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獅子心の再会、兄妹の絆
登場人物一覧
□ある潮風の噂
自分がこの世界に喚ばれて、気づけば三年もの月日が経とうとしていた。
唐突にそのことを思い出した理由は定かではない。ふと郷愁が胸の内に芽を出しただけのことだ。
しかし懐古の念とは得てしてそういうもので、フェルディン・T・レオンハートは知らず己の頬が緩むのをやや遅れてから自覚した。
「そうか、もう三年になるのか……」
郷愁に駆られるようにして口にする。
たかが三年。しかし、されど三年。この摩訶不思議が我が物顔で跋扈する無垢なる混沌で過ごした月日は、言葉にすれば呆気ないが、その実途方もなく濃密だった。
かの大召喚期に喚び出され、多種多様という言葉ですら例えるに足りないイレギュラーズの一員として生きざるを得なくなってから、三年。
その年月に彼が経験した出来事の数々は、一時であろうと故郷を忘れる程に鮮烈だった。
そしてたった今何の脈絡も無く故郷のことを思い出したことに、フェルディンは奇妙な巡り合わせを感じてならない。
――あるいはそれを運命と呼ぶのかもしれないが――
往来で立ち止まっていたことに気付いて歩みを再開した彼の耳へ、ふと漁師たちの野太い声が届いた。
声音には幸福と希望の念が宿っていて、彼らは口々にある者達の名を讃えていた。
それは他地方でも轟く威名からとんと聞き慣れぬ名まで。しかしいずれも等しく熱を上げて口にしている。
ここは海洋。ネオ・フロンティア海洋王国。
この混沌随一の海洋国家にして、ほんの先日まで存続が危ぶまれ――しかして未曾有の大偉業を成し遂げた時の国。
かの冠位魔種アルバニアを降し、荒ぶる海龍をも鎮め、悪名高き『絶望の青』すら踏破した、今最も混沌でホットな地だ。
彼らが口々に語った名の数々は、その世紀の大決戦において活躍した名だたる英雄達のものに違いなかった。
「…………フッ」
フェルディンもまたそうした英雄達の一員だった。
とはいえ彼自身それを吹聴するようなことをしなかったためにそれを知る者は少ないが。
しかし生来善性の性根であるフェルディンは、知らずとも英雄達の話題に花を咲かせる彼らの姿を見て誇らしく思う。
一方で少々気恥ずかしくもあったので、気持ち歩を早めようとして――
「そういや噂の聖剣騎士団だけどよぉ、まーた可愛い子が増えてたよな。目ェの真っ赤な別嬪さん」
「ああ見た見た、リディアちゃんだっけ? オレ遠目にしか見たことねぇけどよ、あーんなカワイコちゃんが切った張ったしてんだろ? すげぇよなぁ」
「そういや幻想にギルドも持ってるらしいぜ? なんでも酒場だってよ。一度行ってみてぇよなぁ、あと酌もしてもらいて――」
「失礼。その話を詳しく」
「「「なんだアンちゃん!?」」」
――何やらとても聞き慣れた名前を耳にして、彼は思わず口を挟んだ。
◇◇◇
□宿酒場【Bande†Fluegel】
一方所変わって幻想王国の郊外。
辛うじて首都と繋がっているような鄙びた地に忽然と居を構えるのは宿酒場の【Bande†Fluegel】。
「なんて読むんだこれ」「ていうか真ん中のコレ(=†)なによ?」と思われているかもしれないその店は、海洋王国の快挙に賑わう巷の波に乗り――ということもなく、最悪極まる立地条件のせいで今日も今日とて閑古鳥が鳴いていた。
時折酒場らしい喧騒に満ちはするものの、客はどいつもこいつも顔馴染みのイレギュラーズ共である。つまるところ揃いも揃って我の強い難客ばかりで、真っ当な一般客に乏しいのが店主――リディア・T・レオンハートの悩みの種でもあった。
無駄に広い敷地や店舗の只中でだるーんとカウンターにダレるリディア。その横で貰ったばかりの給料を手にホクホク顔のアルバイト店員。
客は無くとも店員はおり、店員がいるなら雇用に際しての給料支払い義務が発生する。
稼ぎは少ないのに支出は増えていくばかり……世の無情を嘆くリディアの口からは魂が抜けていた。
「んふ~ふ~♪ おっかねー、おっかねー♪」
「雇い主の目の前で嬉しそうに数えてくれちゃってこいつぅ……今月もお疲れ様でしたぁ!」
「はーい店長! ありがとうございまっす♪」
「ぐへぇ……」
自棄糞気味に労いの言葉を口にしたリディアにアルバイトの彼女は喜色満面に答える。
その表情のあまりの眩しさに灼かれて、リディアは今度こそ液体となって項垂れた。にゃあ。
「にしてもいつにも増してテンション高いですね~。デートか? デートですかこの野郎」
「わたし女ですけど。それはそれとして……んふふ、わかっちゃいますか? このトキメキが!」
「わからいでか!!」
騒々しいほどのリア充オーラにふしゃーっと威嚇を見せるリディア。彼女は暇を持て余していた。
まぁ客もいないしなんなら話ついでにお茶にしようぜってことでティーセットを持ち出し、店主と店員水入らずのティータイムへ移行する。
そして美味しいお菓子に舌鼓を打ちながら尋ねてみれば、どうやら彼女の想い人が久々に帰ってくるらしかった。
「まぁお兄ちゃんなんですけどね」
「お兄さん」
「自慢の兄でっす♪ 強くて優しくてイケメンで、幼い頃からずっと世話してくれたお兄ちゃんが赴任先から帰ってくるんで、わたしもおめかししてお迎えしなきゃってことで!」
ははぁんさてはこいつブラコンだな? リディアは訝しむまでもなく察した。
そして始まるかしまし妹からのブラコントーク。リディアはノンシュガーの紅茶がやけに甘くなったのを感じた。
どちらかと言えばおとなしめの子だと思っていた店員が、兄の話題となるとやたら饒舌になって早口で捲し立てるのは、ブラコンと言うにはやや行き過ぎな気もしないでないが、さておき。
そうも慕う兄がいるのは幸せだなぁと思いながら、リディアも釣られてぼんやりと兄の顔を浮かべて。
「店長……お兄さん、いますね?」
「な、なにゆえ!?」
「今妹の顔してました。雌妹です」
「めすいも」
なんだそのふしだら感漂うワードは……リディアは戦慄した。
だが雌妹なるパワーワードはさておき、敬愛する兄云々に関してはリディアも認めるところである。
その心情を察したのか店員はずずいと身を乗り出し、やたらめったら兄の話をせがんできた。
どうやらこの女、兄なるものの話題であればそれが他人のであっても興味津々らしい。これが雌妹か。
◇
「ははぁん……店長、貴女もなかなかの妹っぷりですね。わたしのブラコンアンテナがビンビンですよ、ビンビン!」
どうやら感度最高らしい。やたらハイテンションになった店員を前にリディアはどっと項垂れた。
一方でぼかしぼかしながら互いに兄妹の思い出話に花を咲かせる内に、今までは時折思い返すばかりだった兄の顔が脳裏に焼き付いているのを感じた。
「……今どこにいるんでしょうねぇ」
「店長のお兄さんもこちらに来ている……んですよね?」
「はい……」
「わたし、旅人さんのことはよくわかりませんけど、二度と会えないものと思っていた家族と再会出来る可能性があるのなら、一刻も早く会いに行くべきですよ! 兄を追わずして何が妹ですか!!」
「でもあなたは待って……」
「待つのも妹です!!」
妹ってなんだろう。リディアは訝しんだ。
しかし彼女の言うことも尤もである。一度は二度と会えないものと思っていた兄だ。それが如何なる奇縁か同じ異世界に喚ばれていて、イレギュラーズとして活動している。この機を逃せばいつまた会えるとも言えない身の上なら、一度積極的に探してみるのもアリではないか。
そうつらつらと述べてみれば、店員は鼻息荒くして即行動の構えだった。妹の行動力が凄い。
「とりあえず似顔絵でも描いてみましょうか。……よし、それじゃあ特徴をどうぞ」
「ええと髪は金で瞳は青の――」
「間違いなくイケメンですね……こんな感じですか?」
「うっわめっちゃ上手いですね……かなり似てます似てます。あ、でもここはもっとこう……」
「ふんふんふん、ならこう修正して……」
思わぬ特技を見せる店員とあれこれやりとりすること暫く、スケッチには見るも見事な王子様風のイケメンの似顔絵が出来上がる。
まさしく渾身の出来と言っても過言ではない似顔絵にリディアも思わず拍手を贈り、店員も満更でもなさそうにドヤ顔を決め――
「ちなみにこちらのお客様とどちらが似てます?」
「うーんやっぱり絵よりも実物のほうが似て――ぴゃあああああああああああ!? お兄ちゃん!? お兄ちゃんナンデ!?」
「やぁ、久し振りだね。リディア」
たまたまそのタイミングで来店した客と似顔絵とを見比べ、直後に瞳を深紅に染めながら絶叫した。
◇
気づけば姿を消していた店員を除いて、二人。
思いがけぬ再会を果たしたリディアは未だに瞳を紅く染めながら兄と相対する。
慌てふためく妹に苦笑するフェルディンだが、愛おしい妹と三年振りの再会に彼もまた瞳をやや紅く染めていた。
リディア程ではないのは会いに店へ向かう内に落ち着いたからか。しかしそれでも再会の喜びは隠しきれないようで、目尻にはうっすらと雫が浮かんでいた。
「お、お兄様……ほんとうに……?」
「三年間も、ごめんね。また会えて嬉しいよ……リディア」
改めて紡がれた再会を喜ぶ言葉。その声に、リディアは彼が紛れもない兄自身であることを確信して――胸に飛び込んだ。
嗚咽も涙も無く、ただ温もりを確かめ合うだけの抱擁だったが……だからこそ安心する。
三年もの間触れ得なかった肉親の温もりに、リディアは兄の腕の中で甘えた。
「私、話したいことがいっぱいあります」
「ボクもさ。リディアに話したいことがたくさんある」
「なら、今夜はお泊りになりますか?」
「そうだね。結構な長旅だったんだ、ゆっくりさせてもらおうかな」
「なら、とびきりの部屋をご用意しますね。お兄ちゃん!」
――それは花咲くような笑顔だった。