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森に行ってはいけない日
登場人物一覧
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それは連日続いていた雨が止み、久方ぶりにカラリと晴れた日のことだった。
親の手伝いから解放された子どもたちが、街の外れに集まっている。雨で家に籠もっていることが耐えられなかったのだろう。彼らは皆、ようやっと屋外で動きまわれる喜びに、眼が輝いていた。
「今日こそ精霊の秘宝をみつけようぜ!!」
「おれ、騎士がいい!」
「えー、ボクも騎士がしたい!!」
彼らの中で流行っている遊びといえば、冒険者ごっこである。騎士、魔法使い、神官、武闘家など、その時々でなりきりたい職業を選び、そのように振る舞うのだ。
冒険先は街近くの森の中。森と言っても、木々はそれほど濃くはなく、視界も良い。危険な動物や魔物の類が現れたこともないので、親一同からも、そのくらいならばと立ち入ることを許されていた。
連日遊んでいる子どもたちからすれば、もはや庭のようなものだ。未知の世界ではない、というのは冒険に憧れる子供達にとっては多少退屈なものであるが、木々の間で飛んで跳ね、はしゃぎ回るというのは街中ではできない遊びであり、彼らはまだそれに夢中になれる年頃だった。
「よし、タイレツだ! いざゆかん、精霊のリョーイキへ!!」
騎士の役を勝ち取った少年が、手頃な木の枝を剣のように掲げてそう宣言する。言葉の意味はよくわかっていない。雨日の間に母親が聞かせてくれた物語に、そのようなセリフがあったのだ。
「おっと、今日は森に行かない方が良いぜ」
しかし、せっかくの冒険の始まりに水を差す者がいた。良いところで止められたものだから、少しムッとした顔で声のした方へ振り向く子供らであったが、そのしかめづらはすぐに霧散する。知っている人間であったからだ。
「あ、コータくん!!」
「コーにいちゃんだ、今日は冒険はいいの?」
「またすげえ話聞かせてくれよ!!」
コータと呼ばれた人物は、子どもたちにとって、軽く憧れのようなものであった。
自分たちとも遊んでくれる、少し年上の少年。しかし、彼は既に独り立ちをして、本物の冒険で生きているという。少なくとも、彼らにとってはそういう認識だった。
「おう、また今度な。今日は忙しいからさ」
「えー……約束だかんな」
「何で森がだめなの?」
「そうだよ、冒険の邪魔すんなよ」
森は安全であるはずだ。これまで危険な目になどあったことがないし、大人にも止められていない。だから、コータがどうして森を禁止するのか、理解ができなかった。
「妖精が出ちゃったからな。巣を払うまで危ねえんだ」
その言葉に、子供たちは思わず色めきだってしまう。
「妖精が出るの!?」
「すげえじゃん、オレも見たい!!」
妖精。人里近くで活動している妖精など、ごくごく稀なもので、そんな話を聞かされれば、好奇心が顔を出すのも無理はない。
「そうか? 妖精にされちゃうんだぜ?」
「妖精に、される?」
「おう、妖精は妖精でも、瓶詰妖精だからな。長く会ってると、同じ妖精にされちゃうんだ」
妖精にあうと、妖精にされる。そんな話は聞いたことがなかった。
「そんなの平気だよ」
「平気じゃねえよ。妖精にされるとな……皆から忘れられるんだ」
「……皆から?」
見慣れたはずのコータの顔に、少しだけ陰が差したような気がした。大人たちが自分に見せまいとしているような、暗い顔。
「ああ、瓶詰妖精はそうやって仲間を増やすんだ。人間を森に誘い出して、仲間に変えて、元の家には居なかったように思わせるんだ。だから、居なくなっても誰も気づかない。妖精になってしまっても、誰も探しに来てくれない」
「……う、うそだよそんなの」
「嘘じゃねえよ。オレだって、覚えてらんないんだ。誰かが妖精にされたのか、されてないのかもわからねえんだ」
ごくりと、唾を飲み込んだ。誰にも知られず、友達にも親にも忘れられ、妖精として生きる。自分じゃなくなってしまう。言葉にするのはまだ難しいが、それは背筋に冷たいものを感じさせるには十分だった。
「しょ、ショーコは? ショーコはあるの?」
ショーコ。意味はよく知らないが、嘘っぽいことを本当のことだとちゃんと言うためのものだと認識している。
「……お前らさ、その子はなんで仲間なんだ?」
コータは目線で、子どもたちの中で唯ひとりの女の子を指し示す。
「なんで、って? 女の子がいたらおかしいの?」
「そうじゃねえさ。『年下の』女の子がひとりだけ混じってるのがおかしいって言ってるんだ」
……言われて、みれば。
女の子ひとりだけ、子どもたちの中で若干年齢が低い。同年代の女の子が街中にいないわけじゃないのに、格別わんぱくでその輪に混じることができないわけでもないだろうに、彼らの中に入っている。
彼らの中に、女の子のお兄ちゃんがいるわけでもない。自然と、彼女は自分たちの遊ぶグループに所属していたのだ。
どうしてだろう。別に女の子のことを邪険に扱ったことはないが、確かに冒険ごっこにハマるようなタイプではない。そもそもまだ、ひとり親から離れて遊び回るような年頃でもない。なのにどうしてか、自分たちのグループの中にいる。
「……あれ?」
そう言えば、どうして知り合ったんだっけ。どうやって仲間に入ったんだっけ。女の子のお父さんやお母さんに、この子も入れてあげてと頼まれた覚えはない。だったら、誰かがある日に連れてきたのだ。遊ぶ仲間として、もしくは目の届く範囲に居られるものとして。
誰かって、誰だろう。
誰かがいるのなら、その子はどうして今は仲間じゃないんだろう。わからない。思い出せない。そうじゃない、そもそもそんな記憶はない。女の子はどうしてか自分達の仲間で、いつの間にか輪の中にいたのだ。
違和感。不安げな顔でコータを見上げると、彼はニコリと笑ってみせた。
「だからよ、何日か、そうだな、明日からまた雨らしいから、それが晴れるまで森はやめとけよ。ちゃんと、遊べるようにしてくるからさ」
そう言ったコータの顔にはもう陰はなかったが、子どもたちの心に残った違和感は、それを拭いきれぬ『平常さ』は妙なしこりとして、川の端の泥みたいに取れずしつこく残っていた。
コータが妖精退治(巣を払う、とか言っていた)に行ってしまったので、街中で遊ぶことになった。
体を動かしていると、不安が消えてくれるようで、無理にでも夢中になって遊ぶことにした。
汗をかいて、泥だらけになって、後で怒られるかも知れないが、そのことがなんだか嬉しいことに思われた。
日が傾いて、お腹が空いて、それはそれぞれが家に帰る時間になったということだ。
友達に手を振って、また雨が止んだらと言い合って、帰路につく。
家を開けて、ただいまと言って、またそんなに汚してと怒られて、手を洗い、服を着替えて、居間にあったそれが目についた。
瓶に入った、羽のついた、ちいさな人間の、ようなもの。
「ねえお母さん、それなあに?」
「え? ああ、それ? 市場に来てた売り子さんから買ったのよ。可愛いでしょう? 瓶詰妖精って言うんですって」