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来し方の薫り、行く末の風

登場人物一覧

伏見 行人(p3p000858)
北辰の道標

●幻想の片隅
 滴るばかりの青い田畑を抱く村は、宿場を兼ねているためか、もろ手をあげて旅人を出迎えてくれる。
 旅人のひとり――伏見 行人もまた、健やかな作物のごとく元気な村の子らに囲まれていた。子どもたちにとって旅人など珍しくもないはずだが、精霊と意思の疎通が叶う青年は、瞬く間に少年少女の憧れの的と化す。
 話をせがんでくっついて回る子らに、行人が笑う。精霊について話せば楽しげな声が返り、朗笑が空へ昇った。
 そうして子どもたちの興味を釘付けにした行人は、いつしか腕を引っ張かれていた。
「わかったからそんな引っ張るなって。ああほら、転ぶなよー?」
 少し目を離した隙に、どさっと分かりやすい音が聞こえた。振り向けば想像通り、腹や膝を泥だらけにした少年が立ち上がるところで。注意がひと足遅れたかと息を吐き、行人は少年の前へ膝をつく。
 汚れを払って様子を窺うが、泣く気配もなければ怪我らしい怪我もない。
「……大丈夫だね?」
 行人が強さを確かめるように尋ねると、少年がこくりと肯った。よし、と讃えて頭を撫でてやれば、少年は誇らしげに胸を張る。幼子らしい様相に、行人はただただ笑みを浮かべた。するとそこへ。
「おおうい、旅人さんよーい」
 風に乗って届いた音を辿ると、村人数名の姿が厩にあった。
「どうかし……あー……」
 言い切るより先に理解する。
 長いこと馬たちを見守ってきた厩の屋根が、とうとう限界を迎えたようだ。昨晩の強風と雨が決め手になったのだろうと、行人は辺りの地面を見回す。雨水と泥にまみれた板や藁が、そこかしこに転がっていた。随分きれいに剥がれたものだと感心してしまう。
「見事な飛びっぷりだ」
「そうなんだよ、夜中にバキバキッってすんげぇ音がしてよ」
「旅人さん、ちょっと手伝ってくれねぇか?」
 連なる言を耳にしつつ、行人は脇のくすぐったさにちらと視線を外す。作業の邪魔だからと外に出されたらしい駄馬が、鼻先を擦り寄せていた。
 かれにせっつかれるまでもない。お安い御用、と答えた青年の表情は、子どもたちと接していたときと同じだ。何ひとつ変わらず、温良を刷いたまま新しい屋根材を拵える。鮮やかな手捌きで作業を進める彼に、ひとりの村人が唸った。
「兄ちゃん上手ぇなぁ、屋根作んのとか修理とか、慣れてんのか?」
 ふ、と微かな吐息と共に微笑を放った行人は、まあね、と短く答える。
 そうして板と藁を組んでいると、別の村民が興味を覗かせてきた。
「旅人さんは、これから何処へ?」
「この先の渓谷を越えようと思ってね」
「この先って慟哭谷をか!?」
 思いのほか響いた大音声は、周りにいる人々の関心をも惹きつけた。
「兄ちゃん旅慣れてそうだが……あそこは危険だぞ?」
「ああ、そうだね。大丈夫、危険は旅につきものだ」
 恬然とした青年に、村人たちは一驚を喫する。数多の旅人を目にしてきた彼らからすると、慟哭谷へ行くというのに物怖じもしない青年は意外なのだろう。そういう所感を抱くのも別段おかしな話ではないと、行人は屋根を打ち付けながら、ふと想起した谷の美観に耽る。
 世を歩き続けたこの足は、隆起した岩場の感触も、噴き出す熱気も覚えている。適う限りの青が塗りたくられた空の下、啼き叫ぶ岩が四辺で道ゆく者を見つめ、嘆きの熱を吐き出す渓谷は恐ろしい所だ。天まで昇れなかった慟哭が、心をへし折るべく雨あられと降りはしないか危ぶむほど、薄気味悪い地であるのも識っている。
 そこを歩くと、自分が異物に思えた。恐らく、人とは決して狎れ合わぬ渓谷だ。
 ――だからこそ、楽しい。
 沈思した間も、期待が行人の頬をふくりともたげる。
 周りから見れば満悦そうに作業をする青年でしかなく、彼の胸中を推し量れる者はいない。
「後で一杯奢らせてくれや」
 やがて厩に新たな屋根が備わると、人々が彼を取り囲む。
「旨い地酒があるからな。特に今年のは、ここ十数年で最高のデキだぜ」
 昂然たる口振りに行人は眦を和らげ、それは楽しみだ、と声音を弾ませた。

●出立
 遠ざかっていく雲が彼に言う。そろそろ発つのだろうと。
「そう急かさないでくれ」
 外套を纏いながら呟き、旅装を調えた行人は宿から離れていく。
 道中、遠くに望んだ川辺で、農民たちが肩を寄せて何事かを歌い、爆笑していた。彼らの調子を見るに、昨夜の酔いが抜けきっていないようだ。行く末を気にせず一晩を友と過ごすのは、土着の者だからこそ出来ること。付き合いの長さが生み出した距離がそこにあるのだろうと、行人は思う。
 村を訪れた時からある水溜まりへ思考が沈みかけるも、すぐに引きあげる。そしてすっきりしない空を仰いで、歩き出した。

 早朝にも関わらず開けっ放しの木戸を叩き、失礼、と告げて暖簾をくぐる。
 そこにあったのは、椅子に揺られる村長の姿だ。歳で言えば五十代後半の女性で、いらっしゃいとだけ返し、吹き抜ける風へ身を委ねている。
 家へ入ると甘い香りがした。
 いま初めて知る匂いではない。以前も同じものを嗅いだ気がする。そう思った。
 ――いつだったか。
 記憶は答えを手繰り寄せてもくれない。世界を渡り歩く身ゆえ、五感へ鮮烈に刻まれたものほど、覚えているはずなのに。
 感じた香はしかし、思いを惑わせるに至らない。本来の目的を遂げるべく、彼は薄い笑みを点す。
「今日も涼しいですね」
「ええ、本当に。発つには良い日よ」
 素知らぬ顔で返した村長に、行人は口の端を僅かながら緩める。
「お世話になりました。お蔭様で、慟哭谷も万全の状態で越えられます」
 逗留の礼と行き先を丁寧に伝えれば、そう、と短い返事が届いた。
 行人も多くを語らず家を辞する。だが遠ざかる靴音に耐え切れなかったのか、不意に唇を震わせたのは村長だ。
「この前、孫が生まれたわ」
 前触れなく紡がれた近況報告に、行人は静かに歩みを停める。
「それはそれは。おめでとうございます」
 少しばかり振り返って祝辞を贈ると、彼女が重たげにしばたたくのが見えた。
「七日も生きてくれたから、今夜が命名式なの。だからそのお花を飾ったのよ」
 そのお花、と言葉で示された先を一瞥すると、花瓶でひっそりと花が俯いている。
 心なしか会釈したように見える花は、意識せず行人の鼻先を近づけさせた。
 そして彼は気づく――ああ、漂う香の元はこれだと。
「あなたが連れて行ってくれなかったから、その花を摘んでこれたわ」
 話す彼女の声色は、今にも眠りに就いてしまいそうなぐらい穏やかだ。
 温かく包む音の連なりに、青年の記憶の底で、鉛に似た光が鈍く艶めいた。
「……変わらないわね。あなたは」
 続いた彼女の一言は、どこか懐かしむような熱を含むも、すぐに宙空へ溶けていく。 
「あれからも、今もずっと」
 音は囁きに近く、とうとう夜気の名残である風に紛れてしまった。
 黙して耳を傾けていた行人は、ひとつ呼吸を置いた後、あのときと同じ一笑を咲かせる。
「失礼します。どうかお元気で」
 軽く頭を下げて、彼は再び世界へと歩を運んだ。
 惜しみもせず家を後にしてみれば、仰ぎ見た今日の天はやはり低い。恙無い旅路は望めそうにない天候だが、それもまた旅の醍醐味と知るからこそ、靴音も浮き立つ。
「さあて、今日は何処まで行けるやら」
 慟哭谷へ流れゆく雲に話しかけて、彼は再び世界を吹き渡る風になる。

 花の香りをいつ嗅いだのか、ついに思い出すことはなかった。

  • 来し方の薫り、行く末の風完了
  • GM名棟方ろか
  • 種別SS
  • 納品日2020年07月17日
  • ・伏見 行人(p3p000858

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