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灯に導かれし先は、
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- 焔宮 鳴の関係者
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──光を追ってきたような気がした。
──それはふと消えてしまいそうな、か細い光。
──いいや、小さな火だったかもしれない。
──ふぅわり、ふぅわりと。
──嗚呼、あれは何だっけ?
「……あれ?」
焔宮 鳴(p3p000246)はぱちぱちとその瞳を瞬かせた。ひゅう、と息を吸い込めば知らない香りが鼻腔を擽る。辺りを見渡せば、日もすっかり傾いて橙どころか藍色の空。夜の帳が下りようとしていた。
(鳴、いつの間にこんなところまで……?)
つい先ほどまでもう少し町らしい風景の場所にいたし、時刻も夕暮れが迫るほどではなかった。それだけぼんやりしていたということかもしれないが、少しばかりぼんやりが過ぎるのではなかろうか。
おかしいな、なんて首を傾げた鳴。不意に脳裏であの言葉が甦った。
『──あなたは『鳴』ではないのだから』
「……っ」
きゅ、と胸元を掴んで俯く。今は只々ひんやりとした風が吹くばかりだというのに、その言葉はいつまで経っても耳にこびりついて離れなかった。
(鳴が、鳴じゃないのなら……誰なの……?)
思い出せない名前。ずっと続けた自問自答。答えが見えない、雲の中を進んでいるような心地。迷路に入り込んでしまった、と言っても良いかもしれない。
それでも、いつか答えを見つけなければいけないのだとはわかっている。あの人に──”姉上”に会う機会は、絶対にこれからあるのだから。
『それでは、またね──』
姉は姿を消す前、そう言った。ならばその言葉は必ずなのだと、鳴は心のどこかで確信があった。それはやはり、薄ぼんやりとした記憶の中の姉があの人だから──なのだろう。
(姉上は……)
断片的にしか思い出せない姉。優しかったと思う。慕っていたとも思う。だって、束の間思い出した記憶は優しくて幸せで、温かくて。
姉は、どうして魔種になってしまったのだろう。それは鳴の記憶が──思い出せない記憶が、関係しているのだろうか。
ふと、小さな光が視界を掠めた。それは灯火のようで、しかしそれにしてはか細い光。
「あ……っ」
待って、とその光を追って鳴は駆け出す。その正体は虫だ。虫の名前はわからないけれど、虫が特段好きというわけではないけれど、その姿を追いかけなければいけない気がして。
けれど、その光はすぅっと消えていき、鳴は暗闇に包まれた。
「何も見えないの……」
きょろきょろ、と辺りを見回す動きに尻尾が合わせて揺れる。夜目が利く訳でもないので、明かりもないここ一帯は見通すことは勿論、歩く先も見えやしない。月も今夜ばかりはどこぞへ隠れてしまったようだ。
(うーん……あ、こういう時こそ出番なのっ)
鳴は目を閉じ、意識を集中させる。ぽぽぽぽん、という音とともに彼女の周囲には火が灯った。
何かに燃え移ることもなく、ふわりと漂う小さな火。移動には充分な光量だ。
「これでおっけーなの!」
満足そうに頷いた鳴は、しかしその眉をへにょりと下げた。何せ気がついたらこの場にいたのだ。立派な迷子である。
「とりあえず進んでみるのー……?」
迷ったらそこから動いてはいけないと言うが、それは迎えに来る誰かがいる場合である。鳴は1人でほっつき歩いていたのだから、自らの足で帰らねばなるまい。
踏み出した足が柔らかな草を踏む。その感触も、匂いも、風も。知らないのに、どこか知っているような心地にさせられるのは何故だろう。
(鳴は、ここに来たことがあるの?)
それは少なくともローレットに来てから、イレギュラーズになってからではない。もっともっと、前の話。
「──ぁ、」
漏らした声に含まれたのは、一体どんな感情だっただろうか。心をざわりと波立たせたのは、何だったのか。
「鳴……ここ、知ってるの……」
失った記憶の中、それでも脳裏へ残った業火。崩れる屋敷。それはまさしく──目の前の、その名残ともいうような廃墟と一致していて。
知っている。ここを知っている。思い出して。思い出したくない。思い出さなきゃ。
(……鳴、は)
『──あなたは『鳴』ではないのだから』
嗚呼、また。姉上の言葉が木霊する。ここに入れば、何かを見つければ、砕けた記憶のピースは戻ってくるだろうか。
(あるのなら、それはきっと……鳴じゃない、鳴のこと)
イレギュラーズの鳴ではない、ただ1人の幼狐である『私』。私に代わる言葉は、名前は、何なのか。
その答えを求めるように、鳴は1歩を踏み出した。
足元でかさかさと草が音を立てる。音はそれのみで、視界は火が照らしてくれる範囲のみ。それでも痕跡など見つかりもしない。雨も凌げぬような廃墟に人がいないのも当然だ。燃えて倒れたであろう柱に触れれば、それはボロボロも崩れていく。
おそらくこの廃墟は長くはなるないだろう。次に来た時は残骸ばかりかもしれない。
(何も……ない……?)
心によぎるのは安堵か、落胆か。小さく息を吐き出した鳴は、しかし地面に転がった1冊の本を見てその足を止めた。
そっと拾ってみると、それは崩れることなく鳴の手に収まる。酷く焼け焦げているが奇跡的に残ったようだ。
(本……ううん、手帳? それにしては分厚いの)
拙い文字が表紙に見え隠れしている。子どもが書いたのだろうか。けれど、そこに何が書いてあるのかは焦げて読むことができなかった。
中にはどんなことが書かれているのだろう。鳴は何となしに表紙をめくって、……断片的なその文字に瞠目した。
「……あ、あ、」
ばさりと音がする。ああ、本だ。本を取り落としてしまったんだ。いいや、これは本じゃない。手記。日記。日誌。そんなもの。
頭が酷く痛くて、ぐわんぐわんと世界が揺れているような気がして。耳の近くに心臓があるんじゃないかというくらい、心音が大きくて。
とさ、と何かの落ちる音に、しかし最初は自分が崩れ落ちた音だとは気づけなかった。頭痛をやり過ごすように呼吸を繰り返し、鳴ははっと視線を前へ。
向けた瞬間に飛び込む、日誌の文字はどこか歪んで見えた。
──いた■。
──く■■い。
──■■けて。
──■ねう■ どこ。
焦げて歪んで、それでもわかる、言葉。覚えている、思い出した言葉。
それは強い絶望と悲哀に染められていて。
「……あね、うえ……あねうえ、姉上……!」
そう。姉がいなくなって、鳴は"鳴"にさせられたのだ。
『あねうえ』
『あねうえ』
『……あねうえ、どこ?』
きょろきょろと辺りを見回して。見つからないからたたたと駆けて。
屋敷の中。外。一緒に遊んだ花畑。森や、村。記憶にある場所をいくら辿ってみても、大好きな姉の姿は見つからなかった。
いなくなってしまったのだと、誰かが言う。
消えてしまったのだと、誰かが言う。
逃げたのだと、誰かが言う。
真実も嘘も曖昧に、ない交ぜに。そしてその誰かは──大人は揃って口にする。
『名を捨てろ』
『必要なのは当主』
『お前が"鳴"になるのだ』
いやだった。■■■の名前はあねうえが呼んでくれる、大切な名前。それに鳴はあねうえの名前で、■■■のものではない。
痛くて、苦しくて、けれどどれだけ泣いても誰も助けてくれない。──姉も、いない。
『いたい』
『くるしい』
『たすけて』
届かぬ言葉は、日誌の上でしか存在できない。屋敷の外にはもっと明確な不安や、怯え。そんなものが蔓延っていた。
全てはそう、姉の失踪ゆえ。だから代わりが必要なのだ。『鳴』という名の当主たる者が。
だから、どれだけ苦痛であっても押し込めて。
『それでも■■■は、なりとして』
上に、立たなくては。
■■■が鳴になった日。■■■と呼ばれなくなった日。
その日はもう、遥か遠い。
「姉上……どうして……どうして……っ」
悲痛な叫びに、誰かが応えることはない。涙の幕が張った瞳は日誌の最後の文字を捉える。
『そ■でも■■■は、なりとして』
それは、鳴が■■■だった時の最期の言葉。もうそんな者は存在しないのだとでもいうように、名前だけがわからない。
けれど"鳴"は──姉は帰ってきた。名前が思い出せないのに、"鳴"であることを否定して。
だから、自らを鳴と呼ぶたびに心が揺れる。
鳴は鳴じゃないの? なんて呼んだらいいの? 鳴しかわからないの。助けて。つらいよ。苦しいよ。ねえ、姉上──どこにいるの。
ぱたぱたと雫が地面へこぼれ落ちる。奇しくも日誌と同じ言葉を想い、そして助けの手はなく。やはり姉の姿も、ない。
泣きじゃくる鳴は、それでもどうにか涙を拭って立ち上がる。迷子のまま、ここで止まっているわけにはいかなかった。
──帰らなきゃ。
──どこに?
──ローレットに。
鳴は"鳴"ではないかもしれない。けれど、"ローレットの鳴"はこの場にいる鳴以外にいないから。
少なくとも、確かにある居場所。焦げた日誌を手に、鳴はふらりとどこかへ足を向けた。
誰もいなくなった廃墟に、寂しげな風が抜ける。廃墟となった後に生え始めた、比較的新しい草がさわさわと揺れて。
──かさり。
風ではない、何かによる音。草が擦れ、何かが進んでくる音。それは廃墟の前で立ち止まると、そっと建物を見上げた。
1歩、廃墟へ足を踏み出せばボロボロになった着物の裾が揺れる。長い髪は歩いた軌跡を追うように。草の生えていない場所に降り立つのは、火で形作られた狐だ。
その明かりを頼りに、女は──砕宮 鳴は歩を進める。そして先ほどまで妹のいた場所、鳴の涙が残った地面を前に足を止めた。
かがんでさらりと地面を撫でて、その口元に笑みを浮かべて。その手元に火の狐が近づくと、見る間に妹の痕跡は蒸発して消えてしまう。
それはまるで、か細い光が消えてしまうかのように。
「──■■■」
妹の名前。今となっては彼女自身さえも知らぬそれを、姉は小さく呟く。その余韻が止まぬうちに、狐が消え、暗闇が辺りを満たした。
かさ、かさ、かさ。草が擦れる音が遠ざかっていく。今度こそ暗闇を静けさが満たしていった。
──ふぅわり。ふぅわり。
小さな光が、2つ。当てなく飛んで、どこかへ消えて。