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呼ぶ声に答えることの是非
登場人物一覧
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どこにいるの――。
日暮れにはまだ時間がある。
誰かが、おそらく子供を探している。
少しじれていて、それより多めの心配がにじんだ声。
「お母さんかな」
「いたずらっこだな。探されてるのは。多分」
次の依頼の現場に向かう途中。残念ながら一緒に探してやることはできない。
「アカツキは探されたろ。ちっちゃい頃」
急にお鉢が回ってきたアカツキ・アマギ (p3p008034)は、何を言うか。と反論した。
「妾ほどおとなしく可憐なものは親類縁者のどこを探してもいなかったぞ。本を友とし、廊下を走ったこともなければ、カトラリーをおもちゃにしたこともない、お人形さんのようなオヒメサマだったとも」
同行者達は、一様に眉を寄せた。
「嘘ってのはちょっとは真実を混ぜた方がそれっぽくなるんだってよ?」
「なにをいうか。混じりっけなしの真実じゃ。汝らこそ現実とやらを見つめるがよいぞ」
そう。ほんの少し前の話。幻想種にしてみれば昨日のことのような数年前の話だ。
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はたはたと紅葉が落ちる。
夏の間は暗くなるほど茂っていた派も、秋になれば色づき落ちる。ぱたぱたとアカツキの頭に容赦なく降ってくる。
彼女の頭をたたくなど、彼女の親すらしたことがない。
ひいさん、ひいさん、どちらにおわします――。
話し相手にと召し抱えられた娘が探している。かさかさと葉を踏む音がする。 今、アカツキがいるあたりは重なり合った茂みの関係で、ちょっとしたかくれんぼスポットなのだ。
この場所を一緒に発見した従姉妹のことを考える。書いた手紙が束になって戻ってきた。自分で蝋を垂らした封をはがし、儀礼文を端折っていきなり本題から入る文章を読み返す。ああ、はしゃいでいる。と、自分で思い、『今度はいつ会えるかしら。新年にはいらしてね』と、少しすました言い回しをしている文を見つけて気恥ずかしくなる。いつ会えるかとは今でも聞きたい。
どちらにいらっしゃいますか――。
娘の声がまた聞こえた。
彼女はどのくらい自分のそばに置かれるだろう。どういう意図からか、部屋のカーテンを変えるように使用人が変わる。
ここにいると言うのは簡単だったが、そうする気にならなかった。
何をしている訳ではない。戻ってきた手紙を握りしめて、空を見上げているだけだ。端から見たら、泣くのをこらえているようではないか。だが、涙も流れてこない。それが湧く場所が干上がって、もう何も出てこない。
別に牢に入れられている訳ではない。外出を望めば許されるだろう。旅行を望めば別邸が用意され、使用人たちと一緒に送り出されるだろう。周囲に見守られ続ける98の秋。
名家の令嬢。掟と伝統という名の因習の元に育てられている。
その考えに異を唱えたことはない。忌々しく思ったことはない。今のところ。
ただ、従姉妹にしたためた手紙が受け取られることなく手元に戻り、非常に遠回しにもう受け取る相手はここにいないことを示唆され、どうしてそうなったかは少なくとも今は教えてもらえそうもないのはわかってしまって。
自分を呼ぶ声に素直に応じて、暖かい部屋で午後のお茶を飲む気にはなれないということだ。
見上げれば、葉が落ちて透けかけている梢の奥にすっかり透明感を増した空が青く遠い。のしかかってくる赤い枝。手を伸ばしても、触れるのは落ちてくる枯れ葉ばかりだ。井戸に落ちた子猫にでもなった気がする。いや、子猫ならきっとすぐに溺れ死ねるだろうが、幻想種の寿命は長い。いつかは、胸の中の空虚も、あんなこともあったわね。と、笑って振り返れるようになるのだろうか? 自分そっくりの子供の頭を撫でたりしながら?
――そういう生き方をしたいならすればいいと思う。悪い生き方ではないと思う。だが、アカツキは「そういう生き方をするか?」と尋ねられたことさえなかった。目の前には舗装された道しかなかった。選択という過程を与えられていない。
「みんな燃えてしまえばいい……」
舌の上に乗せると、それは大分楽しいことのように思えた。
「全て燃えてしまえばいい……!」
吐いた言葉に火の粉がまとわりつけばいいのに。
はたはたと落ちる紅葉のように何もかも赤い炎になるといい。
視界の中で煌々と日に透けて燃え立つような紅葉。何もかもがあの赤になれば。
ああ、そうだ。それがいいのかもしれない。
ぽっかりとあいた空虚。
そこに詰めるのは午後のお茶とお菓子ではなく、戻ってきた従姉妹への読まれることはなかった手紙の束でもなく、無聊を慰めるたくさんの本でもなく――。
ひいさん、どちらですか――。
声が思ったより、ずっと近くで響いた。この場所を知られるのは嫌だった。いついなくなるかもわからない侍女と秘密を分け合いたいとは思えなかった。
茂みを抜けて、大事な場所から離れた。どうでもいいところまで来て、初めて声を上げた。
「ここにいる」
そうだ、選ぶことは誰に許されなくてもできるではないか。今だって、呼ぶ声にこたえるか否かは自分で決めたではないか。今、答えたのは、呼び声に屈してではない。答えた方が自分に都合がよかったからだ。
自分で選ぶことはできるのだ。誰に与えられなくても。
アマギ家令嬢アカツキの逸脱のささやかな最初の種火はここに見いだされる。
今つけた足跡を導火線にして、紅葉が降り積もる秘密の場所に本物の炎が放たれるまで二年はかからなかった。
だが、ここでその顛末を語るのは無粋というものだろう。
アカツキが完全な逸脱に至るまで、もう彼女の人生に幾人かの登場を待つことになる。
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探されていた子供は無事に見つかったようだ。歓声の後、子供を呼ぶ声は聞こえなくなった。
「妾の言うことを信じられぬとは、甲斐のない奴らばかりじゃ」
アカツキは下を向き、うっうっなどと言って目元をぬぐっているが、濡れているわけではない。どう見てもウソ泣きだ。水気が足りない。
「――だってさー。アカツキがそんなじっとしてるようには到底思えないしさー。それがほんとだってんなら、いったい何がどうしてそんなんがこんなんになってんのさー」
ごもっともな指摘。
「そんなんがこんなんって、どっちにしてもあまりいい意味じゃないような気がするんじゃがの」
「まあまあ。それで、何がどうしたわけ」
「そうじゃな」
アカツキは、大地を踏みしめた。さえぎられない空はどこまでも広く続き、燃やし尽くすのにも骨が折れそうだ。
「いつまでたっても燃えぬなら燃やしてしまえばいい。と、気づいたというところかの?」