷物も運んであげて用事を済ませるまで手伝ってしまったなら、のちに母から雷が落ちるだろう。
 この程度の用事なら兄1人に任せた方がさっさと済んだに違いない。けれども母がメルナに頼んだという事は、そういう事なのだ。
 助けてくれないと察したメルナは口を八の字にして扉へ手をかける。固く閉ざされているように見えた扉は、少し力を込めるだけで容易く開いた。
「お……お邪魔します……」
 掻き消えそうなほどの声量に、しかし店員は明るく挨拶を返す。ぴゃっとメルナは文字通り小さく飛び跳ねて、兄の後ろに隠れようとした──が悲しいかな、当の本人に阻止されてしまった。
「頑張れ頑張れ。あとは母さんに教えられたように言うだけだ」
「うう……」
 確かに教えられた。こう言えば良いのよと教わった言葉を一言一句違わず小さな声で告げ、隣で兄が持っていた荷物を差し出す。あとは向こうから荷物を預かり、母の元まで持ち帰ればお使いは終了だ。先ほどより軽いそれをメルナは受け取った。
 店を出ればメルナは一気に力が抜けたのを感じる。往路では寄っていきたかった野原も、今や楽しむ体力すらなくなりそうだ。
「お家に帰りたい……」
 そう呟いた妹に兄は頷いて、2人は復路を辿り始めた。まだ日は高く、茜空となるのはもう暫く先か。森の中もまだまだ明るく兄妹は村へ向けて歩く。
 ──が。
「メルナ」
 そう呼んでくれる兄の声が、いつになく硬くて。
「お兄ちゃん……?」
 そう呼んだ自身の声が、どうしてか震えていた。
 どうしてこんなところに、と呟く兄の手は腰の柄へ添えられている。何か危ないものが来るのだとようやく知って、メルナは息を呑んだ。
 兄と一緒に歩いた道は楽しかったはずなのに、今や緊張感に溢れている。動物も通らず、風すらも怯えてどこかへ潜んでしまったかのようだ。
「メルナ、振り返るな」
「え、」
「逃げろ、村まで走れ!」
 兄が剣を抜きざま、茂みから黒い影が飛び出す。鋭い牙を剣で阻む硬質な音が響いて、メルナは思わず悲鳴をあげた。妹を庇う兄は素早く視線を走らせ、2人を狙う魔物の数を見極めんとする。
「メルナ、行け!」
「で、でも、お兄ちゃんが」
「俺は良いから! ……速くッ!」
 鋭い兄の声に、メルナは弾かれたように走り出す。後ろから迫る気配は兄によって止められたようだ。
(逃げなくちゃ。逃げないと、お兄ちゃんが戦えない)
 戦えぬ足手まとい。兄の足を引っ張る前に逃げて、逃げて──助けを呼ばなくては。
 恐怖に息が上がり、足がもつれる。手にしていたはずの荷物はいつの間にか消えてしまった。けれど転んでも目の前がかすんでも、立ち止まる訳にはいかない。大好きな兄を救うためには、メルナが走る他ないのだから。
(大丈夫、だって、お兄ちゃんは強いから)
 そんな簡単に負ける訳ない、だって兄は傭兵仕事をするほどの剣士なのだからと言い聞かせても、メルナの心は常に不安と恐怖が満たされていた。

 妹が走り去っていったことに安堵しながら兄──クランは剣を構える。
(全くどうして、こんな場所に)
 母が戦えぬ妹へ頼みごとをするくらいに平和な森だ。突如現れたことに懸念は残るが、村の皆や妹の為にも逃がすわけにはいかない。
 黒き四つ足の獣は口の端から涎を垂らし、目の前の獲物クランを捕食せんと飛び掛かってきた。1体目を避け、振り向きざまにその背を抉り。次いで飛び掛かってきた2体目は剣で受け流しながらその表面に赤い筋を作る。は、と小さく息を吐いたクランは3体目の牙を真正面から受け止めると弾き返した。
 弱いとまでは言えないが、倒せぬほど強くはない。村の腕自慢と共に相手したなら造作もないだろう。
 ──そんな油断が、隙を生んだ。
 クランは不意に襲われた衝撃に目を見張る。その姿を視認する間もなく剣を振れば手ごたえが走り、クランの背後をとった魔物が絶命した。だが獲物の弱った隙を見逃さず、3体の魔物は一斉にクランへ襲い掛かる。失血に震える手で剣を握りしめ、クランの全身は魔物と自身の血に濡れた。
 剣を抜いてから、静謐が戻るまでは短い時間だったように感じられる。けれども空を仰げば薄らと茜色に染まっていて、時間の経過を感じさせた。
(メルナは……逃げられたかな)
 じくじくと熱い背中が自らの危険を訴える。このままにしておいては命に関わるのだと。けれども歩くほどの力もなく、クランはふらついて背中から木にぶつかり座り込んだ。
「ぐっ……」
 擦れた傷口が激痛を訴える。歯を食いしばったクランは体を木に預けたまま、ゆっくり濃くなる茜空を見上げた。
 妹を逃がした時、死ぬかもしれないと思った。死ぬわけにはいかないと思った。そして今──悲しませるだろうと思っている。
(そんなつもりじゃ、なかったんだけど……な)
 剣からするりと手が零れ落ちて地面に当たる、その感触すらも曖昧で。零れ落ちた吐息は、何の音にもならなかった。
 ──ごめん、メルナ。

 尋常ではないメルナの様子に人をかき集めて森へ向かった青年はその惨状に絶句した。友人の妹を静止しようとするも、もう遅く。
「おにい、ちゃん……?」
 メルナはその瞳に一面の赤を映す。空より濃く、生々しい赤を。そこに沈んだ魔物を。傍らで座り込む兄を。
 呼んでも応えはなく。その傍らに膝をついて、兄の手を取っても温もりはなく。その胸は呼吸に上下することもなくて「どうして」と言葉が漏れる。
 そこに残された命なんて、なかったのだ。


「──っ!!!」
 上げた悲鳴が夢とうつつで響く。メルナは薄暗くなった天井を見つめながら短い呼吸を繰り返した。夢? いいや、現実だ。実際に起こった過去だ。幸せな1日が絶望で終わった日、メルナが兄を殺した日。足手まといがいなければ、自身が戦えていれば変えられた過去。
 メルナのそれは──終わることのない贖罪だ。
 臆病で暗い自分を殺して、自分が殺してしまった兄の代わりになる。兄が生きるはずだった人生を代わりに生きる。兄の死んだ年で混沌へ召喚されたのも、きっとそういうことだから。
「……大丈夫。私は、お兄ちゃんみたいに……お兄ちゃんの代わりに、色んな人を、助けなきゃ」
 正義感があって明るくて、自己犠牲のできる優しいあの人にならないと。辛くても苦しくても、だって、私がお兄ちゃんを殺したんだから。
 けれど本当は、なんて。助けて、なんて。思う事すらも罪深い。だと言うのに自身の姿をした、怯えたアルベドを──私は。
「……ちがう」
 違う、違う違う違う。あれは偽物。兄の代わりたる自分とは別物。ねえ、そうでしょう?

 差し込む月明かりは静かに、けれど彼女の罪を暴くかのようで。それから逃げるようにメルナは布団を被って目を瞑った。

  • 月は太陽の影となる完了
  • GM名
  • 種別SS
  • 納品日2020年07月18日
  • ・メルナ(p3p002292

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