PandoraPartyProject

SS詳細

夜の裏側

登場人物一覧

エルピス(p3n000080)
聖女の殻
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女

 嫋やかな百合が壱輪咲いていた。
 白の花びらに僅かな雨露を溢し、静寂の中でその首を捥げた儘、静かにその百合は咲いている。
 白百合よりも尚、白いカーテンがふわりと窓辺で揺れた。草臥れた百合の花を擽る夜風を見遣りながらエルピスは机の上に置かれた『さかな』をじいと眺めた。
「これは……?」
「たい焼きって言うんだって」
 夜色と朝焼けの瞳を細めて、スティアは持参した『日本茶』をカップへと注ぎ込んだ。旅人たちが重宝するという茶は和の香りをさせ海洋周辺でも流行の兆しを見せている。
 世間知らずは暖かな珈琲の香りだけではない。仄かな茶の穏やかな気配にさえもエルピスはきょとりと瞬いて見せる。
「……ほっとする、香りですね」
「ね。のんびりとエルピスちゃんとお話するならこれがいいかなあ、って」
 形の良い唇にゆったりとした笑みを浮かべたスティア。その気づかいにどこか喜んだようにエルピスは目を細めた。
 住居を持たぬ彼女にローレットが与えたのはとりあえずの居室であった。簡素な部屋には女の子なんだからという『先入観』で雪風が用意したのであろうテディベアが申し訳なさそうにちょこりと座っている。
 華奢な足の椅子を二つ程度並べ、クッションを適当に敷いたそれに腰掛けていたエルピスははっとした様に簡素な誂えのベッドへと向かった。
「エルピスちゃん?」
「あ、……あの、ひざ掛け、用意するので」
 未だ友人関係には慣れのないエルピス。特異運命座標に救われてから、こうしてローレットに身をよせて初めて自身と対等に喋る人々と出会ったとでも言う様に恐る恐るひとつひとつの挙動を彼女は取り続ける。
 その様子に目を細めていたスティアは「あ、あんまり気を遣わないでね」と気負う彼女に声をかけた。
 靭やかな曲線を描いたティーカップを指先でなぞるようにしていたエルピスは小さく頷く。
 鯛焼きをじつと見遣る彼女はスティアの来訪――それも、自身とのおしゃべりがしたいというそれ――に緊張を隠せぬまま「あの」と小さく呟いた。
「わたしは、あまりお話が得意では」
「ふふ、大丈夫」
 気にしないでね、と笑うスティア。コメディアンの様に会話を楽しみたいという訳でもなければ、エルピスにもてなしてほしいという訳ではない。どちらかと言えば、彼女の事が心配であったのかもしれない――とスティアはエルピスの横顔を眺めた。
 つるりとした白い肌は陽に焼ける事がなく、切りそろえられた金の髪は動きで揺れる。サイドヘアだけ長く、頬に触れたそれを耳に掛ける仕草をしたエルピスを眺めながら、自身と対照的な髪色をして居るとスティアはぼんやりと思った。
 以前見た――父母の様な、対照的な髪。冴えた月色の髪のスティアと、緩やかな満ちる月色の髪のエルピス。
 そう思えば、スティアの口からはするりと言葉が飛び出した。
「あのね、興味本位なんだけど」
 ティーカップを握るエルピスがぱちりと瞬いた。花瞼が僅かに震え、目を縁取る睫が不安げに揺れている。
 スティアの長い睫が一度、影を作った後、首を傾ぐようにして心の中に擡げた疑問が顔を出す。
「エルピスちゃんは、聖女ってなんだと思う?」
「聖女」
 その言葉に、二人の脳裏に過ったのは一人の聖女。
 その身を闇に投じるまで『その責務』に雁字搦めになっていた一人の淑女の姿がエルピスにも、スティアにも浮かぶ。その現場に共に居た同士だ、聖女とは何かを考えさせられる場面で会った事はどちらもが口にするまでもない。
「わたしは、聖女です。いえ、聖女、でした」
「うん」
 彼女は、聖女だった。もぬけの殻。聖女であった残滓。人にそうであれと願われた者だ。
 この国は歪だ。彼女が聖女たらんとしたようにこの国は『神様』に捧げる供物を用意するが如く人々に責務を押し付けた。
「昔話でも、いいですか」
 ちら、と不安げに見たその瞳にスティアは頷く。

 エルピスは――××は幼い頃に奇妙な感覚を覚えたのだという。それは夢の如き、霞の中の話。
 現には有り得ざる声を聴いた。耳の聞こえぬ彼女に取っては有り得ざることだ。
 はじめは難聴が治ったのではと両親は喜んだが、彼らの声は聞こえなかった。
 ただ、何事かだけが聞こえるのだ。
 それは一見して気が狂ったのではないかとも両親に懼れられ、村人からも『物の怪憑き』の如くやっかまれた。
 それがある日、村にやってきた聖職者の言葉で一変したのだという。
 憂いも苦しみも彼女が神の御声を聴けば全て解決する、と。その耳は『神の聲を聴く為に与えられた』のだと。
 その耳は神様の声を的確に聞く為だけのものなのだと、そう言われて。

「わたしが、聖女と呼ばれたのは偶然だったのだと、思います。
 村を襲う飢饉や憂い。その中で、手っ取り早い人身御供だったのだと、けれど、みなさんが、望むなら」
「……聖女って、誰かが望むからなるものなの?」
 スティアが、じいとエルピスの顔を見る。金の髪に、青の瞳、ふつうの少女の中に秘めた憂い。
 きっと、その憂いが聖女であった残滓なのだ。

 聖女って――聖女って何だろう?

 スティア・エイル・ヴァークライトは、そう思う。

 何時だって、悲しそう。
 何時だって、寂しそう。
 何時だって、苦しそう。
 重責をその背中に背負いこんで、それでも誰かの為にって願ってる。
 聖女って――?

 スティア・エイル・ヴァークライトはぎこちない笑みを浮かべる。
「エルピスさんは、聖女で、しあわせだった?」
「……神の御声も聞こえぬ場所なので、素直に、言えば、しあわせ、ではないのだとおもいます」
 何も与えられず、只、神の聲を聴けとだけ言われ続けるだけの利用される生活。
 人ならざる者であるかのような扱いを受け、憂いの中に過ごし続ける――それを『聖女』だと呼ぶのであれば。
「だから、わたしには、自死の道もありました。
 何も知らぬ、何も見ぬ、神なぞ泥をかけんとする旅人のただのひとりに、わたしは救われたのかもしれません」
 彼の為に生きろと言葉をかけてくれた特異運命座標にも、とエルピスは笑う。
 たいせつだったひとりを失った彼女。
 その出自を聞けば、スティアは「エルピスさんは、」ともう一度その顔を見詰めた。
 つるりとした陶器の様な肌に、瞳が憂う様に揺れている。大切に大切に、それこそ、護る様にして傍に置いてきた旅人を『殺したローレット』。恨みつらみを聞けば彼女の曖昧な表情をするのだろう――けれど、こうして、彼女は此処にいる。
「どうして、戦うの?」
「スティアさんは?」
 その瞳が僅かな不安を感じさせた。
 鯛焼きを手にし、眺めるだけのエルピスは手持ち無沙汰なのだろう。スティアは膝元のスカートを払う様な仕草を見せて、「私は」と続けた。
「日銭を稼ぐ為、だったかな。最初は」
「日銭を」
「あ、勿論、生活をね。……勿論さ、依頼の内容によって色々違うかも。
 ローレットには沢山の仕事が舞い込んでくるから、特別思い入れが無ければ深く理由なんてないのかもしれない」
 にまりと笑みを浮かべるスティアが首を傾いだ。
 例えば、小さな子供だから守らなくては。
 例えば、種族間の恋愛を解決してあげたい。
 例えば、悪人から罪なき人を救ってあげたい。
 それはスティア・エイル・ヴァークライトという少女の中の善なる心に他ならないのだろう。
 彼女はううん、と唇を尖らせた。
「思い入れ――」
 頬を撫でた髪。自身の両眼。父と、母。その面影を感じた様に意を決してスティアは口を開く。
「お父様とお母様が、魔種と月光人形だったの。だから、それを止めたい」
「止めたい、ですか」
「うん、勿論さ、お母様には共感するところだってあるし、お父様だってお母さまを護ろうとしたのだと思う。
 力ない人を護りたい気持ちは分かる、けど――殺しに抵抗のない『お父様』は敵だと、思ってしまうかも」
 それは、彼女の中にある矜持のひとつであったのかもしれない。
 罪なき人を護るが為に、同様に罪なき人を殺す。命を天秤にかける行為は必然であれど、全を救いたいと願ってしまう。
 善良な人であれど『誰かを護る為なら不必要な犠牲をも払う』というスタンスはスティアにはどうしても受け入れがたかった。
「私ね、目の前で子供が死んだことがあるの」
「―――え」
 エルピスが目を瞠った。それに、えへへ、と浅い笑みを漏らしたスティアは「だから、護りたいの」という。
「誰かが死ぬなんて、もうこりごりなんだもん。エルピスさんは?」
「わたしは、……わたしは、わからないのです」
 迷子のような表情をしてスティアを見遣る。エルピスにとっては『ローレットに来た』というそれが大きな転機であり、まだ、色々な事を心の底から『こうだ』とは言い切れないかのように。
「でも、わたしは、自身の傍に居る、みなさんがいなくなるのはいやです」
「いなくなる――?」
 そう、呟いてからはっとした様にスティアは息を飲んだ。
 一人の聖女が姿を消した。その場面、焔に抱かれる様にした彼女を見送って呆然とした様子であった聖女の殻。
 彼女も、自分も『そうなる可能性はある』のだ。
「スティアさんは、いなく――ならない、ですか?」
「……ならない、と、思ってる」
 けど、可能性がある。今回はならなくても、いつかは、と。
 そう思えば思う程に不安は首を擡げるのだ。花瓶で咲いた花が首を傾ぐ様に、その不安がその姿を露見していく。
 カーテンの向こうから覗いた空は夜にしては余りにも濃い色をしていて。海の底のような感覚さえも襲い来る。
 星屑さえ見えぬその中に、どぷりと沈み込んだまま、エルピスはちいさく笑みを浮かべた。
「もしも、とか、もしかしたら、を口にするのは悪い癖だといわれたことがあります」
「誰に?」
「『彼』に――」
 大切だった人に、とくすくすと笑ったエルピスはふと、瞬いてスティアを見詰めた。
 彼女は何も知らない。たい焼きの甘さも、茶の渋みも、こうした夜の憂鬱さえも。
「スティアさん、教えて欲しいのです」
「んん?」
「わたしに、たくさんのことを」
 貴女の迷いも、貴女の楽しみも。何もない殻だから――聖女であった以外は何も残らぬからという様にエルピスは唇を震わせる。
 言葉が欲しければいくらだって与えられるだろうけれど、気持ちは酌み交わさなければ平行線だ。
 少女は、少女らしくあらんとする。
「うん、じゃあ、まずはたい焼きのおいしさからレクチャーしようかな?」
 冗談交じりに、小さく笑って。スティアの視線が揺れたカーテンに向けられる。白百合よりも尚白い、嫋やかな花は涙を流す様に一粒をサイドテーブルへと落とす。
 誰かが泣いているから、救いの手を差し伸べたいだなんて。
 きっと誰もが思う事だから――それが間違いではないと確かな証左を探す様に言葉を巡らせて。
「誰かを護りたいって、素敵な原動力だとおもわない?」
「ええ、ええ」
 頷くエルピスがたい焼きの頭と尻尾を眺めて何処から食べるのでしょうかと首を傾いだそれにスティアは小さく笑う。
「日常を護りたい、なって」
 そう、思うのだと言葉はするりと飛び出した。

 聖女。
 誰かのためにあるもの。
 誰かのためではなく、自分の為と願えたならば、それは聖女と呼べないのではないか。
 あなたが苦しまないように、と自身を苦しませるそのかたち。
 きっと、それは誰かを救いたいと願った『誰かの願いのかたち』だった。

  • 夜の裏側完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別SS
  • 納品日2019年06月25日
  • ・スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034
    ・エルピス(p3n000080

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