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大地と赤羽の話~自由図書館ノ一日~
登場人物一覧
挨拶はしない。聞かれたことだけ答える。ここは自由図書館。来館者は皆本の虫。活字へ浸りに来る者の、何を阻むべきか。干渉は冒涜ですらあろう。透明な無関心が必要最低限にして最高の礼儀。
セミが鳴きだした。真夏の激しい日差しが窓から滑り落ち、ひだまりと呼ぶのも気が引ける灼熱のプールを作っている。エアコンで湿度を調節しながら、本が日焼けしないよう移動させたほうがいいだろうか、大地はそう思った。
思いついたなら行動だ。図書館内の配置を頭に広げ、何をどこへやるか考える。焼けを防ぐだけなら窓に近い本をどかすだけでいいが、陳列には法則と言うものがあって、それを無視するとあとで後悔する。玉突きで本を動かしていけば、ちょっとしたリニューアルになりそうだ。誰が来るかもわからないし、今日は一日整理整頓をして過ごそうか。大地は日差しを浴びる棚から本を一冊抜き取った。分類は414、幾何学。
「今日も読書が捗るなァ、司書さんヨ」
とたんに口から漏れ出た声。大地のものでいて、すこし違う。
「これでも一応、真面目に検品してるつもりなんだけどな」
大地はすげなく返した。傍から見ればひとりごとを言っているような、違うような。
「また小難しい本選びやがっテ、アレカ? 活字中毒者にとって内容はどうでもいいってカ?」
「そんなわけないだろ。俺はどの本も等しく読み込む」
大地は長い髪をはらった。さらりとひるがえった黒髪、その裏側は緋。靴音は一つ、声音は二つ。ひとつの約定、ひとつの執着が、ひとつの体にふたつの魂を同居させた。すなわち、赤羽。魂魄だけとなって、大地の裏側へ住み着いているそれは、大地の肉体をもって己を誇示する。
「やっパ、薄暗ぇ所で本ばっか読んでるト、陰キャになるのかねェ」
「お前はお前で陰険だろ」
「おウ、よくわかってるじゃン」
「分かるも何も、隠す気ゼロなんだよなあ……。特に、俺達しかいない時は」
「それだけお前に心を開いてるんだゼ? こっちハ」
「そりゃどうも」
室内がどこか暗く感じるのは、夏だから。無機質な灯りはあの日差しには負ける。どこかほの暗い図書館を、大地は確かな足取りで歩く。薄いカーペットは靴音のすべてを吸収しない。こもった音が天井へ吸われていく。
「どうしたんだヨ、本を山ほど抱えテ。今日のお前は大食いだナ」
「違う。棚の入れ替えをするんだ」
「なんでそんなめんどくせぇことするワケ?」
「本の劣化を防ぐんだよ。やろうやろうと思ってるうちにあっというまに夏本番になったしな。紫外線防止フィルターも張り替えないと」
「お前って本が関わるとマジでキャラぶれないナ」
「ぶれるほど芸風広くないよ」
赤羽が茶化して、大地が答える。そっけなく。でもきちんと。無視したりはしない。思えばこの体に二人が共棲するようになってからというもの、赤羽は何かと大地へ話しかけてくる。普段の円滑なコミュニケーションがいざという時大事なんダとかなんとか言って、ようするにかまってほしいんじゃないかと大地は睨んでいる。それもそのはずで、この肉体の所有者はあくまで大地であって、赤羽は仮住まいだ。赤羽は大地と言うフィルターを通して外界を感じ、大地という存在を合間にはさんで他者と接触する。大地と言う檻の中に、自ら囚われているようなもので、だけども本人特段それを気にしている風でもない。むしろ今の状態を楽しんでいるようですらある。それが死霊術師を謳う本人の矜持なのか、単なるあまのじゃくかまでは、大地は知らない。
「紫外線なんちゃらとやらはまだ倉庫にあったカ?」
「あった、と、思う。どうだったっけ。覚えてる、赤羽?」
「そんなの俺の知ったことじゃねぇヨ。だいたい在庫くらい確認してから動けよナ。ばっかじゃねーノ」
「別にその作業は今日でなくてもかまわないから問題ない」
負け惜しみダ、そうケラケラ笑う声がする。一番近くに居て、一番遠い他人。友ではない。知り合いとも違う。絆だとか友情だのという単語はどうもしっくりこない。愛だ恋だ惚れたはれたに至っては何をかいわんや。やはり共棲という表現がいちばん馴染む。共有ではなく、共に棲まう。それぞれがお互いに独立した個と自我をもって。誰よりも何よりも近くに在る。
「こんなに急に暑くなったりしなけりゃ、俺だって急いで本棚の入れ替えをせずに済んだのだけど」
「今年も春なかったよナ。まァ、本の虫には四季は関係ないカ」
「あるから作業してるんだ」
赤羽と雑談しながら大地はひたすら本を入れ替えていく。黙々とやるよりも気分が紛れていい。赤羽の存在は、大地にとって信頼のおけるものになりつつある。おそらく、むこうも。
「閉館ですか?」
客のようだ。二人はおしゃべりをやめた。しじまが図書館を包む。それを壊さない程度に、『赤羽・大地』は口を開いた。
「あいてますよ。ごゆっくり」
安堵した様子の客へ『その人』は礼儀を込めて背を向けた。