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クィーンズ・ブレックファストは焼きたてのパンで
登場人物一覧
●剣爛たる天鍵の城へ
「割と大変な事になった気がする……」
東の空に薄明差す中。元・ごく普通の高校生、零が人気の無いストリートを歩いていく。
気まぐれな混沌世界は、異界からの客人にひとつだけ祝福を贈る。彼が受け取った贈り物は――無限にフランスパンを出せる力。
あらゆる危険と隣り合わせの世界でどんな『爆死』をした事か。当時はそう思ったが、ここ一年ほどの間、多方面でこのパンを呼ぶ事が増えている。
なんと、先日は異世界の大罪女王と占導の魔女といった大物ふたりに気に入られ、前者、善と悪を敷く天鍵の女王――レジーナからは定期配達を頼まれるようになったのだ。
今日は初めての配達日。事前に受け取った地図からレジーナの家を探す……までもなく、彼女の家は間違いようもないほど目立つ。メインストリートから少し離れた場所にある廃劇場、そこが彼女の住まう場所だ。
華やかなりし場は寂れて久しく、門や外壁、オブジェクトは相応に痛んで、かつての栄光の残滓をわずかに残すのみ。こんな場所で、彼女はちゃんと暮らせているのだろうか。毎日三食、きちんと食べているのだろうか。
門は施錠されていない。玄関前まで歩いていき、お届け物です、と主人を呼んだ。
重厚な扉が音を立てて開き、内装が現れる。外側と打って変わって、壁紙や絨毯、数々の調度品は汚れひとつ無い。頭上にある大きな天窓からは朝日が差し込み、それを受けた大きなシャンデリアが複雑に輝く。
(廃墟そのまま使ってるのかと思ったけど……むしろこれ、普通に現役でお城じゃ……?)
「ようこそ。我が城へ」
正面階段の踊り場の上。城主である少女の姿をした戦神は、どこか得意げに来訪者を出迎えた。
「お、おはよう……お久しぶり」
ゴブラン織りの絨毯は染みひとつ無く、踏み込むに躊躇してしまう。
「緊張してるのかしら? 気を楽になさい。汝(あなた)は客人なのだから」
「は、はいっっ」
何処を見ても隙が無く、美術品や細かい装飾に至るまで城主のこだわりを感じる空間だ。
(こんな場所、ゲームとかでしか見た事ないや……)
混沌では今更の事だし、こういった場所も初めてではないが、一般市民の感覚を持つ零はつい畏まってしまう。
レジーナに促されて着いた場所は、朝日の差し込むテラスだった。真っ白なテーブルクロスと、揃えて置かれた白と銀の食器が眩しい。そして、
「あー、来た来た! お久しぶりね、パンの英雄さん!」
「ほほー! 彼が噂のパン屋さんか!」
「……え」
レジーナ以外にも、思いがけぬ客人がふたり。城主より先にくつろぎながら、零を今かと待っていた。
「レジーナちゃんが配達頼んだって聞いて! 私もまた食べてみたくって、お邪魔してるわ!」
テーブルの上には紅茶のポットとカップ、砂糖にミルク、パンのお供のバターやジャム、蜂蜜などがずらりと置かれ、準備は万端といったところ。
「あ、アストラークさん……と、こっちの人は?」
優雅に紅茶を楽しんでいる三角帽の女性、アストラークの方は面識がある。もう片方――レジーナによく似た銀髪の少女は、果たして誰だろう。だいぶ似ているから、血縁者かも知れない。
「私の方は初めましてだな。私はクラルス・アルカナム。一応、幻想のアルカナム家の娘さ!」
「は、初めまして……零です。上谷・零っていいます。よ、よろしくお願いします……!」
本人は一応、とは言うものの、活発そうな声の中にも何処か気品を感じる。
(あれ? そういえば、アルカナム家の娘さん……って事は、レジーナと血の繋がりとかは無いのか)
他人の空似、というには似過ぎているが、初対面であまり突っ込むのも憚られる……というか、切り込んでいける程の余裕と度胸は零には無く。レジーナは優雅に席に着くと、固まっている零を促した。
「後からのお願いになってしまうけれど、彼女たちにもパンを頂けるかしら」
「も、勿論! 問題なしだ!」
●契約(geis)に従いパンを焼こう
「私は初めて見るなあ。どうやって焼くのかな?」
初対面のクラルスは、噂のパンの製造工程に興味津々だ。
「焼くっていうか、俺のはあれです……いわゆるギフトで、こう」
零が右手を広げ軽く念じると、何処からか、パンを焼く時の匂いがしてくる。
「おおー?」
異世界の英雄に魔女、幻想の貴族令嬢。剣爛たる面々が、焼き上がりの瞬間を今かと待つ。
「……えいっ!」
ぽふん! と、焼きあがったパンが現れたが……
「んん? 君のフランスパンって、黒いのかな?」
「あ、いや、これは……焼き過ぎたやつだから! どう見ても! 危ないって!」
事情の分からないクラルスが焼き過ぎたパンをそのまま受け取ろうとするのを、零は慌てて片手で制した。
「す、すぐ焼き直します!」
落ち着け、まずは深呼吸だ。焼き直しとはいっても、ギフトの力ですぐに出せるし。
次に焼き上がったパンは、見事なきつね色。食べやすいように切り分けようと、持参したナイフを入れる。さくりと良い音を立てて、真っ白な中身が現れた。
「おおー!」
「これよ、これ! 噂のすごいやつよ!」
「これでこそ、零のフランスパンなのだわ」
やんごとなき女性たちが、手際よく切り分けられていくパンを前に歓声を上げた。
程よくこんがりと固い表面に反して、中身は水分を含んでふんわりと。この上にバターをひとかけ落としたならば、どんな幸せが出来上がるのだろう。
「これで、よし……じゃ、じゃあ、遠慮なく食べてください! おかわりは幾らでも出せますから!」
「頂くのだわ……」
真っ先に零と契約を交わし、誰よりもこの時を待ちわびたレジーナがパンを一気に頬張った。
「はふ! はふいっ」
「ああ! 焼き立てだから、気を付けないと火傷しちゃうぞ!」
はふはふと口の中で冷ましながら、ひとくち目を飲み込む。
「そんなにがっつかなくてもパンは逃げないし、足りなかったらまた焼くから……」
「はふ……ふかくを取ったのだわ、我(わたし)とひたことが……」
今度はもっと小さくちぎって、少しだけ冷ましてからのひとくち。焼き立てあつあつのパンというのは良いものだが、焼き上がり直後では熱すぎる。しかし、冷めてしまうのは何となく勿体ない。そんなジレンマの中、先ほどよりもじっくりと咀嚼し、口の中で転がして香りと食感を充分に楽しむ。
「それじゃあ、私たちもいただきましょっか!」
「ああ! この瞬間の為に、今日は休みをとってきたんだ!」
城主を待ってから、客人ふたりも実食に入る。まずは、何もつけずに、まずはひとくち。
「「美味しい!」」
噛み応えがある表面に、中は蕩けるようなもちふわで。一本で二度美味しいとはこの事か。初めて食べたクラルスも非常に気に入ったようで、早速もう一枚に手を伸ばす。切り分けたパンは、あっという間に無くなってしまった。
「おかわり、いただける? クリスとアストラーク用にもう一本と、我にもう一本」
当然、まだまだ食べ足りないと。レジーナが追加のパンを催促する。
「レジーナ一人で一本分? 一本って結構大きいけど……大丈夫?」
「問題ないわ。この時の為に、入念な準備をしていたのだから」
「そうなのよー! レジーナちゃんったら今日沢山食べるからって、昨晩からご飯を抜いて……」
「アストラークっ!」
旧知のふたりがやり取りする間に、二本のパンが焼き上がる。まるまる一本分はレジーナへ。時として武器や盾にさえなるこの一本も、大罪女王の前に儚く散った。
「ふう、今度も美味しかったわ……もう一本いただける?」
「りょ、了解……!」
三本目はお供のジャムや紅茶の種類を変え、別の組み合わせで試してようとの事で。
「あらあら、レジーナちゃん! ほっぺにジャム付いてるわ!」
「ほふ?」
夢中でパンを頬張った結果か。アストラークが本人に代わって、レジーナの口元を拭う。
(なんというか……)
戦いの場に居る時とは随分と印象が違う。ごく普通の――ちょっとだけ食いしん坊な女の子のようだ。偉大なる戦神にして大罪を持つ女王の顔と、幼さの残る少女の顔。一体どちらが『レジーナ』なのか? 否、どちらも『レジーナ・カームバンクル』その人なのだ、きっと。たぶん。
そんな事を、零は思った。
レジーナ程ではないにせよ、アストラークとクラルスもよく食べる。偉大な力を振るう者は、やはり相応のエネルギーが必要なのか。
「君は地球出身なんだってね。ねね、ゲームとかするの?」
「あ、はい! たしなむ程度には」
クラルスが興味深そうに、零の方へ身を乗り出す。零が居た時代では、何らかのゲームに触れた事がない者の方が、むしろ少なかったかも知れない。
「混沌でも友達と遊ぶ事はあるけど、まさか異世界に来てもゲームがあるとは思わなかったなあ……です」
「そうそう、混沌にはあんまりそういうのが無かったから今、私の方でモリモリ作ってるんだ!」
練達と一緒に地球のカルチャーを学び、そういった商品を作るプロジェクトを回しているとか。
(お、俺、ちょっと場違い過ぎないかなあ……!?)
初対面の少女はただの貴族令嬢ではなく、相当のやり手であった。所在無げにする零に、クラルスが何かの冊子を開いて見せる。
「で、最近始めたのがこれ。アストラークゲッシュって言ってね」
開いた冊子は『クィーンズプロジェクト』の商品リストであり、見開きの頁にはファンタジー的なイラスト数点と世界観が見開きで紹介されている。
――アストラークゲッシュ(Astrark geis)。
ゴシック調のロゴと、重厚で華麗なイラストが印象的なトレーディング・カードゲームだ。元々地球で作られたものだが、近ごろ、混沌でも同じ名を見るようになった。そして今、目の前で自分の焼いたパンを食べているのが、混沌でそれを立ち上げた者だ。
次頁からのカードリストの中には確かに、見覚えのあるイラストやカードが幾つかある。『善と悪を敷く天鍵の女王』のカードも――
「完全再現、とまでは行かないけどね。なに、何だったら本家だって超えてみせるさ!」
クラルスがこのプロジェクトにかける意気込みは相当のようで、『本家』の収集にも余念が無いとか。
「そ、そういえばそれ……俺のクラスでも遊んでる奴居たし、駅に広告も出てたっけ」
「いいよねえー、地球のカルチャー! 混沌でも熱心なプレイヤーさんが少しずつ増えてきて、大会は毎回盛況なんだ。最近、強化パックも新しく出たし」
無邪気に語るクラルス。ああ、この娘は本当に地球のこの文化が、ゲームが好きなのだなあ――と、地球出身の零は少しだけ誇らしい気持ちになる。
アストラークゲッシュはシステムだけでなく、世界観や物語までがきっちりと構築されているのが特徴であり、レジーナやアストラークの出身世界でもある。
「アストラークのゲッシュ……アストラーク……あ! アストラークさんがタイトル!?」
聞き覚えがあるタイトルだと思えば、先日知り合った魔女が冠題だった。やはりとんでもない人だった。縮こまる零を他所に、当の本人は大袈裟よねー、と肩を竦めつつ、数切れ目かのパンを齧る。
「ああ、本当に良いパンだわ……やっぱり私の所にも、定期配達を頼もうかしら」
「全く同感……これは是非、私の所にもお願いしたいなあ」
パンを千切る手を休めたクラルスが、紅茶を一口。一息ついて、浮かんだ内容をつらつらと語る。
「いや、私たちだけじゃ勿体ない……ウチとコラボとかどうだろう」
「えーと、それって……例えばですけど、俺のパンのおまけにアストラークゲッシュのカードが付くとか?」
「そうそう! そういうの!」
地球ではよく行われていた販促である。効果的なのは間違いないが、食品とカードの組み合わせには、どうしてもの問題が発生する。カードだけ抜いて食品を捨てる、といった行為は少なからず起こりうる。当然のように、クラルスはそこまでも見越して言った。
「確かにあり得る事だけど、地球……零君の居た地域のように食べ物が豊かな場所は、混沌にはそこまで多くない。まして、こんなに美味しいパンを捨てようものなら、混沌の神が黙ってはいないさ」
「そ、そうなんすか……とと、か、考えておきます! あ、個人的な配達の方は勿論、喜んで!!」
話がどんどん膨らんでいくが、少なくとも今この瞬間、顧客が増えたのは確かだ。
●その伝説(ジンクス)を破れるか
「ご馳走様! いやー、最高だったよ!」
何本焼いたのか数え忘れるほど、沢山のパンが出て行った気がする。
(3人ともあんなに細いのに、一体何処に入るんだろう……)
特に依頼人第一号のレジーナは、体内に異空間でもあるのかという食べっぷりだった。戦いの時も大技をよく放っていたし、やはり蓄えが要るのかも知れない。
「そうだ。お礼をしよう。お礼になるといいが……零君、ちょっと手を出して」
クラルスが指をパチンと鳴らす。言われた通りに差し出した零の手のひらが少し温かくなり、何かがふわりと現れる。素朴な素材で作られた、花のコサージュだ。
「これは……」
「私のギフト、【混沌蒐集(コレクト・カオス)】さ。何処からか何かしらのモノを呼べるんだけど……ありゃ、君にはあんまり合わなそうなやつが来たか。申し訳ない」
「そうねえ。誰か知り合いの女の子にあげたら、喜ぶんじゃないかしら?」
アストラークの提案に零はなるほど、と納得しかけて、魔女の『知っている』と言いたげな表情に気づく。
「そ、そうすね……こう、知り合いに!」
「あら。プレゼントの宛てが?」
青春かしら? と、レジーナが茶化す。
「そういうレジーナちゃんは、どうなのかしら?」
「わ、我、は……そ、そうね。順調、とまではいかないけれど……」
「そういうの絡みでは、レジーナちゃんったらかなり波乱万丈だったものねえ。平和なのはいい事かもね」
零の手にあるカードの一覧には、簡単な紹介文も付いている。解説によると、この大罪女王は幾つかの恋をして、その度に結構な目に遭っているとか。当の本人、レジーナは何の話かとそっぽを向いて、使い魔に食後の珈琲を命じた。
異界の神や大英雄すら魅了した零のフランスパンに、着実な展開を行うアストラークゲッシュ。両者の名を混沌中が知る事になる日も、案外遠くはないのかも知れない。