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イナリさん家の今日のご飯
登場人物一覧
●腹が減ってはなんとやら
夕暮れ時。依頼帰り。
「はあ、今日はいつもより疲れたわね……!」
ぐい、と大きく伸びをして空を眺めれば、薄青の空も段々と夕焼けが満ちている様子。
(確か今日はあそこの商店街がお買い得だったはず……よし、少しお買い物して帰りましょうか)
ふう、とひといき。
浮かべた安堵はよし、と決意へと変わる。
もうすぐ晩御飯。今日は何か、特別なものを食べたい気分だ。
イナリはエコバックを鞄から取り出すと、幻想の市場へ向かった。
「よってらっしゃい見てらっしゃい! 今日はこっちの魚がお買い得だよ!」
「さくさくであっつあつのコロッケはどうだい! 晩御飯のおかずにもなるさ!」
「今日はいい肉が入ってるよぉ! さ、さ、早いもん勝ちだからね!」
「さっき取ってきた新鮮な野菜はいかが~!」
「……!」
今日の市場は人でにぎわっていた。何せ今は週末、そして夕暮れ時。
主婦や子供連れの姿が見受けられた。人々の声があちこちで聞こえる。
(今日の晩御飯は何にしようかしらねえ)
みずみずしくぷっくりと熟れたトマト。
しゃくしゃくとした触感が堪らないきゅうり。
そろそろ旬の、水分の豊富ななすび。
おくらだって、とうもろこしだって、ピーマンだって捨てがたい。
今日はお野菜たっぷりの夏野菜カレーにしてしまうのも悪くはない。
しかし。イナリのその考えは、飛び込んできた一言で一変してしまうのだ。
「揚げたてのふっくらなお揚げはいかがかねー! 綺麗なきつね色だよ!」
仕事で疲れた身体においしい揚げたてふっくらなお揚げさん。
だめだ。口の中に、よだれが。
そう思う頃には財布を片手に豆腐屋へと駆けこんでしまうのが人間――いや、食べることがだいすきな皆のお決まりだろう!
「まいどあり!」
と耳に聞こえた頃には、湯気の立つお揚げを手に握っていた。
(……買ったはいいけど、何に使おうかしら)
そのままきつねうどんにするもよし。でも夏には些か暑いというものである。
おひたしのお供にはちょっともったいないような気もする。
「あら、イナリちゃん。それお揚げ?」
「肉屋さんこんにちは。そうなの、ついうっかりおいしそうで買っちゃって。
でもどうやって食べようか悩んでるのよね……」
「餃子、なんてのはどうだい?」
「……お揚げで?」
ぱちぱちと瞬いたイナリに肉屋のおばちゃんはパチンと愛嬌のあるウインクを決めると、レシピを教えてくれた。
「ますは、ええと。おうちに鶏もものミンチってある?」
「ないわ」
「なら買っておいき。んでね、卵と豆腐、あと薬味にネギがあるといい」
「ふむふむ」
頷いたイナリ。『じゃあお肉分量分頂戴』『150gね。値段はわかってるだろう』『ええもちろん。そろそろ常連でしょう?』『とっくの昔からさ!』なんて会話を交わすころにはレシピのメモを渡されて。
「仕事は疲れただろう。美味しいもん食べて、ぐっすり寝て。また仕事のときに頑張るといいさ」
「ありがとうおばちゃん」
「こら、おねえさんだろう?」
「ふふ、そうだったわ
じゃあ、またね!」
「ああ、気を付けてお帰りよ!」
●お揚げの餃子
廃墟の稲荷神社はイナリの住処である。見た目こそ古びていて人の気配すら感じさせないのだが、実際はその奥にはイナリの生活スペースが築かれていた。
淡い緑のタイルの敷かれた厨房はどこか懐かしさを覚えさせるし、襖を抜けてすぐにある居間とちゃぶ台には愛着を覚える。
「ただいまー……っと。ふう、それじゃあ、晩御飯にしようかしら」
肉屋のおばちゃんからもらったメモを見る。なるほどこれはおいしそうだ。
慣れた手つきで朱色のエプロンを結ぶと、イナリは早速調理をはじめた。
「ご飯にあうから、まずはお米を炊くべし……」
仕方ないのでお米を水で洗い、釜に水を張り、火を起こして炊いておく。
みそ汁も隣で火にかけておく。熱々になりすぎないように注意しなければならない。
お米がいい具合になる内に、本日のメインディッシュを作ることにしよう。
(えっと……まずはしょうがチューブ少々、めんつゆ、調理種と片栗粉をそれぞれ大さじ1、で、ミンチと粘り気がでるまで混ぜ合わせる……)
こねこね。肉はなんともべたついていてこねるときは少々手が汚れてしまうのが厄介だ。
しかし案外苦になるわけでもない。美味しい餃子が食べられるならそれだけで充分だ。
(次に、長ネギの刻んだのと、豆腐を加えてまた混ぜる)
再びのこねる作業。美味しくなあれ。いや、きっとなるはずだ。
なにせ肉屋の奥さんが教えてくれたんだ、美味しいに違いない!
そう思ってこね続けると、いい感じにまとまってきた。
(で、これを真ん中を半分に切ったお揚げの中に入れる)
不器用だと少し難しい作業。多めに買ったお揚げのうちいくつかは力加減と肉の量を誤って破けてしまうが、食べられないことはない。
「ま、まあどうせ食べるの私だものね」
うんうん。頷いて自分を納得させると、なんとか肉を詰め終えた。
「で、めんつゆと水を一対一の割合で混ぜたものに砂糖を大さじ1。フライパンに並べて置いたさっき詰めたお揚げたちにかけて、中火ね」
落し蓋をのせて、蓋をかぶせて。しばらく待つとぐつぐつと煮える音と少し甘い香りがする。
しかし待つだけでは面白くない。薬味にと勧められ買ってきた青ネギをトントンと木のまな板の上でリズムよく刻む。
(あらこのネギ、新鮮なのね)
しゃきしゃきとしたネギがだいぶ切れたころには、フライパンの中の水分もなくなるころ。
お皿の上に菜箸で飾って、ネギをたっぷりのせれば、完成だ!
「おお……!」
◇
お揚げの照り焼きチック餃子
白米
わかめと豆腐の味噌汁
◇
「よし、それじゃあいっただっきまぁーっす!」
餃子をお米の上に乗せずに、まずはそのまま。
ぱくり。
じゅわあ、と口の中に広がる肉汁。ねぎのしゃきしゃきが堪らない。
(は~~~~~おいしい……しあわせ……)
ご飯のお供になること間違いなし。これはお米を炊いておけと言われるわけだ。
お米と一緒に食べれば、また格別の味。
(あーーー……明日からもまた、頑張りましょう!)
美味しいご飯に満たされていくイナリは、また肉屋の奥さんに美味しいレシピを教えてもらおうと決意したのだった。