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武器商人とセレーデとリリコとあと『とーさま』の話
登場人物一覧
なんとなくそういう気分だったので、武器商人は深い翠のオリエンタルな衣装に身を包み、日傘をさして孤児院を訪れた。
孤児院につくと、あたりはしんと静まり返っていた。
不思議に思い気配をうかがうと、シスターの声が聞こえてきた。どうやら授業の真っ最中らしい。窓からのぞいてみると、シスターは年少の子どもたちに字を教えているところで、年長の子どもたちは聖書の書き取りをしていた。
(出直そうかね)
ところが踵を返す前に、リリコが気づいて振り向いた。
「……こんにちは、私の銀の月。今日はいつもと趣が違うのね。どちらも似合っているけれど」
相変わらずの無表情とつっけんどんな声音。でもリボンがふんわりと楽しげに揺れている。
「あ、武器商人だ。武器商人来たぜシスター」
「休憩! 休憩にしよう~!」
ユリックとザスがもう決まったものとばかりにノートを閉じ、ペンを放り出した。こらっ、とミョ―ルが声をあげる。ベネラーは視線でシスターの顔色をうかがっている。言わんとするところは同じだ。わんぱくふたりと違い、彼にとって聖書は暗記するのが当然のもので、いまさら書き取りなどしても死ぬほど退屈なのだろう。
「はいはい、休憩にしましょう。武器商人さん、ようこそいらっしゃいました。どうぞあがってくださいな」
笑顔を浮かべるシスターの近くから、じっと自分を見つめてくる視線があることに、武器商人は気付いていた。
食堂に案内された武器商人は、歓迎の紅茶を出された。食べるのに時間がかかるのは先刻承知なので茶請けはない。代わりに紅茶には上等のラムがたっぷり。
「うん、シスターの紅茶は絶品だね。ラム酒もいいものを使ってくれてるし」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「……どうしたら私もお茶を淹れるのが上手くなるかしら」
「リリコは肩に力を入れすぎだよ。料理も呈茶もリズムがあって、杓子定規にやるものではないさ」
「……難しい」
リリコはわかりやすい渋面をした。
「ヒヒ、一度わかってしまえば簡単なのだけれどね。まァあとは慣れと経験だね。次に来るときはリリコのお茶をごちそうになろう」
「……ん、練習する」
「ところでさっきから我(アタシ)に熱い視線を送ってくれているのは誰かなァ?」
武器商人は扉へ顔を向けた。ぴゃっと誰かが隠れたが、スカートの裾が見えている。
「出ておいで、セレーデ、ロロフォイ」
ひよこ色のワンピースに着替えたロロフォイと、制服姿のセレーデがおそるおそる顔を出した。
「どうしたんだい? 何にも怖いことはないよ。あァ、もちろん、今は、という意味で。ほら、おーいで」
武器商人が手を広げると、二人はすすっと寄ってきた。あのね、とロロフォイが口を開く。
「セレーデがね、お父さんを思い出しちゃって甘えたいんだって。いいかなあ?」
「そういうことは自分の口から言ったほうがいいよセレーデ。ほら、ちゃんと言葉にしてごらん」
顔を赤らめ、もじもじと両手を絡み合わせていたセレーデが蚊の鳴くような声で言う。
「きょうのぶきしょうにんさんのふく、あでぷとのとーさまをおもいだすの。だから、その、そばにいっても、いいかしら」
「ああ、かまわないよ。もちろん我(アタシ)はそれを受け入れよう」
「えへへ、とーさまー」
うれしげに抱きついてきたセレーデを、武器商人が優しくハグする。ついでに頭を撫でてやると、セレーデはとろけんばかりに微笑んだ。不思議な少女だ。整った愛くるしい顔立ち、印象深い大粒の瞳、けれど目に光がない。焦点は茫漠としていてここではないどこかを覗いている。その瞳は武器商人を映しながらも、彼女が「とーさま」と呼ぶ何者かを見つめている。かさりと手に違和感があった。服の上から彼女の二の腕に、鱗の感触。これは海種の特徴だろう。
はて不思議が深まった。研究都市国家アデプトは旅人の国。純種はほぼいないはずだが。
「セレーデはお父上が大好きなんだね」
「うん!」
「お父上はいつもこんな格好をしていたのかい?」
「うん」
気になる。武器商人の今日の衣装は、あえて言うなら海洋風なのだ。鱗、つまり海種の特徴を持つ子が練達の出身を自称している。そうさせる「とーさま」とやらに興味がわいてきて、武器商人は低く笑んだ。せっかくだ。今日の相手はこの子にしよう。
「よし、決めた。今日はセレーデに服をプレゼントしよう。どんなのがいいかね。なんでも言ってごらん?」
「いいの? あのね、わたしあでぷとふうのふくがいいな」
「了解。仕立て屋へ行こうか。練達風となると幅広いからね」
馬車に乗り、街へ出る。
お目付け役としてリリコがついてきた。武器商人はいつもより遠くまで馬車を走らせ、問屋街を抜けて懇意にしている服職人のところまで行った。道々セレーデと話したが、彼女の話はだいたい「とーさま」がいかに立派な研究者だったかにつながるのだった。もっともリリコに言わせると、セレーデがこんなにしゃべるのは珍しいそうだ。きっと武器商人に甘えることができてうれしがっているのだろうとも。
「降りておいで、お姫さまたち」
武器商人は二人が馬車から降りるところをエスコートすると、馬車と御者をカードに戻して懐へ入れた。仕立て屋へ入ると、すこしかびくさい匂いがした。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
馬車が消えるところなど見えなかったとでも言いたげに、仕立て屋は深く礼をすると、リリコとセレーデを見比べ、セレーデの手を取った。
「手前の腕を欲していらっしゃるのはこちらのお嬢様でよろしいですかな」
「あァ、そのとおりだとも。練達風のと注文をもらってるんだけれどね、少し深く聞き取らないといけないよ。そのお姫さまはミルフィーユみたいな影の持ち主のようだから」
「かしこまりました」
仕立て屋がセレーデへ理想の服を聞く。聞けば聞くほど、それは練達風というよりも……。
「海洋風じゃないかね?」
武器商人の問いにセレーデは大粒の瞳をしばたかせた。
「でもとーさまはあでぷとのけんきゅうしゃだもん。あでぷとのいしょうよ」
がんとして主張を曲げない。これにはリリコも驚いたようで、ピコピコとリボンを揺らしている。
「まァとりあえず、ご注文どおりに作ろうか……」
仕立て屋が最高級のシルクを用意して、肌に色をあわせる。ピンクブロンドの髪に金色の瞳、なめらかで白いきめの細かい肌へは、翠がよく似合った。
「ふふ、『とーさま』とおそろいなの」
セレーデは満足そうにそう微笑んだ。
「腰に赤い布を巻いてみるかい?」
「うん! おそろい!」
もはや「とーさま」が記憶上の人物なのか、目の前の武器商人なのか、傍からは判別がつかない。リリコは警戒しているのかせわしなくリボンが揺れていた。
ひと時たって、仕立て屋がしあげたデザイン画は、異世界でいうところの漢服。海洋の、特に海種の間で好まれる服だった。ますますわけがわからない。だがセレーデが望む限りこれは「練達風」なのだろう。デザイン画を受け取ったセレーデはこの上なく幸せそうだった。
「ほんとうにおひめさまみたい。うれしい。ありがとう、『とーさま』」
「我(アタシ)は武器商人だよ。セレーデ。そういえばセレーデはお母上の話はしないね。よかったら聞かせておくれ」
その瞬間、セレーデが固まった。光のない瞳がさらにこわばり、能面のような無表情になる。
「ま、まま、まま、まままは、ままあね……」
ろれつの回らない舌で言葉を絞り出す。リリコが素早く割って入った。
「……セレーデ。大丈夫よ。ここは幻想よ。練達じゃないわ。アデプトじゃない、レガド・イルシオン。大丈夫よ」
「まま、ままあ、まま、まままま、まっ」
「……セレーデ。ここは幻想。お父様は練達にいるわ。だから大丈夫よ」
「まっ。まあま、ままま、まーあ、ぱぱ、ぱぱ、ちがうの、まーまままま……」
くてり。リリコの腕の中、デザイン画を抱いたままセレーデは気絶した。
「……ごめんなさい、私の銀の月」
こんこんと眠るセレーデを膝枕しながら、馬車の中リリコは武器商人へ詫びた。
「……お母様の話はセレーデには禁句なの。言ってなかったね。どうしてかまでは知らないけれど、セレーデはお母様に関する記憶を固く封じてるの」
「ふむん」
武器商人は顎を撫でた。
「興味深いけれど、ひびの入った器に熱湯を注ぐような真似は我(アタシ)もしたくない。少なくとも今はね。いつか時が来たら話してくれるかいリリコ?」
「……うん。その時が来れば」
リリコはすまなさそうに微笑んだ。そして悲しげにセレーデの髪を手櫛ですく。
「……一度こうなってしまったら、セレーデは三日くらい目を覚まさないの。起きた時には、都合の悪い記憶は全部消えてしまってるの」
「おや、そうなると、今日の出来事はどうなるんだい?」
「……きっと、仕上がった服は練達にいるお父様からの贈り物だと思い込んでしまうわ」
そうしてセレーデは見果てぬ妄想の海で揺蕩い続けるのだろう。リリコは深いため息をついた。
「……でも、それは私も腹立たしいから、衣装は私の銀の月から贈られたものだと訂正しておくわ。寝起きのセレーデはぼんやりしているから、言われたことをそのまま信じてしまうの」
「それはそれで危なっかしい気がするがね。ヒヒ」
「……そうね。私の銀の月。あなたの言うとおりだわ。だけど、セレーデの安穏は私たちにもよくわからないお父上との妄想の中にしかないの」
ふうらりとリボンが左右に振れた。リリコは妹分の精神状態を案じている。そして何もできないことにくやしさを抱いている。もっと何かできることはないのか。自分へそう問い続けている。武器商人はリリコの頬を包み込むように触れた。
「あまり思いつめないでおくれ、おまえ」
陶器の人形のような少女は、弱弱しく笑った。空には月が昇り始めている。細い月光が白い頬を照らした。